第十話 Waiting for you,
第十話 Waiting for you,
訓練場は朝からざわめいていた。普段なら兵士たちの剣が打ち合う音、鎧が擦れる金属音、怒号と掛け声が飛び交う場所。だが今日ばかりは違う。砂の上には剣も盾も転がってなければ代わりに、細長い列がずらりと伸びていた。少年たちの列。鎧も剣もない。あるのはまだ成長途中の体と、どこか落ち着かない顔だけだ。誰かが口笛を吹いていた。
〜〜♪〜〜♪〜♪♪♪
〜〜♪〜〜♪〜♪♪♪
風に乗って、軽い音が列の後方まで流れてくる。
「ジョンは気ままでいいなあ…口笛吹いちゃって」
後ろから声をかけたのはラルフで、ジョンはくるりと振り返る。
「一瞬でラルフだと分かったよ!引き寄せられたようだね!」
「ほう…独特だねその言い回し...」
ラルフは肩をすくめる。ジョンはまた前を向いたが、思い出したように付け加えた。
「あと、お前の姉ちゃんを見に行く約束忘れてないからな!これ終わったら行こっ!」
言うだけ言うと、ジョンは再び列の前方を見た。ラルフはため息をつく。列はなかなか進まない。
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列の前では、数人のおばちゃんが忙しなく動き回っていた。一人は長い木の棒を持って、少年の背中にぴたりと当てる。そのまま横に置かれたウッドボードにインクをつけ、何かを書き込み、別のおばちゃんは少年の腰に紐を回した。ぎゅっと強く締める。
「息吸って!」
少年の腹が引っ込む。おばちゃんは構わず紙に何かを書いた。さらに別の机では、椅子に座らされた少年の背後から木の棒が頭の上に触れている。高さを測っているのだ。おばちゃんは紙に数字を書き込めば、少年は次々と横へ流されていく。
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列の一番前。そこには貫禄のあるおばちゃんが二人座っていた。机の上には分厚い紙束。二人はそれを見ながら何か話していたが、やがて顔を上げた。
「名前を言ってちょうだい」
「ラファエル・ミンチェスターって言います」
「…長くて枠に収まらない…アール・エムって書いて」
隣のおばちゃんが紙に記述する。
「七十一番。測るときに言いなさい。次」
少年は軽く会釈して列から外れた。次の少年が前へ出る。
「僕はジンですっ!」
「…あんたの両親面白いね。お酒の名前つけるなんて」
隣のおばちゃんが紙にGを書こうとすると、少年が慌てた。
「違います…実はJなんです…」
おばちゃんの手が止まり、Gが塗りつぶされる。
「ふーん。両親の意味が良く分からんわ…七十ニ番ね。次」
少年は少し困った顔で列を外れた。次の少年が元気よく前へ出る。
「はい。名前言ってちょうだい」
「僕はジュディホップスです!アイムジェイ・ホープ」
「何か女の子みたいな名前ね…あとあだ名は聞いてない…そんなんで取り締まりできるの?」
隣のおばちゃんが淡々と紙に書く。
「まあ良いわ。七十三番ね。次」
少年は笑顔のまま列から外れた。
「カイル・シュガー…8月生まれ…」
おばちゃんが遮る。
「誕生月は聞いてないわ…何か甘そうな名前してるわね。ついたら七十四番だって言いなさい。次」
隣のおばちゃんが記述し、少年は去る。後ろの列から声が飛んだ。
「おーい!Vいけよっ!!」
「V!かましてけっ」
「シルバーハンドの奴やれよっ!」
少年が前に出てきた。上を向いたままフラフラしている。
「あー。何するんでしったっけ?」
「名前よ。早く言いなさい」
少年は目尻に人差し指、目頭に中指を当てた。
「ヴェクター。だからVです」
おばちゃんは呆れた顔をした。
「何カッコつけてんのよ。ついたら七十五番って名乗りなさい。次」
隣のおばちゃんが紙に記述する。少年は肩をすくめて列を外ると、小柄な少年が前に出る。
「ぼっ…僕はジミ…ですっ…」
おばちゃんが顔を近づけた。
「え。ジミン?」
少年は勢いよく首を振って全力で否定する。
「ひいっ!…違いますっ!ジ…ジミーですっ!」
「はっきり言いなさい女々しいわね。七十六番よ。次」
隣のおばちゃんが紙に書き込む。少年は真っ赤な顔で列を外れた。ジョンが前に出れば、胸を張る。
「ジョンです!よろしくお願いします」
おばちゃんは少年の体格をじろりと見た。
「ジョング…あんた体デカいね!良い兵士になれそうだ。七十七番って名乗りなさい。次」
隣のおばちゃんが紙に記述する。ジョンは満足そうに列から外れた。ラルフが前へ歩み出て、二人のおばちゃんをまっすぐ見た。
「あなた名前は?」
ラルフは胸を張る。
「俺はラルフって言います!」
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エリザベスは執務室の机の前に立っていた。侍女の服だ。机の上には皮製の茶色いボストン鞄のようなものと、小皿に盛られた八分の一カットのカマンベールチーズが置かれている。エリザベスはチーズを摘まんだ。口に入れる。ゆっくりと舌の上で転がした。もう一つ摘まむ。
「あっ…あんっ!…あんあんあんっ!!」
指先からチーズが滑り落ちた。
ボトッ…
カーペットの上。エリザベスは慌ててしゃがみ込む。それを拾い上げて、少しだけ埃がついている。指で払う。皿に戻そうとして、エリザベスは小さな声でつぶやいた。
「もったいな…」
コンコン…
ガチャ!
「ベス!そろそろ魔法大学に行きましょっ!」
扉の向こうにアシュリーが立っていた。いつもの黒い侍女服。腕を扉にかけている。その後ろにはアシュリーが荷造りした分の荷物が置かれている。
「行こっか」
エリザベスはチーズを皿の上に戻した。机の横のボストン鞄を持つ。アシュリーが扉を押さえたまま待っている。エリザベスはその横を通り抜けた。二人の黒い侍女が廊下を去っていった。
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馬車の中。黒い侍女が二人、向かい合わせに座っている。エリザベスは壁にもたれて完全に眠っていた。頭が揺れ、口は少し開いている。窓から虫が一匹入り込んで来た。アシュリーの顔を邪魔する。
「ああっ!お邪魔虫っ!」
アシュリーが手を前に振る。バシッ。虫はどこかへ飛んでいく。アシュリーは小さくため息をついた。窓の外を見る。田舎の景色だった。石造りの小さな家。遠くの田園。畑の間に細い道が通っている?
農家の男が水牛を引く。別の男は両手を前にかざして白人参の畑へ水を降らせていた。水属性の基礎魔法を雨のように降り注ぐ。別の場所では鍬が空中に浮いている。
等間隔で並び、順番に地面へ振り下ろされていた。畑はすでに収穫が終わっている。緑は少ない。柵の中には水牛、豚、鶏が歩き回っていた。アシュリーが前方を見る。遠くに街が見え始めている。彼女はエリザベスを振り返った。
「顔が…蒸れてて」
アシュリーがエリザベスの体を揺さぶる。
「ほらあ…もうすぐよ!起きてっ!」
「干からびないんだな…これが…」
「ほらあ!寝言は良いから起きなさいよっ!」
アシュリーが背中を叩いた。
バシッ!
「痛っ!…マジるんるんだったのにっ!!」
エリザベスが飛び起き、髪が乱れている。
「そろそろ着くわよ。元気だしなっ!」
「元気…塩梅がいいです」
エリザベスは両腕を横に伸ばし、足を突っ張る。体を反らせば、固まった手足がぎこちなく伸びた。馬車を降りる準備をするために周辺に散らかっている荷物を片付けた。
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鉄の柵の前で馬車が止まれば、御者が前から声をかけてくる。エリザベスは小窓を開けて外の周囲を確認する。
「ここで下ろすのが無難ですね。陛下。ここからは徒歩で大学に向かえますでしょうか?」
エリザベスが前に身を乗り出した。
「…何かあったの?」
「いえ。この先の正門は要人向けに見受けられます。何度も回ってみましたが中には入れないかと。庶民役をされるにはリスクは取られないことを推奨します。」
「なるほどね…行くしかないわけか」
扉を開けてエリザベスが地面にスタッと足をつける。アシュリーが身を乗り出して声をかける。
「何か行き当たりバタバタ困ったり、邪魔おじさんにバレたらすぐリモコン!おっけ〜??」
「了解」
「じゃあ夜に会いましょう。ばいばいき〜ん!」
エリザベスは馬車を降りた。馬車はすぐにカーブを描いて走り去っていく。鉄の柵の向こうには大学があった。巨大なドーム。下部は白い石ブロックの壁。中段は柱風の壁が並び、その間に窓が続いている。上部のドームには壺のような石の装飾がいくつも並んでいた。手前の芝生は綺麗に整えられている。地面は平坦で、隆起も沈みもない。エリザベスは柵沿いのカーブした道を歩き始めた。
「そうだそうだ…まずイアン君は…クライスト・チャーチにいるんだっけ…」
彼女は完全に宮殿の侍女の顔をしていた。しかし目だけは忙しく動く。建物を見回す。窓。塔。入口。文学部棟を探している。エリザベスはドームの外周をゆっくり歩きながら、大学の敷地へと入り込んでいった。
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エリザベスは石畳の道を歩いていた。視界の先に広がるのは、白い石で作られた大きな建物だった。中央には高くそびえる塔。その下には大きなアーチの門があり、左右には同じ形の回廊が長く続いている。壁は古い石の色で、所々に細い窓が並んでいた。足元には広い芝生。きれいに整えられた緑の中を一本の道がまっすぐ伸びている。
「クライスト・チャーチにはいるな...あとは噴水...噴水...」
エリザベスはその道を進んだ。しばらく歩くと、中央に円形の石台が見えた。そこから水が上へと湧き出る。
「噴水あった...どれどれイアン君は...」
彼女は噴水の周囲を見渡した、ローブを纏った学生、コートを羽織り親の加護でいきまく貴族、恋人を待っているのか落ちつきのない女性...そしてローブの黒縁レンズ。
「イアン君っ!!お〜い!」
エリザベスが大きく手を振ると、イアンがこっちに気づいた。イアンはエリザベスがいる方へと緑を横切り走っていった。
「陛下。おはようございます!…何か中身が変わりましたでしょうか?まるで心が青から赤になったみたいです」
エリザベスは一瞬、遠くを見るような顔をした。
「まあ…あの客間の時は陛下って言う設定よ…普段からコラァー!マンじゃないし…アシュリーみたいな格好してるから…まあ女王じゃない新しい顔ってことで…」
イアンはすぐに納得したように頷いた。
「そうですよね!じゃあ…敢えて砕けた感じで話してみます!エリザベスさん行きましょうか!それいけ!」
エリザベスは軽く肩をすくめ、イアンの後ろについて歩き出した。
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時計台のある建物のアーチへ向かう途中。入口の前に学生たちが横一列に並んでいた。手には木箱がある。
「私達はメアリー政権で焼失しまったレジスタントの教会を必ず再建します!皆さんも募金にご協力下さい!」
エリザベスは足を止めた。イアンから少し離れ、木箱の前へ行く。黒服のポケットから硬貨を取り出し、箱の隙間へ落とした。
カラン...
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
エリザベスはそのままイアンのところへ戻った。イアンが少し驚いた顔をする。
「エリザベスさん。結構する方なんですか?」
「募金ちゃんとしなさいよ。小金でもちゃんと」
イアンは素直に頷き、二人は再び歩き出す。
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中庭へ出ると日差しが広がっていた。学生達が四方から交差しながら歩いている。前、横、斜め。誰も止まらず、それぞれの目的地へ進んでいく。すれ違う声が聞こえてくる。
「きちんと文献に残っているから!異論!ガンマはちゃんと根拠あるっ!」
「グリームファンだけど、やっぱためになるんだよなあ…童話なのに俺らの年齢がグッとくるんよ」
広場の奥では学生たちが何か準備をしていた。
「カバーを組んだか?きちんと紐で結べ!風で吹き飛んで雪でも降られたら台無しだぞっ!」
エリザベスは歩きながら周囲を見渡す。この場所はただの学校ではない。勉強、議論、催し。学生たちはそれぞれの活動に真剣だった。宮殿にも負けない一つの大きな組織が、ここにあった。イアンが振り返る。
「中に入りますよ!人が多いので見失わないで下さいね!」
彼は人の流れを縫うように歩く。学生の間をするりと抜け、広場の右側へ。やがて日陰に入り、二人はチャーチの中へと入っていった。
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白い石段が奥へと続いていた。壁も床も白い石で作られているが、不思議なほど汚れがない。溝にも埃はなく、長年人が行き交っているはずなのに、どこもかしこも磨かれたように清潔だった。幅の狭い通路を、学生や貴族が行き交う。黒いローブに包まれた学生、ジャケットを羽織る貴族。ほとんどが男だった。エリザベスは歩きながらイアンに声をかけた。
「ここ綺麗じゃない??最近できたの?」
イアンは少し考えるようにして答える。
「そうですね…大学の中では比較的新しいですよ!大体20年前くらいですかね?僕も知らないですけど、ヘンリー様が指導になっ…あっ!お父さんじゃないですかっ!」
「ちょっ…黙りなよっ!…クソ親父もちゃんと仕事してるのね…」
エリザベスは視線を逸らした。このチャーチに来るのは初めてだったが、どこか居心地の悪さを感じていた。
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着いたのは大広間だった。高い天井の奥には色ガラスの大きな窓があり、光が木の壁に掛けられた数え切れない肖像画を照らしている。長い木のテーブルが何列も並び、燭台の灯りが等間隔に続いていた。昼時だった。学生達が席に座り、ベイクドビーンズやフィッシュパイ、軽いロースト肉を食べている。
配膳台でイアンはお盆にベイクドビーンズを乗せた。エリザベスはベイクドビーンズとロースト肉を露骨に避け、迷いなくフィッシュパイを皿に乗せる。イアンが軽く言う。
「迷わずフィッシュパイですね!」
「あんたは黙って。はあ…」
二人は空いているテーブルに向かい合って座る。軽く挨拶を交わすと、エリザベスはスプーンでパイの屋根を崩した。周囲が気になって仕方がない。見渡せば食事をしている学生だけではない。
奥の方では、丸椅子に座った一人の学生を中心に、十二人の学生が向かい合わせに並んでいた。
中央に立つ金髪坊主の体の大きい座長が、黒い正十二面体の石を振る。
カラコロ…
「エイハブ!」
指名された学生が姿勢を正す。
「いきますよ!えっと…僕の母さんについてで、端的に言うとまあ〜ちょっとアレな人なんですよ!その…そう感じたキッカケが今からちょうど五年前で…」
十二人の学生は黙ってエイハブを見つめていた。別のテーブルでは勉強している学生。さらにその横では、チェス盤を持ち込んでいる学生もいる。白い駒を持つ学生が盤面を見つめて呟いた。
「ここはアンパイか、ショックか、それとも華麗にか…うーん。少し考えさせてくれ」
エリザベスはそれらの光景を、まるで景観のように眺めながら魚の尻尾を口に入れる。
ハハハハハハハハッ!!
ヒャヒャヒャヒャ!!
「これは〜すべらんなあ〜」
奥の方で十二人の学生が一斉に笑い出した。
「大学って色んな人いるんだねえ…」
「はい!面白いですよ交流も。まあ僕は…研究室に引き篭もってばかりですけど…へへへっ」
エリザベスはスプーンで生地をすくい、再び口に運んだ。




