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ELIZABETH Magical Kingdom  作者: せっきー
第一章

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第二話 友し日

第二話 友し日


朝の光は、いつも遠慮がちに部屋へ入り込む。

 厚手のカーテン越しに滲んでいた白い光が、ふっと広がった。


 カーテンが、誰の手にも触れられず、静かに左右へ開く。

 窓から差し込んだ朝日が、広い寝室を一気に照らした。


「……ほら、朝ですよ。ベス」


 穏やかな声と同時に、机の上に散らばっていた本や小物が、ふわりと宙に浮かび、元の位置へ戻っていく。

 椅子は机の下へ、床に転がっていた靴下は洗濯籠へ。

 魔法は静かで、慣れきった所作だった。


 アシュリーは小さな籠を腕に抱えている。中には、焼きたてのスコーンと湯気の立つ紅茶。


 しかし、ベッドの上の主は、そんな朝の準備など知ったことではない。


「……アシュリー。もうちょっとだけ……」


 布団にくるまり、エリザベスはもぞもぞと身をよじる。

 寝相の悪さは相変わらずで、髪は四方八方へ跳ね、枕はすでに床に落ちていた。


 アシュリーは一度、深く息を吸う。すると黒い髪はやがて白色へと変化する。


「……はあ」


 そして、にこりともせずに言った。


「起きなさいっ!!!」


 次の瞬間、布団が勢いよく引き剥がされた。


「ひゃっ!?」


 エリザベスは飛び起き、目を丸くする。

 朝日を真正面から浴びて、しばらく瞬きしてから、ようやく状況を理解した。


「……ア、アシュリー……」


「“もうちょっと”は十分です。ほら、朝ごはん」


 場面は変わり、エリザベスは椅子に座り、眠たそうにスコーンをかじっている。

 口元に粉をつけたまま、ぼんやりと天井を見上げていた。


 その後ろで、アシュリーが櫛を手に、跳ねた髪を丁寧に整えていく。


「……ねえ、アシュリー」


 唐突に、エリザベスが言った。


「わたし、覚えてるよ。約束」

「魔法。教えてくれるって、言ったでしょ」


 眠たげな声だが、そこだけははっきりしていた。


「はいはい」


 アシュリーは小さく笑い、再び髪を整えながら答える。


「今から準備するから。その前に、朝の支度を終わらせてね」


「えー……めんどくさい」


 ぼそりとした一言。


 アシュリーは、今度こそはっきりとため息をついた。


「“めんどくさい”って言わないの。いい子にしなさい!」


「ひいいっ」


 エリザベスは肩をすくめ、すぐに姿勢を正す。


「や、やります。すぐにやります……」


 窓の外では、宮殿の庭が朝の風に揺れていた。

 今日もまた、何かが始まろうとしている。


 エリザベスはまだ知らない。

 この日の“約束”が、少しずつ、彼女の世界を変えていくことを。



宮殿の外れにある訓練庭は、朝から低い緊張に満ちていた。

 石畳の広い空間に、規則正しく並ぶ訓令兵たち。その足運びは揃い、視線は鋭い。


 剣と剣が打ち合う乾いた音が響く。


 次の瞬間、二人の訓令兵の姿が、風にかき消されたように消えた。

 否――消えたのではない。

 魔法で加速された身体が、瞬きの間に距離を詰め、互いの攻撃をかわしていたのだ。


 別の一角では、宙に浮かんだ剣が、ひとりでに回転している。

 訓令兵が手を掲げると、その剣は鋭い軌道を描き、遠くの的へと投げ放たれた。

 刃は空気を裂き、的の中心に深々と突き刺さる。


 魔法は、ここでは特別なものではない。

 訓練と同じく、日常の一部だった。


 その庭の端で、ひとりだけ、年若い少年が槍を握っていた。


 ロバートは、深く息を吸い、足を踏みしめる。

 掌から、かすかな風が生まれた。


 小さな微風。

 それを、身体の周囲に絡ませる。


「……っ」


 風とともに、ロバートの身体が回る。

 槍を軸に、一回転。

 二回転。

 三回転――


 勢いに耐えきれず、ロバートはそのまま地面に倒れ込んだ。


「ふうっ……」


 背中を石畳につけ、荒く息をつく。

 槍が、からん、と音を立てて転がった。


 しばらくして、ロバートはよろよろと起き上がる。

 槍を拾い、今度は胸の前で構えた。


 ゆっくりと。

 次第に速く。


 槍は円を描き、風を巻き込んで回り始める。

 地面の埃と砂が持ち上がり、十歩先まで広がっていく。

 砂塵は渦を巻き、視界を曇らせた。


 だが――


「基礎魔っ……!」


 制御が追いつかない。


 風は荒れ、力は外へ逃げる。

 次の瞬間、ロバートの身体は後方へ弾き飛ばされるように倒れ込んだ。


 石畳に背を打ち、短く息を詰まらせる。


「……魔力を、コントロールしないと……」


 空を仰ぎながら、ぽつりと呟く。


「……まるで、俺が操られてるみたいだ」


 砂塵が、ゆっくりと地に落ちていく。

 遠くでは、訓令兵たちの訓練が、何事もなかったかのように続いていた。


 その中で、ロバートだけが、立ち止まっていた。



薄暗い祈祷室に、夕刻の光が細く差し込んでいた。

高い天井と石壁はひんやりとして、外の賑わいが嘘のように静まり返っている。


メアリーは祭壇の前に膝をつき、両手を胸元で組んだ。

指先には小さな十字架。そしてその奥に、もう一つ――母の肖像が収められたペンダントが握られている。


「……お母様……」


その名を口にしただけで、喉の奥がわずかに詰まった。

メアリーは一度、小さく息を吸い込む。


「お母様……あの呪われし子と、どのように過ごせばよろしいのでしょうか……」


答えが返ることはないと分かっていながら、それでも言葉は零れた。

静寂が、祈祷室を包み込む。


しばらくの沈黙のあと、メアリーは視線を伏せたまま、ほとんど独り言のように続ける。


「……それに……お父様とも……」


言葉はそこで途切れた。

ペンダントを握る手に、わずかに力がこもる。


揺れる燭台の火が、メアリーの影を石床に長く落とし、

その影は、どこか頼りなく揺れていた。



中庭には、昼下がりのやわらかな光が満ちていた。

石畳の隙間から伸びた草が風に揺れ、噴水の水音が遠くで静かに響いている。ここは、少し前にロバートと木剣で勝負をした場所でもあった。


その中庭に、今日は二人きりで立っている。

アシュリーと、エリザベス。


「わくわく!」


エリザベスは小さく跳ねるようにして声をあげた。

それを見て、アシュリーは肩をすくめながら苦笑する。


「はいはい。教えますよ〜」


そう言って、アシュリーは懐から小さな金属製の器具を取り出した。

手のひらに収まるほどの大きさで、淡く光沢を帯びている。


「ベス。これをあなたに」


「あざざますっ!!」


エリザベスが小さなかけらを眺める。

「なにこれ?」


「これは“器”って言ってね、魔法を出すために使うものなの。体のどこかにしまっておけばいいわ」


エリザベスは器をじっと見つめ、少し考え込む。


「ふーん……じゃあ、食べてもいいんだ!」


「……はあ」


アシュリーは額に手を当てた。


「お行儀の悪い子ね! 勘弁してちょーだい」


「ひいいいっ」


エリザベスは反射的に背筋を伸ばした。


アシュリーは気を取り直すように咳払いをして、静かに説明を続ける。


「魔法にはね、大まかに二つの使い方があるの。道具を使って出す“道具魔法”と、頭の中で魔法が生まれるのを想像して使う“一般魔法”よ」


「ふーん……だからアシュリーは、道具を使わなくても扉とか箒を動かせるんだ」


「そうよ、ベス賢いわね。今回ベスに授けるのは、道具を使わない“一般魔法”よ」


アシュリーは少しだけ声の調子を変えた。


「実は一般魔法にも細かく種類はあるんだけど……まずは簡単な“体系魔法”を練習しましょう」


「わくわく!」


アシュリーはくすっと笑い、指先を見せる。


「ベス。よく指を見てちょーだい」


アシュリーは腕を曲げ、親指と人差し指を軽く合わせた。

そのまま素早く、擦り合わせるようにスライドさせる。


「――イグナイト」


小さく唱えた瞬間、ぱちり、と音を立てて火花が生まれ、人差し指の先に小さな炎が灯った。

揺らめく橙色の光が、二人の顔を照らす。


「おおおお!」


エリザベスは目をきらきらさせ、勢いよく拍手した。


「すごい! すごい!」


そしてすぐに真似をする。


「イグナイト! イグナイト!」


何度指を擦っても、火は生まれない。


「……あれ?」


エリザベスは眉を下げた。


「どうして? アシュリーとまんま同じにやってるじゃん」


「ベス」


アシュリーは指を下ろし、穏やかに言った。


「格好だけ真似しても、魔法は出ないの。大事なのは――イメージ」


「イメージ?」


「ええ。まあ、想像つかないわよね。ついてきてらっしゃい」


アシュリーはエリザベスを木陰へ連れていった。

落ちていたまっすぐな枝と、古い板を拾い、二人は地面に座り込む。


板の上に枝を立て、アシュリーは手を重ねた。


「私がやるから、よく見ていて」


枝を板に押し当て、半円を描くように回転させる。

乾いた音が繰り返され、やがて、かすかな煙が立ちのぼった。


「うわ……」


煙は次第に濃くなり、ついに、小さな火が生まれる。


「おお、火が出た!」


エリザベスは身を乗り出した。


「……で、これがイグナイトと何が関係あるの?」


「魔法はイメージって言ったでしょ」


アシュリーは火を見つめながら続ける。


「さっき私は、木を擦り合わせて火を起こす様子を、頭の中で思い浮かべてたの。そのイメージと一緒に“イグナイト”って言ったのよ」


「ふーん。でも木と手って何が関係あるの?」


アシュリーは枝を置き、両手を前に出した。


「例えば、右手を親指、左手を人差し指に見立ててみたら?」


エリザベスの目が見開かれる。


「あっ……! そういうことか!」


「ふふ。じゃあ、ベス。イメージしながらやってみなさい」


二人は元の場所に戻った。


エリザベスは深く息を吸い、目を閉じる。

頭の中に、さっき見た光景を思い浮かべる。


(木を擦るみたいに……親指と人差し指を……)


「イグナイト!」


指を勢いよく擦る。

最初は何も起こらなかったが、やがて、うっすらと煙が立ち――


ぱっ。


小さな、小さな灯火が指先に宿った。


「……!」


「やった!」


エリザベスは思わず声をあげた。


「これが火を起こす魔法! イグナイトだ!」


アシュリーは一瞬目を見開き、すぐに微笑んだ。


「まあ……素晴らしいこと。ベスは、私が思ってた通り、魔法の才能があるわ」


「え、ほんと?」


「ええ。これを一発でできる人は、ほとんどいないのよ」


エリザベスはにやりと笑い、胸を張る。


「もしかして……私、魔法の天才?」


「はいはい。才能は十分あるわよ」


「じゃあ次の魔法も教えて!」


アシュリーは少しだけ間を置いて、空を見上げた。


「いいですよ。次は――」


中庭に、再び穏やかな風が吹き抜けた。



アシュリーとエリザベスは夕方まで中庭で練習を続けていた。さっきまで立ちのぼっていた火の匂いは、いつの間にか消えている。


エリザベスは、まだ少し興奮が残っているのか、両手をじっと見つめていた。

親指と人差し指。その間に生まれた、ほんの小さな灯火。

けれど、それは確かに“魔法”だった。


「……ねえ、アシュリー」


振り返ると、アシュリーは少し離れた場所で空を見上げていた。

夕焼けに染まる雲の端が、ゆっくりと形を変えていく。


「魔法ってさ……すごいね」


エリザベスがそう言うと、アシュリーは小さく笑った。


「そうね。でもね、ベス」


アシュリーは視線を空から外し、エリザベスのほうへ向き直る。


「魔法は“すごい力”である前に、人々をどう生かすかのためのものなのよ」


「生かす……?」


「ええ。守るため、助けるため、つなぐため」


アシュリーは自分の指先を見つめながら、静かに言葉を続けた。


「誰かを傷つけるために使う魔法は、確かに簡単なの。でも――

それだけを覚えてしまうと、魔法は人を孤独にする」


エリザベスは首をかしげたまま、真剣な顔で聞いている。


「わたしが教えたいのはね、ベス。

人々を恐れさせる魔法じゃない。

人々の心を灯す魔法よ」


その言葉に、エリザベスの胸の奥が、かすかに熱を持った気がした。

さっき指先に生まれた火とは違う、もっと静かな、でも確かな熱。


「……じゃあさ」


エリザベスはにっと笑う。


「私の魔法も、誰かの役に立つ?」


アシュリーは一瞬、驚いたように目を見開き――

すぐに、やさしく微笑んだ。


「もちろんよ」


そして、少しだけ声を落とす。


「だからこそ……あなたには、正しく学んでほしいの」


風が吹き、木々がざわめいた。

葉の影が、二人の足元で揺れる。


エリザベスはその意味を、まだ理解しきれていなかった。

けれど、胸の奥に残ったその言葉だけは、なぜか強く印象に残った。


――魔法は、人々を灯すもの。


夕暮れの中庭で、

それはまだ小さな約束のように、静かに刻まれた。



中庭での練習を終え、エリザベスとアシュリーは宮殿の回廊を抜け、居室へ戻る途中だった。

石造りの廊下には夕方の光が差し込み、先ほどまでの火の魔法の余韻が、エリザベスの胸の奥でまだ小さく灯っている。


「ねえアシュリー、さっきの火……まだ指があったかい気がする」


そんな言葉を交わした瞬間、廊下の先に人影があった。

壁際に腰掛け、腕を組んだまま、こちらを値踏みするように睨みつけている少女。


――メアリーだった。


「……負け犬」


低く、棘を含んだ声が廊下に落ちる。

メアリーは口元を歪め、エリザベスを見据えた。


「珍しく上機嫌ね。」


エリザベスは一瞬戸惑いながらも、胸の内に残る高揚を隠しきれず、素直に答えた。


「お姉様、私……魔法を教えてもらったの」


その言葉を聞いた瞬間、メアリーの表情がふっと緩む。

次の瞬間、くすりと笑い声を漏らした。


「あら、そう。魔法なんて覚えるのはやめたら?」


冷たい視線を向けたまま、続ける。


「負け犬のあんたが、神聖なものを使えるわけないでしょ?」


胸を刺すような言葉に、エリザベスは何も言えず、視線を落とした。

その沈黙を破るように、アシュリーが一歩前に出る。


「……言葉をお選びください、メアリー様。ベスに向ける言葉ではありません」


その瞬間、メアリーの瞳が鋭く細められた。


「何? フンコロガシのくせに歯向かう気?」


ゆっくりと立ち上がり、アシュリーを見下ろす。


「あんたを締め出してもいいのよ?」


その威圧に、アシュリーは唇を噛み、何も言い返せなかった。


満足したように鼻で笑い、今度はエリザベスへと向き直る。


「よく聞きなさい、呪われし子」


囁くようでいて、はっきりとした声。


「あんたみたいに王家の血を引く者はね、魔力が高すぎるのよ。そんな力を民衆に使ったら……あっという間に――ぽっ」


指で弾く仕草をして、楽しげに言う。


「ほら、血の海。まるで、あんたがリードで操られてるみたいじゃないっ!!」


エリザベスは思わず顔を上げた。


「……お姉様だって、王の子供じゃん」


その言葉に、メアリーは一瞬だけ目を細め、すぐに嘲るように笑った。


「阿呆には分からなくていいわ」


くるりと背を向け、振り返りもせずに言い放つ。


「阿呆のままでいなさい」


「あはははっ……」


高笑いを残し、メアリーは廊下の奥へと去っていった。


静寂が戻る。

エリザベスは拳を握りしめ、悔しさに唇を震わせていた。


その肩に、そっとアシュリーの手が置かれる。


「……気にしなくていいわ」


小さく、しかし確かな声。


「才能があるからこそ、ああいう言葉を向けられるのよ。ベスは間違っていない」


エリザベスはしばらく俯いたままだったが、やがて小さく頷いた。



「うう〜、エドワード♡。パパでちゅよ〜」


甘ったるい声が、王宮の一室に響く。


「ばあっ!」


その声に反応するように、乳母に抱かれた赤子――エドワードが、真っ赤な顔で泣き声を上げた。

ヘンリーは慌てて身を屈め、指をひらひらと動かしながら必死にあやす。


「ほらほら〜、泣かないでちゅよ〜」


しかしエドワードは止まらない。

その様子を見かねた乳母が、やんわりと距離を取ったその時――。


「国王様、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」


扉が静かに開き、宰相が深々と頭を下げた。


ヘンリーは名残惜しそうにエドワードを見つめ、柔らかい声で言う。


「パパは行ってくるね。元気にしてるんでちゅよ♡」


そう言って、軽く手を振り、踵を返す。

その背中から、先ほどまでの甘さはすっと消えていた。


廊下を進むにつれ、天井は高くなり、足音は反響し始める。

重厚な扉の先――そこが執務室だった。


扉が閉まると同時に、ヘンリーは歩きながら指を鳴らす。

ふわりと空気が揺れ、机の上の書類がひとりでにめくられ始めた。

本棚からは、何冊もの資料が宙を滑るように抜け出し、整然と机に並ぶ。


「……さて」


宰相は巻物を広げ、国の現状を淡々と報告する。

税、穀物、地方貴族の動向――。


ヘンリーは椅子に腰を下ろし、頷きながら時折口を挟む。


「それは急ぐ必要があるなあ」

「いや、そこは民の反発を考慮すべきだと思うぞ」


その声音は落ち着いており、感情の揺らぎは一切ない。

先ほどの“父親”の姿を知る者が見れば、同一人物とは思えないほどだった。


一通りの報告が終わると、宰相は咳払いをして続ける。


「国王様、最後に残り三つなのですが……ニュース、と言ったところでしょう」


「ほうほう。聞かせておくれな」


「一つ目は、宮廷舞踏会についてです。次期婚約者も兼ねて、異国から王妃となる候補者を我々でピックアップいたしました」


宰相が差し出したのは、舞踏会の企画書と、複数の肖像画。


「ほっ……」


ヘンリーは一枚ずつ眺め、やがて一人の肖像で指を止めた。

しばし、じっと見つめる。


「……わかった。明日までに答えを出そう」


「承知いたしました」


宰相が視線を落とした先で、ヘンリーの人差し指が示していた名――

キャサリン・パー。


「次ですが」


宰相は間を置かず、報告を続ける。


「エリザベスが魔法を習い始めました。これは共有までに」


「そうかそうか」


ヘンリーは微笑み、軽く頷いた。


「あの子もその歳だ。魔法を覚えるのは身のためだろう」


「……そうですか」


宰相はそれ以上踏み込まず、話題を切り替える。


「最後ですが――」


一瞬、室内の空気が変わる。


「最近、“抵抗団”と名乗るクエスト教の一派が、街で暴動を起こしております。国教会に反発する宗派です」


その言葉に、ヘンリーの目の色が変わった。

柔らかさは消え、鋭い光を帯びる。


「抵抗団を取り締まる必要はないぞ」


即答だった。


「国民の生活に悪影響を及ぼさないよう、警備と治安対策に努めてくれ。頼んだぞ」


「はっ、国王様。承知しました。早速、兵を遣わせます」


ヘンリーは机に指を置き、低い声で付け加える。


「抵抗団が我々の懐に入るのは、最悪の事態だ」


「……それだけは、最低限食い止めてくれ」


「おっしゃる通りです」


宰相が深く頭を下げる。


執務室の窓からは、王都の街並みが静かに広がっていた。

人々の生活も、信仰も、そのすべてを見下ろす位置に、王は座している。



夜の帳が降りたエリザベスの部屋は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 淡い灯りのランプが机の上で揺れ、窓辺のカーテンが夜風にわずかにそよぐ。壁に並ぶ本棚と、小さなベッド。そのどれもが、まだ幼さの残るこの部屋の主を守る殻のように見えた。


 エリザベスはベッドの端に腰掛け、ぎゅっと指を握りしめて俯いていた。


「……お姉様は、いつだってそう。酷いことばっかり言う……」


 絞り出すような声だった。

 アシュリーは少し距離を置いたまま、その背中を静かに見つめる。


「気にしなくていいわ。お姉様には……お姉様の事情があるのよ」


 宥めるような言葉だったが、それでもエリザベスの胸に溜まったものは簡単には消えなかった。


「でも……」

 顔を上げたエリザベスの瞳は、うっすらと涙に滲んでいる。

「お姉様も……お父様も……みんな……」


 声が震え、言葉が続かなくなる。


「ああ……どうして……どうして……」


 そのまま、エリザベスは小さく崩れ落ちるように泣き出した。

 抑えようとするほど、感情は堰を切ったように溢れ出てしまう。


 次の瞬間、アシュリーは何も言わず、そっと歩み寄り、エリザベスを抱きしめた。

 細い肩を包み込む腕は、驚くほど温かい。


「……私は、いつまでもエリザベス様。あなたの味方ですよ」


 低く、しかし迷いのない声だった。


「……アシュリー……」


 エリザベスは小さくそう呟き、アシュリーの胸に顔を埋めた。

 しばらくの間、部屋にはすすり泣きと、静かな呼吸音だけが残る。


 やがて、泣き声が落ち着いた頃。

 アシュリーはふと視線を逸らし、部屋の隅にある古い引き出しへと目を向けた。鍵のかかった、その引き出し。


 ――話すべきことがある。

 ――いつか、必ず伝えなければならないことが。


 アシュリーは口を開きかけた。

 だが次の瞬間、わずかに迷いがよぎり、言葉は喉の奥で形を失う。


「……」


 結局、漏れたのは言葉にならない、かすかな息だけだった。


 その夜。

 窓の外には雲ひとつない空が広がり、満月が宮殿を静かに照らしていた。

 白く冴えた月光が部屋に差し込み、抱き合う二人の影を床に落とす。


 それは、あまりにも美しく――

 そして、これから訪れる運命を、何も知らぬかのように静かな夜だった。

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