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第050話 ヴェルナ、光を拾う

 最初に気づいたのは、音ではなかった。


 色でもない。


 記録の手触りだった。


 ヴェルナは深層門監視室に一人で立ち、保存していた波形を三つ並べた。


 観測者の紫黒い消費反応。


 聖夜のエンプティ・リンクに伴う空白反応。


 そして、新しく現れた白金の記録反応。


 紫黒い反応は、見たものを食う。


 感情が強く揺れた瞬間へ群がり、価値をつけ、消費しやすい形へ変える。


 空白反応は、形を削る。


 契約線を束ね、穴を開け、既存の分類をすり抜ける。


 白金の反応は、そのどちらでもなかった。


 見た映像を外へ送る。


 改変しない。


 価値をつけない。


 LVRも要求しない。


 ただ、残そうとしている。


「観賞ではなく、記録」


 ヴェルナは小さく言った。


 記録板に、断片映像が浮かぶ。


 水面のような反射。


 白い翼状地形。


 七つの輪を持つ杖の影。


 LIVE表示に似た枠。


 人物らしい光もある。


 けれど、顔は白金の光で潰れていた。


 名前もない。


 声もない。


 ヴェルナは過去記録を重ねる。


 欠けた記録の奥で見た白金。


 笑う観測者の気配に混じった異物。


 兄貴に似た光として聖夜が反応した波形。


 深層門の傷から一瞬だけ差した光。


 同一系統。


 周期は以前より短い。


 二つの世界が、完全ではないにせよ、近づいている可能性。


 そこまで記録して、ヴェルナは手を止めた。


 聖夜へ伝えれば、彼は見るだろう。


 見れば、触れたくなる。


 接続を開けば、エンプティ・リンクが増幅する。


 ユリア、美羽、ここな、ラヴィニア、イリヤーナとの契約線へ負荷が出る可能性がある。


 観測者側が便乗する危険もある。


 記録者だから、情報を独占していいわけではない。


 けれど、危険を隠して渡すのも違う。


 ヴェルナは呼び出し記録を送った。


 俺が深層門監視室へ着いた時、ユリアと美羽、ラヴィニア、イリヤーナも来ていた。


 ここなは市民説明の手伝いで外へ出ている。


 部屋の中央に、白金の波形が浮かんでいた。


 見た瞬間、胸の奥が変なふうに掴まれた。


 懐かしい。


 そう思ってしまった。


 何も確かじゃないのに。


 顔もない。


 声もない。


 名前もない。


 それでも、あの時と同じだ。


 遠くで、誰かが何かを残そうとしている感じ。


 俺はその名前を口にしなかった。


 口にすれば、希望が形を持ちすぎる。


 ユリアが波形を見たまま言う。


「接続条件は」


 ヴェルナが答える。


「見るだけなら契約負荷は小さいです。ただし、追跡と呼びかけは危険です。エンプティ・リンクが反応すれば、契約共同体全体へ負荷が走ります」


 美羽が記録板を覗き込む。


「なら、今は記録優先です」


 彼女は即断した。


「到来時刻、波形、深層門の反応を蓄積しましょう。今すぐ追う必要はありません」


 必要はない。


 そう言われても、心は追いたがった。


 俺の中の空白が、細く伸びようとする。


 ラヴィニアが眉を寄せた。


「音の周期があります」


「声か」


 俺が聞くと、彼女は首を横に振る。


「声ではありません。言葉にもなっていない。ただ、誰かが一定の間隔で世界へ語り続けているようなリズムです」


 イリヤーナの影が、白金の波形の外周へ走る。


「観測者の影が後から集まっています」


 部屋の隅に、紫黒い反応が薄く浮いた。


「ですが、光そのものではありません。消費反応は後追いです」


 ヴェルナが記録名を入力する。


 外部世界・白金記録波。


 俺はその文字を見た。


 個人名ではない。


 兄側とも書かれていない。


 それでいい。


 今は、それ以上にしない方がいい。


 波形が一瞬だけ強まった。


 俺は反射的に手を伸ばした。


 白金の光へ、指先が近づく。


 触れれば何か分かるかもしれない。


 向こうに届くかもしれない。


 誰かが振り向くかもしれない。


 ユリアは止めなかった。


 美羽も止めない。


 イリヤーナの影も、俺の腕へは触れない。


 だからこそ、俺は自分で手を止めた。


 あと少しのところで、指を引く。


 胸の奥が痛い。


 でも、契約線は荒れなかった。


「今は、触らない」


 自分に言い聞かせるように言った。


 ヴェルナがこちらを見る。


 俺は彼女へ言った。


「全記録、保存してくれ」


 命令にならないように、言い直す。


「いや。保存してほしい」


 ヴェルナは少しだけ笑った。


「保存します。私が、記録すると選びます」


 白金の波形が、もう一度強まった。


 七つの輪を持つ杖の影が、黒月の紋章と一瞬だけ重なる。


 音声らしいものが走る。


 でも、雑音のままだ。


 意味のある声にはならない。


 それでよかったのかもしれない。


 今ここで意味の取れる声になったら、俺は耐えられなかったかもしれない。


 波形はゆっくり薄くなる。


 消える寸前まで、ヴェルナは記録を続けた。


 俺は最後まで見た。


 逃げずに。


 追わずに。


「明日」


 喉が乾いていた。


「明日、もう一度見せてくれ」


 ヴェルナがうなずく。


 俺は白金の残光を見ながら言った。


「逃げずに見る」


 死んだ人間の記憶は、こんなふうに新しくならない。

 その光は、今もどこかで増えていた。



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