第八話 CR
第八話 CR
窓の外には穏やかな昼の光が広がっていた。庭の芝は柔らかな風に揺れ、石畳の上を白鳩が歩いている。鳩は首を前後に小刻みに揺らしながら、何かを探すようにゆっくりと歩いていた。
花壇のそばでは、白いレースの服を着た女性がしゃがみ込んでいる。指先から細く水が流れ出て、白いカーネーションの根元へと落ちていく。水滴は花びらに弾かれ、細かな雫になって陽光を受けていた。小さな光が瞬きのようにきらめく。
「うふふふふふっ」
静かな庭に柔らかな笑い声が溶けた時に、背後から声が飛んだ。
「おう!外に居たのか。探したよ!」
振り向くと、そこにはロバートが立っていた。少し歩いてきたのか、肩を軽く上下させている。女性は立ち上がると、微笑みながら言った。
「お帰りなさいあなた。少し待っててくださいね」
指先から流していた水を止め、軽く手を払う。彼女はそのまま小走りでロバートのところへ向かった。そして勢いのまま正面から抱きついた。柔らかなレースが揺れ、胸元がロバートの胸に当たる。ロバートの顔が一瞬で崩れると鼻を伸ばした。
「何か…違かったらごめんだけど、いい匂いがするような?」
女性は少しだけ照れたように目を伏せた。
「朝に香水付けてみました…匂いが残っててよかった…あなたに気付いてもらえて嬉しいです」
「おう…前もだけど、君の言うことって難しくないか?」
その言葉に、女性は顔を上げる。
「そうでしょうか?私はそのままの意味を言ってるつもりですけど…」
「あははは…俺が…考えすぎみたい…だね」
彼はそのまま腕を回し、ぎゅっと妻を抱き寄せる。胸と胸がぶつかり、ロバートの鼻を伸ばし切っている。庭には白鳩がまだ歩き、花壇のカーネーションは、先ほどの水滴を残したまま、静かに揺れていた。
⸻
「ママ〜〜♪ウゥ〜〜〜〜♪♪♪」
エリザベスは鼻歌を口ずさみながら、机の上に散らばっている書類をかき集めていた。紙束を両手で整え、机の端で軽く叩く。トントンと角を揃えると、右端へ積み上げる。執務室の窓から昼の光が差し込み、書類の端を白く照らしていたその刹那、規則の崩れたノックが扉から響く。エリザベスは手を止めた。
コンコンバンッ…
コンコンバンッ…
「は?…誰っ??」
扉の向こうから声が返る。
「すまない。ロバートだ。巻物が多くて」
エリザベスは扉を見つめ、目を細めて答えた。
「いいよ…入って」
ガチャッ
扉が開くと現れたのはロバートだった。両手で持ち上げている木箱の上面から、巻物が三本飛び出している。今にも崩れそうであるが、仕事が増えそうになると嫌な顔を急にし始めた。
「失礼ベス。これ北の国の侵攻の費用や下半期分の予算だ」
「...ありがとう」
ロバートは机へ歩み寄ると木箱を机の横に置いた。箱の底までぎっしりと紙で埋まっており、今日はほぼ徹夜になることは確実であった。
ドサッ
重い音が床に響けば、エリザベスは瞬きをしながらロバートの顔を見る。
「あんた…疲れてない?」
「それは気のせいだ。あと三時間後に、鍛冶屋の二人が来る。時間になったら俺から呼ぶが、心では準備をよろしく」
「あっ…そう」
エリザベスは目の下を指で擦る。二度、三度。薄いクマが指先に触れた。どうやら疲れてるのはロバートだけではなく、彼女も同じであるようだ。
⸻
しばらくして、エリザベスとロバートは客間へ向かった。前と同じ広い部屋だった。高い窓、長いカーテン、中央には向かい合わせのソファと低いテーブル。だが今の二人には、落ち着ける空間には見えなかった。仕事に追われ続けた頭には、休息の感覚すら薄れている。ロバートが扉を裏拳で叩いた。
コンコンコンコン
「ロバートです。契約の件で来ました」
ガチャッ
「失礼します」
ソファから鍛冶屋の二人が立ち上がる。親方と坊主。二人はエリザベスとロバートを見るや深く頭を下げた。疲れている二人にとってみればいつぶりの再会か覚えていない。
「いつもお世話になっております。陛下、ロバート様。本日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
親方に続き、坊主も挨拶する。エリザベスはそのまま歩み寄り、まず坊主の手を握った。次に右へ移動し親方とも握手する。ロバートもそれに続いた。
「ではお掛けになってください」
ロバートが告げる。
鍛冶屋の二人がソファへ腰を下ろすのに続いて、対面にエリザベスとロバートも座った。親方は茶色い革の鞄を膝の上へ引き寄せる。中を探り、最初に取り出したのは。
「まずは毎度の…メロンです」
いつもの風呂敷に包まれた箱だった。
「ありがとうございます。美味しく頂きます」
ロバートがそれを受け取れば、親方は再び鞄を探る。取り出したのは巻物だった。今回は見積書ではないようだ。
「そして…こちらが請求書です」
ロバートが受け取り、巻物を広げてエリザベスへ見せる。エリザベスは左上からざっと視線を滑らせた。そして右下へ目を移す。その瞬間、眠そうだった目が一気に開いた。
「は?…嘘でしょ」
親方は穏やかに微笑んでいる。しかし坊主は明らかに焦っており、手足がそわそわしている。エリザベスが声を上げる。
「親方さん。金額間違ってませんか?…見積もりでもらった時より安くなってません?...明らかに前もらった時ジャストくらいですよね…一桁変わってますよ...」
「いいえ。間違ってないですよ。以前をお渡しした金額より安くご案内しています。その内訳についてお話させて頂いてもよろしいでしょうか?」
ロバートは巻物を見たまま、整えた髪を手で押さえた。彼がほぼ機能していないので、エリザベスが即答する。
「はい。教えてください」
親方は静かに頷いた。
「以前陛下がご注文がされた、ミスリルで作られた剣についですが…」
「はい…」
「坊主と共に国の兵士が採掘した鉱石を全て開けさせて頂きます。ミスリルは誠に残念ですが、採取することができませんでした。そのため剣を作成することができません」
親方が立ち上がれば、続いて坊主も立つ。
「ご希望に添えず、大変申し訳ございませんでしたっ!」
二人は深く床を覗き込むほど頭を下げた。エリザベスは両手で頭を抱える。三秒ほど静止すれば、それから顔を上げた。
「顔を上げてくださいよ。仕方ないですよ…こういうのって出ない時は出ないものなので…」
二人はゆっくり顔を上げる。軽く会釈し、再び座ると親方が続ける。
「そのため陛下のご希望に添えなかった誠意といたしまして、我々から二点ほどお詫びと称して特別なご対応させて頂きます。まず一点目が見積もり金額から二十パーセント割引させて頂きます」
「ですが、火属性魔法を防ぐ武器の素材に使用する貴重な金属は我々が必要としていた量を確保しております。ですので元々の受注武器については計画通り作成させて頂きます。こちらについては我々がきちんと保証します。ご安心ください。」
エリザベスが右を見る。巻物の陰で、ロバートが笑っていた。さっきまで疲れていた顔が嘘のようだった。その余裕をさっきのタイミングでやれと彼女は言いたくて仕方がない。
「割引と保証内容は理解しました…二つ目って?」
エリザベスが尋ねると、親方は剛腕で再び鞄を漁る。
ガチャガチャ
そして大きな拳を握ったまま手を引き上げてテーブルへ置く。
カランッ…
拳が開くとそこに現れたのは、透明なガラス細工だった。高さの低い三角柱の水晶体。窓から入る光が内部で折れ、白い筋を映し出している。もう一つは丸いガラス。中央に一点だけ強く光る白点を映すレンズだった。エリザベスは困惑する。
「こちらはミスリルを探す上で、大量に発掘されたクリスタルの一部でございます。我々は金属しか扱わないので、宝石やクリスタルは他所に売ってしまうのですが、これら鉱物はあなた様方のものです。ですのでこちらを無償でお譲り致します。この二つはクリスタルセットでもお呼び致しましょうか…基礎魔法の金属性を使いこなす陛下に今後クリスタルセットは絶対に役立ちます…」
エリザベスは三角柱の水晶体を手に取った。窓の光を受け、表面がきらきらと反射する。角度を変えると、光の筋が部屋のあちこちへ散った。壁。床。天井。規則性はなく、光が砕けて飛び散るようだった。
「クリスタル…セット…何に使えるの?」
「私も使いこなせる身分ではないですが。金属性魔法の雷ではなく光攻撃および防御を最大限に発揮する中継を担う道具といったところでしょうか…陛下は見たところ雷が主にお見受けられますが…ご不満等ありますでしょうか?」
エリザベスはもう一つの凸レンズを持ち上げる。レンズ越しの光が一点へ集まる。角度を揺らすと、その光点が壁の上で細く。鋭く。揺れながら震えた。そしてエリザベスは微かな記憶から引き出しを広げる。
(雷属性、光属性のほうが分かりやすいとは思うが、魔法大学ではまとめて金属性とする)
「おっさん…がさらっと言ってた…」
「いいね...」
エリザベスはクリスタルをテーブルへ戻し、再び請求書を見る。ロバートと視線を合わせて合意、認識を合わせて頷いた。
「分かりました。値引きとこのクリスタルセットで我々は手を打ちましょう…いいよね?ロバート?」
ロバートは何度も頷いた。
「鍛冶屋さんが安くしてくれていますし、陛下も大変満足されていますので、私としてはこちらで合意させて頂きます」
「大変ありがとうございます。契約書をお持ちしますのでしばらくお待ちください。サインと印をご準備下さい」
親方は鞄から契約書を取り出すと、こちらに紙を見せてきて、印を押す場所を人差し指で示してきた。
「ロバート様。こちらの担当者様欄にサインと印を」
担当者欄に
ロバート・ダドリー
ロバートの持つ印が赤くハッキリと押される。
「陛下。こちらの承認者様欄にサインと印を」
承認者欄に
エリザベスファースト
国が認める証である、権限の最も強い証である、紋章が刻まれた赤い印が押された。
⸻
エリザベスとロバートが立ち上がると、鍛冶屋の二人も立つ。四人は順番に握手を交わしてこの場は終わりを迎えようとした。ロバートが最後に言う。
「本日はお越し頂きありがとうございました。我々は先に退出致しますが、今回も使いのものが参りますので、この場でしばらくお待ち下さい。次回は納品とご挨拶にてお会いしましょう。では気をつけてお帰りくださいませ」
ロバートは深く頭を下げて感謝の表明。鍛冶屋の二人もそれを見て、同じように頭を下げていた。やがて宮殿の二人は体を起こし、反転し、客間の扉を開け、その場を後にした。
エリザベスとロバートは大廊下を歩いていた。高い窓から差し込む昼の光が白い床に長く落ち、磨かれた石の上を人々の影が横切っていく。書類を抱えた役人、急ぎ足の侍女、兵士の鎧の擦れる音。宮殿の廊下は昼の活気で満ちていた。その流れの中を、二人は並んで歩くと、エリザベスが横目でロバートを見た。
「ロバート?あんた途中笑ってたじゃない?」
ロバートが一瞬肩を跳ねさせる。
「ああっあれか!俺の顔ニヤケてたか…」
「気持ち悪いくらいに」
ロバートは苦笑いを浮かべたまま頭をかく。
「…実は鍛冶屋さんに値引きしてもらうためにベスを呼んだんだ。ベスだったら俺よりも正確な判断で、何が正しいのかきちんと疑えるかなあ…って思っただけさ」
エリザベスは一歩近づくと、軽くロバートの頭を叩いた。
コツン
「痛っ!」
「このっ!あんたは担当なんだからそれくらいできるようになりなよ。私がいつまでもくっついてるわけないんだから!...頼むよお...本当」
ロバートは頭を押さえながら笑った。
「ははは…暴力女なのは相変わらずだな…」
「うるさいっ!ちゃんとしなよ。男らしくない」
ロバートは顔を引き攣らせたまま、笑うしかなかった。二人はそのまま人の流れに紛れ、廊下の奥へと歩いていってそれぞれの執務室へと向かっていった。
⸻
一方その頃。宮殿の大廊下を、別の二人が反対方向へ歩いていた。親方と坊主である。案内の使用人が少し前を歩き、二人は壁際を進んでいる。磨かれた石の床に足音が静かに響いた。坊主は何度か口を開きかけて、閉じてついに言葉を出した。
「あの…親方一つ聞きたいんですけど」
「なんだい?」
坊主は少し声を落とした。
「どうしても理解できなくて…ミスリルって鉱石僕は聞いたことないし、親方も知らないはずですよね…個人的にミスリルってあれは嘘だと思うのですけど、どうして陛下の嘘に乗ったのですか?あとどうしてわざわざ自ら追い込んで値下げまでしたのですか?」
親方はしばらく黙って歩いた。そして隣を歩く坊主の肩を軽く叩いた。坊主には親方なりに伝えたいことがあるようだ。
「良い質問だ〜確かにお前の言うとおりミスリルなんてものは存在しない」
「だがここで重要なのはミスリルではなくて、陛下や国の信頼なんだ。実は国には潤沢な資金と、我々の専門分野に疎いことから、他の一般お客様の1.3倍の値段で提示している」
廊下の先で使用人が曲がって、二人もそれに続いて進む。親方は話を止めることはしなかった。
「それに陛下が我々の目を疑った。そこで陛下がミスリルの話をした。その瞬間に私は信頼のストーリーを作り上げて、ミスリルが見つけられず値下げする方向に切り替えたのだ。最終的には国に一般の1.1倍の値段になったってわけだ」
廊下の窓から光が差し込み、二人の影が床に長く伸びる。親方はこの商談のメカニズムについて事細かく話していく。
「このようにたまにでも、値下げすれば国は我々を信頼して次も我が工房を使ってくれるだろ?私は値段ではなく、ここは信頼をとるべきだと直感で判断した」
少し歩いたあと、親方は坊主をちらりと見た。坊主が背筋を伸ばす。親方は伝えるべき重要なことを彼に託した。
「いいか。お前は提示された話が本当に正しいものなのか疑える人間になりなさい。正しく疑えるようになるためにはまずたくさんの正しい知識と経験を積み、坊主自身が正しく理解しなさい…」
「はいっ!分かりましたっ!」
二人は再び前を向いて、先を歩く使用人の背中が見える。宮殿の出口へ続く廊下はまだ長い。親方と坊主はそのまま歩き続けてこの場を去った。エリザベス側と工房側どちらも信頼関係で成り立つ仕事。彼らもお互いが納得する形で協力している。親方が思う商売の本質はこういうことなのだと坊主に言いたかったのかもしれない。




