第051話 死者ではない誰か
即位前夜。
俺たちはもう一度、深層門監視室へ集まった。
白金記録波の次の周期を待つためだ。
待つ、というのは嫌な時間だった。
来るかもしれない。
来ないかもしれない。
来たとしても、何も分からないかもしれない。
俺は監視室の壁にもたれ、何度も手を握ったり開いたりしていた。
兄貴のことを考えていた。
尊敬だけじゃない。
昔から、腹が立つことも多かった。
自分の好きなことへ逃げるのがうまい人だった。
配信に向かっている時の顔は、俺に向ける顔よりずっと楽しそうに見えた。
俺から見れば、配信へ逃げているように見える時もあった。
死んだと思った後は、もっと腹が立った。
置いていくな。
俺だけ残して、勝手に終わるな。
そんなことを何度も思った。
それでも。
もう一度話したい。
怒鳴りたい。
何をしていたのか聞きたい。
生きているなら、生きていると言えと殴りたい。
そう思う自分がいた。
「来ます」
ヴェルナが言った。
白金の波形が、監視室の中央へ現れる。
前より長い。
淡い水面のような反射が広がり、その奥に誰かが立っている構図が見えた。
複数の人間の前で話している。
そんな配置だけが分かる。
内容は聞き取れない。
声にはならない。
水面反射に、男の輪郭が映った。
顔は見えない。
年齢も分からない。
ただ、杖の影と光の位置だけが残る。
七つの輪。
白い地形。
揺れる枠。
俺の喉が動いた。
呼びそうになった。
名前を。
兄貴、と。
その一言で、接続が開くかもしれない。
エンプティ・リンクが反応する。
胸の奥の空白が、細く伸びる。
ユリアとの契約線が震え、美羽たちの柱にも負荷が走るのが分かった。
俺は歯を食いしばった。
呼ばなかった。
会いたくないからじゃない。
確かめたくないからでもない。
今いる全員を危険へ巻き込んでまで、俺の希望を確かめる権利はない。
ここなが俺を見ていた。
「希望が怖いんだね」
その声で、胸の奥が少しほどける。
「生きてたら、死んだと思ってた時間の怒りをどこに置けばいいか分からない」
俺は笑えなかった。
「分かるのかよ」
「全部じゃない。でも、今の聖夜くん、嬉しいだけじゃない」
俺は白金の輪郭を見る。
「生きててほしい」
やっと言えた。
「でも、会ったら殴りたいくらい腹が立つ」
ここなはうなずいた。
「どっちも本音だよ」
美羽が記録板へ注記を入れる。
「確証と希望を分けます」
彼女の声は冷静だった。
その冷静さに、今は救われた。
「現時点では、外部世界の生者らしい記録波です。兄本人という証明はありません」
兄本人。
その言葉だけで胸が痛む。
美羽は続けた。
「だから、希望を禁止する必要もありません。ただし、事実として断言する必要もありません」
ユリアが俺の隣へ来た。
「もし兄なら」
彼女は、あえてその仮定を口にした。
「今すぐ追うか」
俺は白金の光を見た。
追いたい。
それは本音だ。
でも、追えば何を置いていく。
明日のユリアの即位。
アンテリアの記録。
街の再建。
契約の監視。
俺が今ここで引き受けると言ったもの全部。
「追わない」
俺は言った。
「兄貴かもしれない誰かが、どこかで選んでるなら」
喉が詰まる。
「俺も、ここで選ぶ準備をする」
ヴェルナが記録板を操作した。
「受動的な記録標識を返す案があります」
「呼びかけじゃないのか」
「違います。こちらにも記録者がいる、という痕跡だけを残します。個人名、契約情報、位置情報は含めません。直接通信は成立させません」
イリヤーナが影を広げる。
「観測者の便乗を遮断します。ただし完全には切れません」
ラヴィニアが波形の音を保存する。
「音にならないリズムだけを取ります。言葉にはしません」
ユリアが俺を見る。
「同意するか」
「する」
俺は答えた。
美羽も、ここなも、ラヴィニアも、イリヤーナも同意した。
ヴェルナが標識を置く。
それは光というより、小さな記録の印だった。
こちらにも記録者がいる。
それ以上でも、それ以下でもない。
白金波形が一度だけ揺れた。
返事なのか、自然反応なのか、分からない。
分からないまま、記録する。
それが今の限界だった。
やがて波形は消えた。
俺は喪失だとは思わなかった。
次の周期がある。
そう思えた。
ユリアが俺の手を取る。
「明日、私は王位を受ける」
「ああ」
「お前に王配になることは求めない」
彼女の手は冷たかった。
でも、震えてはいなかった。
「候補として立ち会ってほしい」
俺は頷いた。
「立ち会う」
兄貴かもしれない誰かを追う前に。
今ここで交わした約束を守る。
俺は白金の消えた空間を見た。
兄貴は死者だと思っていた。
もう終わった人間だと思っていた。
今は違う。
どこかで選んでいる誰かかもしれない。
確かめるのは、今じゃない。
兄貴かもしれない誰かを追う前に、
俺には、明日立つ場所があった。
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