18: 笑う門には福来る
(あぁ、俺は、蛍を目覚めさせる為の最後の材料として、その魂に見合う材料——その動力たる心臓を器に捧げるために神獣カイチの心臓を欲したことに変わりない……)
安倍晴明は横目に、不安げな蛍の視線を受け止めて、こちらを見据える月夜見に視線を移す。
「契約を守ってくださいますね——安倍晴明」
「……月夜見」
安倍晴明の口から迷うように、その神名が溢れる。
もちろん、理解している。
月夜見と交わした契約だ。守らなくてはいけない。
天界は天上蓮華の隔絶された世界であるが故に、その神の扉は内側からしか開けられない。
そのため、安倍晴明がどんな叡智を持って術式を使ったとしても外側からでは、内側の扉を開けることは不可能に近かった。
それ故に、天の神の神の権能によって作られた内扉を——月夜見の法典により、瞬間的に、観測の眼さえ欺いて、内側から開くはずの扉を外側の扉へと存在ごと書き換えてもらったのだ。
それによって、蓮は天界へと踏み入れることができた。
人工神の蛍は『安倍晴明、蓮、月夜見』の三柱が揃い力を合わせたからこそ、ここにいる。
逆に解せば、月夜見がいなければ蛍は目覚めることが出来なかったという事実でもある。
——そうだとしても安倍晴明は、今更、迷ってしまった。
「月夜、少し時間をくれへんか……」
「何故ですか、履行期はすでに到来していますよ?」
月夜見は冷たく語尾を強くして言葉を返す。
しかし、安倍晴明は手に触れる蛍の小さな肩の感触に罪悪感が増していた。
イザナギの権能に求められる責の重さは、今のこの子に背負わせたくない。せめて、もう少し蛍の精神や肉体の成長を待って欲しいと——。
そうでなくては、蛍は、安倍晴明のために、その命を削ってしまうからだ。
「……目覚めてすぐの蛍に、イザナギの権能を抱えさせるのは、あまりにも荷が重すぎる」
「それは、契約義務違反ですよ。安倍晴明」
ムッ——と金色の瞳を吊り上げる月夜見。
もちろん、月夜見も蛍の姿が少女であることを理解している。
その精神の成熟度が如何様であるかは不明であるが、この高天原の存続がかかっているのだ。悠長に待ってはいられない。
「……はぁ、そこを堪忍してや」
「堪忍できません、契約書も交わしています。我々の世界の存続のためなのです。高天原の神々のためにも、蛍さんには一刻の猶予を与えることも出来ません」
ピシャリ——と言葉を切る月夜見。もはや取り付く島もない。
そんな安倍晴明と月夜見のやり取りを見て、建御雷神は「諦めなさいな…」と安倍晴明の肩をポンと叩いた。
「残念ね、晴明ちゃん。今日の月夜ちゃんは下弦のテンションだから、厳しめみたい……仕方がないわ」
流石の建御雷神もこうなった月夜見を止められないのだろう。
困った顔で安倍晴明の足元にいる蛍を見やった。
一方で蛍は、全員の視線を受け止めながら、月夜見に問いかけた。
「……なぁ、月夜見。それは、晴明が月夜見と契約をしたのか?」
「はい。それが、僕が手を貸す条件でしたからね」
月夜見はそう淡々と返した。
(……これは、きっと主である晴明になるのだと思う)
そうだとしても、蛍は嬉しいと思った。
(もし、それが間違いだとしても……今、ボクが出せる答えは、やっぱり、晴明の、ご主人様のため……)
いつか変えなくてはいけない答え——そうだとしても、今の蛍に、受け入れる以外の選択肢などない。
(今のボクがここに居ていいんだって、ボクを必要として貰える理由ができたから……!)
蛍は顔を上げてまっすぐに月夜見を見据えて言った。
「——なら、やる! やりたい!」
「蛍……」
そうなると思った。とばかりに安倍晴明が眉間の皺を深めて頭すら抱える。
そんな安倍晴明とは対照的に、満足そうに月夜見は笑顔を浮かべた。
「やる気があって、何よりです」
その笑顔は、空に浮かぶ満月のようににっこりと。
「貴女を子供として解釈すべきなのか。大人として解釈すべきなのか、不明な点は残りますが……。少なくとも貴女自身の責任は持てそうですね」
そんな月夜見の言葉を遮るように、僕は納得してないよ!と蓮が勢いよく身を乗り出して言った。
「そんなっ!そもそも、蛍がイザナギの権能を受け入れたらどうなるのか、説明してないでしょっ!」
蓮が勢いよく反論する。
蓮の言葉を聞いた月夜見は確かに、それも一理あると静かに頷いた。
「確かに、そうでしたね。任せる業務の説明は必要でしたね……法典解放:映像で重要事項を説明いたします」
パラララッ——と頁が捲れたあと、ピタリと頁が開いたまま淡く光を放ち、そこからまるで御伽話のように映像が流れ始める。
——それは、蛍に見立てた二頭身の少女が、他の神々とともに黄泉を降りて行く姿……。
「えぇ、高天原を救うために黄泉下りをしていただきます。
イザナギとなった貴女は、黄泉へと送られた神々——すなわち、禍ツ神から転生させて、生者の国たる高天原に呼び戻すのです」
二頭身の蛍が、最下層の死の国を目指しながら各階層の禍ツ神を倒して、光をまとう蝶へと姿を変える。
その蝶は、舞うように蛍の胸へ吸い込まれていった。
「一番国、天津の国の裏側に、第一階層の黄泉比良坂が存在します。 ……つまり先程、皆さんがいらっしゃった黄泉比良坂の封じられた入り口の奥に各階層が存在しているのです」
映像に映る、二頭身の蛍はさらに、下の階層に神々とともに降りていく……。
一番国 天津の国 (裏側 第一階層 黄泉比良坂)
二番国 月夜の国 (裏側 ——不明——)
三番国 海原の国 (裏側 ——不明——)
四番国 千の国 (裏側 ——不明——)
五番国 桜花の国 (裏側 ——不明——)
六番国 京の国 (裏側 ——不明——)
七番国 桃園の国 (裏側 ——不明——)
八番国 彼岸の国・三途の川
零番国 死の国
二頭身の蛍が下へ下へと降りて行き、最下層の零番国の死の国にいる蓮に似た蒼い蓮を咲かせる神に出会った。
すると、——ゴール!と表示されて映像は終わる。
そして、最後に二頭身の蛍が金や銀などの色とりどりの卵に囲まれて、両手を上げて喜んでいる映像だけが流れる。
「……このように、各階層の禍ツ神達を倒して、神々の魂をイザナギの権能で体内に保管し、表で転生させながら、黄泉下りを行ってください」
それを、白さんのいる最終層——死の国まで繰り返していただきます。
それこそが、この世界における黄泉下りです。
「今は結界で、高天原を最少限の大きさにしているだけですが、神々の転生が進めば、表の高天原に神々の権能が戻ってできることが増えますよ」
そう説明を終えた月夜見が淡く光放つ、分厚い本を閉じる——パタン。 流れていた映像もスッと消える。
「……なるほど」
蛍はコクンと大きく頷いた。
「それなら、最後には高天原本来の姿に戻るって言うことか……」
「その通りです」
「ボクが、イザナギになれば、高天原が助けられるってことなんだな」
「えぇ、全ては、貴女の頑張り次第です」
柔らかく月夜見は笑みを浮かべながらも、内心では蛍の頑張りが無駄にならないことを願うばかりだった。
人々の信仰なき今、どこまで彼女が頑張れるかにかかっているのだが、——そこは今は言わずにおきましょう。と月夜見は静かに思った。
「なら、ボク、がんばる!」
月夜見とは反対に、やる気に満ち溢れる蛍は、そう言って両手にぎゅっと拳を作る。
しかし、蓮は首を左右に降って言った。
「蛍……ちょっと、それは流され過ぎだよ」
「なんでだ?」
「……だって、蛍。月夜見はまだ言ってないことが多過ぎる」
蛍は蓮が反対する意味が理解できていなかった。
(……蛍は安倍晴明のためなら、本当に何でもするだろう)
蓮は蛍ほど単純に、全てを受け入れることはできない。
(だからこそ晴明は蛍を止めるし、拒んでしまう。だから、さっき晴明がイザナギの権能を躊躇ったのは……)
勝手に脳が思考してしまうからだ、まるで、本来の自分がどこかに残っているかのように……。特に蛍に関することなら先々に計算してしまう。
そして、今の蓮が答えを導き出していた。
「——だったら、月夜見。そのイザナギの権能で体内に保管と転生、神の卵を生み落とすというくだり、それを具体的に教えてよ」
「さすが、白さん、耳ざといですね」
「白じゃなくて、蓮だから……」
蓮は半ば諦め気味に、自己紹介した。
みんな、白、白というけど蓮なんだって!とシクシク内心で泣く。
「イザナギの権能による、魂の保管は、精神や肉体が作用します。いわゆる、人工神の基礎能力ですね」
人工神を調べてみますか?と言いながら月夜見は当たり前のように、宙から本を一冊取り出す。
「え、何を見てるの?ってか、どっから出したの?」
「証拠集めは大切ですから。調べたい情報や必要な物は全て権能から取り出せます」
「……権能が万能すぎて、もう怖いんだけど」
蓮はもはやドン引きである。
一方、月夜見が見ている本には人工神の基礎能力が書かれている。
「現在のところ……ザッと二十魂くらいは入るのではないでしょうか? それが、彼女の身体の容量が魂を"安全に保管"できる範囲です」
本を閉じて宙へ返す月夜見を見つめながら、蓮は続けて問う。
「仮に入れたとしたら、それをどう転生させるの?」
「えぇ、もちろん。 イザナギの権能で保管している魂を"神の卵"へと神力で変化させて体内から排出——高天原に生み落としていただきます」
「ソレ……何処から? いやらしいやつじゃないの?」
淡々と答える月夜見を、蓮はがジトッとした目つきで見やる。
それに対して、至極真面目に月夜見は答えた。
「えぇ、下からです」
「ダメだよ!う○こ——でないのなら認めないよ!」
「っ……ふっ」
蓮が声を張り上げると、普段大きく笑わない安倍晴明が吹き出して下を向いた。
「あははははっ!やだぁ!白ちゃんの顔で真剣に、う○こ、とか言うの——最高にいいわぁ、アタシ大好きよ!そういうのっ!あはははっ!」
建御雷神は腹を抱えて大爆笑してる。
それを横目に月夜見は諦めたかのように溜め息を吐く。
「仕方がないですね」
月夜見は宙に浮いた本に手を伸ばして、本を広げる。
権能を使おうとしているのか、その分厚い本——法典の頁が淡く光を帯びる。
そして、月夜見は真剣な表情で言った。
「では、……下から出せないなら、上から出してもらいます。(訳:ひたすら嘔吐して転生させろ)」
「——もう拷問じゃん!!」
ダメに決まってるでしょ!馬鹿なの!?と蓮は猛抗議している。
「はぁ、……仕方ないですね。今の白さんは、どうやらお優しいようで……」
再び、宙からいくつかの本が出てくる。
……あれでもない。これでもないと困り顔で何らかの本を探しながら、月夜見は言った。
「前の貴方なら、どんな状況でも"頑張ってて偉いね"と、ただ笑顔で褒めて流しているはずですが……人間性が足されると、そうなるのですね」
——あぁ、ありました。と絵本を広げて、月夜見の開いた絵本の中からごろん…とダルマ現れる。
「……わぁ!本からダルマ出てきた!」
蛍は目を輝かせる。
絵本から出てきたダルマは、蛍であれば両手で抱えれそうな大きさだ。
「本来なら蛍さんに全て任せる方が効率的なのですが。ダルマを媒介に一部、書き換えましょう……」
そして、月夜見の法典はパラララッ——と頁が独りでに捲れ光を放つ。
「イザナギの権能が作用する、その定義の範囲を——」
法典解放:これより、月の法の権限を行使します。
「"保管、変化、産み落とし"業務に、笑福ダルマを利用する。これで異論ありませんね?」
そして、絵本の上のダルマが光に包まれた。
光が徐々に収まるとダルマはキラキラ輝きながら、フワリと宙に浮いて、そのまま、蛍の元へ飛んでいく。
「——あ、えっと……このダルマ、どうするんだ?」
蛍は飛んできたダルマを、そっと両手で受け止めると小首を傾げる。
「イザナギの権能を受け入れた場合、蛍さんの身体を使うと白さんや安倍晴明からの批判が強いので、その"笑福ダルマ"に魂の保管と転生、そして神の卵を生み落とす役割を譲渡しました」
それが、原則ですので容量オーバーにはご注意を。
——超えれば、蛍さんに本来の役割が戻ります。と怖いことを後から付け加えられた。
「転生には笑福ダルマに、イザナギの神力を注入したあと、笑福ダルマを笑わせてください。笑ったら転生する神の卵が口から飛び出てきますから」
月夜見は蛍が抱えるダルマを指で示して淡々と言った。
その指を追って蓮がダルマに視線を向ける。
「笑わせるって……地味に、面倒臭い機能付けたね。どうすれば笑うの、これ」
「んー、こちょこちょしても笑うのか?」
蛍が蓮にダルマを渡して、そのまま蛍はダルマをくすぐってみると。
『アッハハハハハハ!!』
ダルマは蓮の手の中で、ユラユラとダルマが揺れながら笑った。
——笑いのツボ浅っ!!
その場にいる全員が思った。
「あははっ! これ、笑う門には福来るなんだなっ!」
「……蛍も、ツボ浅いんだね。かわいい」
蛍はダルマに釣られて破顔してしまうが、蓮の場合は、蛍を見て顔が綻んでしまっていた。
そして、蛍が一番気になっているのは、安倍晴明の反応だった。
蛍は安倍晴明に視線を向けて伺うように声をかけた。
「ボク、イザナギの権能を受け入れても大丈夫かなって、思うんだ。ダメだろうか……晴明」
「蛍……」
安倍晴明が少し迷うように言葉を探して、どこか諦めるように静かに目を伏せて言った。
「お前さんの神生や、お前さんの好きにしたらええ」
「うん! ありがとう、がんばる!」
「そうか」
安倍晴明はそう一つ返してくれる。
否定も肯定もしない。それは、今の蛍にとってありがたかった。
(ボクがこの世界を救えるなんて、まだ実感はない。けれど、ボクが誰かの助けになるなら、いま、ボクにできることをがんばりたい——)
そう蛍はキュッと唇を引き結んだ。
「このまま——正義の天秤の間へ行きましょうか」
月夜見が法典を広げる。足元に、巨大な月の紋様が浮かび上がった。
「……蓮も、付いて来てくれるか?」
「もちろん、蛍が嫌がっても、僕は蛍について行くよ!」
蓮はダルマを片手に蛍の手を取って言った。
「うん、行こう」
そう頷いた蛍は自然と蓮と繋いだ手のひらに力を込めた。
「それでは——皆さん、転移しますよ」
次の瞬間、月夜見の法典は光を放ち、蛍たちの身体が光となって本の中へ吸い込まれていく。パタン——。




