第六話 家族になろうよ
第六話 家族になろうよ
「皆様。おはようございます」
その声に導かれるように、エリザベスとメアリーは大広間へ足を踏み入れた。
高い天井、磨き上げられた床、朝の光が差し込む長いテーブル。その中央に、やや老けた中年の女性が座っている。そして彼女の隣には、椅子に腰掛けながらも足が床に届かず、宙にぶら下がったままの幼い坊やがいた。
女性――キャサリンは、柔らかく手を広げる。
「さあ、座って。遠慮しないで」
エリザベスとメアリーは一瞬だけ視線を交わし、女性と少年から距離を取るように、扉に近い席へと腰を下ろした。
しばらくすると、左手の空間から、ふわりと宙に浮いた銀のトレーが現れた。
音もなく滑るようにテーブルを回り、一人ひとりの前に朝食を配っていく。最後にエリザベスの前で止まり、彼女はプレートの上に置かれた、たった一つの紅茶のカップを受け取った。
湯気はもうほとんど立っていない。
キャサリンが、ゆっくりと口を開いた。
「おはよう、皆様。こうして全員が揃うのは……本当に久しぶりね」
一瞬、間を置いてから、声色を変える。
「今日は、楽しい話ではないわ。私たちの“家族”について、大切なことを伝えておきたいの」
メアリーが、苛立ちを隠さずに言った。
「キャサリン……勿体ぶらないで。早く話してちょうだい」
キャサリンは一度だけメアリーを見つめ、それから正面へ視線を戻した。
「今日、あなたたちに伝えたいことは三つあるわ」
指を一本立てる。
「一つ目。あなたたちの父――国王陛下の容態についてよ」
空気が、静かに重くなる。
「あの落馬事故以来、怪我に病が重なって……今は、ほとんど寝たきりの状態なの」
エリザベスもメアリーも、何も言わずに俯いたままだった。驚きも、動揺も、表には出ない。
「お父様はね、まもない別れに備えて、色々と整理をしているわ。だから、今は静かにしてあげてちょうだい」
そして、キャサリンは続けた。
「……それと同時に、次の国王についても、決めなければならない」
その言葉に、エリザベスとメアリーは、同時に顔を上げた。
「結論は、もう出ているわ」
キャサリンは隣を見た。
「お父様の意向通り、エドワードに次の国王になってもらう」
幼い少年が、少し背筋を伸ばす。
「ほら、エドワード。ご挨拶を」
少年は二人を見て、ぎこちなく口を開いた。
「僕……いえ、エドワードが、国王になることになりました。改めて、よろしくお願いします」
エリザベスとメアリーは、言葉を返さなかった。
納得はしていない。それでも――エドワードなら、悪くはない。そう思ってしまった自分を、否定もできなかった。
キャサリンは、念を押すように言う。
「エドワードは即位に向けて、すでに準備を進めているわ。だから――余計なことは、絶対にしないで」
視線が、鋭く二人に向けられる。
「下手なことをしたら、どうなるか……分かるわよね」
エリザベスは、冷え切った紅茶を一口飲んだ。
「二つ目は……嬉しい話よ」
キャサリンの声が、少しだけ柔らぐ。
「あなたたちが、昔から父親に振り回されてきたこと……私も、十分理解しているわ」
二人の表情が、わずかに沈む。
「だからね。あの人がいなくなった後は、自由でいてほしいの」
そして、はっきりと告げた。
「国王妃の権限で、メアリーとベス――あなたたち二人に、王位継承権を与えるわ」
二人は顔を見合わせ、思わず口角を上げた。
「素質さえあれば、女王になるチャンスがある。忘れないでちょうだい」
「ありがとうございます。お母様!」
二人の声が、重なった。
「いえいえ」
キャサリンは、微笑んだ。
「三つ目……そして最後の話よ」
一拍置いてから、言葉を選ぶように続ける。
「今後の……私自身のこと」
「お父様と別れた後、私は宮殿を出るつもりなの」
二人は、わずかに反応した。
「婚約しているトマスという男性と再婚して、少し離れた屋敷で暮らす予定よ」
キャサリンは、二人を見た。
「そこで、聞きたいことがあるの」
「……あなたたちも、その屋敷で暮らしてみない?」
静かな提案だった。
「本当の親や姉妹にはなれないかもしれない。でも、家族として過ごせなかった時間を……宮廷を挟まずに、やり直してみない?」
メアリーは、すぐに首を横に振った。
「キャサリンのことは信頼してる。でも……家族になるって年齢じゃないわ。私は、やめとく」
「……そうよね」
キャサリンは、少しだけ目を伏せる。
「じゃあ、ベスは?」
エリザベスは、迷わなかった。
「私は……お母様のこと、大好きだから。一緒に住みたいな」
少し首を傾げて、笑う。
「お母様は、どう?」
キャサリンの顔に、安堵と喜びが広がった。
「よかったわ、ベス。一緒に住みましょう」
「引っ越しのことは、追って連絡するわね」
「わかりました!」
「……今日伝えたいことは、以上よ。話が長くなってしまって、ごめんなさい」
四人は、静かに席を立った。
⸻
宮殿を出る長い廊下で、エリザベスが隣を歩くメアリーに声をかける。
「ねえ、お姉様。お母様には、あんなに心を開いて話すのね。初めて見ましたわ」
少し、からかうように。
「キャサリンは、私の姉みたいなものよ」
メアリーは、淡々と言った。
「……どこかのバカ娘と違って、いい人なの」
「...ふーん。お姉様って、よく分かんないですね」
二人は、それ以上言葉を交わすことなく、宮殿を後にした。
⸻
エリザベスは、ノブに触れずに扉を開いた。
重厚な木製の扉が、きしむ音ひとつ立てず、ゆっくりと内側へと動く。
魔力を極限まで抑えた、ごく自然な開閉だった。
部屋の中央。
アシュリーは、椅子にもたれかかることなく背筋を伸ばし、宙に浮かぶ一本の縫い針をじっと見つめていた。
針は、微細な振動を繰り返しながら、同じく空中に漂う糸の先端へと近づいていく。
ほんのわずかでも集中が乱れれば、すぐに落ちてしまうほど繊細な制御だ。
「……」
エリザベスはしばらく黙って、その様子を眺めていたが――
「アシュリー」
名前を呼ぶ。
「……分かってる」
視線を動かさないまま、返事だけが返ってきた。
「今やめるから、ちょっと待って」
次の瞬間、針と糸は同時に力を失い、軽い音を立てて机の上へ落ちた。
魔法が完全に解かれる。
アシュリーはゆっくりと息を吐き、裁縫箱の蓋を閉めた。
「で、どうしたの?」
エリザベスは、キャサリンから伝えられたことを、できるだけ正確に話した。
父の容態。
エドワードの即位。
王位継承権。
そして――屋敷へ移るという話。
話し終えるころには、部屋の空気が少しだけ重くなっていた。
「……つまり」
アシュリーが、言葉を選ぶように間を置く。
「私から離れるってこと?」
エリザベスは一瞬だけ視線を伏せ、それから小さく頷いた。
「……うん。でも、アシュリーと一緒にいたい気持ちは変わらない。ただ……キャサリンが、家族として受け入れるって言ってくれて」
アシュリーは、少し驚いたように目を見開き、すぐに静かに息を吐いた。
「そう……」
その声には、寂しさよりも、どこか納得した響きがあった。
「いずれは離れる日が来るとは思ってた。でもね、ベス」
アシュリーはエリザベスの肩に手を置き、優しく笑う。
「これは、嬉しい話よ」
「……え?」
「あなたを“家族”として迎えたいって人がいる。それは、とても幸運なこと」
その言葉に、エリザベスの胸が少しだけ締めつけられる。
「……まだ、すぐじゃないし」
「そうよ」
アシュリーはすぐに答えた。
「すぐ近くにいるんだから、いつでも会える」
「……うん」
「それに」
アシュリーは真剣な表情で続ける。
「困ったり、辛くなったら、いつでも私のところに戻ってきなさい」
エリザベスは、少しだけ照れたように笑った。
「……了解」
――パンッ。
突然、アシュリーが両手を叩く。
「はい! 湿っぽい話はここまで!」
空気が一気に切り替わった。
「気晴らしに、練習も兼ねてバトルしない? 体、動かしましょ」
差し出された手を、エリザベスは迷いなく取った。
⸻
訓練場は、いつ来ても冷たい石の匂いがした。
的、木剣、簡易ステージ。
実戦を想定した配置が、無言で二人を迎える。
「今日は模擬戦ね」
アシュリーが指を立てる。
「髪留めを奪ったら勝ち。それ以外は自由。準備はいい?」
「いいよ」
「――スタート!」
合図と同時に、アシュリーは黄色い棒で先端にルビーがついているステッキを引き抜いた。
「イグナイトに……トーチ」
剣先に小さな火が灯る。
「ハイヒート」
一気に、炎がブレード全体を包み込んだ。
「体系魔法にこだわる必要ある?」
エリザベスが距離を取りながら問いかける。
「魔力の節約ですよ〜」
軽い調子とは裏腹に、踏み込みは鋭い。
「……エアフロー」
足元に風が生まれ、エリザベスの身体が滑るように動く。
炎剣の斬撃を、紙一重でかわした。
「それ、ロバート君のお気に入りでしょ」
「ふふっ、バレたか」
アシュリーは両腰の横に、二つの火球を生み出す。
ステッキをこちらに向けると、回転する火球が、熱を帯びた風を撒き散らす。
「ゲイル!」
エリザベスの動きが、さらに軽くなる。
「人のこと言えないじゃない。ベスも体系魔法でしょ?」
「風は、それしか使えないから」
エリザベスは剣を引き抜き、イメージする。
空気を、擦りつける。
炎が走った。
キンッ!
カンッ!
炎剣とステッキが激突し、火花が宙を舞う。
後退したアシュリーが、静かに魔力を高めた。
「基礎魔法:火――火炎放射!!(ファイアースロー)」
渦巻く炎が、一直線に放たれる。
「エアフロー、エンチャント!」
風で逸らすが、熱は避けきれない。
「……あっつっ!!」
訓練場は、もはや炎に包まれていた。
「次はこっち!」
エリザベスは右手に火球を生む。
「基礎魔法:火――火炎弾!!(フレイムガン)」
投げ放たれた火球は、斬り裂かれ、爆ぜた。
――ドンッ!!
「ちょっと!!」
扉が蹴り開けられる。
「えほっ!……何やってるのよ!!」
黒い嘴のマスク。
声で分かる。
「……お姉様!?」
「クソ虫に……ソ虫のフンコロガシ…ふざっ…えほっ……」
バタッ
咳き込み、四つん這いになり――そのまま倒れた。
エリザベスとアシュリーは顔を見合わせ、
「……えへへ」
「……えへへへ」
と二人はお互いに小さく笑った。




