第046話 黒月王配候補
門は俺を王配にしなかった。
代わりに、王配を選べる場所へ立つ資格だけを認めた。
その判定は、記録核の中だけで終わらなかった。
黒い文字が、光の粒になって上へ昇っていく。
黒月礼拝堂へ。
旧宮評議室へ。
黒月街の公示塔へ。
地上の全評議記録へ、深層門の判定が送られていく。
俺たちの足元が揺れた。
記録核の灰色の扉が閉じ、反照層が遠ざかる。
次に目を開けた時、俺たちは黒銀の階段の上にいた。
旧宮地下。
深層門の前。
地上の空気が、やけに冷たかった。
「戻ったか」
クローナの声がした。
彼女は門前に立っていた。
鎧には傷が増えている。
目の下には疲労が濃い。
それでも、指揮官の顔は崩れていなかった。
「暫定評議会は維持している。王家派、反乱に加わらなかった保守派、市民代表を同席させた」
その向こうに、評議室へ続く通路が開いている。
アンテリアもいた。
拘束具はない。
けれど、最高儀礼長の標章は外され、権限停止の印が胸元に刻まれていた。
逃げる気はなさそうだった。
ただ、深層門から戻った俺たちを、血の気のない顔で見ている。
評議室へ入ると、すでに判定の文字が中央に浮かんでいた。
ユリアの継承意思、有効。
服喪と反乱処理まで即位儀礼延期。
聖夜との対契約、有効。
契約共同体の相互承認、有効。
聖夜の外部神性、監視と継続審査が必要。
黒月王配候補資格、適格。
ざわめきが起きた。
歓迎ではない。
安心でもない。
驚きと警戒と、理解できないものへの反発が混ざっている。
当然だと思った。
俺だって、全部理解できているわけじゃない。
「異議があります」
アンテリアが前へ出た。
クローナが視線だけで止めるが、ユリアは首を横に振った。
「言わせて」
アンテリアは深層門の判定を見上げた。
「邪神系統の力を持つ人間を、黒月王配候補にできるはずがありません。王家契約の内側へ外部神性を入れる危険は、私がこれまで主張してきたことと矛盾しません」
声は震えていた。
でも、筋は通っている。
アンテリアのしたことは許されない。
それでも、彼女の恐れが全部でたらめだったわけじゃない。
美羽が一歩前へ出た。
「危険性は隠されていません」
白い記録文字が、判定の横に並ぶ。
「だから王配就任ではなく候補です。監視、学習、異議申立て、辞退条件が付いています」
アンテリアの顔が歪む。
ヴェルナが続いた。
「観測者混線とエンプティ・リンクは別系統です。危険だから排除、では記録が失われます。何が危険で、どこから干渉されたかを記録し続ける必要があります」
「深層門の判定そのものが汚染されている可能性は」
アンテリアの声が鋭くなる。
「最高儀礼長として、私は判定の無効を」
言い終える前に、評議室の床が低く鳴った。
深層門の文字が返る。
最高儀礼長権限、停止中。
裁定発動、不可。
深層門判定、最高儀礼長単独無効化、不可。
アンテリアは唇を噛んだ。
クローナが静かに言う。
「あなたの裁きは後だ。ここで判定を消す権限は、今のあなたにはない」
ユリアが前へ進んだ。
評議室のざわめきが止まる。
彼女は王冠をかぶっていない。
玉座にも座っていない。
それでも、そこに立つだけで、全員が彼女を見る。
「私は、王位継承を受ける」
声はよく通った。
「だが、今すぐ王冠は受けない。父を弔い、反乱を裁き、市民へ説明した後に、即位儀礼を行う」
反対派の一部が息を呑む。
逃げでも、即時掌握でもない。
ユリアは、その中間にある面倒な道を選んだ。
「聖夜についても宣言する」
俺の背筋が伸びる。
「神酒聖夜を、王配として就任させるものではない」
その言葉に、ざわめきがまた走った。
ユリアは続ける。
「黒月王配候補として、私と共に審査を受ける者だと認める」
俺は前へ出た。
逃げたくはなかった。
「条件を確認する」
自分の声が、評議室に響く。
「俺に統治権はない。ユリアの代わりに決めない。国と契約へ向けられた問いに答える。力の出自を調べ続ける。辞退する場合も、ユリア、四人、ヴェルナ、評議会へ説明する」
言いながら、一つずつ胸に重さが乗る。
それでいい。
軽い名前なら、受ける意味がない。
「称号が欲しいから受けるんじゃない」
俺はユリアを見た。
それから、美羽たちを見た。
「隣にいる責任を、見えないままにしないために、候補資格を受ける」
四人の立場も公示された。
正室ユリアとの相互承認下にある契約当事者。
固定序列ではない。
それぞれ撤回・変更権を持つ。
王家の私物ではない。
美羽は表情を崩さず記録を確認した。
ここなは小さく肩の力を抜いた。
ラヴィニアは市民代表の方を見て、静かにうなずく。
イリヤーナは影を足元へ収めたまま、余計な威圧を出さなかった。
ヴェルナの登録も表示される。
深層門立会記録者。
王家契約者ではない。
観測者混線の証拠保全を担う。
ヴェルナはその文字を見て、いつものように笑った。
少しだけ、泣きそうに見えた。
クローナが俺の前へ来た。
近い。
逃げられない距離だ。
「聖夜殿」
彼女はそう呼んだ。
「これまでは、個人への敬称としてそう呼んだ」
クローナの手が、胸元の近衛長章へ触れる。
「今は、王家近衛長として、あなたの候補資格を承認する」
俺は黙って聞いた。
「三年前、私が守れなかった時間を、あなたたちは生き抜いた」
クローナの声が少しだけ低くなる。
「だから全面的に信用する、とは言わない」
その方が、クローナらしかった。
「疑い、問い、共に守る相手として認める」
胸の奥が熱くなった。
俺は頭を下げた。
王配らしい礼なんて知らない。
候補らしい作法も知らない。
だから、ただ言葉を受け取った個人として下げた。
「受け取ります」
黒月街の公示塔に、同じ判定が灯る。
窓の外から、ざわめきが押し寄せてきた。
歓迎の声。
警戒の声。
反発。
泣き声。
祈り。
全部が混じっている。
全員が納得する勝利なんて、なかった。
アンテリアは拘束下へ戻される。
すれ違う時、彼女は俺を見た。
「感情が制度を壊したのか」
小さな声だった。
「制度が、私を壊したのか」
誰も答えなかった。
その答えは、ここで一言で処理していいものじゃない。
彼女の裁きは、これからだ。
深層門は完全には閉じなかった。
旧宮地下の奥で、まだ細い光が残っている。
記録核の傷から、白金の光が一瞬だけ差した。
ヴェルナが目を細める。
「波形、保存」
「何か分かったのか」
俺が聞くと、ヴェルナは一瞬だけ迷った。
それから首を横に振る。
「未確定です。今は候補判定の記録を優先します」
彼女はそれ以上言わなかった。
俺も追わなかった。
正式な何かになったわけじゃない。
王でもない。
英雄でもない。
ただ、逃げずに問いへ答える候補になった。
ユリアが俺の隣へ立つ。
疲れている。
それでも、その横顔は前を向いていた。
「帰ろう」
彼女が言った。
「私たちの街へ」
俺たちは夜明け前の黒月街へ戻った。
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