第048話 正室と側室の朝
王が死んでも、朝は来る。
そして朝には、腹が減る。
美羽のその一言で、俺たちは旧宮の食堂へ向かった。
大食堂ではない。
あそこは反乱の時に扉が壊れ、天井の一部も落ちている。
使える状態ではあったが、今朝そこへ座る気には誰もなれなかった。
俺たちが集まったのは、厨房横の小さな部屋だった。
長い卓ではなく、丸い木のテーブル。
椅子は数が足りず、厨房から追加で運ばれてきた。
料理人たちは疲れた顔をしていた。
それでも、温かいスープを出してくれた。
黒麦のパン。
焼いた根菜。
薄い肉を挟んだ小さな皿。
豪華ではない。
でも、湯気が立っている。
それだけで、少し現実に戻された。
美羽は配膳を手伝っていた。
ただし、全部を自分でやろうとはしていない。
料理人に礼を言い、皿の場所を確認し、足りない布を取りに行く使用人へ頼む。
「美羽、座れよ」
俺が言うと、美羽は一瞬だけ動きを止めた。
「はい。全部、私がする必要はありませんから」
自分に言い聞かせるような声だった。
それでも、ちゃんと椅子へ座った。
ユリアは王族席を用意されていた。
部屋の奥、一段高い場所。
けれど、彼女はそこへ行かなかった。
俺たちと同じ丸い卓へ座る。
クローナが入口でためらった。
「私は警備側に」
「座って」
ユリアが言った。
「今は私的な食事です。近衛長としての報告は後で聞く」
クローナは困った顔をした。
それでも、椅子へ座った。
ここながスープを見て、ぽつりと言う。
「まず、あったかいもの。次に、寝る場所。あと、誰がどこにいるか」
軽い冗談みたいに聞こえた。
でも、笑わせるためだけの言葉ではなかった。
彼女は一つずつ、今日やることを口にしている。
父王の死を忘れさせるのではなく、時間を今へ戻すために。
「それから、アンテリアさんの正式審理の準備。市民への説明。弔いの続き」
「多いな」
俺が言うと、ここなは少しだけ笑った。
「多いね。でも、スープ飲んでからでいい」
ラヴィニアが器を置く。
「弔いの歌は、数日続けます」
ユリアが顔を上げる。
「即位儀礼の歌とは分けて」
「はい。同じ旋律は使いません。悲しみを、新しい王の演出へ転用しないために」
その言い方に、ユリアは静かにうなずいた。
イリヤーナは食事を終える前から、窓の外を見ていた。
「今夜の警備は私が」
「駄目です」
美羽が即答した。
俺も同時に言った。
「一人で全部やるな」
イリヤーナが少しだけ目を瞬く。
クローナが卓の上へ簡易の交代表を出した。
「近衛隊を再編中だ。イリヤーナ殿には、夜間の死角確認を頼みたい。ただし一人で夜通し立つ必要はない」
「ですが」
「自分を消耗品にしないことも境界だろ」
俺が言うと、イリヤーナは黙った。
やがて、短くうなずく。
「交代制にします」
ヴェルナは、食事を前にして座っているだけだった。
皿はない。
湯気を見ている。
「食べないのか」
「必要ありませんので」
機能の説明みたいな答えだった。
ここながスプーンを止める。
「食べなくても、座ってていいよ」
ヴェルナが彼女を見る。
「機能上は、同席の必要もありません」
「うん。でも、いたいならいていい」
少しの沈黙。
ヴェルナは、窓の外を見た。
それから、俺たちの方へ視線を戻す。
「ここにいたいので、います」
それだけだった。
でも、それは機能の説明ではなかった。
朝食の後、部屋割りの話になった。
旧宮の書記官が持ってきた慣例台帳には、王配候補と契約者を王族区画へ集める案が書かれている。
俺はその文字を見ただけで、少し身構えた。
勝手に決められる感じがする。
また、制度の中へ並べられる感じがした。
美羽が台帳を閉じた。
「先に、全員の希望を確認します」
その一言で、部屋の空気が少し変わった。
ユリアは執務室に近い旧自室。
「父の部屋へは、まだ入らない」
そう言った。
美羽は資料庫と厨房へ動きやすい部屋を選んだ。
「家事担当ではなく、記録と実務のためです」
ここなは中庭側。
「街へ出やすいとこ。人の空気、見に行きたいから」
ラヴィニアは音楽室の近く。
「防音できる部屋を。弔い歌と即位歌を分けて整えます」
イリヤーナは警備経路を見渡せる部屋。
ただし、自分から地下や影だけの場所は選ばなかった。
「見える場所にいます。隠れ続けるためではなく」
ヴェルナは記録室の隣を勧められた。
本人は少し考えた後、首を横に振る。
「記録室の隣ではなく、皆さんと同じ居住区画を希望します」
クローナは少し驚いていた。
でも、すぐに書記官へ指示した。
最後に、俺の部屋が残った。
王配用の豪華な寝室。
その名前を見ただけで、俺は顔をしかめた。
クローナが先に言う。
「そこは封鎖したままにする」
正直、助かった。
代わりに提示されたのは二つ。
ユリアの隣室。
廊下の端の客室。
俺は迷った。
隣室を選ばなければ、ユリアを拒むみたいに見えるんじゃないか。
でも、隣室を選ぶことで、契約の証明みたいにされるのも嫌だった。
ユリアが言った。
「部屋の距離を、契約の証明にしなくていい」
俺は彼女を見る。
「近くにいなくても切れない。近くにいれば正しいというものでもない」
それを聞いて、やっと息が抜けた。
俺は台帳の別の空き部屋を指した。
廊下中央の部屋。
広すぎない。
狭すぎない。
誰の区画でもない。
全員の部屋へ、同じくらいの距離で行ける。
「ここがいい」
「象徴として?」
クローナが聞く。
「いや」
俺は少しだけ首をかしげた。
「単に、落ち着きそうだから」
ここなが小さく笑った。
クローナは鍵を持ってきた。
黒銀の鍵。
客人用の一時鍵ではない。
「王家契約当事者へ渡す居住鍵だ」
俺は鍵を受け取った。
重い。
「所有権ではない。出入りと退去の権利を持つ」
クローナはそう付け足した。
その言葉で、鍵の重さが少し変わった。
閉じ込める鍵じゃない。
入れる鍵で、出られる鍵だ。
俺は鍵を握ったまま、変な気持ちになった。
現実世界へ帰る可能性は、消えていない。
俺は永住を誓ったわけじゃない。
でも、今夜戻る部屋がここにある。
それを帰る場所と呼んでいいのか、まだ分からない。
ユリアが近づいてきた。
「聖夜」
「ん」
「いつかでいい。父の部屋を、一緒に整理してほしい」
王命ではなかった。
継承者の指示でもない。
父を失った娘の願いだった。
「分かった」
俺は答えた。
「一緒にやる」
食後、全員がそれぞれの仕事へ散った。
美羽は資料庫へ。
ここなは中庭から街の方へ。
ラヴィニアは音楽室へ。
イリヤーナは警備経路の確認へ。
ヴェルナは居住区画の空き部屋を見に行くと言った。
ユリアは執務室へ向かった。
一緒にいることは、常に同じ場所へ固まることではない。
俺は自分の部屋の前に立った。
鍵を差し込む。
扉を開ける。
小さな部屋だった。
机。
寝台。
窓。
まだ誰の匂いもしない空気。
机の上に、小さな札が置かれていた。
神酒聖夜。
名前だけだった。
候補とも、王配とも、客人とも書かれていない。
名前だけの部屋をもらった翌日、
俺の名前は、国中へ報告されることになった。
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