第十九話 芋虫
第十九話 芋虫
明くる日も、エリザベスは天井を見つめながら横になっていた。
冷たい石の感触が背中に張り付いている。
「お姉様が……血を操るのは分かった」
頭の中で、何度も同じ映像を再生する。
鎌。血。伸びる棒。切断された脚。
(でも……分からないことが一つだけある)
エリザベスは眉を寄せ、小さく呟いた。
「……なぜ雷と氷が効かないの?」
血を操る能力。
そこまでは、論理として繋がった。
だが、どう考えても納得できない部分が残っている。
「血が……雷や氷を防ぐ力を持ってるのか……?」
仮に血を硬化させたとしても。
雷は通るはずだ。
氷柱だって、あの威力なら貫通して当然だ。
「……おかしい」
ぶつぶつと独り言を続けていた、その時だった。
ガチャン。
金属の重い音が牢内に響く。
鉄格子が開いた。
視線を向けると、数人の兵士が立っている。
「連れてけ……」
低い声が命令を落とす。
「はっ!!」
「ちょっと!!何!!離せ!!」
抗議する間もなく、両腕を掴まれた。
縄が乱暴に巻き付けられ、強く縛られる。
そのまま引きずるようにして、エリザベスは檻の外へと連れ出された。
⸻
椅子に座らされると、逃げ場はなかった。
二人の兵士が左右から動き、椅子と縄を固定する。
さらに両足にも金属製の縄が巻かれた。
魔法で砕くには、明らかに時間がかかる構造だ。
「痛いっ!!」
縄が締まるたび、脚に激痛が走る。
「せめて……せめて痛くなく……っ!!」
だが兵士たちは一切反応を示さない。
無言のまま、作業を終えると一歩下がった。
静寂が落ちる。
しばらくして——
扉が、ゆっくりと開いた。
中に入ってきた人物を見た瞬間、空気が変わった。
「あら〜!!芋虫♡♡こんにちは♪」
甲高く、楽しげな声。
「キャベツでもムシャムシャしてたかしら??♡♡♡」
メアリーだった。
彼女は笑みを浮かべたまま、エリザベスに近づく。
そして、視線を下へ落とした。
脚を見る。
——止まった。
「……え」
その場で、メアリーの動きが完全に止まる。
「何で……手足があるの」
呟くような声。
理解が追いついていない。
エリザベスは黙ったまま、メアリーの目を見返した。
「私……切ったはずよ」
メアリーの声が低くなる。
「あんたの手と足」
「何で……生えてんのよ」
沈黙。
次の瞬間、感情が爆発した。
「何でっ!!生えてんのかって聞いてんだよっ!!!」
怒号。
ようやく、エリザベスが口を開いた。
「……私にも分からないです」
淡々とした声。
「結果が……そうだったんです」
次の瞬間、メアリーの指がエリザベスの両頬を掴んだ。
爪が食い込む。
「テメェ!!」
唾を飛ばすほどの距離。
「幽閉されてる身分で誤魔化せると思ったら大間違いだからなっ!!」
「この場で今度は首を切り落としてもいいんだからなっ!!」
顔を近づけたまま、怒鳴る。
「聞いてんのかよ!!クソ虫がっ!!」
メアリーは乱暴に手を離し、一歩下がった。
そして、最後に問いかける。
「……んで」
冷え切った声。
「何で切ったはずの手足が生えてるんだい??」
エリザベスは、表情を変えない。
視線も逸らさない。
「……お姉様。すみません」
同じ調子、同じ声。
「私にも……分からないです」
メアリーは斜め下に視線を落とした。
呆れたように、吐き捨てる。
「……なんかのトリックだったら」
「もう一度芋虫にしようと思ったけど」
「どうやら……別の問題の可能性が高そうね」
踵を返す。
「もういいわ。帰る」
意外にもあっさり、メアリーは空間を後にした。
エリザベスは、椅子に縛られたまま、
ただその背中を——
静かに、見送っていた。
⸻
エリザベスは兵士に両側を挟まれながら、元来た通路を引き返していた。
歩きながら、視線だけを動かす。
――右。警備が二人。
――左。角を曲がった先に、さらに四人。
足音、甲冑の擦れる音、石床に反響する規則的なリズム。
この人数、この距離、この配置。
「……無理だな」
心の中でそう呟いた瞬間、小さな窓が視界に入った。
覗き込めば、映るのは揺れる水面。
レイトン塔は水に囲まれている。脱獄するには、泳いで抜けるしかない。
――この距離を泳げと?
――しかも見張り付き?
考えるまでもなかった。
エリザベスは静かに諦め、兵士に促されるまま牢屋へと戻された。
鉄格子の前で縄を解かれ、床に突き放される。
「飯だ。食え」
石の床に置かれた皿には、豆を粗く潰したペースト。
塩のようなもので、適当に味付けされている。
「……もう豆はいいって」
誰に向けたでもない愚痴が漏れた。
エリザベスは匙を取り、渋々口に運ぶ。
――まずい。
――というより、飽きた。
エリザベスは食事をしながら天井を見つめながら考えた。
視線をずらし、鉄格子の向こうを見る。
「……一人、二人、三人……」
見張りの数を数え、ため息をつく。
「はぁ……無理だな」
檻を出る方法は、現実的ではない。
そう結論づけると、黙々と口へ豆を運んだ。
⸻
明くる日。
「飯だ。食え」
差し出されたのは、ブレッドの上にグリーンピースを乗せただけの何かだった。
「……グリーンピースも豆みたいなもんでしょ」
文句を言いながらも、エリザベスは食べ始める。
その間、視線は兵士の装備、腰の剣、足運びへと向けられていた。
――持ち物。
――歩く速度。
――巡回の間隔。
頭の中で脱獄後の経路を何度も描く。
だが、最後には必ず同じ結論に行き着く。
――無理だ。
⸻
明くる日も。
「飯だ。食え」
皿の上には、豆を和えただけの料理とも言えない代物。
「……これ、なんかの嫌がらせでしょ?」
ぼやきながら食べつつ、兵士の身だしなみを観察する。
時間帯ごとの見回りパターンも、ほぼ把握できてきた。
それでも――
確実に脱獄できる糸口は、どこにも見当たらなかった。
⸻
さらに明くる日。
「飯だ。食え」
今度は、トマトを煮込んだ豆――ではなかった。
牛肉の入ったスープだ。
「……今日は当たりじゃん!!」
思わず声が弾む。
珍しく文句も言わず、スープを飲み干す。
その間も、兵士の動線、扉の位置、空間の構造を頭に叩き込む。
だが、どれだけ組み合わせても――
「……やっぱ、無理だな」
脱獄できると胸を張って言える考えは、最後まで浮かばなかった。
⸻
さらに次の日。
エリザベスは石の床の冷たさにも慣れ、脱獄のことなど一切考えず、深く眠っていた。
――ガチャン。
鉄格子の音が響いた。
「連れてけ……」
「はっ!!」
横向きのままのエリザベスの両腕を、二人の兵士が同時に掴み上げた。
丸太を握るような力で、逃げ場はない。
「ちょっと……何よ」
眠りから引きずり起こされ、視界が揺れる。
「ちょっと!!何やってるの!離せっ!!」
「どういうことよ!!今度は何!!」
檻の前に立つ上官が、低い声で告げた。
「……時間だ」
「時間って!!どういうつもり!?私を殺るわけ!!」
二人の兵士は返事をせず、ただ腕を引く。
エリザベスは必死に暴れた。
「クソ離せっ!!クソッ!!」
その様子を見ていた上官が一歩前に出る。
右手の平を床へ向けると、地面がざわめいた。
鍾乳石のような岩石が、みるみるとせり上がる。
「……寝てろ」
――ガンッ。
鈍い音とともに、視界が白く弾けた。
エリザベスの体は力を失い、その場に崩れ落ちた。
⸻
「……起きろ」
「……起きろっ!!」
「はっ!!」
頭を覆っていた袋が乱暴に外される。
目の前には、椅子に座る男。
視線を巡らせると、左には顔見知りの役人、右には身の回りを世話していた役人。
足元には、彼女を照らすように差し込む光。
そして――左上。
「お姉……お姉様っ!!」
一瞬で理解した。
これは裁きの場。
自分を断罪するために用意された場所だ。
木槌が鳴る。
「被告人、エリザベス殿。
国家転覆未遂、殺人未遂、ならびに女王暗殺未遂の容疑について、これより要否認を確認する」
エリザベスは悟った。
何を言おうと、結末は同じ。
死――処刑。
胸の奥に失望が広がる。
それでも彼女は、最後まで抗うことを選んだ。
メアリーにだけ、傷を残すために。
言葉という名の刃を探しながら、視線を落とす。
「……そろそろ時間だ。発言せよ」
「……ちょっと待ってください……」
あの日の記憶が、鮮明によみがえる。
叩いた感触。
怒鳴り声。
そして――最も刺さる言葉。
(これからは!?負け犬じゃなくて芋虫って呼んであげるっ!)
「芋虫……」
静かな声。
「芋虫っ!!!」
エリザベスは正面を見据え、大きく息を吸って吐いた。
「私は……無実です。
大好きで、心から愛しているお姉様を、殺そうなどと一度たりとも思ったことはありません」
メアリーの表情が歪む。
「確かに、私はお姉様と口論になりました。
姉が主導する政策に不服を感じ、感情的に文句を述べたことは事実です。
その点については、今も反省しております」
メアリーの右手が、無意識に掻きむしられる。
「しかし、何度も言います。
私は姉を殺害しようとしたことはありません。
この身をもって誓います」
エリザベスは、そのまま下を向いた。
沈黙。
次の瞬間、怒声が場を切り裂いた。
「テメェ!!ふざけんなよっ!!」
「何が殺したいと思ったことがねえだ!!」
「テメェが最初に金魔法をぶちまけて!!
天井から氷柱、落としたよなあ!!」
「とぼけんじゃねえぞっ!!」
「舐めたこと言ってるとぶっ殺...」
メアリーの体が、固まった。
「……殺す……殺したは……」
誰にも届かない呟き。
(これからは!?負け犬じゃなくて芋虫って呼んであげるっ!)
(負け犬じゃなくて芋虫って呼んであげるっ!)
(芋虫って呼んであげるっ!)
(芋虫って呼ん...)
(芋虫って...)
(芋虫...)
(芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫芋虫)
「……そうよ……芋虫にしたはずよ……」
震える声。
「芋虫にしたはずなのに...芋虫になってない...これ以上言えば芋虫の話になって...私が犯罪者になるじゃない...芋虫が芋虫じゃないから...だから...だからっ!!」
唇が歪む。
「……私は……こいつを……
この場で……裁けない……」
メアリーは、崩れるようにその場に座り込んだ。
エリザベスは下を向いたまま、白い歯をわずかに覗かせる。悪魔のような、静かに笑った。
(エリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベスエリザベス)
「次こそは...お前を...この手で...」
「...殺してやる」
木槌が鳴った。
「主文。
被告人エリザベス殿を無罪とする。
よって、レイトン塔からの釈放を命ずる」
裁判長の視線は、倒れたままのメアリーから離れなかった。
エリザベスは動かない。
何も言わない。
ただ地面を見つめ、
勝訴という名の光に、静かに照らされていた。




