第027話 王配候補を試す者たち
鐘の音は、一晩たっても街に残っていた。
黒月礼拝堂の帰還の鐘。
ユリアが戻ったことを告げる音。
三年ぶりに王家の血が黒月核へ認められた、その証。
旧宮の窓から見下ろす街は、昨日までと違う熱を持っていた。
門前には花が積まれている。黒い石畳の上に、銀色のリボンを結んだ花束がいくつも置かれ、誰かが泣きながら祈っている。
ユリア殿下、おかえりなさい。
そういう声は、確かにあった。
けれど、同じ場所に黒い布も掲げられていた。
人間を王家へ入れるな。
黒月を汚すな。
そして、もっと低く、もっと下品な好奇の声も混じっている。
王配候補を見せろ。
俺は窓枠を握った。
石の冷たさが手のひらへ食い込む。
「候補じゃねえって言ってるだろ」
「正式には、そのとおりです」
背後からクローナの声がした。
彼女は昨日よりも濃い礼装を身につけている。帰還儀礼の後、王家側の立会人として報告に追われていたはずなのに、顔には疲れを表に出していない。
「礼拝堂判定では、聖夜殿の役割名は未定義です。生還証言者であり、王家契約の当事者であり、後日審査対象。それ以上ではありません」
「じゃあ、あれを止めろよ」
俺は窓の外を顎で示した。
王配候補。
その言葉が、また群衆のどこかで上がる。
クローナは少しだけ目を伏せた。
「止めたいところですが、通称はすでに走り出しています。儀礼の正確な判定より、街は短い名前を求めます」
「名前をつけたら、わかった気になるからか」
「はい」
嫌な素直さだった。
俺は窓から離れた。
試されること自体は、まだわかる。
俺は人間だ。魔の国の王家契約に、わけのわからない空白を持ち込んだ。ユリアの国が警戒する理由まで、全部否定する気はない。
でも、誰も認めていない肩書きで値踏みされるのは違う。
俺が何を選ぶかより先に、見世物の札だけがぶら下がっている。
「臨時評議が始まります」
クローナが言った。
「ユリア殿下も、あなたの同席を望んでいます」
「俺が出ていいのか」
「出なければ、あなた抜きであなたの話が進みます」
それはもっと嫌だった。
評議の間は、旧宮の奥にあった。
礼拝堂ほど静かではない。黒い石柱が並び、壁には王家の紋章と、神官団の記録板と、貴族家の細い旗が掲げられている。
中央にはユリア。
その少し後ろに俺たち。
美羽、ここな、ラヴィニア、イリヤーナは、昨日の契約環と同じようにそれぞれ違う表情で立っている。ヴェルナは壁際で記録を取り、クローナは王家側の席に移った。
アンテリア=ヴォクスは、神官団代表として正面にいた。
彼女の隣には、見慣れない男が立っている。
細い体つきで、顔立ちは整っている。けれど、目は俺よりユリアより、周囲の反応を先に見ていた。
「ゼルヴァン卿です」
クローナが小声で説明する。
「王家の遠縁にあたる方です」
遠縁。
便利そうな言葉だと思った。
近すぎず、遠すぎず。文句を言うにはちょうどいい位置。
評議の開始を告げる槌が鳴る。
最初に確認されたのは、昨日の礼拝堂判定だった。
ユリア・ヴァルシュタインの帰還、有効。
王家継承権、継続。
複数魂契約、相互承認あり。
神酒聖夜との対契約、有効。
役割名、未定義。
読み上げられるたびに、評議の間に小さなざわめきが広がった。
アンテリアは最後まで表情を変えなかった。
「以上を、黒月礼拝堂の儀礼結果として受理します」
彼女はそう言った。
受理する。
曲げない。
だが、認めるとは言っていない。
「そのうえで、神官団は王配承認儀礼の開始を拒否します」
一気に空気が硬くなった。
ユリアの指が椅子の肘掛けに触れる。
アンテリアは続けた。
「血統適合の証明がありません。民意は割れています。王家契約へ外部接続が入った影響も未確認です。さらに、魔王アウグスト陛下本人の裁可がありません」
父の名が出た瞬間、ユリアの目が鋭くなった。
「父上はどこにいます」
アンテリアではなく、王家側の代表が答えた。
「陛下は太陰外縁の防衛線を視察中です。三年間の消耗により、長距離転移は難しい状態と報告されています」
評議の間に、またざわめきが走る。
弱っている。
誰もその言葉を直接は言わない。
でも、言わないからこそ全員が聞いていた。
ユリアはわずかに唇を噛み、すぐに表情を戻した。
そこで、ゼルヴァンが一歩前へ出た。
「ユリア殿下のご帰還は、王家の一族として心より祝福いたします」
声はよく通った。
用意してきた言葉だ。
「しかし、人間との対契約を王家へ持ち込むのであれば、継承の再審査は避けられません。黒月は、個人の恋情で動くものではありません」
何人かがうなずく。
俺はゼルヴァンを見た。
言葉が整いすぎている。
昨日の儀礼結果を受けて急に出てきたにしては、反論の順番ができすぎている。
ゼルヴァンが一つ発言するたび、アンテリアの側近らしい神官が記録板を確認していた。
旗はあの男だ。
でも、仕組みを動かしているのは別にいる。
たぶん、アンテリア本人か、少なくとも彼女の作った手順だ。
「神官団としては」
アンテリアが引き取った。
「王配承認儀礼の前に、前段審査を設定します」
「前段審査」
俺が繰り返すと、彼女の視線がこちらへ来た。
「人間であること。契約の安定性。正室および側室との共同統治適性。民衆への影響。王家へ敵対する外部接続の有無」
項目が並ぶ。
俺を見ているようで、俺だけを見ていない。
ユリアと、美羽たちと、街と、王家契約の全部を一つの表に載せている。
「それらを確認するまで、承認儀礼は開始しません」
「俺は」
自分の声が評議の間に響いた。
ユリアがこちらを見た。
すぐに庇う言葉は出さない。
それが、俺を見捨てているからじゃないことはわかった。
ここでユリアが全部を遮ったら、俺の答えが消える。
俺抜きで俺を守られるのは、たぶん違う。
「王配になるための試験なら、受けない」
ざわめきが広がる。
ゼルヴァンの眉がわずかに上がった。
アンテリアは黙っている。
「俺は昨日も言った。称号がほしくてあの場に立ったわけじゃない。勝手に候補って呼ばれて、次は試験ですって言われても知らない」
ここなの手が、後ろでぎゅっと握られる気配がした。
俺は続ける。
「でも、俺がユリアの国へ危険を持ち込んだかどうかを問うなら、そこからは逃げない」
評議の間が静かになった。
「俺は人間だ。わけのわからない力も持ってる。観測窓と完全に切れたわけでもない。そこを確認されることまで、拒む気はない」
アンテリアの目が、少しだけ細くなった。
「審査を受ける、という理解でよろしいですか」
「王配になるための試験じゃない」
俺は言った。
「危険を持ち込んだかどうかを確かめる審査なら受ける。言葉をすり替えるな」
そのとき、ユリアが口を開いた。
「審査には条件を付けます」
今度は全員の視線がユリアへ向く。
「公開記録を残すこと。聖夜本人と契約関係者に反論権を認めること。密室で結論だけを出すことは許しません」
アンテリアは即答しなかった。
その沈黙の間に、美羽が一歩前へ出る。
「書面化します」
彼女はすでに記録板を持っていた。
こういうとき、本当に早い。
「第一に、密室審査の拒否。第二に、証言の改変禁止。第三に、各審査項目に当事者側の補佐人を置くこと。第四に、観測窓由来の外部入力を審査証拠から除外すること」
アンテリアの側近が記録板を見た。
美羽は視線を逸らさない。
「制度で試すなら、制度の手順も試されます」
評議の間に、またざわめきが起きた。
今度はさっきと違う。
反発だけではない。
筋が通っている、と判断した者の沈黙も混じっていた。
アンテリアは長く美羽を見た。
「受理します」
短い一言だった。
「公開されても、制度上の結論は変わりません」
「それは、やってから言ってください」
美羽の返しに、ここなが小さく息を止めた。
ラヴィニアは表情を崩さなかったが、目だけで少し笑ったように見えた。イリヤーナは静かに影を落としている。
アンテリアは怒らなかった。
ただ、記録具を掲げる。
「前段審査、第一項目」
全員の視線が、そこへ集まる。
「人間であること自体が、王家契約の欠格に当たるか」
言葉はきれいに整っていた。
でも、意味はもっと荒い。
俺はその問いを、腹の底で受け止めた。
人間であることを、罪として証明しろ。
最初の問いは、そういう意味だった。
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