第二十七話 Say Anything
第二十七話 Say Anything
「……まだ……まだ……立てる……」
扉の向こうで、確かに聞こえていたメアリーの声は、いつの間にか消えていた。
エリザベスは右手だけで床を押し、震えながら立ち上がる。
貫かれた腹を押さえ、息を整えようとしても、肺が空気を拒むように痛んだ。
視線を落とすと、床に転がる左腕が見えた。
ゆっくりと、引きずるように近づく。
肩に押し当てると、かつてと同じように――何事もなかったかのように、腕は接着した。
エリザベスは、炎に揺れる扉を見つめる。
ここで、終わらせるべきなのか。
国を壊し、人を殺し、自分を何度も壊した姉を。
見殺しにするのは、正しいのか。
答えは、ずっと前から決まっていた。
「……お姉様……」
ふらつく足で、扉へ向かう。
解除の合図とともに、固定された扉がゆっくりと開き――
ボワッ!!
溜め込まれていた熱と炎が、バックドラフトとなって襲いかかる。
「うわっ……!」
一度、尻餅をついた。
それでも、エリザベスは立ち上がる。
火の中へ、一歩。
また一歩。
中央に倒れていたのは、体も焦げることなくうつ伏せになっているメアリーだった。
炎に包まれているはずなのに、その身体は痛みを訴えることもなく、静かだった。
エリザベスは彼女の両腕を肩に担ぎ、背中に抱える。
重い。
それでも、放さなかった。
火の床を踏みしめながら、ゆっくりと部屋を出る。
⸻
「ベスッ!! ベスッ!!!」
廊下を駆けてきたアシュリーが、二人の姿を見つけて叫ぶ。
「ベスッ!!!!」
駆け寄ろうとして、息を呑んだ。
エリザベスの身体には、はっきりとした窪みが残っていた。
「ベス……はっ!!」
「……アシュリー……」
かすれた声で、エリザベスは言う。
「私と……お姉様を……同じ部屋で……寝かせて……」
それだけ言い残し、エリザベスは崩れ落ちた。
メアリーの身体を抱えたまま、下敷きになった。
⸻
太陽の光が、まぶたの裏を優しく叩いた。
最初に目を覚ましたのは、メアリーだった。
ゆっくりと視線を左に向ける。
そこには、朝の光を受けた窓。
そして右を向いた瞬間、メアリーは息を止めた。
椅子に腰掛け、静かにこちらを見つめるエリザベスがいた。
「……負け犬……」
かすれた声で、そう呟く。
エリザベスの背中の鞘に手が添えられたのを見て、メアリーは薄く笑った。
「……あなたに生かされてしまったみたいね」
「これじゃあ……勝ち犬だわ……」
エリザベスは答えず、黙ったままだった。
「もう戦う気はないわ……」
「だから、鞘から手を離して……」
一拍の沈黙のあと、エリザベスは剣から完全に手を離した。
それを見届けてから、メアリーは天井を仰ぐ。
「私は……女王の素質がなかったみたい」
「あなたのほうが……向いてるのかもしれないわ……」
その言葉を聞いて、エリザベスはずっと胸の奥に溜めていた疑問を口にした。
「どうして……」
「どうしてレジスタントも抵抗団も、みんな殺したんだ」
「どうして……そこまでユニバックにこだわるんだよ」
メアリーは一度、視線を逸らし、ゆっくりと正面に向き直った。
「この世界で……神を名乗っていいのは……」
「クエスト様、ただ一人……」
「ユニバックの神を信じる者だけが……救われる……」
「どういうことよ!!」
エリザベスが声を荒げる。
「説明しなさいよっ!! お姉様っ!!」
メアリーは小さく息を吐いた。
「……慌てないで……」
「……はあ……」
「本当は……違ったのよ……」
「他にも……神を名乗る存在が……いた……」
⸻
メアリーが、まだ素直だった頃。
生まれたその瞬間から、彼女は女王になることを約束されていた。
昼も夜も、食卓には三人が並んだ。
母と、ヘンリーと、メアリー。
ある日は、ヘンリーの馬に乗せてもらい、
ある日は、三人で暖かな食事を囲んだ。
「なあ、メアリー」
「パパの好きな食べ物は、何だい?」
「ミートパイ!」
「今日も食べてるっ! 太っちゃうよ?」
「ははっ! 正解だ!」
「太っちゃうくらい好きなんだ!」
食卓は、いつも笑い声で満ちていた。
⸻
それから、長い年月が流れた。
エリザベスが生まれる、ずっと前。
年頃になったメアリーは、ある舞踏会で異変に気づいた。
テーブルの上を見渡す。
――ミートパイが、ロースト肉に変わっている。
――白ワインが、赤ワインに変わっている。
理由は分からなかった。
だが、胸の奥がざわついた。
直感だけが、ヘンリーを疑えと告げていた。
⸻
それからメアリーは、ヘンリーを追い続けた。
尾行し、
執務室を覗き、
寝室で女と話す姿も見た。
だが、確かな証拠は、何一つ掴めなかった。
それでも――
メアリーの中で、疑念が消えることはなかった。
「何かが……おかしい」
その確信だけが、静かに、深く、根を張っていった。
⸻
ヘンリーが亡くなる、ほんの少し前。
メアリーは王の寝室の扉に、強く耳を当てた。
「エドワード。今日の夜、次についての話がある」
扉の向こうから、落ち着いた声が返る。
「はい。分かりました」
それだけのやり取りだった。
だがメアリーは、なぜか胸騒ぎを覚えた。
――珍しい。
ヘンリーが、エドワードを呼び出すなど。
メアリーは扉から離れ、静かにその場を去った。
⸻
その日の夜。
メアリーはヘンリーの寝室の窓の裏、低木の影に身を潜めていた。
レースのカーテンの隙間から、室内を覗く。
「ほっほっほっ…王のやりがいが分からないのだな…」
ヘンリーがエドワードに語りかけている。
メアリーは、身動きひとつせず、その様子を見続けた。
やがて、時間を経るとヘンリーは声色を変えた。
「それともう一つ。私もそう命は長くない…お前に一つ話さなければならないことがある…」
「へっ…何でしょうか?お父様」
「一度しか言わないぞエドワード。実は私は…その…人間ではないのだ…」
「え??冗談はやめて下さいよお父様」
「やはり…信じてはもらえぬか…ではこうしよう」
その瞬間だった。
ヘンリーの眼球が蒼く輝き始める。
顔の表面、腕が白い猛獣の毛で覆われ、指の爪は黒く鋭く伸びる。
顎と鼻は異様に伸び、額からは反り立つ二本の黒角。
服を脱ぎ捨てた背には、白い翼。
「ばっ…化け物っ!!!」
「そう驚くなエドワード。私はお前を食べたりはしない。」「だが私は人とは分かり合えないんだ。古い書物では私のような人型の獣は神と崇拝されている。」
化け物はエドワードに息を吐き捨てる。
「私はかつて…いや現存する天使や悪魔も我々のような存在。つまり私自身も神の一部だと考えている…」
「嘘だ…嘘だっ!!!じゃあ…僕はっ!!化け物の子供ということか!!」
「そうだ。そして…神の子でもあるということだ…」
「嘘だっ…嘘だあっ!!!!」
⸻
パリーンッ!!!
鏡が石で叩き割られた。
放射状に走るヒビの中で、メアリーは倒れ込む。
「あり得ない…あり得ない…あり得ないっ!!!」
「私が化け物の血を引いてる??あり得ないっっっ!!!」
「嘘よっ!私が神の子なんてっ!ふざけてるっ!馬鹿げてるっ!」
パリーンッ!!
再び石が投げつけられ、鏡は完全に砕け散った。
「神はクエスト様…だけであって…国教会やレジスタントも…全部化け物がやってることを正当化するためにっ!!」
「許さない…絶対に許さないっ!んああっ!!!」
ゴトッ…
石が板に当たる音だけが、虚しく響いた。
⸻
メアリーは、ゆっくりとエリザベスへ向き直った。
「いい?ベス…間違いなくこの世界には父みたいに…人の形を成していない化け物がいるわ…」
「そして奴らは人に化けて当たり前の日常に溶け込んでいる…私はもう…長くないから…あとはエリザベスが探しなさい…」
「長くないってどういうこと??お姉様っ!!!」
エリザベスが追求すると、眉を下に向けながらそっと
「…前妊娠してなかったって…あったでしょ」
「あれ…病気だった…もう長くないってさ…」
「えっ…」
エリザベスはショックのあまり顔が固まってしまった。
「疲れたわ。もう寝る。あと…」
エリザベスが目線をメアリーに合わせる。
「ベスにはこの先手も口も出さないし、最後は何もせず一人で過ごす予定だわ…結局フェリペさんと上手くいかなかった…」
エリザベスは、しばらく黙ってメアリーを見つめていた。
「分かった…お姉様」
立ち上がり、踵を返す。
走り去るエリザベスの背中を、メアリーは微笑みながら見送っていた。
⸻
それ以降、メアリーが政治に直接介入する機会は目に見えて減っていった。
やがて収監されていたロバートも釈放され、エリザベスは彼が囚われていたレイトン塔を訪れた。
塔の奥、池の向こう側に、見慣れた姿があった。
「……ベス……ベスッ!!!」
「ロバートッ!!!」
ロバートは躊躇もなく走り出し、エリザベスはその勢いを全身で受け止めた。
そのまま抱き上げられると、エリザベスは軽く身を預け、優雅に一回転する。
「ありがとう……ありがとう……」
「……いいのよ」
地面に降ろされても、ロバートはなお強く抱きしめたまま口を開いた。
「なあ……ベス。牢屋でずっと考えてたけど」
「何よ。」
エリザベスは、次に来る言葉が分かっていた。
「ベス……その……俺と付き合」
「あんたさ……奥さんほぼ決まってるんでしょ?
浮気前提はダメだと思うよ??」
「いや……いいじゃないか……ダメ?」
「ダメです。」
「……はい」
エリザベスは、ロバートとは友達くらいの距離が一番いいと、心の中で静かに決めていた。
二人は手を繋ぎ、そのままレイトン塔を後にした。
⸻
それから数年後。
メアリーは卵巣周りの病にひどく苦しんでいた。
自分の命が長くないことを悟った彼女は、次の後継者について考え続けた。
悩みに悩んだ末、次の女王をエリザベスにすることで合意する。
そして、ほどなくして――
メアリーは四十二歳でこの世を去った。
死因は、インフルエンザだったとされている。
⸻
情熱の国の宮殿。
執務室に籠もり、書類整理をしている男がいた。
妻が病で倒れているという報告にも、この男は相変わらず何の関心も示さない。
「国王陛下……メアリー様についてですが」
「うん♪ 知ってるよ♪
やっぱエリちゃんだもん!
俺はエリちゃんは絶対倒してくれると思ってたんだっ♪♪」
「いや……そうではなくて……メアリー様がお亡くな」
男は長い顎髭を触りながら、軽やかに言い返した。
「だからさ♪
エリちゃんは俺が鼓舞して♪
俺が色々支援したからメアリーちゃんは崩御したんでしょ??
俺のおかげで一つの国を救ったの♪
俺っちスーパーヒーローじゃん♪♪♪」
役人は深く息を吸い、話題を変えた。
「あと……その後の次期女王についてですが」
「うーん。次の女王ね♪
まあ候補は二人いて、北国のメアリーちゃんとエリちゃんどっちがいいかって話なんよね♪♪
まあ……北国のメアリーちゃんはね、ちょっとね……地雷系女子って感じだからねぇ……」
男は突然、確信したように役人を指差した。
「よし!
俺はエリちゃんを推薦するっ!!
さあってと、エリちゃんに求婚宣言しちゃおっかな♪
チャンスチャンス♪♪♪」
相変わらず、この男は最低。論外。
二度と顔を見せんな、であった。
⸻
エリザベスは墓地にいた。
草原の中、等間隔に並ぶ墓石の一つに視線を落とす。
そこには、「Mary」と刻まれている。
さらにその墓石はおそらく民衆によって赤いインクで落書きされてた。
エリザベスはしゃがみ込み、墓石の赤いインクを手から水を噴射して綺麗に流すと、目の前に花を添えた。
「ねえお姉ちゃん。なんか喋りなよ。
負け犬がどうたら……クソ虫がどうたら……
私がいるんだから悪口言いなよ。」
返事はない。
「お姉ちゃん。私がいつか死んだら。
悪口言い合おうよ。
ずっとお姉ちゃんの口喧嘩に付き合ってあげるからさ」
「ベスッ!!そろそろ行きましょ!」
「待って!今行くよアシュリーっ!!」
それだけ言い残し、エリザベスは墓石から離れた。
⸻
街は、メアリーが去ってから祭りのような騒ぎに包まれていた。
民衆は毎週のようにパレードを行い、皮肉にも彼女が消えたことで平和が訪れていた。
「今日で鮮血のメアリーが死んで半年だあ!!!」
「ふうううううううううう!!!!」
「最高だぜえ!!!!」
「いえい!!」
馬車の中にいるエリザベスは、その光景を見ても心から喜べなかった。つい先ほどまで、姉の墓参りをしてきたばかりだったからだ。
「街もすっかり平和ね...ベス?あんま嬉しくなさそうね?」
「...だってそりゃ.......いや...何でもない...」
エリザベスはアシュリーに一言だけ返して街から離れていった。
⸻
「ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!」
街のメインストリートの中央を、エリザベスは歩いていた。
耳を塞ぎたくなるほどの歓声。
拍手。叫び声。
無人のオルガンが鳴り、トランペットが響き、太鼓と鐘が街を震わせる。
民衆は皆、同じ名を叫んでいる。
「女王様……ああ、頑張ってください!!」
「エリザベス様!期待しておりますぞ!」
「お姉ちゃん!!ファイト!!」
「ああ……この国に生まれてよかった……!」
紙吹雪が舞い、色とりどりの花が空を覆う。
エリザベスは一度も立ち止まらず、ただ真っ直ぐに宮殿へと歩き続けた。
「ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!ELIZABETH!!」
⸻
玉座の前に辿り着くと、司教の前へと導かれる。
司教の手には、かつてエドワード、そしてジェーンへと渡された宝石を嵌め込んだ、金の王冠があった。
エリザベスは静かに一礼し、司教の前に頭を差し出す。
王冠が、ゆっくりと下ろされる。
金属の重みが、確かに彼女の頭に置かれた。
「エリザベス様……お言葉を」
司教の声に、エリザベスは振り返った。
広間には役人たちが並び、
前列にはアシュリーとロバートの姿があった。
エリザベスは一度、大きく息を吸い、吐く。
そして、口を開いた。
「姉の死を悼み、今この運命を歩み続けてる私自身が最も驚いています。」
「しかし私は神によって作られた人間であることを真摯に受け止め、神に定められた運命に従いたいと思います。」「また、私は神の助けを貰いながら、神の代理人としての役割を全うします。」
「私の身体は一つですが、神の赦しで、政治的な身体を授かりました。だからこそ皆様は私を助けていただけますと幸いです。」
「私は皆様の助言や忠告を誠実な態度で受け止め、私の使命を果たしていきたいと思います」
一瞬、沈黙。
そして。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!
わわわわわっっ!!
ヒューヒューヒューヒューッ!!
歓声が一斉に弾けた。
役人たちは立ち上がり、拍手と喝采が広間を満たす。
エリザベスはもう一度振り返り、玉座へと歩み寄る。
ドレスの裾を手で押さえ、ゆっくりと腰を下ろした。
黄金の玉座には栄光が差し込まれ、まるで明るい未来を照らすようにエリザベス女王は輝いていたのだった。
ELIZABETH
Magical Kingdom
第1章 ― 女王誕生篇 完




