第十三話:君にだけ廻すバトン
帰宅して、カギをポケットから出した瞬間、隣のドアがスッと開いた。
いつもの「おかえり〜」じゃない。
お姉さんが、神妙な顔で立っていた。
今日は黒のタートルネック。珍しく髪を一つに束ねてる。仕事モードか?
「……君」
「はい?」
「大事な話があるの」
「え、なんですか」
お姉さんは一度深呼吸して、スマホを両手で掲げた。
「突然のご連絡、失礼いたします」
「……?」
「私、お隣に住む者なのですが」
「知ってます」
「この度、マイミク外から失礼いたします」
「……は?」
「『FF外から失礼します』でもいい」
「いや何ですかそれ」
「バトンをお渡ししたく、ご連絡差し上げました」
「えっ!渡す?ご連絡?バトンって何ですか」
「古代ネットの風習!質問に答えて次の人に廻すやつ!」
「……は?」
「今こそ君に渡す時が来た!」
「……は?なんで今なんですか?」
「そう!今!mixiで流行ったやつ。自己紹介バトン」
「mixiって……?」
「知らないの!?マジで!?ジェネレーションギャップ!!」
お姉さんが頭を抱えた。
「いや知ってますよ!名前だけ!」
「よかった……私が化石になるところだった……」
「で、そのバトンって何ですか?」
お姉さんは急に真顔になって、スマホをスクロールした。
「えーっとね。『廻ってきた人は絶対答えること。24時間以内に5人に廻すこと。廻さないと不幸になる』」
「呪いじゃないですか」
「違う!古代ネットの絆!!」
「古代って……」
「いいから聞いて!答えて!君をディグりまくるんだから!」
「……は?」
「もういいから!はい!質問1!」
お姉さんが人差し指を立てた。
「名前は?」
「……君、で」
「本名で!」
「イヤです!言いません!」
「ちぇー。じゃあ質問2!好きな食べ物は?」
「好きな食べ物はカレーです」
「質問3!好きなタイプは?」
「……え」
「kwsk」
「ねえ!急にkwskやめてください」
「さあ!答えて?」
お姉さんが一歩詰めてくる。黒タートルで圧が強い。
「えっと……優しい人、です」
「具体的に!」
「困ってる時に助けてくれる人……とか」
お姉さんの口角がピクッと上がった。
「じゃあ!質問4!今、気になってる人は?」
「いません……」
「嘘つけ!」
「本当ですって!いませんって!」
「じゃあ、毎日ドアの前で生存確認してくる人は?」
「……それは」
「はい図星乙!」
「ねえ!誘導尋問やめてください!」
「質問5!初恋はいつ?」
「え~っと…まだです…」
「えっ?」
お姉さんが固まった。
「……まだ?マジで……まだなの?」
「はい……」
「まだなんだ……ふーん……」
「なんですかその顔は!」
「別に?ただ、世界は平和だな~~~って。君、まだバブいから」
「意味分かんないです」
お姉さんは満足そうにスマホをしまった。
「はい終了!ありがと君!バトン達成!」
「え、これで終わりですか」
「本当は100個あるんだけど、目的は達成できたので今日は終わり!」
「今日は?」
「うん!今日はね!次は君が5人に廻す番」
「嫌です!」
「え~~~!」
「そんな嫌がらせみたいなことは出来ませんよ!」
「え~~~!」
「それに俺はmixiなんてやってませんよ!」
「……マジで?」
「マジです!もしかしてこれもお姉さん世代ですか?」
「うるさい!!!」
廊下に絶叫が響いた。
「また言った!違う!全然違う!私そんなおばさんじゃない!!」
「すみません」
「謝るな!年齢イジるな!デリケートなの!!私まだピチピチだから!!」
お姉さんは顔を真っ赤にして、壁に額をゴンゴンぶつけている。
「痛い!痛いですって!」
「うるさい!私の心が痛い!!2回目のダメージは即死なんだよ!」
やばい。また地雷踏んだ。
「で!!!」
あっ、また無理やり話を変えようとしている。
「LINEの友達は?」
「家族と……お姉さんだけです」
お姉さんが、真っ赤な額のまま固まった。
「……えっと」
「はい?」
「それって、私しか廻す相手いないってこと?」
「そうなりますね」
「……」
「……」
沈黙が落ちた。
廊下の蛍光灯が、ジ……と鳴った。
「じゃ、じゃあ!私に廻して!」
「お姉さんに?」
「そう!私、答えるから!私のことをディグって!」
「え~~~、特に聞きたいことないですし……」
「いいの!なんでも聞いて!君から廻されたバトンなら、なんでも答える!」
必死だ。
「えっと……名前は?」
「お姉さん!」
「本名は?」
「君の隣人!」
「好きな食べ物は?」
「君がくれた高いプリン!」
「好きなタイプは?」
「君!」
「……えっ」
回答にビックリしたが、俺は動揺をごまかすように、そのまま続ける。
「今、気になってる人は?」
「君!」
「えっ!ちょ!」
無視してそのまま続ける。
……バレるなよ、と念じながら。
「初恋は?」
「今!」
お姉さんが、真っ直ぐ俺を見た。
ふざけてない顔だった。
「……全部、君」
心臓が、止まるかと思った。
「な……」
「はい!バトン終了!ここで終了!」
お姉さんは急にいつもの調子に戻って、ケラケラ笑った。
「え、今のって……」
「全部冗談!冗談だから!忘れて!デリートよろ!」
「いや今のは…」
「ログアウト!私はログアウトする!」
お姉さんはドアに半分体を隠して、顔だけ出した。
耳まで真っ赤だった。
「……でも」
「はい?」
「君に廻してもらったバトン、嬉しかった」
「……」
「また、廻してね」
バタン。
ドアが閉まった。
廊下に一人残された。
『バトンが廻ってきた人は絶対答えること』
『答えること』であって『正直に』とは言っていない。
だから、お姉さんの回答は嘘だ……
好きなタイプも
気になってる人も
初恋も。
お姉さんの回答は嘘だ。
でも俺なら、あの全質問に『お姉さん』って答えてしまいそうで、少し怖かった。
するとスマホが鳴った。
《隣のお姉さん》
『マイミク外から失礼しました』
えっ?
『バトンの感想、kwsk』
俺は天井を見上げた。
これ、呪いだ。
絶対に逃れられないやつだ。
『……尊いです』
送信した瞬間、既読がついた。
『今の、保存した』
続けて
『一生の宝物にするね』
もうダメだ。
完全に、お姉さんのペースだ。逃げられそうもない…
でも。
ドアの向こうから聞こえる、小さな鼻歌。
なんか、楽しそうだった。
明日もきっと、ドアが開く。
「バトン、廻しに来ました」って言いながら。
……それも、悪くないかもしれない。




