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ELIZABETH Magical Kingdom  作者: せっきー
第一章

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第三話 魔法使いの少女

第三話 魔法使いの少女


重厚な扉の向こう、陽の光が柔らかく差し込む王の私室では、乳母に抱かれたエドワードが、小さな声を上げていた。


「いないいない...ばあっ」


その声に、ヘンリーは思わず顔を緩める。


「うう〜、エドワード。パパでちゅよ〜」


威厳ある王の姿はそこにはなく、ただ一人の父として、幼子に向かって甘い声をかけていた。エドワードは意味も分からぬまま、きゃっきゃと笑い、短い腕をばたつかせる。


そこへ、控えめなノックの音が響く。


「失礼いたします、国王陛下」

「入ってよいぞ」


入ってきたのは、背筋を正した一人の男だった。整った顔立ちに、柔らかな微笑みを貼り付けたその男。


「ああ。トマスでないか!」


彼は一歩下がり、深く頭を垂れた。


「王妃様がご逝去されたと聞き、遅ればせながら……心よりお悔やみ申し上げます。妹を、そして陛下の伴侶を失われた悲しみ、いかばかりかと」


ヘンリーは、エドワードをあやす手を止め、静かに頷いた。


「ほう……お気遣い、ありがとう」


トマスは顔を上げ、穏やかな声を続ける。


「宮廷では、近く舞踏会が開かれると耳にしました。新たな王妃をお探しなのだと……」


一瞬の沈黙ののち、彼は慎重に言葉を選ぶように問いかけた。


「次期国王は……やはり、エドワード殿下でいらっしゃいますか?」


その問いに、ヘンリーは迷いなく答えた。


「エドワードにすることは、すでに決めている。揺らぐことはない。安心しなさい」


その言葉を聞いた瞬間、トマスの表情はぱっと明るくなった。


「……ありがとうございます!陛下!」


彼は深々と頭を下げ、感極まったように声を震わせる。


「この身、これからも一生、陛下と次期国王にお仕えする所存です」


「そうか。そうか」


ヘンリーが短く応じると、トマスは満足したように一礼し、踵を返した。


「それでは、失礼いたします」


扉の外へ出たその瞬間、先ほどまでの厳粛な空気は、ふっと霧散する。


廊下を歩くトマスの前を、一人の若いメイドが通りかかった。純白の制服に身を包み、透き通るような肌をしたその姿に、トマスは思わず足を止める。


「――お嬢さん」


突然声をかけられ、メイドは驚いて振り返った。


「はい……?」


トマスはにこやかに、だがじっと相手を値踏みするような視線を向ける。


「ずいぶんと……お綺麗な顔立ちで。なんというか……そう、ヴィーナス様に見えてしまいました」


「え……?...まあ...ありがとうございます...」


戸惑うメイドに一歩近づき、彼は軽やかに名乗った。


「よければ、少しお茶でもいかがです? 今でなくても構わないですよ。名前はトマスって言うので覚えてください」


言葉とは裏腹に、その目は逃がさぬと言わんばかりに細められている。


メイドは困ったように視線を彷徨わせ、言葉を失った。


トマスはその様子を楽しむように、口元に薄い笑みを浮かべたまま、軽く手を振る。


「では、またいずれ会いましょうね」


そう言い残し、彼は悠然と廊下を歩き去っていった。



石畳の通りに、人だかりができていた。

 触れ役の男が、胸の高さほどもある一枚のパネルを掲げている。


 通りすがりの髭を生やした男が足を止め、眉をひそめてそれを覗き込んだ。


 パネルの中央、太い枠で囲まれた見出しが淡く光り、次の瞬間、そこが生き物のように動き出す。


――国教会の施策に反発の声、クエスト教ユニバック教皇が非難


 枠の中では、装束に身を包んだ男が紙を手に、淡々と文章を読み上げていた。

 声は抑えられているが、言葉の端々には鋭い棘がある。国教会への非難、信仰の歪み、そして「真の教え」という言葉。


 髭の男は無言でそれを眺めていたが、不意に低い声が割り込んだ。


「おい、ちょっといいか」


 鎧の擦れる音とともに兵士が一歩前に出る。


「ここは通行の邪魔だ。続けるなら、あっちの広場でやってくれないか」


 有無を言わせぬ口調だった。

 触れ役は一瞬だけ兵士を睨んだが、舌打ちを飲み込み、パネルを抱え直して人混みの外へと追いやられていく。


 残された髭の男は、兵士の背中を目で追ったあと、ふと広場の方へ視線を向けた。


 ――多い。


 通りの角、噴水のそば、露店の陰。

 気づけば、あちこちに兵士の姿がある。普段の巡回とは明らかに数が違った。


 男は顎髭を撫でながら、小さく呟く。


「……こりゃ、どうなってんだ?」


 何かが、確実に軋み始めていた。



中庭には、朝の光が静かに差し込んでいた。

高い城壁に囲まれたその場所は、石畳の隙間から伸びる草や、古い樹木の影が落ち、戦いの跡を残しながらも、どこか穏やかな空気をまとっている。


アシュリーは中庭の中央に立ち、少し離れた場所で待つ二人に振り返った。


「さて……今日はここでやりましょうか」


エリザベスは小走りで近づき、ロバートは腕を組んだまま、半歩遅れてその後ろにつく。


「わくわくするね!」


エリザベスの声は弾んでいた。


「気を抜かないでね」


アシュリーは苦笑しながらも、手に一本の木の棒を持ち上げる。焚き木に使われるような、ただの細い枝だ。


「まずは復習です。ベス、覚えた魔法を見せてちょうだい」


「うん!」


エリザベスは一歩前に出ると、深く息を吸った。

前回、必死に覚えた感覚を思い出す。親指と人差し指。擦り合わせる感触。火が生まれるイメージ。


「――イグナイト」


指先に、小さな火が灯る。

まだ頼りないが、確かにそこには“火”があった。


「そのまま……次よ」


アシュリーが静かに促す。


エリザベスは火を消さぬよう、アシュリーの持つ木の棒へと指先を勢いよく向けた。


「トーチ!」


瞬間、火は弾けるように木の棒へ移り、ぱっと明るく燃え上がった。

乾いた木が小さく音を立て、炎が安定して揺れる。


「おお……!」


ロバートが思わず声を漏らす。


だがエリザベスは止まらない。

さらに一歩踏み込み、燃え上がる棒をまっすぐ指差した。


「ハイヒート!」


炎が一段強くなり、色が変わる。

揺らめいていた火は勢いを増し、熱が中庭に広がった。


アシュリーは目を見開いたあと、ゆっくりと微笑んだ。


「素晴らしいわ。完璧ね、ベス」


その言葉に、エリザベスは胸を張る。


「えへへ……」


ロバートは驚いたまま、しばらく燃える木の棒を見つめてから、感嘆したように息をついた。


「いやあ……体系魔法とは言え……」


彼は首を振りながら、エリザベスを見る。


「ベスが、ここまで魔法を使いこなしてるなんてな……」


中庭に揺れる炎の光は、確かに――

エリザベスの中に芽生え始めた“力”を照らしていた。


燃え続ける木の棒を息を吹きかけて地面に置き、アシュリーはふっと息を整えた。


「イグナイト……」


ロバートはエリザベスの真似をするように、親指と人差し指を擦り合わせた。


...


「イグナイト……」


何も起きない。


「イグナイト!……あっ、イグナイト!」


指先を何度も擦るが、火は生まれない。


「……あれ?」


ロバートは指を見つめ、首を傾げた。


「できないな」


その横で、エリザベスは胸を張り、ふふん、と得意げな顔を決める。


「えっへん」


「ちょっとベス、その顔やめろよ……」


ロバートはむっとしながらも、すぐアシュリーに向き直った。


「アシュリーさん、教えてください」


「はいはい。ロバート君にも教えますよ」


その返事に、ロバートはぱっと表情を明るくする。


「やったやった!」


その様子を見て、エリザベスはむうっと頬を膨らませた。



アシュリーがロバートにも火の体系魔法を教えると、あっという間に理解して使いこなした。


「はい、そこまで。復習は終わりよ」


二人が背筋を伸ばす。


「今日のレッスンは二人に、もう一つの魔法――“基礎魔法”についてです」


「はい!」


エリザベスはすぐに手を挙げた。


「アシュリー、基礎魔法って前の魔法と何が違うの?」


「いい質問ね」


アシュリーは頷き、わかりやすく言葉を選ぶ。


「前にベスに教えた魔法――いわゆる“体系魔法”はね、覚えるのが簡単で、誰でも使えるように考えられた魔法なの。決まった動きと、決まった言葉で、決まった結果が出るように……言ってみれば、子供でもすぐに使えるようにした魔法ね」


「ふーん」


「でも、よくない点もあるわ」


アシュリーは少し真剣な表情になる。


「決まった通りの魔法しか出せないの。だから……自分や、周りの人を守るために使う魔法には、あまり向いていないのよ」


それを聞いて、ロバートが口を挟む。


「要するに、ベス。俺とのバトルに使うのには向いてない魔法ってことだ」


「えー!」


エリザベスは思わず声を上げる。


「じゃあ覚えた意味ある?」


アシュリーはくすっと笑った。


「あるよ。ちゃんと意味はある」


そして、静かに続ける。


「その経験も、これから教える基礎魔法に、きちんと生きてくるから」


「……ほうほう」


エリザベスは腕を組み、納得したように何度も頷いた。


「今日教える基礎魔法には、少し難しいルールがあるわ」


アシュリーは指を一本立てる。


「その中でも、まずは初歩的な魔法――火属性について教えます。火属性はね、基礎魔法の中でも一番発動が簡単なの」


「火属性?」


エリザベスは首を傾げる。


「火属性の他にも、まだあるの?」


「もちろん」


アシュリーは指を折りながら数える。


「火、水、木、金、土。この五つが基本の属性よ」


「へえ……」


「人によっては、木を“風”、金を“雷”って呼ぶこともあるけど……意味は同じなの」


それを聞いたロバートが、はっとしたように言う。


「じゃあ、俺の使う魔法は……風属性、または木属性ってわけか」


「そういうこと」


「なんで風は木って呼ぶの?」


エリザベスは素朴な疑問をアシュリーにぶつけると


「私にもよくわかってないの...ごめんね」


そう言って間を置くとアシュリーは一度手を叩き、場の空気を切り替える。


「……話が少し逸れたわね」


そう前置きしてから、二人を見比べた。


「基礎魔法は、さっき練習した体系魔法とは違って――魔法を使うための条件が、ずっと複雑なの。

頭の中で考えることも多いし、やることも多い。だから正直、分かりにくいわ」


エリザベスが首を傾げる。


「むずかしいってこと?」


「そう。とってもね」


アシュリーは微笑みながらも、言葉を選ぶ。


「でもね、難しいからこそ、自分や周りの人を守る力になる。

ロバート君を呼んだのも、その“正しい基礎魔法”を二人に同時に伝えたかったからよ」


ロバートは腕を組み、ふむ、と頷いた。


「なるほどな……。まだまだ鍛錬が必要ってわけか」


「ええ、その通り」


アシュリーはそう言って、付き添い人に目配せをした。


ほどなくして運ばれてきたのは、小さな台だった。

三本、三本、三本――幅三列、奥行き三列。

合計九本のろうそくが、等間隔に立てられている。


付き添い人は、それを二人の胸ほどの高さ、少し離れた位置に静かに置いた。


「いい?」


アシュリーは二人に向き直る。


「これから火属性魔法の入門、“点火”をやってもらうわ」


エリザベスとロバートは、ろうそく台をじっと見つめる。


「九本並んでいるのが分かるわね?」


「うん」「はい」


「この中で――真ん中の一本だけ、火をつけなさい。他は一切、触れちゃだめよ」


エリザベスがにやっと笑った。


「え、それだけ? 楽勝じゃん」


アシュリーは何も言わず、ただ手を叩く。


「それでは……はい」


合図と同時に、エリザベスが一歩前に出た。


「イグナイト! ……からのお……トーチ!」


親指と人差し指を勢いよく擦り、指先をろうそく台へ向ける。


――次の瞬間。


ぽっ、ぽっ、ぽっ。


真ん中の一本……ではなく、縦一列、三本のろうそくに火が灯った。


「え?」


エリザベスは目を丸くする。


「え、え?? どうして? 真ん中だけのはずじゃ……」


アシュリーは首を横に振った。


「残念。今のは体系魔法のやり方ね。

体系魔法だと、“狙った範囲”までは制御できないの」


二人は顔を見合わせ、しばらく黙り込んだ。


どうすれば一本だけになるのか。

距離か、角度か、力の強さか――。


考えても考えても、答えは出ない。


やがてロバートが両手を上げた。


「あー……分からん。降参降参。

アシュリーさん、正解を教えてください」


「ふふ、分かったわ」


アシュリーは袖を軽くまくり、ろうそく台をまっすぐ見据える。

その表情は、先ほどまでの柔らかさとは違っていた。


右手を前に差し出し、手のひらを開く。

一歩、静かに踏み出す。


――そして。


ぽっ。


音もなく、真ん中の一本だけに火が灯った。


「……」


「……」


ロバートはぽかんと口を開ける。


「わかんねー……全然わかんねー……」


エリザベスは素直に目を輝かせた。


「アシュリー……すごい……」


周囲で見守っていた付き添い人たちからも、思わず拍手が漏れた。


その後アシュリーは今まで前に差し出していた手のひらを、ゆっくりと胸元へ引き寄せる。


「……これが、ちゃんと上手くなるとね」


 曲げた腕の先で、アシュリーの手のひらが静かに開かれた瞬間だった。


 ぽう、と。

 空気が温度を持ったかのように揺らぎ、小さな火の球が生まれる。


「わっ……!」


 エリザベスが息を呑む。

 ロバートは言葉も出ず、目を見開いたまま固まっていた。


 火の球はアシュリーの手のひらから離れ、まるで意思を持つかのようにふわりと宙へ浮かぶ。

 彼女が軽く手首を回すと、それはお手玉のようにくるりと弧を描き、次の瞬間には彼女の腹部の前を静かに公転し始めた。


「……ほら」


 火は消えることなく、熱を抑えたまま安定して回り続ける。

 さらにアシュリーは、指先をすっと立てた。


 すると火の球は軌道を変え、人差し指の先へと移動する。

 ちょん、と触れるように合図を送ると、火の球はその場でぴたりと止まり、まるで見えない糸に吊られたかのように宙に浮かんだ。


「こういうことが、できるようになるの」


 そう言って、アシュリーはにこりと微笑む。


「「いや無理だわ!!」」


声が重なり、中庭に笑いが広がった。



それから、少し時間が経った。


中庭の空気は静まり返り、ろうそくの炎だけが小さく揺れている。

エリザベスとロバートは、アシュリーが見せた構えを必死に真似ていた。


右手を前に。

視線は一本のろうそくだけを捉えて。


「むむむっ……」


エリザベスは眉間にしわを寄せ、唇を尖らせる。


「にににっ……」


隣ではロバートも、歯を食いしばるように力を込めていた。


だが――。


何も起こらない。

ろうそくは、相変わらず冷たいままだ。


その時、アシュリーの背後から控えめな足音が近づいた。


「アシュリー様……」


召使いの一人が、周囲を気にするように声を落とす。


「お伝えできず、大変申し訳ございません……実は……」


小言のように、短く、だが重い内容が耳元で伝えられる。

アシュリーの表情が、ほんの一瞬だけ硬くなった。


一方、二人は依然として悪戦苦闘していた。


「……無理だ」


ロバートが肩を落とす。


「同じ構えしてるのに、全然できやしない」


「ね……」


エリザベスも唇を噛む。


「アシュリー、どうやってあれやってるんだろ……」


考えれば考えるほど、答えは遠ざかる。


そこへ、アシュリーが振り返った。


「はいはい」


その声に、二人はびくっと顔を上げる。


「苦戦してるところ申し訳ないけど、今日のレクチャーはここまでよ」


「えーっ!」


エリザベスが思わず声を上げる。


アシュリーはやさしく微笑みながら続けた。


「ベス、ちょっと話があるわ。来てちょうだい」


ロバートが慌てて手を挙げる。


「あ、アシュリーさん。俺は?」


「ロバート君、今日はもう帰った方がいいわ」


アシュリーはきっぱりと言った。


「詳しいことは、あなたの付人に聞いてちょうだい。

……たぶん、あなたも同じよ」


「……分かりました」


ロバートは一瞬戸惑ったが、すぐに頷く。


「じゃあ、すぐ帰ります」


そう言ってから、エリザベスに目を向けた。


「ベス。早くいらっしゃい」


「うん!」


エリザベスは小さく返事をして、アシュリーの方へ駆け出した。



日が沈む刻、宮殿の大広間へ足を踏み入れた瞬間、エリザベスは思わず眉をひそめた。

 天井から吊るされた無数のシャンデリアが黄金色の光を落とし、壁という壁には豪奢な織物と王家の紋章が飾られている。宝石を散りばめたような装飾に身を包んだ男女が行き交い、笑い声と楽器の調べが混ざり合って空間を満たしていた。


 長いテーブルには、艶やかに焼き上げられたロースト肉、山のように積まれたパン、果実酒やワインが惜しげもなく並べられている。

 料理は召使いたちの手だけでなく、銀縁のサービングカートによっても運ばれていた。

 取っ手に誰も触れていないにもかかわらず、カートは静かに床を滑り、客の前でぴたりと止まる。車輪の下では、淡い光の魔法陣が一瞬だけ揺らめき、次の行き先へと向かっていった。


 だが、窓の外に目を向けると、空はどこか重たく、薄い雲が垂れ込めていた。その曇天が、この華やかさに微かな影を落としているようにも見える。


 エリザベスは、やや不貞腐れた表情のまま、アシュリーと付き添い人に連れられて会場を進む。


 やがて視線の先に、国王ヘンリーの姿が見えた。

 広いテーブルを挟み、ヘンリーの隣には見慣れない男――トマスが座り、その傍らには幼いエドワードがいる。卓上にはロースト肉と赤ワイン、切り分けられたパンが整然と置かれ、いかにも王家らしい食卓だった。


 その場を通り過ぎようとしたとき、付き添い人がエリザベスの肩にそっと手を添えた。


「エリザベス様はこちらです」


 導かれるまま歩くと、アシュリーとの距離が少しずつ開いていく。


「アシュリー!」


 思わず声を上げると、少し離れた場所から、彼女は振り返り穏やかに微笑んだ。


「ちょっとの我慢よ」


 その言葉に、エリザベスは口を尖らせつつも、案内された席へ向かう。


 そこにいたのは、メアリーだった。

 メアリーは無表情のまま、皿に並べられたスライスされたトマトを口に運び、続けてワインを一口含む。その仕草はどこか大人びていて、周囲の喧騒と距離を置いているようにも見えた。


「お姉様。トマトとワインって相性いいの?」


 エリザベスが恐る恐る声をかけると、メアリーはゆっくりと視線を向ける。


「は? あんた……私を舌バカとでも言いたいの?」


「……」


 その一言で、エリザベスは言葉を失い、視線を落とした。


 重くなりかけた空気を切り裂くように、軽い足音と声が割り込んでくる。


「よう、ベス。ドレス似合ってるぜ」


 振り向くと、ロバートが立っていた。その後ろには、彼をたしなめるような表情のメイドが控えている。


「こらこら、ロバート。お嬢様に絡んじゃダメでしょ。今は私と一緒にいなさい。すぐどこかに行くんだから」


 そう言ってロバートの襟元を引くメイドに、エリザベスは思わず苦笑した。


 その瞬間――

 宮殿中に、盛大な金属音が鳴り響いた。


 カァン――。


 注目を促す合図と同時に、空気が微かに震える。

 ヘンリーの背後、玉座の装飾に刻まれた魔法陣が淡く輝き、声を拡張する魔法が展開された。


 ざわめいていた客人たちが、次第に音を止め、一斉にヘンリーの方を向く。


「本日は、王国の栄華なる舞踏会にお集まりいただき、誠にありがとうございます」


 ヘンリーの声は、直接耳元で囁かれているかのように、広間の隅々まで明瞭に届く。


「朕の近況と致しまして、大切な妻を失ったことは、今なお大変心辛く思っておりますが……」


「……思ってもないことを、ペラペラと」


 右手のどこかで、誰かが小さく呟いた。

 エリザベスは反射的にそちらを見かけたが、すぐに前へ向き直る。


「……ええ。王国の繁栄を願い、ここにご挨拶とさせていただきます。皆様、お手元にグラスを」


 給仕たちが動くより早く、宙を滑るようにサービングカートが近づき、客人たちの前にグラスを並べていく。


「偉大な王国に誓って!!」


「乾杯――!!」


 その声と同時に、グラスが打ち鳴らされ、歓声が爆発した。


 音楽が高らかに奏でられる。

 だが楽団席には、人の姿がほとんどなかった。

 ヴァイオリンも、管楽器も、まるで意思を持つかのように宙に浮かび、自ら音を奏でている。

 弦は見えない指で弾かれ、リズムに合わせて楽器がわずかに揺れる。


 人々は笑い、踊り、酒を交わす。

 魔法と富と権力が混ざり合った、まさに豪華絢爛な宴であった。



 エリザベスは、皿の上に置かれた果物に手を伸ばした。

 三日月の形に切られたりんごは、蜜を含んで淡く光っている。小さくかじると、しゃり、と歯切れのいい音がして、口の中に甘さが広がった。


 少し喉が渇いて、隣に置かれた紅茶のカップを両手で持ち、そっと口をつける。湯気とともに立ち上る香りに、胸の奥がわずかに落ち着いた。


 ふと、右を見る。


 そこにはメアリーがいた。

 右手にはワインのグラスを持ち、左手の指先だけをわずかに動かしている。すると、テーブルの上に置かれたフォークがふわりと宙に浮き、ラズベリーやチーズを器用に突き刺して、彼女の口元へ運ばれていった。


 まるで呼吸をするかのように自然な魔法操作だった。


 エリザベスは思わず、真顔でそれを見つめてしまう。


「……」


 その視線に気づいたのか、メアリーはワインを一口含んでから、ちらりと横目で見る。


「行儀悪いから、真似しちゃダメよ」


 ぴしゃりと言われ、エリザベスは慌てて視線を戻した。


 一方その頃、広間の反対側では、ロバートが人混みの中を縫うように進んでいた。

 ドレスや礼服の隙間をすり抜け、まるで獣の子のように身軽に潜り込んでいく。


「ロバート……はあ、まったく」


 後を追うメイドが、半ば諦めた声を漏らす。


 その瞬間だった。


 どん、と鈍い音がして、ロバートは誰かの腹に正面からぶつかった。

 手に持たれていたワインが揺れ、テーブルクロスの上に赤い液体がこぼれる。


 次の瞬間、召使いたちが素早く動いた。

 宙に浮いた雑巾が、こぼれたワインを吸い取るように滑り、跡形もなく拭い去っていく。


「困ったガキだ……」


 低く、不快そうな声が落ちてくる。


「候補者の私の目にガラスでも刺さったら、どうしてくれるつもりかね?」


 ロバートははっとして顔を上げ、深く頭を下げた。


「す、すみませんっ!」


「お前の父親は、なんと言う名だったかな? ……ああ、いい。宣伝も兼ねて、トマスの名で言いつけてやるとしよう」


 その名前を聞いた瞬間、ロバートの顔色が変わった。


「ひ、ひいっ……! 本当に申し訳ありませんでした!」


 必死に頭を下げ続けるロバートを一瞥すると、男は鼻で笑い、去っていった。


 ――そして、時間は静かに流れる。


 無人楽団の演奏は次第に盛大になり、旋律は広間いっぱいに満ちていく。

 やがて中央の空間が自然と開き、色とりどりのドレスと礼服に身を包んだ男女が、音楽に合わせて回り始めた。


 床に映る光が揺れ、スカートが花のように広がる。

 楽器は宙を舞い、弦を震わせ、音そのものが生き物のように踊っていた。


 ヘンリーもまた、音楽に身を委ねていた。

 舞う相手を次々と変えながら、優雅に、しかしどこか慣れた手つきで回り続ける。


 そして、ふと視界に入った。


 以前、肖像画で目にした――

 若々しく、息をのむほど美しい女性。


 その瞬間、ヘンリーの口元が緩むのを止められなかった。

 だが、すぐに表情を整え、何事もなかったかのように彼女のもとへ歩み寄る。


 その様子を、離れた場所から見ていたメアリーが、鼻を鳴らす。


「ったく……ドスケベなクソじじいだわ。こっちはちっとも楽しくない」


 ぽつりとこぼれた本音に、エリザベスは少し驚きつつも、素直に答えた。


「……私も、あんまり楽しくないよ」


 その言葉に、メアリーが少しだけ振り向く。


「あんた……蚊くらいには、考えるようになったじゃない」


 それだけのやり取りだったが、二人の胸の奥に、ふっと温かいものが湧き上がった。

 それは共感とも、諦めともつかない、かすかな感情だった。


 一方、広間の陰では、トマスがグラスを傾けながら、舞うヘンリーと女性を眺めていた。


「……次に目をつけてる女は、あいつか」


 誰にも聞かれぬよう、低く呟く。


 再び視線は、音楽の中心へ。


 ヘンリーは美しい女性とともに回り、笑みを浮かべながら舞踏会の中心に立っていた。

 光と音と魔法に包まれたその姿は、まさに王そのものだった。



舞踏会は最高潮に達していた。

 無人楽団の音色はさらに厚みを増し、弦と管が折り重なって、宮殿の天井にまで響き渡る。ドレスは回転し、宝石は光を反射し、笑い声と拍手が混ざり合う。


 まさに、王国の栄華そのものだった。


 ――そのときだった。


 音楽に紛れて、かすかな声が届いた。


「……お前、ここで止まれば今回は見逃してやるぞ」


 エリザベスは、思わず身を固くした。

 隣のメアリーも、わずかに眉をひそめる。


「……この先に行ったら、命はないと思え」


 低く、押し殺した男の声。

 明らかに、この場の空気とは噛み合わない。


 次の瞬間――


 パリーン!!


 甲高い破裂音が、音楽を引き裂いた。

 大きなガラス窓が、放射状に砕け散る。


 破片が床に降り注ぎ、一人の男が血を流して倒れ伏す。

 音楽はまだ鳴り続けていたが、招待客たちの視線は一斉にそちらへ吸い寄せられた。


「止めよ!」


 鋭い合図とともに、音楽が断ち切られる。


 兵士たちが一斉に駆け寄った。


「おい、動くな!」

「抵抗するなと言っている!」


 四人の兵士が、血まみれの男の手足を押さえ込み、床に縫い止める。

 その光景に、ざわめきが広間を覆った。


 そこへ、ヘンリーが歩み出る。


「国王様!」

「ご自身の身に危険がございます!」


 周囲の貴族や側近が制止するが、ヘンリーは聞き入れない。

 視線は、倒れた男にまっすぐ向けられていた。


 そのとき――


 血まみれの男が、伏せたまま口を開いた。

 魔法によって拡声され、広間全体に響き渡る。


「私は……ユニバックおよび国教会に対抗する、抵抗団の者だ!」


 ざわっ、と空気が揺れる。


「国教会は、国王の都合でしか成り立たぬ!

 神を侮辱し、信仰を踏みにじった悪党どもだ!」


「おい! 何をしている!」

「魔法を解除しろ!」


 兵士たちが慌てて男を押さえつけるが、声は止まらない。


「――いらっしゃいますよね? エリザベス様!」


 その名を聞いた瞬間、エリザベスの心臓が跳ねた。


「あなたは、決して悪くはない!

 だが――国王、いや魔王の気分ひとつで、あなたのお母様は振り回され、そして命を奪われた!」


 息が、詰まる。


「エリザベス様は、悪党である父を――

 恨むべきだ!」


 次の瞬間、重い足音が響いた。


 ヘンリーが、周囲の制止を力づくで振り切り、男の前に立つ。


「……このような場で、言いたくはなかったがな」


 低く、冷たい声。


「貴様は華やかな場を汚し、

 朕に対して無礼な様を働いた」


 視線が、鋭く突き刺さる。


「そのような貴様など、この国にも、この民にも必要ない。

 連れ出せ。二度と顔を見たくない」


「はっ!」


 兵士たちは男を無理やり立たせ、引きずるようにして扉の方へ向かう。

 血の跡が、床に細く残った。


 その光景を――エリザベスは、ただ下を向いて見ていた。


 そして。


 何かを振り切るように、走り出す。


「……!」


「待って!!」


 メアリーの声が背中に飛ぶ。

 エリザベスは一瞬だけ振り向いた。


「あんたが……いつか知るべきこと!

 でも、まだ早かったのよ!」


 その言葉を、聞かなかったことにして。


 エリザベスは扉を開け、全速力で駆け出した。


 それを見たアシュリーが、はっと息を呑む。


「……すみません。すみません……」


 そう言いながら、彼女は人と人の間をすり抜ける。


「おっと」

パリン!


 グラスが割れる音。


「侍女の分際で何をする!」


「お困りでしたら、後ほどこちらへ請求してください」


 アシュリーは胸元から一枚の紙を差し出すと、振り返らずに走り去った。



 エリザベスは、ただ前だけを見て走っていた。


 窓の外で雷鳴が轟き、空気を震わせる。稲光が走った直後、ぽつり、ぽつりと冷たい雫が石畳に落ち始めた。豪奢な廊下は、今はただ長く、冷たい迷路にしか見えない。右へ、左へ、曲がるたびに息が荒くなり、胸の奥が焼けつくように痛んだ。


 扉を突き抜けた瞬間、雨は一気に本降りになった。


 叩きつけるような雨が、細い身体を容赦なく打つ。エリザベスは外套も気にせず、中庭を駆け抜ける。滑りやすくなった石畳を踏みしめ、兵士の訓練場を横切り、門へ――だが、視界の端に見えた兵士の影に、思わず足を止めた。


 逃げ場を失った子どもは、咄嗟に噴水のある広場へと方向を変える。


 その頃、アシュリーは別の部屋にいた。胸元から小さな鍵を取り出し、引き出しを開け、箱を開く。中からそれを掴み取ると、迷いなく踵を返す。廊下に出ると、走りながら視線を巡らせた。


 ――いる。


 彼女は知っていた。泣きたいとき、逃げたいとき、エリザベスがどこへ向かうのかを。右へ、左へ、曲がりきった先。わずかに開いた扉を見つけ、アシュリーはそこを抜けた。


 中庭には、小さな足跡が残っていた。雨で滲みかけた、ぬかるんだ痕跡。それを辿ると、門の前で足跡は途切れ、引き返している。アシュリーは顔を上げ、振り向いた。


 その瞬間だった。


 雷鳴にかき消されるような泣き声が、広場の方から聞こえた。


 エリザベスは噴水の縁を回り込もうとして足を滑らせ、水たまりに倒れ込んだ。水しぶきが跳ね上がり、冷たさが一気に身体を包む。


「ベス!」


 アシュリーの声が、ようやく届いた。


 エリザベスは顔を歪め、声にならない叫びを上げる。アシュリーは駆け寄りながら、ただ繰り返した。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 エリザベスはその声に気づき、立ち上がろうとした。その腕を、アシュリーが掴む。


「アシュリーの……大嘘つき!」


 雨に濡れた声が、震えながら弾けた。


「お母様は病気で亡くなったって言ったじゃん! あんたもお姉様と同じ! みんな、みーんな大嫌い! 死んじゃえばいいのに!」


 アシュリーは一瞬、目を伏せた。


「そうよ。私は大嘘つきよ……ごめんなさい。あなたに信用されなくて、当然だわ」


「じゃあ離してよ! 大嘘つきの顔なんて、二度と見たくない!」


 その言葉が落ちきる前に、アシュリーは掴んだ左手を強く引いた。


 距離が一気に詰まり――

 

 パンッ!!

 

 手を大きく振り、エリザベスの頬に乾いた音が、雷鳴を裂いた。


 次の瞬間、アシュリーは崩れかけたエリザベスを強く抱きしめていた。小さな身体が、腕の中で震える。


 アシュリーは胸元から、白金のペンダントを取り出した。雷光を受けて、冷たい光を放つそれを、そっとエリザベスの首に通す。


「私は、あなたの言う通り大嘘つきです」


 雨音の中、静かな声が落ちる。


「とても重い罪を背負っている。……いい、ベス。今からあなた自身で考えなさい」


 アシュリーは、エリザベスの額に額を寄せた。


「そんな私、アシュリーが、これから語る話を……聞きたいですか?」


 冷たい雨に打たれ、熱を失った思考の中で、エリザベスは長い沈黙の末に、かすかに頷いた。


「……うん。教えて」


 アシュリーは、ほっと息をつくように、再び彼女を抱きしめる。


「あなたは、とってもいい子ね……」


 そして、ゆっくりと告げた。


「いい、エリザベス。これから話すことは、あなたにとって辛いことばかりだわ。でも...真実にきちんと向き合う大人になりなさい...」

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