第十三話 Magical Kingdom
第十三話 Magical Kingdom
かつて、そこには家族があった。
エリザベス、キャサリン、トマス。
三人は、血のつながりを越えて、まるで親子のように穏やかな日々を過ごしていた。
だが、その関係は壊れた。
トマスとエリザベスが、家族として決して許されない場所へ踏み込んだ瞬間に。
屋敷を去ったエリザベスは、かつての侍女であるアシュリーのもとへ身を寄せた。
その後、アシュリーの提案で、彼女は義兄にあたるアンソニーの屋敷へと移る。
そこで二人は、再び――今度こそ歪みのない、親子のような関係を築いていった。
キャサリンは、二度とエリザベスと顔を合わせることなく、
高熱のまま、この世を去った。
そして――時は進む。
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宮廷裁判所。
高い天井、石造りの壁。
上部のガラス窓から差し込む日光が、中央の被告席を白く照らしていた。
「俺は……!」
縄に縛られ、膝をついた男が声を張り上げる。
「確かに……確かに!
エリザベス様と結婚しようと思った!
それは、心から好きだったからだ!」
男――トマス・シーモア。
「摂政……いや、兄貴を殺そうとしたなんて、微塵も思ってない!!」
背後には二人の兵士。
逃げ場は、どこにもない。
裁判長が、冷静に告げる。
「では――次の証言に移る」
高所から視線が落ちる。
「ケイト・アシュリー。前へ」
証言台に立ったアシュリーは、トマスの方を一切見なかった。
まっすぐに裁判長を見据え、口を開く。
「エリザベス様は……確かに、この男の言う通り、好意を持っておりました」
ざわめきが広がる。
しかし、アシュリーは止まらない。
「ですが、この男は――
その純粋な心を弄び、欺き、そして……深い傷を負わせた」
声に、わずかな震えが混じる。
「なぜ、ここにエリザベス様がいないのか。
……お分かりでしょう、裁判長。
これが、答えです」
そう言って、証言台を降りようとした、その瞬間。
「それは――お前の考えでしかないっ!!」
トマスが叫んだ。
「ケイト・アシュリー!!
ここに……ここにエリザベス様を出せ!!
彼女に聞け!!
彼女こそが、答えだっ!!」
アシュリーは、振り返らなかった。
ただ、静かに、やや右上を指差した。
トマスは、その指の先を追う。
拝聴席。
そこに――エリザベスはいた。
静かに座り、こちらを見下ろしている。
その目に宿っていたのは、
かつての親しみではない。
愛でもない。
強い嫌悪。
拭いきれない恐怖。
そして、微かな震え。
それを見た瞬間、
トマスの身体から、力が抜けた。
叫ぶことも、抗うこともなく、
ただ俯いたまま、動かなくなる。
裁判長が、木槌を取った。
「――主文」
その声は、感情を含まない。
「被告人、トマス・シーモア」
一拍置き、続ける。
「国家転覆未遂
ならびに、殺人未遂の事実を認定する」
法廷が、静まり返る。
「よって、本裁判所は――
被告人を有罪とし、
刑法に基づき、斬首刑に処す」
木槌が、鳴った。
トマスは、動かなかった。
二人の兵士に半ば引きずられても、抵抗しない。
まるで、
生きることそのものを、諦めた重しのように。
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八歳で王位に就いたエドワードは、十五歳になっていた。
だがその身体は、年齢に見合わぬほど脆く、すでに病に蝕まれていた。
彼が行った改革は、父ヘンリーが残した国教会を、
レジスタントと呼ばれる宗派――すなわち「抵抗」を掲げる信仰へと強く傾けることだった。
それは政治であり、同時に信仰だった。
だが、その裏で、
メアリーをはじめとするユニバックの信者たちは、
静かに、しかし確実に冷遇されていった。
――選ばれなかった信仰は、選ばれなかった人間になる。
場所は、かつてヘンリーが寝たきりとなっていた王の寝室。
重苦しい空気は残っているが、王の痕跡はすでに消え去っていた。
寝台の周囲を囲むように、役人たちが立つ。
その中で一歩前に出ていたのは、ダドリーだった。
エドワードは枕に身体を預けたまま、浅く息を整える。
「……ごほっ……」
小さな咳が、静まり返った部屋に響く。
「……どうやら……僕は……長くは……なさそうだね……」
言葉の合間に、息が混じる。
「だから……次の王の……話をしよう……」
役人たちが息を呑む。
「……言っても男性は……いないんだけど……」
エドワードは、わずかに笑おうとして、すぐにやめた。
「……僕は……ジェーンお姉ちゃんを……次の女王に……したい……」
ダドリーが、思わず一歩近づく。
「……彼女は……レジスタントだから……」
再び、喉が鳴る。
「……変な真似は……しないはずだ……」
エドワードは、ダドリーの手を強く掴んだ。
その力は、病に侵された身体からは想像できないほどだった。
「……摂政さん……」
必死に、言葉を繋ぐ。
「……これだけは……約束して……」
咳き込みながらも、目だけは逸らさない。
「……絶対に……」
息を吸い、吐き、もう一度。
「……ぜったいに……」
そして、震える声で言い切った。
「……メアリーお姉ちゃんにだけは……
女王を……渡さないで……」
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ELIZABETH
Magical Kingdom
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アシュリーの義兄、アンソニーの屋敷は広大だった。
整えられた芝生が見渡す限り広がり、その中央では、すでに訓練の域を超えた魔法の応酬が繰り広げられている。
火が吹き、風が起こり、光が瞬き、水が地面を濡らす。
エリザベスとロバートは互いに距離を取りながらも、一切の遠慮なく魔力を解き放っていた。
「ベス。今日、調子いいんじゃないか? キレが違うぜ」
ロバートは笑いながら、全身に風を纏う。
次の瞬間、その姿は一直線に走り抜けた。
「俺の疾風走についてこれるか?」
スタスタスタスタスタスタ
庭の周囲、約四百メートル。
ロバートはそれを、わずか十二秒足らずで駆け抜ける。
エリザベスはその場で身体を回しながら、きょろきょろと視線を動かした。
「行くぜっ!
基礎魔法:木 飛蝗の機動」
ギュイーンッ!
ロバートはエリザベスの背後から跳ねるように移動し、空中で足から波動を放つ。
バウンドするように進路を変え、そのまま一直線にエリザベスの背中を狙う。
ロバートは、エリザベスがこちらに気づいていないと判断し、槍を向けた。
「竜巻槍!!(ドラゴニック・ツイスト・スピア)!!」
槍先から回転する渦が生まれ、ロバートはそれを軸に身体を捻り続ける。
だが――
エリザベスは気づいていた。
背後に手をかざし、静かに呟く。
「……水 堡礁の壁」
水の中に珊瑚礁の壁が生成される。
ロバートの槍は水中で渦潮となり回り続けるが、珊瑚には届かない。
ロバートは即座に軌道を変え、再び《飛蝗の機動》で体勢を修正する。
「そのままっ!螺旋台風!」
エリザベスを囲うように動くと、暴風の壁が円筒状に立ち上がり、彼女の行動範囲を徐々に狭めていく。
ロバートはニヤリと笑い、勝利を確信した。
しかし――
「……火土 溶岩上昇」
ゴゴゴゴゴ!
エリザベスの足は溶岩のように柔らかく、体は岩石のように硬く変質する。
火砕流を撒き散らしながら、彼女の身体は勢いよく上昇した。
螺旋の穴から抜け出したエリザベスは、上空からロバートを見下ろす。
「基礎魔法:金 裁きの一撃!!(ジャッジメント・ストライク)」
左手の人差し指を真上に伸ばす。
爪先に四方から火花が集まり、エリザベスはその指を落とした。
ピカッ――
ドカン!!
雷鳴が轟き、直下落雷。
芝生は炎上し、ロバートは雷に気を取られてバランスを崩す。
「飛蝗の機動!!」
空中で後ろ宙返りしながら足を蹴り上げ、エリザベスは直下する。
その勢いのまま剣を引き抜き、ブレードを燃やした。
「基礎魔法:火 神聖な炎!!」
ロバートを剣で押し倒し、風に炎を包み込む。
土が抉れ、地面が割れるほどの衝撃。
勢いを殺さず剣を振り上げ、エリザベスは続ける。
「火炎弾!!!(フレイムガン)》」
左手に火球を生成し、右手では火炎ブレードを真下に突き刺す。
球を自ら破り、ロバートの目の前で大爆発が起きた。
台風を取り込み、炎は勢いを増す。
芝生は燃え盛り、庭は焦土と化した。
やがて炎の渦が収まると、
二本の足で立っていたのは――エリザベスただ一人だった。
ロバートは倒れたまま、火の勢いに憔悴している。
「なあ……ベス……」
ロバートは苦笑する。
「お前、強すぎだ……
ウィリアムさんに教えてもらってから……
俺の周りでも、こんな多属性操れて……
しかも全部が致命傷の技なやつ、いないよ」
「いててて……」
立ち上がろうとするロバートに、エリザベスは手を添えた。
「まあ……ロバートは、私に勝つのに千年は早いってこと。分かった?」
「有望なあなたは、将来偉くなって、私を上に上げなっ!」
「分かったよ……ベスも偉くなるんだぞ」
ロバートはエリザベスの手を取り、引っ張られる。
その背中を、風が押した。
彼の身体は、自然と前へ進み始めていた。
ロバートがよろめきながら立ち上がると、焦土と化した芝生を見回して頭をかいた。
「ああ……お庭の芝生を……こんなに燃やしちゃって……」
二人が同時に振り返る。そこに立っていたのは、この屋敷に長く仕える老執事だった。黒いスーツにきっちりと結ばれた蝶ネクタイ、白髪を整えたその姿は、炎と煙の中でも微動だにしない。
「失礼いたします。……お二人とも、少しお話がございます。実は――」
老執事は一拍置き、静かに続けた。
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「急いで! 早く! 宮殿に向かってつま!」
馬車の中で、エリザベスとロバートは同時に声を張り上げた。額には汗が滲み、呼吸は浅い。
御者は手綱を握ったまま、困惑したように首を振る。
「お急ぎなのは重々承知しておりますが、これ以上は……」
「分かってる……けど、なんとかならないっ!?」
そのとき、隣に座っていたロバートが軽い調子で口を挟んだ。
「運転手さん。もし俺たちの想定より早く着けたら、評価、上げますよ」
「ロバート? 運転手も精一杯!これ以上はっ...!?」
エリザベスが小声で抗議すると、ロバートは彼女の耳元で囁いた。
「まかせとけって……」
御者が半信半疑のまま「できる限りは……」と答えた、その瞬間だった。
馬車が大きく揺れ、車輪が唸りを上げて回転を始める。明らかに速度が上がっていた。
「運転手さん! やるじゃないですか! その調子ですよ!」
「……い、いや……どうして……?」
「どうもこうも、あなたの頑張りですよ」
エリザベスが怪訝そうにロバートを見ると、彼は奥の小窓からさりげなく手を出していた。
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馬車が門前に滑り込むと、ロバートは先に降り立った。
段差を下りながら、振り返ってエリザベスの肩を軽く叩く。
「ベス。ここでお別れだ。分かってるとは思うが……お前の弟さんが死んでから、状況が一気にまずくなってる」
一瞬だけ、ロバートの表情が硬くなる。
「お前は女王の候補だ。まずは、生き延びろ」
「ええ。そのつもりよ」
ロバートは短く頷き馬車から降りると、彼女は御者に向かって叫んだ。
「本殿まで急いで!早く!!」
再び車輪が回り出し、エリザベスを乗せた馬車は宮殿の奥へと消えていった。
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長い廊下を駆け抜けていると、前方にアシュリーの姿が見えた。
「アシュリー! はっ……はっ……」
「ベス。もう聞いてるとは思うけど……ジェーン様が女王になるって」
息を切らしたまま、エリザベスは走り続ける。
「ええ。私も……納得できてない」
「とにかく今は耐えることよ。余計なことは、絶対にしちゃだめ」
「うん。今から行ってくる」
二人は一瞬だけ、軽く抱き合った。
それ以上言葉を交わすことなく、エリザベスは再び廊下を走り抜けた。
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宮廷大広間は、すでに混沌としていた。
貴族や役人が溢れ返り、怒号が飛び交う。物が投げられ、ついには取っ組み合いの喧嘩まで起きている。
「ジェーン!? ふざけんな!!」
「直系の女王だろ!!」
「メアリー様だ! 何考えてんだ!!」
エリザベスは身を縮めながら、人波を縫うようにして王族の席へと向かった。
⸻
席に着くと、左右にいるのは親戚ではあるものの、こうした場でしか顔を合わせない者ばかりだった。
そして――いつもこの儀式で、右手に座っているはずの“彼女”の姿がない。
待っても、待っても来ない。
エリザベスは後ろに控える役人に小声で尋ねた。
「……お姉様は?」
「今回は、欠席されるとのことです」
「……っ……お姉様は、一体何考えてんだよ!」
苛立ちを抑えきれず、エリザベスは足を強く床に打ちつけた。
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やがて、玉座の前に主役の女が現れた。
一歩、また一歩と、ゆっくり歩き続ける。
エドワードの即位のときは、無人魔法音楽隊の雄大な演奏に包まれ、煌びやかな空気が支配していた。
しかし今回は、その正反対だった。
「クソ女王! くたばれ!」
「エドワードのえこひいきだ! 地獄に堕ちろ!」
「メアリー様こそ至高だ!」
罵声は嵐のように渦巻き、演奏は完全にかき消される。
卵、汚物、トマト――形あるものなら何でも、ジェーンに向かって投げつけられた。
それでも彼女は止まらなかった。
赤く、茶色に染まり、殻や汚れを身にまといながらも、ただ前を向き、真っ直ぐ歩き続ける。
「……あれが、ジェーンか……」
エリザベスはその姿を目に焼き付けながら、この修羅場そのものに、強い憤りを覚えていた。
やがてジェーンが玉座の前に立つと、宰相は脇のテーブルから黄金に宝石をあしらった王冠を取り上げた。それは、かつてエドワードの頭上に載せられたものと同じ冠だった。
ジェーンはわずかに顔を引きつらせ、それでも覚悟を決めたように頭を下げる。彼女の髪と額には、赤、茶、黄、黒――色の異なる液体が幾層にも混ざり合い、乾きかけて張りついていた。宰相はナプキンを取り出し、何も言わずその頭をそっと拭う。空中で一拍、王冠を静止させてから、ゆっくりとジェーンの頭に載せた。
振り返った先にあったのは、歓声ではなかった。
「なめやがってっ!ぶっ殺すぞっ!」
「ふざけんなよクソ女がっ!」
「今すぐ引きずり下ろしてやるからなっ!」
兵士と役人、貴族と民衆。そのせめぎ合いは、もはや秩序と呼べる段階を越えていた。
刀槍と盾で築かれた防壁は押し潰され、怒りに駆られた男たちが、一直線にジェーンへと走り出す。
それを止めようとする者、背後から汚物を投げつける者、罵声を浴びせる者——勢いは誰にも止められなかった。
やがて、その中の数人が異質な動きを見せる。
手のひらから噴き出す火炎。渦を巻く黒煙。握り固められた泥の塊。
近距離から投げ放たれたそれらは、ジェーンを狙うより先に、周囲の人間を巻き込み始めた。
火は衣服に燃え移り、煙の渦は身体を弾き飛ばし、泥の塊は大理石の床を砕いて破片を撒き散らす。
その瞬間、今度は別の怒号が上がった。
魔法を使った者たちに向けて、制裁が下される。
火炎放射が叩き返され、氷結の柱が砕かれ、岩石の拳が容赦なく振り下ろされた。
混乱は混乱を呼び、暴力は連鎖する。
天井が軋み、壁に穴が穿たれる。
燃え上がる人影。床に突き刺さる氷柱。岩石の衝撃で宙を舞う身体。
悲鳴と怒号が交錯し、大広間は一瞬にして戦場と化していた。
「ああああああ!」
「全員ぶっ殺してやる!」
「助けてくれええ!」
恐怖、憤怒、絶望、逃避。
あらゆる負の感情が渦となって広間を満たす中、ジェーンはただその場に立ち尽くすしかなかった。
「……ど、どうなってんだよ……」
エリザベスは、左右を見渡すことしかできず、足が床に縫い止められたように動かなかった。
——その時だった。
「メアリー様っ!メアリー様っ!」
叫び声と共に、数人の男が席へと飛び込んでくる。
メアリーの行方を求め、ジェーンを断罪する過激派だ。
燃え上がる拳が振り上げられ、訳も分からぬまま、男はエリザベスへと殴りかかった。
瞬間、エリザベスの右手に水が生まれ、拳を包み込む。
同時に左手の人差し指が突き出され、小さな雷撃が走った。
男は腹部から煙を上げ、そのまま崩れ落ちる。——呼吸はある。
続けて、氷柱が飛来する。
エリザベスは衝撃波を放ち、円錐状の氷を軸ごと粉砕した。
さらに男たちが壁を成して迫るが、彼女は膝、腹、肩、足を蹴り台にし、飛蝗の機動で頭上へ跳躍する。
空中で、右手から細長い火花を散らす
「基礎魔法:金 全能の雷」
バギッ!
ゴンッ!!
右手を思いっきり壁に振る。雷鳴が轟き、白光が走る。
壁に小さな穴が穿たれ、煙と瓦礫が舞い上がった。
広間にいる全ての者が、息を呑み、エリザベス一点を見つめる。
彼女は静かに着地し、床に両足を揃えると、怒りを叩きつけるように叫んだ。
「お黙りっ!!
神聖な儀式の場を汚すな!!
大人しく、聞いてろっ!!」
男たちは誰一人動けず、ただその姿を見つめることしかできなかった。
そしてジェーンもまた、混乱の中心に立ちながら、エリザベスの勇ましい背中を、ただ黙って見つめていた。
⸻
式の後、エリザベスはジェーンのいる部屋へと向かった。直系の王族である以上、欠席した姉メアリーに代わり、祝意を伝え、そして新たな女王を励まさなければならない。廊下を早足で進みながら、彼女は言葉を一つひとつ慎重に選んでいた。
扉が開かれると、そこにはジェーンがいた。ベッドに顔を伏せ、微動だにしない。
「……どちら様?」
低く、かすれた声に、エリザベスは名を告げる。
「エリザベスです。エドワードの姉です」
エリザベスが名を告げると、ベッドに伏せていたジェーンははっとしたように顔を上げた。
「ああ! エリザベスさん!
先ほどは本当にありがとうございました。
……何かお礼をしなくてはね」
少しだけ、場の空気が和らぐ。
エリザベスはほんのわずかに表情を緩めて首を振った。
「礼はいいですよ。
弟が選んだのは、ジェーン様なんですから……」
「あら……そう」
一瞬の間。
エリザベスは姿勢を正し、改めて一歩前へ出た。
「……それと、お祝いの挨拶に参りました」
ジェーンは首をわずかに左へ傾ける。
その前で、エリザベスは丁寧に頭を下げた。
「女王陛下。ご即位、誠におめでとうございます。
我が弟の意思を、どうか後世まで繋いでいただけますと幸いです。
今後とも、よろしくお願い致します」
その言葉を聞いた瞬間、ジェーンの表情は、まるで花が開くように明るくなった。
「あらあ……本当に、よく出来たお方……。
朕、感激してしまいましたわ……」
だが次の瞬間、ジェーンはふっと視線を左下へ落とし、声を潜めるように呟いた。
「……それにしても、あなたのお姉さんは……あなたに全部任せっきり...最低ね」
エリザベスは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに曖昧な笑みを浮かべた。
「……たぶん……たぶんですけど。
姉は……忙しいんですよ」
それ以上、言えることはなかった。
エリザベスはただ、ジェーンの前で微笑み続けるしかなかった。
⸻
宮廷の外廊を歩いていると、二つの人影が目に入った。
ロバートと、アシュリーだった。
気づいた瞬間、アシュリーは駆け寄り、何も言わずにエリザベスを強く抱きしめた。
「ベス……怪我はない? 本当に心配したのよ……」
「大丈夫だよ、アシュリー……ちょっと過保護すぎないかな?」
エリザベスが苦笑すると、アシュリーは腕を緩めることなく、真剣な声で言った。
「あなたは女王になる器よ。だからこそ、自分の身をもっと大切にしなさいっ」
その横からロバートが肩を叩く。
「ほらな、俺もそう言ったろ」
三人は一瞬だけ言葉を失い、アシュリーとエリザベスは抱き合ったまま、なかなか離れなかった。
⸻
その夜。
宮殿の奥深く、ジェーンの寝室。
少しだけ落ち着きを取り戻したジェーンは、燭台の火を親指で人差し指の側面に押し当て、すっと消した。
毛布に潜り込み、左に身を傾ける。
窓の外には、澄み切った星空。
円弧を描く月——欠け始めたその姿を見て、彼女はぼんやりと思う。
「……はあ」
ため息を吐き、仰向けに寝返りを打つ。
天井を見つめても、眠りは訪れない。
「……はああ……」
再び視線を窓へ向けた、その瞬間だった。
月光の逆光に浮かぶ、黒い影。
天使とも悪魔ともつかぬ翼。
タコのように蠢く尻尾。
そして、手には鈍く光る鎌。
「ひっ……ひっ……!!」
ジェーンは悲鳴を殺し、ベッドから転がり落ちるように床へ滑り落ちた。
尻を床につけたまま、必死に後ずさる。
「……な、なによ……」
影は動かない。
ただ、そこに立ち、ジェーンを見下ろしている。
震える手を掲げ、必死に火を灯そうとした、その瞬間——
蠢く触手が一本、彼女の手のひらを貫いた。
「——っ!!」
自分の手から突き出る異形を、はっきりと視認する。
声が出ない。
恐怖が思考を奪い、体は硬直したまま動かない。
手のひらから、どろりと赤い液体が溢れ出し、
床に、ぽたり……ぽたり……と落ちる。
影が、低く、人では出せない重い声で告げた。
「……いいか、貴様。よく聞け。
命が欲しければ、朕に従え……」
「……っ……は……は、はい……!」
ジェーンは震えながら、ただ首を縦に振る。
恐怖に支配され、従うという言葉しか、もはや口にできなかった。




