第019話 ずっといろ、契約として
儀礼は止まっている。
歌も止まり、銀黒の光も床の線に沈んだままだった。
それでも、聖夜の足元からユリアへ伸びる青黒い契約線だけは消えなかった。
礼拝堂の中央に、その線だけが残っている。
細いのに、切れない。
聖夜はそれを見下ろし、喉の奥が乾くのを感じた。
ずっといろ。
自分が言った言葉。
忘れていたわけではない。
でも、こんな場所で、こんな形で拾われるとは思っていなかった。
アンテリアが記録板へ指を走らせる。
「契約語として成立する条件を確認します」
「待て」
聖夜は思わず言った。
「契約語って何だよ。俺は儀礼を意識して言ったんじゃない」
「儀礼を意識していたかどうかは、契約成立の必須条件ではありません」
アンテリアの返答は、あまりにも早かった。
「黒月が読むのは、言葉の形式だけではありません。相互意思。魂の共鳴。生死を越えて継続する意思。そして、言葉を受け取った側の承認」
聖夜はユリアを見た。
ユリアは、線の向こうで静かに立っている。
「王配になる意味で言ったんじゃない」
聖夜は言った。
「伴侶とか、対の者とか、そんな制度を知ってたわけでもない。俺はただ」
言葉が止まる。
ただ、何だ。
ただ、失いたくなかった。
ただ、死なせたくなかった。
ただ、ユリアに消えてほしくなかった。
それを礼拝堂に読まれることが、ひどく嫌だった。
アンテリアは表情を変えない。
「利害や称号を知らずに出た言葉だからこそ、強い場合があります」
「勝手に決めるな」
「決めているのではありません。読んでいます」
その違いが、聖夜には余計に腹立たしかった。
勝手に作られるなら、拒めばいい。
だが、あるものを読まれていると言われたら、否定の仕方が分からない。
「私は、あの言葉を受け取った」
ユリアが言った。
聖夜は顔を上げる。
ユリアは黒月核の中に立ったまま、聖夜を見ていた。
「命令されたから残ったんじゃない」
声は落ち着いている。
「私は、聖夜の言葉を聞いて、自分で残ると選んだ」
「ユリア」
「あの時、私は消えかけていた。自分の役割も、名前も、どこへ戻ればいいかも分からなかった」
ユリアの足元で、青黒い線が少し強く光る。
「でも、聖夜が言った。ずっといろって」
礼拝堂の床に、光が揺れた。
音声記録ではなかった。
聖夜の声が再生されるわけではない。
ただ、光の形で意味が浮かぶ。
恐怖。
焦り。
失いたくないという感情。
それを受け取ったユリアの、静かな承認。
聖夜は息を呑んだ。
「やめろ」
小さく言ったつもりだった。
でも、礼拝堂の中ではよく響いた。
「人の中身を勝手に見るな」
アンテリアが答える前に、美羽が聖夜の横へ来た。
「聖夜」
「分かってる」
分かっていない。
自分の本音が光にされる。
制度に読まれる。
誰かの記録板に残される。
それはデスゲームで選択肢を見せられ、好感度や反応として処理されていた時の嫌悪に近かった。
見世物にされている。
そう感じる。
まだ、ここに窓はない。
誰かが笑っているわけでもない。
それでも、見られること自体が痛かった。
「でも、嘘だったとは言わない」
聖夜は絞り出すように言った。
「あの言葉を、なかったことにはしない」
ユリアの目が少しだけ揺れる。
アンテリアは、その言葉も記録した。
床の契約環が、次に別の光を拾った。
聖夜とユリアの線とは違う。
もっと細く、色も淡い。
ここな、美羽、ラヴィニア、イリヤーナの足元から、それぞれ違う線が浮かぶ。
ここなの線は温度が高い。
明るく揺れ、ユリアの周囲の靄を包むように伸びている。
美羽の線は細く、複雑だった。
何度も分岐し、記録と判断のように折れ曲がっている。
ラヴィニアの線は、音のように波打っていた。
銀黒の光に触れるたび、礼拝堂の歌とわずかに響き合う。
イリヤーナの線は濃く、影に近い。
まっすぐではないが、離れない。
聖夜は息を呑んだ。
「四人にも」
美羽が自分の足元を見る。
「強度も意味も違う」
ヴェルナが言った。
「一対一の伴侶契約だけでは説明できない」
アンテリアの表情がさらに硬くなる。
「正室承認の確認が必要です」
「正室」
聖夜の声が低くなる。
またその言葉か、と思った。
アンテリアはユリアを見る。
「ユリア殿下。あなたは、正室として他の契約を承認していますか」
「待て」
聖夜が口を挟む。
「その聞き方だと、また役割を先に押しつけてる」
アンテリアは答えない。
ユリアが代わりに言った。
「私は、この四人を排除しない」
礼拝堂が静かに反応する。
「彼女たちは、私と聖夜が連れてきた。私の帰還に関わる者。聖夜の隣に立つ者。私も、彼女たちに支えられている」
ユリアは四人を見た。
「でも、四人の意思を確認せずに、役割名を与えることは拒む」
アンテリアの目が細くなる。
「承認はするが、分類は拒むと」
「分類は、本人の言葉を聞いてから」
ユリアの声は揺れなかった。
ここなが小さく笑った。
「うちらの選ぶ分、残してくれてんじゃん」
ラヴィニアが扇を閉じる。
「その点は、正室様に感謝いたしますわ」
「だから、その言い方」
聖夜が呟くと、ラヴィニアは少しだけ口元を上げた。
ヴェルナが床の線を見つめたまま言う。
「ゲームは、この構造を知っていた」
全員の視線が向く。
「正室制度を新しく作ったのではない。古い契約構造を使った可能性が高い」
美羽が頷く。
「魔国の複数契約管理を、ゲーム側が恋愛値や役割に変換した」
「ふざけんな」
聖夜は低く言った。
怒りはある。
でも、目の前の線そのものへではない。
それを利用した何かへ向いている。
黒月核の周囲に、五本の契約線が浮かんでいた。
ユリアから聖夜へ伸びる強い青黒い線。
四人へ伸びる、それぞれ違う細い線。
そして、聖夜の胸の位置に、光のない空白が一つあった。
礼拝堂の光がそこだけを避けている。
ヴェルナが小さく言う。
「空白」
聖夜は自分の胸に手を当てた。
痛みはない。
けれど、そこに何かが読まれていない。
あるいは、読めないものがある。
アンテリアが記録板を閉じた。
「契約があるなら、制度はそれを分類しなければなりません」
その言葉が、次の刃のように落ちた。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




