第035話 デスゲームは終わっていない
アウグスト帰還隊、襲撃。
その第一報が届いた直後、旧宮の床が低く鳴った。
王家転移陣の光が消える。
続いて、外部通信の記録板が黒く落ちた。
クローナが即座に動いた。
「全門封鎖状況を確認。ユリア殿下を地下退避路へ移します。神酒聖夜殿、あなた方も同行を」
「父上は」
ユリアの声が硬い。
「救援を出します」
「殿下」
クローナが振り返る。
「今、外へ出れば反対派の狙いどおり王家が分断されます」
ユリアの唇が震えた。
王女としては、旧宮を守らなければならない。
娘としては、父を救いたい。
その二つが、彼女の中でぶつかっていた。
宮門の方から、兵の声が響く。
「王家保護のため、旧宮を一時封鎖する!」
保護。
またその言葉だ。
守るという顔で、道を塞ぐ。
美羽が複製記録を広げた。
「時刻を照合します」
彼女の指が震えている。
でも、動きは止まらない。
「転移陣停止命令は、王の帰還経路変更より前に準備されています」
「どういうことだ」
「帰還経路が変わる前から、変わった後に合わせた停止手順が用意されていたということです」
ヴェルナが観測ログを重ねる。
紫黒の反応曲線が、光の板に浮かんだ。
「経路変更の直後、笑い反応が急増。その直後に偽装命令が送信されています」
「未来を決めたわけじゃない」
俺は言った。
「秘密を渡したんだな」
ヴェルナがうなずく。
「はい。観測者は未来を固定していません。最も悪い時機に、最も欲しがる情報を渡しています」
イリヤーナが影から戻った。
彼女の手には、黒月礼拝堂の封印鍵があった。
「内通者から回収しました」
クローナの顔色が変わる。
「その鍵の発行権限は、最高儀礼長にしかありません」
アンテリア。
名前を口にしなくても、全員が同じ場所を見た。
その時、旧宮内の放送水晶が一斉に光った。
アンテリア=ヴォクスの声が流れる。
「混乱防止のため、王家権限を一時停止します」
評議室が凍った。
「ユリア殿下の身柄は、非常継承規則に基づき保護対象とします。暫定保護者として、ゼルヴァン卿を立てます」
形式上は、規則に沿っている。
王の帰還隊が襲われ、旧宮内に外部接続の疑いがあり、継承者の契約状態が未確定。
そう並べれば、非常継承規則の外形は作れる。
だからこそ、悪質だった。
ユリアが通信水晶へ手を伸ばす。
「アンテリア」
回線がつながった。
黒い光の向こうで、アンテリアの顔が映る。
「父の襲撃を知っていましたか」
アンテリアは一瞬だけ黙った。
「帰還経路に危険がある、と知らされました」
「誰に」
ユリアが問う。
アンテリアは答えない。
俺は一歩前へ出た。
「誰に知らされたかじゃない」
アンテリアの目が、俺へ向く。
「何を差し出された」
その表情が、初めて崩れた。
ほんの少し。
でも、崩れた。
通信の端に、白い文字が割り込んだ。
今なら間に合う。
続いて、もう一行。
王を止めれば、失った者へ届く。
甥という言葉は出ない。
誰を失ったのかも言わない。
ただ、そこに触れればアンテリアが止まれなくなる場所を、正確に突いていた。
ヴェルナが息を呑む。
「通信書式、デスゲーム上位層と一致」
「いつからだ」
俺が聞く。
「断片が古い。アンテリアは以前から私的通信を受けています」
アンテリアは唇を強く結んだ。
「私は、王を殺す命令など出していません」
その言葉は、たぶん本当だった。
「帰還を遅らせる。王配承認を止める。制度を守る。それだけです」
「封印鍵を渡したな」
クローナの声が低くなる。
アンテリアは否定しなかった。
「経路情報も」
美羽が続ける。
「反対派へ渡りました。あなたの手続きから」
「王を止める必要がありました」
アンテリアの声が揺れる。
「人間を黒月核の対へ置く儀礼など、始めさせるわけにはいかなかった」
「殺せとは言われてない」
俺は言った。
アンテリアが黙る。
「そうだろ。あいつらは言わない。欲しいものを見せて、危ない選択肢を並べる。選んだ側だけに罪を残して、見ている側は笑う」
デスゲームは終わっていない。
画面が消えただけだ。
ルール表示がなくなっただけで、選択肢を用意して破局を待つ悪意は、まだここにある。
「止めろ」
ユリアが言った。
「今すぐ、兵を止めなさい」
アンテリアの顔に、迷いが走った。
止めれば、制度の反逆を認めることになる。
ヴォクス家が失う。
彼女が守ってきた神官団の権威も、甥を失った痛みに与えた意味も、全部が崩れる。
その恐怖が、アンテリアの目に見えた。
「できません」
その一言で、旧宮内の戦闘が始まった。
廊下の向こうで金属音が弾ける。
クローナが指揮を取る。
「第一隊、評議室前を保持。第二隊、地下退避路を開け。民間人を巻き込むな」
イリヤーナの影が床を走った。
刃は兵の急所を避け、武器と足だけを奪っていく。
ラヴィニアの声が通路に響く。
「退避路はこちらです。争う者は後ろへ。怪我人を先に」
彼女の歌は、混乱する市民と兵に指示を届かせるための拍になっていた。
ここなが叫ぶ。
「その人、降伏じゃない! 懐に契約符!」
偽装降伏の兵が動く前に、クローナの部下が取り押さえる。
美羽は壁際で法典をめくっていた。
「非常継承規則にも、封鎖中の退避条項があります。非戦闘員と継承者随伴者の退避路は閉じられません。ここ、使えます」
「よし」
俺は頷いた。
怒りだけで動けば、また選択肢へ追い込まれる。
それでも、怒りは消えない。
遠隔映像が一瞬だけ開いた。
外縁の橋頭。
黒い風。
月蛇の光が何本も空へ伸び、アウグストが一人で橋の中央に立っていた。
帰還隊の残りを逃がすために、敵を止めている。
強さを見せているのではない。
時間を作っている。
「父上!」
ユリアが叫ぶ。
映像はすぐに乱れた。
アウグストの声が、クローナの通信具へ入る。
「クローナ」
クローナが硬直する。
「陛下」
「ユリアへつなげるな。お前が聞け」
ゲームは終わったと思っていた。
画面が消えただけだった。
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