第十話 䬝吹く(こうふく)
第十話 䬝吹く(こうふく)
「聞いてよ、アシュリー」
街の屋敷の自室。
午後の光がカーテン越しに柔らかく差し込む中、エリザベスはベッドに腰を下ろし、足をぶらぶらと揺らしながら声を張り上げた。
「おっ……いや、ウィリアムがさ。とにかく話が長くて」
「もう、あああああ! 絶対いつかボコボコにしてやる!」
勢いよく拳を握るエリザベスを見て、アシュリーは小さく笑った。
「うふふふ……楽しそうね」
「え? 楽しくないけど」
即座に返すと、アシュリーは肩をすくめるように微笑んだまま、何も言わない。
二人の間には、急ぐ理由のない、穏やかな時間が流れていた。
しばらくしてから、アシュリーが少しだけ表情を変える。
「……お父様のことは?」
間を置いた問いかけ。
声音は柔らかいが、その目には確かな不安と気遣いがあった。
エリザベスは天井を見上げ、少し考えるようにしてから答える。
「うーん……あんまり、悲しくないのよね」
父が死んだ。
その事実を語る声は、驚くほど淡々としていた。
アシュリーは一瞬だけ瞬きをし、それから、はっきりと頷いた。
「そう……悲しくなくて、よかったわ」
「辛いと、嫌になっちゃうでしょ?」
否定も、説教もない。
その言葉に、エリザベスははっとする。
――うん。
アシュリーが知りたかったのは、家族の話じゃない。
“私がどう感じているか”だけだったのだ。
アシュリーは続ける。
「前にも言ったと思うけど……辛くなったら、戻ってきなさい」
「いつでも受け入れるから」
「そして……私を探して」
その言葉に、エリザベスは目を見開いた。
「……探すって?」
アシュリーは一度、視線を伏せる。
「私、役目を終えたの」
「でもね、侍女は辞めない」
「ただ……こことは、お別れなの」
エリザベスは視線を落とし、ゆっくりと頷いた。
「そっか……」
「そうだよな。キャサリンのところ、行くんだもんね」
アシュリーはエリザベスの前に立ち、しゃがむようにして目線を合わせる。
「ベスとの挨拶はね」
「“バイバイ”じゃないの」
穏やかに、けれどはっきりと。
「――いってらっしゃい、だわ」
「気をつけて」
エリザベスは小さく息を吸い、頷いた。
「……いってきます。アシュリー」
アシュリーは手を振る。
一度だけでなく、もう一度、念を押すように。
屋敷から離れるその姿を、エリザベスは黙って見送った。
⸻
幾らか時を経て、街の屋敷の庭に、乾いた風が吹き抜けていた。
ウィリアムは杖を手に、エリザベスへ向き直る。背筋は曲がっているが、その眼だけは鋭い。
「前に小娘に使ったのは水属性だ。覚えたよな、属性の弱点表は」
「そうね。完璧よ」
即答するエリザベスに、ウィリアムは満足そうに一度だけ頷き、杖を立て直した。
「よろしい。なら分かるな。なぜお前は負けたかは説明せんでも」
「では——私に勝つには、どうしたらいい?」
「金属性魔法!」
エリザベスは迷いなく答えた。
ウィリアムは、ふっと口角を上げると、杖先をエリザベスへ突き出す。
「そうか。雷をイメージしてやってみろ」
その直後だった。
ウィリアムが杖を地面へ叩きつける。
――ゴゴゴゴゴッ!!
庭園の石畳が割れ、大地が唸りを上げる。裂けた地面の隙間から、巨大な岩塊がいくつも浮かび上がった。
「……相変わらず。汚いジジイだ。全属性把握してやがる」
吐き捨てるように言いながら、エリザベスは火柱を噴き上げ、剣を引き抜く。
ウィリアムが杖を振るたび、浮遊する岩が意思を持つかのように動き出す。四方八方から叩きつけられる岩の猛攻に、エリザベスは歯を食いしばって耐えた。
「魔法はイメージなんだろ?」
ウィリアムの声が飛ぶ。
「勢いでやってみろ!」
エリザベスは炎の剣を下ろし、深く息を吸った。
(ウィリアムは土属性……だから木属性が有利……)
頭の奥を探る。
(風……風……ロバート……)
記憶が、幼い日の情景を引きずり出す。
小さなエリザベスの横を、ロバートが駆け抜けた瞬間。
その背中を追い越すように風が抜けていった。
アシュリーのロングスカートが、ひらりと揺れた、あの日。
(あの時……)
風は、ロバートの後ろを通り抜けた。
同時に——ロバート自身にも、確かに風が吹いていた。
(……押し出してた?)
別の記憶が重なる。
「行くぜ!」
ロバートの全身を包む風。
槍先に渦が収束していく。
「基礎魔法木:竜巻槍」
体から、槍先へ。
風が流れ、移動していた。
(……そうか)
(移動……!)
エリザベスは眉を寄せる。
(でも……何を移動させれば風になる?)
岩を回避しながら、思考を続ける。
(ロバートが横切ると、周りにも風が吹く)
(でも……ロバートの体にも、風は吹いてた)
一瞬、思考が止まる。
(……あ)
気づいた。
(周りから、自分のところに……)
(違う。何かを動かすんじゃない)
(風そのものが、移動してるんだ!!)
エリザベスは、イメージを一気に固める。
風。
流れ。
動き。
それらを、ただ一箇所へ集める。
「終わりだ、小娘!」
ウィリアムが再び杖を叩く。
巨大な岩塊が出現し、遥か上空へと持ち上げられる。
ウィリアムはかつてのように、手足から放水するように魔力を解放し、高さを揃えた。
「基礎魔法:土火・巨大隕石」
燃え上がる岩が、エリザベスの真上へ落下する。
「——今だ!」
隕石の落下で生じた、すべての風。
その流れを、エリザベスは把握した。
そして——
風を、岩の中心へと、すべて収束させる。
次の瞬間。
巨大な岩は、まるでナイフで切り分けられたピザのように、綺麗に八等分されていた。
分断された岩片が、エリザベスの周囲へ一斉に落ちる。
「うわあああああお!」
衝撃。
頭、背中、肩。
岩雪崩のように押し寄せ、エリザベスの姿は完全に埋もれた。
「……やれやれ」
ウィリアムは杖を下ろし、瓦礫の中からエリザベスを引きずり出す。
意識が朦朧とした彼女の頬を、軽く叩いた。
「見事だ……」
低い声で、確かに称える。
「この短時間で……まさか、木属性魔法のイメージを掴むとはな」
「……うるさい……」
力の抜けた声で、エリザベスが返す。
「大丈夫か」
そう言って、ウィリアムは彼女を背負い、救護室へと歩き出した。
⸻
吹き抜けの大広間に、魔法による音楽が静かに満ちていた。
姿なき楽器の演奏は、あくまで儀式の背景として淡々と流れ続ける。
玉座の前へと進み出たのは、長い装束に身を包んだエドワードだった。隣には摂政が付き従い、その歩みを支えている。
エリザベスは、迷いなく拍手を送った。
その顔にあるのは、心からの祝福だった。
メアリーもまた拍手をしていたが、その視線はどこか冷めている。
形式として、必要だから行っているだけだった。
摂政が王冠を掲げる。
かつてヘンリーが戴いた、金と宝石の王冠。窓から差し込む光を受け、無言の重みを放っていた。
エドワードは頭を下げる。
王冠が静かに下ろされた瞬間、大広間は歓声に包まれた。
⸻
その日の夕方。
エリザベスはキャサリンと並び、バラの屋敷へ向かっていた。
「ベス、今日は何が食べたい?」
「シチュー!」
「準備に時間かかるけど、いい?」
「うん!」
短いやり取りが、当たり前のように続く。
それが、何よりの幸せだった。
屋敷の前にはトマスが立っていた。
迎え入れるように微笑み、二人を待っている。
自然な流れで三人は距離を詰め、ぎゅっと抱き合った。
⸻
室内には暖炉の熱が満ち、薔薇の香りがほのかに漂っている。
魔法によるものだろう。過剰ではなく、心地よい。
「できたよ。シチュー!」
キャサリンが声をかけると、エリザベスは暖炉の前から立ち上がった。
三人分のシチューが並び、席につく。
「いただきます」
スプーンが動く。
「……ん。うまい!」
エリザベスが勢いよく頬張る。
「良かったわ。お口に合って」
トマスも笑う。
「はっはっはっ。食べ過ぎは良くないよ」
——その声は、柔らかく、どこまでも穏やかだった。
⸻
「……メアリー様。少々お時間よろしいでしょうか?」
空気が、はっきりと変わった。
声をかけたのは、同じトマスだった。
さきほどまでの笑顔とは違う、ねっとりとした視線。
「なに? あんた庶務? 頼んでないわよ」
メアリーは一切取り繕わない。
「い、いえ……エドワード陛下から直々に……少し、訳のある……」
(……こいつ見え見えなんだよ。本当に気持ち悪い)
トマスは距離を詰め、手を擦り合わせる。
「はあ……」
メアリーは深く息を吐いた。
「犬みたいに尻尾振れば構ってもらえると思った?
大間違いだからな、クソ猿」
背を向けた、その瞬間。
手首を掴まれた。
「申し訳ございません。ですが、お話だけでも——」
メアリーの表情が、完全に消える。
「……それ以上触ったら、首ないよ」
静かな声だった。
だが、冗談ではなかった。
トマスは即座に手を離す。メアリーは離れていった。
「……クソ。あの女、狂ってやがる」
そう吐き捨て、彼はメアリーとは反対方向へ歩き去った。




