第034話 兄貴に似た光
白金の波形は、ヴェルナの手の中で薄く揺れていた。
観測者の紫黒とは違う。
見て消費する光ではない。
何かを、どこかへ残そうとする光。
ヴェルナは安全な形に変換していると言った。直接つなぐのではなく、記録層だけを薄く再生する。危険があればすぐに閉じる。
それでも、俺の胸は落ち着かなかった。
エンプティ・リンクの空白が、かすかに反応している。
痛みではない。
胸の奥を、遠くから叩かれるような感覚。
「始めます」
ヴェルナが告げた。
白金の光が広がる。
最初に見えたのは、水面のような反射だった。
黒い湖ではない。
けれど、映るものをそのまま返すのではなく、記録としてどこかへ押し出すような揺れ。
次に、空に浮かぶ地形が見えた。
島なのか、翼なのか、雲の上の影なのか、形は結ばない。
その奥に、輪が重なった杖の影が一瞬だけ通った。
人物の顔は見えない。
声も、言葉にはならない。
それでも、俺は息を止めていた。
「聖夜」
ユリアの声が、横から届く。
俺は返事ができなかった。
白金の光が、また揺れる。
配信画面の光を思い出した。
勝手に撮られ、勝手に見られ、勝手に評価された光。
でも、これはそれとは違う。
あいつは、何でも記録したがった。
嫌になるくらい。
俺が見られたくないところまで見て、残して、あとで平然と突きつけてくるようなところがあった。
正直、嫌いだった。
全部を正しい顔で残そうとするところも、俺より先にわかったような顔をするところも、嫌いだった。
でも。
それでも、消さずに残そうとする執念だけは、今も胸のどこかに刺さっている。
白金の波形の奥から、声らしきものが届いた。
内容はわからない。
命令ではない。
助けてくれ、という声でもない。
ただ、誰かが自分の場所で、何かを選ぼうとしている感覚だけが残った。
俺は無意識に、エンプティ・リンクへ力を流していた。
空白が広がる。
胸の透明な輪が、白金の光へ向かって薄く開く。
同時に、ユリアたちとの契約線が引かれた。
ユリア。
美羽。
ここな。
ラヴィニア。
イリヤーナ。
五つの線が、俺の胸の奥から細く伸ばされるように震える。
「聖夜!」
ユリアが俺の手を取った。
強い力だった。
「今、ここにいる私たちを切ってまで追うな」
その言葉で、はっとした。
空白が広がっていた。
俺は、確かめたいという衝動だけで、いまつながっているものを引きちぎりかけていた。
「私は、諦めろとは言わない」
ユリアの声は震えていた。
「でも、今ここにいる私たちを危険に晒してまで、追うな」
白金の光が、まだ揺れている。
手を伸ばせば、届く気がした。
届くはずがないのに、そう思ってしまう。
兄貴かもしれない。
その一言が、頭の中で膨らむ。
でも、かもしれない、だ。
名前もない。
顔もない。
声も言葉になっていない。
希望だけで走れば、俺はまた誰かを巻き込む。
俺は歯を食いしばり、力を止めた。
エンプティ・リンクの輪郭が閉じる。
五本の契約線が、ゆっくり元の強さへ戻っていく。
白金の光は消えなかった。
ただ、遠のいた。
ヴェルナが波形を保存する。
「接続先は消失していません。周期的に近づいています。今後、再感知できる可能性があります」
「今は追わない」
俺は言った。
声が掠れていた。
「捨てるわけじゃない。でも、確かめるためにお前らを危険に晒す選択はしない」
ユリアの手が、少しだけ緩む。
美羽も、ここなも、ラヴィニアも、イリヤーナも、何も急かさなかった。
ここなが小さく言う。
「希望と怖さが、同じ色で混ざってる」
「だろうな」
俺は白金の記録板を見た。
「兄貴に、似てた」
口にした瞬間、自分でも驚いた。
それは、生きているという断言ではない。
届いたという証拠でもない。
ただ、似ていた。
消費するためではなく、残すために何かを押し出す光が。
あいつに似ていた。
その時、クローナの通信具が鳴った。
王家専用の月蛇通信。
銀色の細い光が空中に輪を作り、低い声が流れた。
「ユリア」
ユリアの表情が変わった。
「父上」
短い沈黙。
通信の向こうの声は、遠い。
雑音が混じり、時々途切れる。
それでも、そこにいるのが王であり、父であることはわかった。
「戻ったな」
「はい」
ユリアの声が震えた。
「戻りました」
「よく戻った」
それだけだった。
でも、ユリアは一瞬、目を閉じた。
アウグストはすぐに声の調子を変える。
「ユリアの連れ」
俺だとわかった。
名前では呼ばない。
承認でもない。
「聞こえているか」
「聞こえてる」
「旧宮を動くな。誰が何を見せても、深層門へ近づくな」
深層門。
その言葉に、ヴェルナが反応した。
「俺たちが何かを見るって、わかってるのか」
「見せられる」
アウグストの声は短い。
「お前たちが欲しがるものを、最も悪い形で見せられる。追えば、門が閉じる」
「父上、戻ってください」
ユリアが言った。
「経路が漏れています。今戻れば」
「王が危険から逃げれば、外縁軍が割れる」
アウグストの答えは即座だった。
「父としては戻りたい。王としては、今ここを離れられぬ」
ユリアの唇が震えた。
私情では動けない。
それが王なのだと、言葉ではなく声で示されていた。
通信の向こうで、何かが爆ぜる音がした。
クローナが顔色を変える。
「陛下」
「まだ切るな」
アウグストは言った。
「ユリアの連れ」
「何だ」
「お前は、ユリアのために何を捨てる」
一瞬、そう聞かれると思った。
だが、違った。
アウグストは続ける。
「何を捨てずに隣へ立つ」
俺は息を呑んだ。
試されている。
でも、称号の試験ではない。
王が、父が、娘の隣に立つ人間へ投げた問いだ。
「自分は捨てない」
俺は答えた。
「仲間も捨てない。ユリアの意思も捨てない」
できる保証はない。
全部を守れるなんて、言えない。
「でも、どれかを先に捨てる前提では選ばない」
通信の向こうが少しだけ静かになった。
アウグストは評価を口にしなかった。
褒めもしない。
認めもしない。
ただ、短く息を吐いたような音だけが届いた。
「ユリアを宮から出すな」
それを最後に、通信は切れた。
すぐに、外縁軍からの第一報が入った。
アウグスト帰還隊、襲撃を受ける。
兄貴かもしれない光を見つけた夜、
ユリアの父親が、帰ってこないかもしれないと知らされた。
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