第023話 LVRと魔国儀礼
「それは、魔の国の契約じゃない」
ヴェルナの言葉に、礼拝堂の空気が凍った。
聖夜は胸に手を当てたまま、自分の中にある空白を意識する。
痛みはない。
熱もない。
けれど、そこだけが読めない。
黒月核の光も、五本の契約線も、その一点へ触れると形を変えて戻ってくる。
アンテリアが儀礼官へ短く命じた。
「記録板を重ねなさい」
儀礼官が黒い板を二枚並べる。
片方には魔国の契約項目。
もう片方には、デスゲーム側の管理書式から拾われた項目。
美羽がそれを見比べる。
「対応関係があります」
声は抑えていた。
けれど、速い。
「契約深度が、LVR値。相互承認が、正室許可。継続意思が、脱落防止。魂出力が、ステータス強化」
聖夜は言葉を失った。
ゲームの中で見ていた数値。
上げなければ死ぬ値。
誰かとの関係を、攻略や生存条件として迫ってきたあれ。
それが、魔の国の古い契約儀礼と対応している。
ヴェルナが補足する。
「同じではない」
「どう違う」
美羽が聞く。
「魔国儀礼は、契約を確認する。暴走を防ぐ。相手の意思があるか、無理に接続していないかを見る」
ヴェルナはLVR側の板を指した。
「LVRは、契約を競争、消費、観賞へ変えたもの」
その言葉が、聖夜の胃を重くする。
「観賞」
「感情の動きが価値になる。関係の深さが資源になる。選択の変化が反応として保存される」
ヴェルナはさらに続けた。
「ゼロを価値なしと判定して殺す機能は、魔国側には存在しない」
聖夜の中で、何かが切れた。
「ふざけんな」
声が礼拝堂に響く。
「本物の感情を、燃料にしてたってことか」
誰もすぐには答えなかった。
聖夜は自分の手を見る。
ユリア。
美羽。
ここな。
ラヴィニア。
イリヤーナ。
自分は生き残るために、彼女たちとの関係を見ていた。
数値を気にした。
選択肢を読んだ。
誰かが作った仕組みの中で、本物の感情を利用してきた。
「俺も使った」
聖夜は低く言った。
「生き残るために。みんなを死なせないために。でも、使った」
ユリアが一歩近づく。
「利用したのはゲーム側」
「でも」
「私たちが選んだ感情まで、偽物にはならない」
ユリアの声は静かだった。
「聖夜。そこまで渡さないで」
その言葉で、聖夜はようやく息を吸った。
全部を否定すれば楽かもしれない。
あれは仕組みだった。
全部利用されていた。
だから何も本物ではない。
そう言えば、自分の罪悪感も少しは薄くなる。
でも、それは彼女たちが選んだ言葉まで消すことになる。
聖夜は胸の空白へ視線を落とした。
黒月核の光が、空白をさらに浮かび上がらせる。
輪郭だけの透明な黒い輪。
中心には何もない。
そこへ五本の契約線が伸びる。
ユリアの青黒い線。
美羽の格子。
ここなの暖かい波。
ラヴィニアの音の輪。
イリヤーナの影の輪郭。
それらは空白へ入る。
だが、吸い込まれて消えるわけではない。
色と強度を増して、再び戻っていく。
聖夜の胸の内側が、冷たく抜け落ちた。
仲間の感情が流れ込んでくる感覚ではない。
むしろ、何もない場所へ触れた反響だけが返ってくる。
力が増すほど、自分一人では何もないという感覚が強くなる。
「これが」
聖夜は息を詰めた。
「エンプティ・リンク」
美羽の声が硬くなる。
「見た目は、輪郭だけの空白。中身はない。でも、契約線を増幅して返してる」
ヴェルナが頷く。
「限界がある」
「何」
「本物の相互感情がなければ増幅できない。強制接触や演技では、線が濁る。出力が落ちる」
儀礼板に、濁った仮想線が一瞬だけ表示される。
すぐに崩れた。
「契約相手の意思を無視すると」
ヴェルナは聖夜を見る。
「聖夜の空白が広がる」
聖夜の背筋が冷たくなる。
力を使う。
増幅する。
守る。
そのたびに、相手の意思を無視すれば自分の空白が広がる。
それは強化ではなく、欠落の拡大に近かった。
アンテリアが記録板を閉じる。
「異物です」
言葉は短かった。
「人間固有の力ではありません。魔の国の古い契約体系にも属さない。王家契約へ接続させるには危険すぎます」
聖夜は反論できなかった。
危険ではない、と言い切れない。
自分でも怖い。
ヴェルナが補足する。
「ゲームが作ったスキルでもない」
アンテリアがヴェルナを見る。
「何ですって」
「ゲームは、既にあった力へ名称と使用条件を付けた可能性が高い」
ヴェルナは空白の輪を見つめる。
「それ以上は、記録が遮断されている」
聖夜は胸の空白を消したくなった。
こんなものがあるから。
こんな力があったから。
自分は彼女たちの感情を増幅し、利用し、生き残ってきた。
「いらない」
言いかけて、止まった。
空白を拒むことはできる。
力の出自を疑うこともできる。
だが、そこへ触れている五本の線まで否定するのか。
ユリアの承認。
美羽の整理。
ここなの日常。
ラヴィニアの歌。
イリヤーナの境界。
それまで拒むことになる。
聖夜は手を下ろした。
「問題は、この力の出自と使い方だ」
自分に言い聞かせるように言う。
「関係そのものじゃない」
ユリアが小さく頷く。
美羽も、ここなも、ラヴィニアも、イリヤーナも、それぞれの線を消さなかった。
黒月核が、古い文字を浮かべた。
無名の対。
アンテリアの顔がさらに険しくなる。
「正式称号ではありません」
彼女は先に釘を刺した。
「分類不能時に使われる、古い記録語です。名を与えられない対契約。役割未定。危険性あり」
聖夜はその言葉を聞いて、少しだけ息を吐く。
名前がない。
それは不安でもある。
だが、知らない称号を押しつけられるよりはまだましだった。
アンテリアは黒月核を見上げた。
「分類不能のまま、儀礼を続けることはできません」
そして聖夜へ向き直る。
「契約環から退くか。伴侶審査を受ける意思を宣言するか」
二つの選択が、礼拝堂に置かれた。
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