第039話 認められるか、拒むか
認められるか、全部切るか。
門まで、俺に同じ二択を出してきた。
床の銀線は、俺たちの足元で左右に割れている。
右は黒い光。
左は白い光。
どちらも綺麗だった。
綺麗なものほど、信用できない時がある。
「役割を受け、国土契約へ接続するか」
黒い線が、脈打つ。
「役割を拒み、対契約を王家から切り離すか」
白い線が、細く鳴る。
門の声は同じだった。
感情はない。
脅しもない。
けれど、選べと言っている。
今すぐ選べと、部屋全体が圧をかけてくる。
「また二択」
ここながつぶやいた。
笑っていない。
「どうして、こういうのって、いつも二つしかないの」
誰も答えられなかった。
天井の見えない球形の壁に、黒い月が現れた。
その端が、少しずつ欠けていく。
月蝕。
いや、そう見えるように作られた表示だ。
黒い月の縁を、さらに濃い影が食っていく。残り時間みたいに。
「制限時間か?」
俺の声がかすれた。
白い線の先に、ユリアの影が映る。
切断。
対契約を王家から切り離す。
それが何を意味するのか、完全には分からない。
でも、さっき門は言った。
強い対契約を無視して即位すれば、双方が損傷する。
なら、切り離せばどうなる。
ユリアが傷つくかもしれない。
俺も壊れるかもしれない。
それでも俺は構わない、と言い切れたら楽だった。
俺だけなら。
でも、ユリアが入っている。
ユリアの足元へ伸びた線が、細く震えたように見えた。
「だったら」
俺は黒い線の方へ足を出しかけた。
受ければいい。
とりあえず受ければ、切断は避けられる。
称号なんてあとでどうにかすればいい。
今ここでユリアを傷つけるよりは、ずっとましだ。
「待ってください」
美羽の声が飛んだ。
俺の足が止まる。
美羽は俺の前へ出て、黒い線と白い線の間に立った。
「古い記録に、制限時間の規定はありません」
「ない?」
「ありません。さっきの説明では、王配は王の意思を失わせないための証言者でした。なら、理解も確認もないまま時間で受諾を迫るのは、手続きとして矛盾しています」
黒い月がまた欠ける。
美羽は怯まない。
「それに、受諾と切断しかないのも不自然です。深層門が本当に意思確認を目的としているなら、理解の不足を理由に保留する手続きがあるはずです」
「保留」
俺は、その言葉を繰り返した。
選ぶ。
切る。
それ以外。
それ以外が、ある。
あるはずだ。
「ヴェルナ」
ユリアが呼ぶ。
「文字の揺れは」
「分けます」
ヴェルナが記録板を開いた。
黒い板の上で、文字が層のように剥がれていく。
古い羊皮紙を水に浸して、上書きされた墨だけが浮くみたいだった。
「表示層、三つ。最下層が門の古層記録。中間に王家手続き。最上層に外部表示が混ざっています」
「外部表示」
俺の背中が冷えた。
「三年前以降に追加されたものです。古層の原文は、こう」
壁の二択が、ぶれた。
黒い線と白い線は消えない。
けれど、文字だけが一瞬ほどける。
接続の意味を理解したか。
その一文が現れた。
短い。
けれど、全然違う。
受けるか切るかではない。
理解したか。
それを聞いている。
「受諾、切断、制限時間。この三つは古層の問いではありません」
ヴェルナの声が硬くなる。
「誰かが、問いの上へ選択肢をかぶせています」
その瞬間、壁の隅に細い文字が流れた。
今度はどちらを失う?
一行だけ。
それだけだった。
でも、部屋の温度が変わった気がした。
「……やっぱりかよ」
声が、自分でも分かるくらい低くなった。
選ばなければ、仲間が傷つく。
選んでも、別の誰かが傷つく。
その形を、俺は知っている。
デスゲームの審判。
数字。
投票。
誰を信じるか。
誰を置いていくか。
誰を守るために、誰を諦めるか。
俺たちは苦しんで選んでいた。
けれど、その苦しむ速さまで見られていた。
迷う時間。
声が荒くなる瞬間。
誰かの手を握る強さ。
泣くか、怒るか、黙るか。
全部、観賞されていた。
「ふざけんな」
俺は黒い線から足を引いた。
白い線からも離れる。
「どっちも答えねえ」
黒い月の欠ける速度が、わずかに速くなった。
焦らせるみたいに。
俺はそれを睨んだ。
「まず外部表示を除外しろ。古い問いだけを出せ」
門は沈黙した。
沈黙が、圧になる。
黒い線が俺の足首へ触れようと伸びる。
白い線がユリアの影へ近づく。
「聖夜の要求を支持する」
ユリアが前へ出た。
その声で、黒い線も白い線も一瞬止まった。
「深層門。王家継承権に基づき命じる。外部入力を王家判断から排除しろ」
壁の黒い月に、細い亀裂が入る。
ユリアは続けた。
「私は、父の死を二択の娯楽にさせない。私の即位も退位も、聖夜との契約も、誰かの表示に従って決めない」
美羽が銀線の前へ膝をつく。
「手続き矛盾を固定します。門の目的は意思確認。制限時間による受諾強制は、意思確認手続きと矛盾」
彼女の指先から、白い文字が床へ並ぶ。
難しい法文みたいな形だ。
でも、意味は分かる。
急がせるな。
勝手に選ばせるな。
ここなが目を閉じた。
「この焦り、ユリアさんのじゃない。聖夜くんのでもない。美羽ちゃんでも、ラヴィニアさんでも、イリヤーナさんでも、ヴェルナさんでもない」
珊瑚色の光が、ここなの胸元から薄く広がる。
「これ、当事者の感情じゃない。見てる側の期待。どっちを選ぶかなって、わくわくしてる嫌な感じ」
黒い月の縁が、ざらついた。
ラヴィニアが小さく息を吸った。
歌ではない。
けれど、音だった。
低く、古い、言葉になる前の旋律。
門の壁に刻まれていた黒銀の文様が、音に合わせて震えた。
「これは、門歌の原旋律です」
ラヴィニアは目を伏せたまま言う。
「飾りを外します。焦らせる音を消します」
部屋にあった見えないざわめきが、少し薄くなる。
イリヤーナの影が、床を走った。
黒い線にも、白い線にも触れない。
それより外側。
壁と床の境目にあった、細すぎる裂け目を影の糸が縫い止めていく。
「外部影の接続点を確認。完全遮断はできません」
イリヤーナが淡々と言った。
「ですが、今この場の判定へ直接触れないよう縫います」
「助かります」
ヴェルナが短く返す。
彼女の記録板が、黒い光を吸い始めた。
壁の外部表示が、少しずつ板へ移る。
受諾。
切断。
残り時間。
今度はどちらを失う。
嫌な文字が、ヴェルナの記録領域へ流れ込む。
「ヴェルナ、それ大丈夫なのか」
「大丈夫ではありません」
即答だった。
それでも、彼女は笑った。
「でも、見えない場所で混ざられるよりはましです。完全切断はできません。ですが、門の判定から隔離します」
「無茶すんな」
「無茶の記録は得意分野です」
冗談みたいに言うけれど、額には汗がにじんでいた。
黒い月の欠ける表示が止まる。
欠けた部分が、巻き戻るように戻っていく。
右の黒い線が薄くなる。
左の白い線も薄くなる。
対契約は切れない。
受諾も成立しない。
何かを勝手に決める力が、部屋から抜けていく。
門の声が、ようやく戻った。
「外部表示、判定外」
床の銀線が、左右ではなく円へ戻る。
その円の中央に、古い文字が現れた。
なぜ、継承者の隣に立つ。
俺は、その問いを見た。
二択じゃない。
時間もない。
けれど、楽にはならなかった。
むしろ、こっちの方が重い。
「なぜ、か」
守りたいから。
最初に浮かんだ答えは、それだった。
ユリアを守りたい。
失いたくない。
隣にいたい。
どれも嘘じゃない。
でも、さっき見た失敗記録も、最初はきっと同じ顔をしていた。
守るため。
失わないため。
危険から遠ざけるため。
それが、王を閉じ込めた。
なら、守りたいだけでは足りない。
足りないどころか、危ない。
俺は口を開きかけて、閉じた。
「答えないのか」
ユリアが聞く。
責める声ではなかった。
「答えたい。でも、最初に出てきた答えが怖い」
「守りたい、か」
「ああ」
ユリアは少しだけ目を伏せた。
「それは、嘘ではない」
「嘘じゃないから危ない」
俺がそう言うと、ユリアは静かにうなずいた。
門の円が開く。
床が沈むのではなく、記録がめくれるように下へ広がった。
「反照層を開く」
門の声。
「答えを言葉のみで判定せず。選択の記憶から読む」
景色が変わる。
円形の記録室が遠ざかる。
ユリアたちの気配はある。美羽も、ここなも、ラヴィニアも、イリヤーナも、ヴェルナも近くにいる。
それなのに、俺の目の前へ映ったのは別の場所だった。
夜の魔国。
黒い街。
燃え残った宮門。
そして、俺とユリアだけが馬車に乗っている。
美羽たちはいない。
クローナもいない。
街の人たちもいない。
ユリアは俺の隣で眠っている。
俺は手綱を握って、城壁の外へ向かっていた。
後ろで何かが崩れる音がした。
でも、振り返らない。
ユリアだけを連れて逃げれば、全部守れる。
幻の中の俺は、本気でそう思っていた。
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