第十二話:ディグるか?ディグダグか?それが問題だ!
マンションの階段を上りきり、カギをポケットから取り出したところで、まるで計ったかのように隣のドアが勢いよく開いた。
「おかえり~! 今日も生存確認キタコレ!」
今日のお姉さんは、ゆったりとした白いケーブルニットに、マスタード色のロングスカート。相変わらず見た目だけは落ち着いた大人の女性そのものだ。口を開くまでは。
「……あ、ただいまです」
「ん? なんか今日、小難しそうな顔してんね。数学の難問にでもぶち当たった?」
「あ、いや、違うんです。ちょっとクラスのやつらが話していた言葉が気になって」
「ほうほう、何それ。お姉さんが死語レッスンしてやろうか?」
「いえ、死語じゃなくて、最近の言葉みたいなんですけど……『ディグる』って何ですか?」
俺のその問いかけに、お姉さんがピタリと動きを止めた。
大きく見開かれた瞳が、信じられないものを見るかのように俺を捉える。
「……君、今なんて言ったの?」
「え? ディグる、ですけど。クラスのやつが『あの動画チャンネル、ディグると面白いよ』って話してて」
お姉さんは、ふっと口元を緩めると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「いや〜、まさか君の口からそのワードが出るとはね。完全に油断してたわ。宇宙の真理キタコレ」
「いや、だから意味が分からないんですって。ディグるって何ですか?」
俺が真面目に問い返すと、お姉さんは腕を組み、何度も深くうなずきながら言った。
「いいよいいよ、その無知な感じ、ガチで尊い。教えてあげる。それはね……1980年代に流行った、歴史的名作アクションゲームのことだよ!」
「ゲーム……ですか?」
「…………」
「お姉さん世代ですか?」
「うるさい!!!」
廊下に絶叫が響いた。
「違う! 全然違う! 私そんなおばさんじゃない!!」
「すみません」
「謝るな! 年齢イジるな! デリケートなの!! 私まだピチピチだから!!」
お姉さんは顔を真っ赤にして、壁に額をゴンゴンぶつけている。
「痛い! 痛いですって!」
「うるさい! 私の心が痛い!!」
やばい。地雷踏んだ。
「で!!!」
あっ、無理やり話を変えようとしている。
「白い服を着て、青いゴーグルみたいなものを付けた主人公がね!」
「ほう!」
「黄色のゴーグルを付けた丸くて赤いやつに、モリみたいなものを投げて攻撃するの!」
「ほう!」
「でね!当たるとプスンと刺さってね!」
「ほう!」
「ボタンを連打すると、どんどんふくらむの!」
「ほう!」
「するとモンスターが少しずつ膨らんでくるの!」
「ほう!」
「で!最後には破裂させるの!」
「ほう!」
「あとね!岩があるから岩を落として潰すの!」
「ほう!」
「で!点数もらえるの!」
「ほう!」
「あれマジで神ゲーだから!」
お姉さんは熱弁しながら、両手で空気入れで空気を入れる仕草をしてみせた。
「……あの、お姉さん」
「何? 分からなければ動画うpして見せてあげてもいいよ?」
「それ、ディグる、じゃなくて『ディグダグ』っていうゲームの名前ですよね?」
「……え?」
お姉さんの動きが完全に止まった。
「クラスのやつらは『ディグる』って言ってたんです。ディグダグじゃなくて」
「え……? ディグ……え? ディグダグじゃないの?」
「違います」
「嘘でしょ!? じゃあ今の令和の若者って、ディグダグのことを略してディグるって言ってるんじゃないの!?」
「いや、絶対に違います!」
「マジで?」
「それに四十年以上前のゲームの話、クラスの誰もしてませんし、知りませんよ!」
お姉さんは両手で頭を抱え、廊下の壁にしなだれかかった。
「嘘……」
「アハハ……」
「私の平成ネット知識と、昭和レトロゲーム知識が融合して令和に飛び立ったのかと思ったのに……」
「アハハ……」
「やっぱり今の話なし! ディグダグのことは記憶からデリートよろ!!」
「消せって言われても……」
「うう、恥ずかしすぎてgkbrしてきた……」
「大丈夫ですよ!」
「壁になりたい。今すぐログアウトしたい……」
顔を真っ赤にして本気で凹んでいるお姉さんを見るのは、なんだか新鮮だった。
いつもは余裕しゃくしゃくで俺をからかってくるのに、自分の勘違いだと分かった瞬間にこれだ。
でも、そんな姿もなんだか……少しだけ可愛いと思ってしまうから困る。
お姉さんのくせに。
「……でも」
「……でも何よ。慰めは受け付けない方向でお願い」
「僕、スマホでちょっとだけ調べたんです。ディグるって、英語の『dig(掘る)』から来てるんですよね?」
「……そうなんだ」
お姉さんは壁に額をつけたまま、上目遣いで俺を見た。
「それなら、お姉さんの言ったディグダグも、地中を『掘り進む』ゲームなんですよね?」
「うん。十字キーでサクサク掘るよ」
「じゃあ、意味としては同じじゃないですか」
「え……?」
「クラスのやつらは『深く掘るみたいに探す』って意味で使ってたみたいです。好きなものを、もっと知りたいって。」
「うん…」
「お姉さんの言ったゲームも地面を掘る。縦横無尽に。深くまで。」
「うん…」
「……だから、そんなに的外れでもないと思います。」
「うん…」
「それに言葉は違っても、お姉さんが言いたかったことは伝わりましたから」
俺が思ったままを素直に伝えると、お姉さんはゆっくりと壁から体を離した。
その顔は、さっきの恥ずかしさとは全く違う理由で、耳の先まで真っ赤に染まっている。
「……君さぁ」
「はい?」
「そういうさ、天然で人の心にクリティカルヒットかますの、本当に自重しなさいよね」
「え? 何がですか?」
「何がですか、じゃない! 今ので私の残りのHP、完全にゼロになったから!」
「え~!」
「尊みの暴力だから!」
「怒らなくてもいいじゃないですか」
お姉さんは両手で自分の顔を覆い、しばらくの間、ふぅ、と深呼吸を繰り返していた。
夕方の涼しい風が、廊下を通り抜けてお姉さんの長い髪を揺らす。
やがて、お姉さんは指の隙間からチラリと俺を見て、いつもの悪戯っぽい笑みを無理に作るようにして言った。
「じゃあさ」
「はい」
「ディグるの正しい意味が分かったところで」
「はい」
「……お姉さんのことも、もっとディグってみる?」
不意に、少しだけ低くなった声。
お姉さんは一歩、俺との距離を詰めてきた。
白ケーブルニットの柔らかい香りがした。
顔が近い。近すぎる。
「な……っ!?」
「はいその反応ワロタ。図星乙」
「な、何をディグるんですか!」
「何って、お姉さんの好きなものとか、趣味とか、過去の恋愛遍歴とか? 君がkwskディグってくれるなら、何でも教えてあげるけど?」
お姉さんはニヤニヤしながら、俺の顔を覗き込んできた。
完全にいつものペースに飲まれている。
心臓がうるさくて、夕陽のせいにできないくらい自分の顔が熱くなっているのが分かった。
「……結構です! 今はまだ興味ありません!」
「え~!冷たっ! 氷河期キタコレ! さむっ! 嘘でも興味あるって言いなさいよ!」
「嘘はつけない性格なんです!……じゃあ、俺、宿題あるので」
俺は逃げるようにカギをドアノブに差し込み、ガチャリと扉を開けた。
部屋に飛び込もうとしたその瞬間。
「ちょっと待って!」
背後から、少しだけ真面目な声で呼び止められた。
振り返ると、お姉さんはドアの陰から半分だけ顔を出して、少しだけ寂しそうな、でも優しい笑顔を浮かべていた。
「……明日も、私のことディグりに来てよね。毎日、待ってるから」
ずるいな…そんな顔で言われたら、断れるわけがない。
「……はい。気が向いたら、行きます」
俺はかろうじてそれだけ言い残し、部屋に入ってドアを閉めた。
背中をドアに預けたまま、どっと溢れ出た熱い息を吐き出す。
胸の奥が、まだトクトクと激しく脈打っていた。
『ディグる』は『深く掘り下げる』か…
意味は分かった。
分かったけれど、あの人のことをこれ以上ディグったら、俺の心臓がいくつあっても足りない気がする。
『ディグる』
『深く掘り下げる』
……結局、ディグるもディグダグも、同じだったのでは?




