第045話 俺が言った言葉を、俺が決める
力は借り物だった。
なら、あの時の言葉まで借り物だったのか。
記録核の奥が開いた。
景色が流れ込んでくる。
森の匂い。
血の匂い。
画面の光。
数字。
俺の息が荒くなる音。
過去の俺が、そこにいた。
怖がっていた。
死にたくなくて、誰かを失いたくなくて、ユリアの手を離したくなくて、必死に言葉を探していた。
その横で、LVRの数値が上がる。
感情値。
契約反応。
結合深度。
見慣れたくなかった表示が、記録核の中で冷たく光っていた。
俺の胸の奥では、エンプティ・リンクが増幅している。
ユリアへ。
美羽たちへ。
離したくないものへ向かって、空白が手を伸ばす。
そして、観測者側の注釈が重なった。
感情誘導成功。
契約価値上昇。
選択圧、良好。
本人の言葉が、どんどん別の名前をつけられていく。
俺が必死で出した言葉が、誰かの成果みたいに並べられる。
「違う」
言ったつもりだった。
でも、声が出ていなかった。
怖かった。
あの時の俺が、作られた反応だったと言われるのが。
俺の欲も、恐怖も、ユリアにいてほしいと思ったことも、全部システムの結果だと記録されるのが。
ヴェルナが前へ出た。
「注釈は観測者側の評価です」
彼女の声が、記録核に線を引く。
「因果の証明ではありません」
注釈の文字が一段ずれる。
評価。
観測者側分類。
本人意思とは別層。
「数値が上がったから愛したのではありません。選択があったから、数値が反応した」
俺は息を吸った。
まだ苦しい。
でも、少しだけ呼吸できる。
門の問いが浮かぶ。
過去の言葉を撤回するか。
王配契約語として奉納するか。
また、二つ。
けれど、今度は罠ではなかった。
俺の答えを確かめるための、古い問いだった。
「どっちも嫌だ」
俺は言った。
「撤回しない」
ユリアが俺を見る。
「でも、制度に所有権を渡さない」
王配契約語。
奉納。
そんな綺麗な言葉にして、俺の言葉を王家のものにしたくなかった。
観測者に奪われるのも嫌だ。
制度に差し出すのも違う。
あれは、俺が言った。
いい言葉ばかりじゃなかった。
怖くて。
惨めで。
欲しくて。
「無償の愛だけじゃなかった」
俺は過去の自分を見た。
情けない顔をしていた。
でも、目を逸らさなかった。
「選ばれたかった。捨てられたくなかった。失いたくなかった。ユリアにいてほしいって言葉の中には、そういう欲もあった」
喉が痛い。
それでも続けた。
「それでも、ユリアにいてほしいって思ったことは本物だった」
記録核の光が揺れる。
「だから、俺が言った言葉を、俺が決める」
過去の「ずっといろ」が、黒い文字で浮かんだ。
命令にも見える。
願いにも見える。
鎖にも、手を伸ばす形にも見える。
俺はそれを掴まなかった。
消しもしなかった。
ただ、今の言葉で上書きする。
「ずっといろって命令するんじゃない」
ユリアの目を見る。
「俺は、お前の隣にいる」
胸の奥で、空白が震える。
「お前が選ぶ限り、俺も選ぶ」
言いながら、自分でその重さを感じた。
永遠を保証する言葉じゃない。
逃げ道を塞ぐ言葉でもない。
選び続ける、という言葉だ。
「お前が背負うものから、称号を言い訳に逃げない」
ユリアは、少しだけ息を吐いた。
それから一歩前へ出る。
「私も返す」
彼女の声が、記録核へまっすぐ通った。
「私は聖夜に守られるだけではない。私も聖夜の隣に立つ」
黒い月の光が、ユリアの髪を照らす。
「王位も、契約も、私が選ぶ。誰かに選ばされたものとして扱わせない」
美羽が白い文字を記録する。
「命令ではなく、相互同意として記録します」
ここなが、胸元に手を当てた。
「怖いも混じってる。でも、それも本音。怖いから偽物なんじゃなくて、怖いまま選んでる」
ラヴィニアが静かに歌い始めた。
言葉にならない古い契約歌。
そこへ、今の俺とユリアの言葉が乗る。
古い旋律が、命令ではなく確認として響く。
イリヤーナの影が、記録核の外側へ広がった。
外部観測の影を遮る。
本人たちの言葉だけが、核の中心へ通るように。
ヴェルナが記録板を構えた。
「観測結果ではありません」
彼女の声は落ち着いていた。
「本人たちの選択として保存します」
エンプティ・リンクが反応した。
怖いくらい強い力だった。
でも、今は先に走らない。
言葉の後から、形を取る。
力が言葉を作るんじゃない。
言葉が、空白へ形を与える。
空白の中心に、七つの光が残った。
ユリアの黒月の光。
美羽の白い秩序。
ここなの珊瑚色。
ラヴィニアの紅い共鳴。
イリヤーナの黒い境界。
ヴェルナの灰色の記録。
そして、俺の空白。
全部同じ色にはならない。
混ざって一つにもならない。
違うまま、そこにあった。
門が最終判定へ入る。
動機、有効。
相互意思、有効。
支配禁止、受諾。
責任意思、有効。
外部神性、危険監視必要。
最後の一文で、俺の肩に重さが戻る。
危険は消えていない。
浄化もされていない。
俺の中の空白は、まだ空白のままだ。
その時、観測者側のコメントが細く割り込んだ。
候補で満足するのか。
俺は笑わなかった。
怒鳴りもしなかった。
ただ、そっちを見た。
「満足の問題じゃねえよ」
候補。
王配ではない。
完成でもない。
でも、今の俺が引き受けられる名前。
逃げずに、偉ぶらずに、嘘をつかずに立てる場所。
「今の俺が引き受けられる名前を、俺が選ぶ」
観測者の文字が薄くなる。
門の判定が、地上へ送られていく。
黒月礼拝堂。
旧宮評議室。
黒月街の公示塔。
全ての評議記録へ、同じ文が刻まれる。
黒月王配候補資格、認定審議へ。
門は俺を王配にしなかった。
代わりに、王配を選べる場所へ立つ資格だけを認めた。
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