第052話 ここで選ぶ
兄貴かもしれない誰かを追う前に、
俺には、明日立つ場所があった。
黒月礼拝堂前の広場に、花火はなかった。
祝宴の準備もない。
勝利歌もない。
広場に立つ人々は、黒と銀の喪服を着ていた。
ユリアも同じだった。
王冠はない。
用意されたのは、月蛇の契約核だけだ。
アウグストの死を受け、王位空白を長引かせないための喪中即位。
それは祝福というより、責任を引き受ける儀礼だった。
ラヴィニアが弔いの歌を終えた。
歌が消えた後、広場には長い沈黙が置かれる。
誰も急がない。
死者を送る時間と、新しい王を立てる時間を混ぜないために。
その後で、ラヴィニアは短い即位の旋律を歌った。
明るすぎない。
悲しみを飾りにしない。
ただ、次の仕事へ歩き出すための音だった。
クローナが前へ出る。
「アウグスト陛下は死去された」
広場の空気が沈む。
「ユリア殿下は王位継承を受諾された。服喪、反乱の暫定審理、市民説明を経て、本日、喪中即位を受ける」
ユリアが市民の前へ立った。
「父は死んだ」
その言葉は二度目でも軽くならない。
「反乱があった。外部からの介入があった。アンテリア・ヴォクスは中央合同審査へ送致される。深層門は再起動し、王家が隠してきたものも明らかになった」
ユリアは顔を上げる。
「私は王位を受ける。父の代わりになるためではない。帰還した私が、この国をもう一度選ぶために」
市民の中に、泣いている者がいた。
怒っている者もいる。
ただ黙っている者もいた。
「私は復讐を国是にしない」
ユリアの声が広場へ通る。
「神々の遊戯側の介入を忘れない。だが、不明な敵への怒りを理由に、国内の異論をすべて敵扱いしない」
月蛇の契約核が、ユリアの前で光った。
氷青と黒銀の光。
そこにアウグストの残響のようなものが揺れた。
けれど、言葉は発しない。
父の承認を、死後まで都合よく使わない。
ユリアは自分の手で契約核を受けた。
「王位を受ける」
契約核が彼女を認証する。
「正式な祝賀式典は、服喪明けまで延期する。この場では、統治責任だけを引き受ける」
神官代表が頷き、記録が刻まれる。
次に、俺の名前が呼ばれた。
神酒聖夜。
黒月王配候補。
俺は王の隣へは立たなかった。
ユリアの半歩後ろ。
そこが立会位置だった。
近すぎず、遠すぎず。
俺に統治権がないことを、見た目でも示すための位置。
資格条件が読み上げられる。
ユリアの代行者ではない。
対契約の証言者。
邪神系統の外部神性を持つため監視対象。
王配就任は未定。
広場にざわめきが走った。
「危険な人間を、なぜ残す」
誰かが言った。
別の声が続く。
「王家の近くへ置くのか」
ユリアはその声を止めなかった。
「危険を隠して排除すれば、何が危険だったのか分からなくなる」
彼女は市民の方を向く。
「公に監視し、本人へ答えさせる。異議も記録する。それが今の判断だ」
俺は息を吸った。
自分で話す番だった。
「俺は、この国を昔から愛してたわけじゃない」
広場が静かになる。
「永遠に住むとも言えない。現実へ帰る道があるかも分からない」
ユリアが俺を見ている。
美羽たちも。
「それでも、今ここでユリアたちと暮らしてる。候補として問われる責任を果たす。危険だと言われるなら、その問いから逃げない」
美羽が前へ出た。
「契約共同体に関する異議申立て窓口を設けます」
白い記録板が市民へ向けられる。
「王家による契約侵害、聖夜さんによる契約侵害、契約当事者への圧力、すべて記録対象です」
ここなが市民代表の方へ歩いた。
「怖いって言っていいです。分からないって言っていい。言葉にならないまま敵にしないために、聞く場所を作ります」
イリヤーナは警護位置へ立った。
剣を抜かない。
反対者を敵と見なさない。
ただ、暴力だけを止める位置だった。
ヴェルナは儀礼記録を保存している。
観測者側ではない。
魔国の公開記録へ。
誰かが後から都合よく編集できないように。
儀礼の最後、ユリアが俺の方を向いた。
王命ではない。
広場に聞かせる宣言でもない。
彼女個人の声だった。
「ここにいる?」
俺は少しだけ息を止めた。
永遠に、とは言えない。
帰らない、とも言えない。
でも、今は答えられる。
「今は、ここにいる」
ユリアは頷いた。
それだけで、十分だった。
儀礼の記録が成立する。
ユリア即位、有効。
聖夜の候補資格、継続。
王配欄、空白。
その空白を見て、俺は少しだけ安心した。
空白は逃げではない。
まだ嘘をつかないための場所でもある。
市民の反応は割れた。
拍手する者。
黙っている者。
不安げに去る者。
全会一致ではない。
それでも、隠さず始まった。
儀礼が終わると、俺たちは旧宮へ歩いて戻った。
ユリア。
美羽。
ここな。
ラヴィニア。
イリヤーナ。
ヴェルナ。
クローナ。
俺は何気なく言った。
「帰るか」
言ってから、自分で少し驚いた。
帰る。
その言葉が、自然に出ていた。
ここにいると答えた翌朝、
深層門の光が、空の向こうへ道を作った。
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