第028話 人間であることの試練
公開評議室の床には、銀黒の円盤が置かれていた。
黒い金属の縁に銀の線が何重にも走り、中心には月を欠いたような窪みがある。礼拝堂の黒月核ほど大きくはない。けれど、足元から見上げられているような圧があった。
「血統と契約経路を読む鑑定盤です」
クローナが小さく説明した。
評議室の周囲には、神官団、王家、貴族の代表に加え、市民立会人まで並んでいる。昨日、美羽が条件として付けた公開記録と反論権。その結果、密室ではなく、見られる場所で審査が始まった。
見られることには慣れたくない。
でも、昨日とは違う。
ここで見ている連中は、少なくとも顔を出している。
アンテリア=ヴォクスが記録具を掲げた。
「前段審査、第一項目。人間であること自体が、王家契約の欠格に当たるか」
その言葉だけなら、ただの差別に聞こえる。
だが、アンテリアは罵倒しなかった。
「魔国の王家契約は、魔力循環と長寿種の魂周期を前提に設計されています。王家契約は一代の私的契約ではありません。継承、封印、国土防衛、民への加護を含む、長期循環の契約体系です」
評議室が静かになる。
俺は拳を握った。
怒鳴るのは簡単だ。
人間だから駄目だと言いたいだけだろ、と言えば少しは気が晴れる。
でも、ここで怒鳴れば、向こうの思うつぼだ。
不安定な人間。
契約に耐えられない外部者。
そういう札を、自分で貼ることになる。
アンテリアは続ける。
「人間は寿命、魔力容量、契約耐性が魔族と異なります。これは優劣ではなく構造差です。王家契約へ接続した場合、寿命差による欠損、魔力容量不足による逆流、契約耐性の不足による断裂が発生し得ます」
「つまり」
俺は口を開いた。
「人間だから駄目だって話じゃなくて、人間の体が王家契約に耐えられるかって話だと言いたいわけか」
アンテリアは俺を見た。
「そのとおりです」
むかつくほど、筋は通っている。
だから余計に腹が立つ。
「神酒聖夜殿。鑑定盤へ」
契約鑑定官に促され、俺は銀黒の円盤の中心へ立った。
足元から冷たい光が上がる。
皮膚の下を細い針でなぞられるような感覚がした。痛くはない。けれど、自分の内側を勝手に分類されていく不快感がある。
銀の線が一周し、二周し、三周目で止まった。
鑑定官が結果を読み上げる。
「人間」
ざわめき。
「魔族血統、混じりなし」
ざわめきは大きくなった。
まるで、俺が人間だと今初めてわかったみたいな反応だった。
ゼルヴァンが、待っていたように一歩前へ出る。
「ならば、道はあります」
その声は穏やかだった。
穏やかだから、余計に嫌だった。
「神酒聖夜殿がユリア殿下との契約を破棄し、王家契約への接続を断つならば、王家の客人として保護できます。人間であるあなたを排除するのではありません。双方の安全のため、契約の位置を正すだけです」
客人。
保護。
安全策。
きれいな言葉が並ぶ。
でも、やっていることは礼拝堂で見た二択と同じだ。
退け。
契約を隠せ。
そうすれば安全に扱ってやる。
「断る」
俺は即答した。
ゼルヴァンの目がわずかに細くなる。
「感情的な拒否では、評議は納得しません」
「感情だけじゃない」
俺は鑑定盤の上から、評議室を見回した。
「俺は魔族になるつもりはない。魔族のふりをするつもりもない。人間だからって、恥じる気もない」
床の銀線が、俺の足元でまだ淡く光っている。
「でも、人間だから契約を捨てろって問いも受け入れない。俺の種族と、俺が誰と何を選んだかを、勝手に対立させるな」
何人かの評議員が記録を取り始めた。
ユリアは黙っている。
庇う言葉は出さない。
その沈黙に、俺は少しだけ支えられていた。
彼女が黙っているのは、俺の答えを待っているからだ。
アンテリアが次の記録板を開く。
「では、寿命差について問います」
胸の奥が、嫌な形で冷えた。
「ユリア殿下は長寿種の王家血統です。あなたは人間であり、通常の魂周期を持つ。あなたがユリア殿下より先に死ぬ可能性は高い。その場合、王家契約へ欠損を残す危険があります」
さっきまで作っていた言葉が、喉で止まった。
ずっといろ。
俺が言った言葉。
今もいてほしいと、言い直した言葉。
でも、俺は永遠を保証できない。
人間だ。
いつか死ぬ。
ユリアより先に死ぬ可能性が高い。
その当たり前のことが、今さら刃物みたいに刺さった。
「どう答えますか」
アンテリアが問う。
俺はすぐに答えられなかった。
評議室の沈黙が重くなる。
ゼルヴァンは何も言わない。
ここで俺が言葉を失うことも、たぶん織り込み済みなのだろう。
ユリアが俺を見ていた。
助けるためではなく、答えを奪わないために。
俺は息を吸った。
「死なないとは言えない」
評議室の空気が、少し動いた。
「俺は永遠を保証できない。ユリアより先に死ぬかもしれない。それを、愛があるから関係ないなんて言う気もない」
言っていて、胸が痛かった。
でも、ここを軽く言ったら嘘になる。
「だからこそ、生きている間の選択を制度へ丸投げしない」
アンテリアの目がこちらを射る。
「どういう意味です」
「終わりがあることは、今の契約が偽物である証明にはならないって意味だ」
俺はユリアを見た。
「いつか終わるかもしれないから、今選ぶなって言われても、それは違う。終わる可能性を理由に、今ある言葉をなかったことにはしない」
ユリアの目が、ほんの少しだけ揺れた。
「欠損の危険を軽視するのですか」
「しない」
俺はアンテリアへ視線を戻した。
「そこは調べろ。俺が死んだら何が起きるか、契約にどんな影響があるか、対策があるか。必要なら審査しろ。でも、寿命が違うから今すぐ契約を捨てろって結論には乗らない」
鑑定盤が、不意に低く鳴った。
足元の銀線が、俺の胸のあたりへ向けて細い光を伸ばす。
そこに、透明な黒い輪の輪郭が浮かんだ。
エンプティ・リンク。
中心は、やはり何もない。
鑑定官が顔色を変える。
「分類不能反応」
評議室がざわめく。
「人間の魔力経路に該当しません。魔国契約体系にも該当しません。血統反応、なし。魔族由来反応、なし」
銀黒の鑑定盤が、俺の胸の空白を読もうとして、何も掴めずにいる。
ただ、周囲の五つの契約線だけが、かすかに安定した光を返した。
鑑定官は記録板を何度も確認した。
「ただし、周囲契約の不安定化はありません。むしろ、ユリア殿下および契約関係者の線は、神酒聖夜殿を中心に安定しています」
「外部汚染の可能性は」
アンテリアが即座に問う。
その言葉に、何人かが身を引いた。
俺も反射的に胸を押さえそうになった。
ヴェルナが前へ出る。
「出自不明です」
彼女の答えは短かった。
「ゲーム側の名称と使用条件が付与された可能性はあります。ただし、現時点で外部汚染、敵対接続、契約破壊機能の証明はありません」
「安全の証明もありません」
アンテリアが返す。
「はい」
ヴェルナは否定しなかった。
「安全の証明も、まだありません」
その正直さが、評議室の空気をさらに重くした。
美羽が記録板を持って前へ出る。
「審査範囲を確認します」
彼女の声は冷静だった。
「今問われているのは、人間であること自体が王家契約の欠格に当たるか、です。未知の分類不能反応があることと、人間であることが欠格であることは別の論点です」
アンテリアの視線が美羽へ向く。
美羽は退かなかった。
「また、未知であることと、危険が証明されたことも別です。欠格判定には、具体的な損害、または契約不安定化の記録が必要なはずです」
契約鑑定官が迷うようにアンテリアを見た。
アンテリアは黙っている。
美羽が続ける。
「鑑定官に確認します。現時点で、神酒聖夜くんが人間であることにより、ユリアさんの王家契約が不安定化した記録はありますか」
鑑定官は記録板を見下ろした。
「現時点では、ありません」
「エンプティ・リンクによって、契約破壊が発生した記録は」
「現時点では、ありません」
「むしろ、周囲契約線が安定しているという証言で間違いありませんか」
鑑定官は少し間を置いてから答えた。
「間違いありません」
評議室のざわめきが変わった。
俺が安全だと証明されたわけではない。
エンプティ・リンクの空白は、むしろ不気味さを増しただけだ。
でも、人間だから即欠格という結論には届かない。
少なくとも、今この場では。
アンテリアは記録具を閉じた。
「第一項目の判定」
全員が静まる。
「人間適合は未証明」
そこまでは、予想どおりだった。
「ただし、人間であること自体による即時欠格、および即時排除も未証明」
息を吐く音が、あちこちから漏れた。
俺も、知らないうちに止めていた息を吐いた。
勝ったわけじゃない。
ただ、最初の処刑台から降りただけだ。
アンテリアは俺を見た。
「次項目へ進みます。契約の安定性、共同統治適性、外部接続の有無。資料を」
扉が開いた。
書記官たちが、大量の法典と記録板を運び込んでくる。黒い革表紙、銀の留め具、礼拝堂先例、戦時継承規則、王家契約の例外記録。
机の上に積まれていく音だけで、うんざりした。
美羽がその一冊目を開く。
ページをめくる速さが、明らかに普通じゃない。
数行読んだだけで、彼女の目が細くなった。
「これ、穴があります」
アンテリアが動きを止めた。
美羽は顔を上げる。
「人間だから駄目だというなら、駄目だと決めるための条文にも、責任を持ってもらう」
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