90話:二つの戦い5
ナイトシュタイン王都でのクーデターは、首謀者を押さえて鎮静化した。
猩々はユリウスたちが奮戦してくれたらしく、討伐報告を触れ回る兵士が走ってる。
辺りは踏み荒らされた公園。
猩々が暴れて揺らした王都の街並みは少なからず被害を受けてる。
だがそんな被害の中、俺は公園の草の上に座り込んで、大いに息を吐き出した。
「やってくれたか…………。すごいもんだ」
「あぁ、光の神のご加護があるとは言え、あれほどの脅威に立ち向かい打ち勝つとは」
同じように一度は飛び出そうとして座り込んだイジドラが、全身の力を抜くように肩を落とす。
本当は指揮官として動かなきゃいけないんだが、駆けつける気だったのが一気に力抜けてちょっと力が入らない。
先々代は突然の凶行だったが、お蔭で二人いるはずの魔人は確実に一人だ。
敵の黒騎士もネイトとして仲間に引き込んだし、もう一人の魔人となるはずだった王叔は若王側についてる。
だからすぐさまの危険もない。
少し休むくらいは許されるだろう。
「…………イジドラ、本当に助かった」
「何を。私はできることをしたに過ぎない。ローレンツどのの助けになれただろうか?」
「あぁ、もちろん。それで、その…………ローレンツとか好きに呼んでくれていい」
なんか俺だけイジドラって呼ぶのもなと思って言ったら、イジドラが勢いよく俺のほうに身を傾けた。
「そ、それでは、私も、ローレンと呼んでいいだろうか?」
「お、おう。もちろん」
言った途端、何故か拳を握るイジドラ。
その様子にかわいげを感じたんだが、次にはそのことに自分で衝撃を受ける。
正直トラウマ克服のため、騎士相手には無茶をした。
腹は痛くなるは、眠れなくなるは、食べられなくなるはでけっこう心配もかけてる。
無理に訓練に突っ込んで体調不良になって、家の騎士団長ゾンケンには無理に慣れなくていいと必死で止められたこともあった。
ただやっただけはあって、屋敷の騎士たちは普通に接することができるようになってる。
他の騎士は身構えるが、距離を取ってれば話すことに問題は亡くなった。
だが、令嬢相手にはそんな無茶もできず未だにぎこちなかったんだが。
「ローレン?」
「あぁ」
呼んでみて、俺が返事をするとイジドラははにかむように笑う。
悪い気がしないのが自分でも不思議だ。
公爵令嬢なのに…………いや、身分の高さに対する気後れは別問題だな?
となると、令嬢としてのイジドラ?
あれ? 令嬢ってこんなじゃないな?
俺はイジドラを改めて見て、失礼だがそんな感想を持つ。
「イジドラ、その、怪我はないか? 顔に泥がついている」
「見てのとおり大きなものもなくかすり傷だ。助けるつもりがローレンに助けられた」
言って、頬の汚れを雑に拭う。
その所作は絶対令嬢じゃない。
いや、所作は基本上品で育ちの良さがあるんだが、怪我も気にしないし、汚れも厭わないなんて一般的な令嬢の枠にはまらないんだ。
よくよく考えれば、イジドラは令嬢なんて括れない。
そうなると、騎士として苦手なのか?
「あ、髪を食べてしまうぞ」
考えごとしてたのがいけなかった。
頬を拭った時に髪がこぼれてイジドラの口元に貼りついてるのに気づく。
つい妹にやるようにして払い、手にしたのが妹とは似ても似つかない銀髪だと気づいた。
「す、すまない!」
慌てて手を離すと、イジドラは顔を真っ赤にして髪を撫でつける。
「い、いや、こちらこそすまない」
騎士じゃねぇな、これ。
つい恥じらう様子を凝視して思ってしまう。
だってこんな可憐な仕草、家の騎士たちはしない。
したら、正直気持ち悪い。
訓練後に半裸になって水被ってるような筋骨隆々の奴らに、恥じらいも何もないだろ。
「イジドラは、不思議な人だな」
「…………変わっていると言われ慣れている。公爵令嬢として慎みがないとも」
「いや、そんな話じゃない」
下を向いてしまったから、思わず俺のほうから近づいて訴えた。
「公爵令嬢じゃない。イジドラ自身の魅力の話だ。人間誰しも別人で変わっていて当たり前だろう。慎みなんて、度を越していなければいいだけの話で、過剰に強いるものでもない」
なんて、何故か熱く言ってしまい、今度は俺のほうが頬に熱を感じる。
これはもう、観念しよう。
俺はちょろいんだと。
苦手な騎士、苦手な令嬢。
そういう最初の印象を、イジドラはその行動で覆して、苦手だなんていう俺のレッテル張りを突き破って来た。
だいたいが、苦手になったのだって、襲ってきた不逞騎士や感情のままに騒いだ幼い令嬢だったんだから、俺のほうの問題で、イジドラに非なんて最初からない。
そうしてトラウマ外して見れば、イジドラは美しく誠実で、なんだか可愛らしい素直さもある魅力的な女性だった。
「あ、その、ローレン? あ、ありが、とう。そんなことを言ってもらえるとは、思わなかった…………」
イジドラは恥じらいながら、それでも礼を一生懸命言ってくれる姿がいじらしい。
そう、俺はけっこう好意的にイジドラを見ていたようだ。
その上、異性として見られる存在に今、すごい勢いで心臓が粗ぶってる。
正直、自分から距離を詰めておいて、体が動かない。
緊張しすぎて動けなくなってしまっていた。
「あ、あの、あまり、見つめてくれるな。今は、あまりきれいじゃ、ないんだ」
イジドラは俺に近距離で見られることに頬を染めて目を伏せる。
その仕草だけで、意識されてると嬉しくなり、さらに心臓がうるさくなった。
いや、これはもう言っていいんじゃないか?
俺、恋してるよな?
しかもこれ、初恋じゃないか?
今までそんな余裕これっぽっちもなかったし、絶対と言えるくらいなのは悲しいが。
「あ…………」
そんな風に意識したら、焦って意味もない声が漏れる。
どうしようという無駄な考えだけが回り、その後が続かない。
さらに俺の声にイジドラが目を向けてきた。
至近距離で視線が絡まり、そのことにお互い顔を赤くして固まり、目すら逸らせなくなる。
「イジドラ…………」
「ローレン…………」
ようやく絞り出したけど、名を呼ぶだけで続かない。
イジドラも同じで、お互いに目に動揺と迷いと、ちょっとの期待が浮かんでる気がする。
ただそれだけで緊張が高まり、周囲の音も遠ざかるように感じた。
そう思った途端、予想外にすぐ近くで人が草を踏み音が立つ。
「ちょっと、こっちが必死に化け物退治してたって言うのに、なんで乳繰り合ってんのよ」
「うわー! ちょっとウルリカ!?」
「今のどう考えても駄目だろ!?」
突然のウルリカの乱入に、俺とイジドラは飛び上がらんばかりに驚いた。
その上咄嗟に二人して飛びのいて距離を取り、手すら届かない場所へとさがる。
そしてウルリカを両側から押さえるように声を挙げたのは、ユリウスとネイト。
色々な意味で心臓が飛び出るほど驚いた俺が固まってる内に、イジドラのほうが正気づいて、もう一人に声を挙げた。
「ルイーゼさま! お怪我は!?」
「大丈夫ですよ、イジドラ。うふふふ」
すごく含みを持った笑顔で答えるルイーゼ。
余裕そうな雰囲気に一安心だが、その姿は激闘を潜り抜けた形跡を残してた。
俺たちに割って入ったウルリカはもちろん、ユリウスもネイトもボロボロだ。
それだけ巨大ボスとの戦いが熾烈を極めたことを物語ってる。
うん、これはウルリカに切れられてもしょうがない。
「と、ともかく戻ったなら休める場所へ移動しよう。よくやってくれた」
「今のさっきで締まらないからね?」
ウルリカが手厳しい。
指揮官として取り繕うくらいはさせてくれ。
ただ恋を自覚してしまったら否定もできずに俺は黙るしかない。
途端に、止めてたはずのユリウスとネイトが俺に迫って来た。
「え、え? そういう? ローレン、大丈夫だったの? 仲良さそうだなって思ってたけど、本当にそういう感じ?」
「お、隅に置けないな。しかし王女さまのルイーゼに近いなら高位貴族のご令嬢じゃないのか?」
俺の令嬢が苦手っていうことを知ってるからこそ、ユリウスは繰り返し聞いてくる。
ネイトはイジドラと初対面のはずだが、黒騎士としてルイーゼの側についてたのを見てるはずだから、身分差を気にしてきた。
なんにしてもどうしてそんなに楽しそうなんだって突っ込みたい。
が、すっごい笑顔で見てくるルイーゼのほうが、俺としては怖かった。
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