表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/54

第018話 黒月礼拝堂

 黒月礼拝堂の扉は、音もなく開いた。


 聖夜は、もっと豪華な場所を想像していた。


 王家の儀礼。


 黒月礼拝堂最高儀礼長。


 帰還者を清めよ、と街へ響く歌。


 そういう言葉から、金や宝石で飾られた聖堂を思い浮かべていたのかもしれない。


 けれど、そこにあったのは黒い石床と、天井に空いた円形の開口だけだった。


 開口の向こうには、昼なのに銀色の月光のような光が落ちている。


 床には三つの円が刻まれていた。


 外側の広い輪。


 その内側の細い輪。


 中央に近い、小さな黒い円。


 飾りは少ない。


 だからこそ、逃げ場がなかった。


 ここは祈る場所というより、何かを正確に測る場所に見える。


 聖夜はそう思った。


 外から聞こえていた儀礼歌は、礼拝堂の中へ入ると形を変えた。


 反響しているのではない。


 床の線が、歌を受け取っているようだった。


 ラヴィニアが足を止める。


「黒月の街で聞いた歌ですわ」


「完全形か」


 聖夜が聞くと、ラヴィニアは頷いた。


「はい。あの時は街の祈りとして断片だけでした。これは、帰還者の名を月へ返す歌」


 彼女は唇だけで旋律を追う。


 歌詞は重い。


 帰還者の名を月へ返せ。


 欠けた魂を黒月に照らせ。


 混じりしものを隠すな。


 失われし契約を名で呼べ。


 聖夜は眉を寄せた。


「清めるって言い方より、調べるって感じだな」


「ええ。歌は、穢れを責めているのではありません」


 ラヴィニアは静かに言った。


「ただ、隠れることを許していない」


 アンテリアが中央へ進む。


 神官補佐と儀礼官たちは、外側の輪の外で待機していた。


 市民はいない。


 反対派らしい者たちもいない。


 クローナの説明によれば、礼拝堂の外で待たされているらしい。


 儀礼結果だけが鐘で街へ伝わる。


 ユリアが帰還者として認められたか。


 欠損や混線があったか。


 そして、誰がその契約に関わっているか。


 街は鐘の数で知る。


 アンテリアは振り返った。


「黒月帰還儀礼を始めます」


 その声は、記録室にいた時よりも低く響いた。


「確認項目は四つ。ユリア・ヴァルシュタイン殿下が本人であるか。王家契約が継続しているか。外部介入による欠損や混線がないか」


 そこで、彼女は聖夜たちを見た。


「そして、現在の魂契約が王家へ何を持ち込むか」


 聖夜は、その最後の言葉に反応した。


「俺たちが、汚染物みたいに扱われる可能性があるってことか」


 クローナが何か言いかける。


 だがアンテリアが先に答えた。


「善悪ではなく構造です」


 声は冷たいが、悪意ではない。


「外部世界から持ち込まれた魂契約が、王家契約へ何を接続するか。それを確認せずに殿下の帰還を認めることはできません」


 聖夜は言い返したくなった。


 けれど、飲み込む。


 ここがユリアの国にとって重要な場所だということは分かる。


 反発を先に出せば、見えるものも見えなくなる。


 美羽も小さく頷いた。


「まず、規則を確認しましょう」


 アンテリアが床の三つの輪を指す。


「外環。観察、護衛、記録のための輪です。クローナ殿、神官補佐、通常の立会人はここへ」


 クローナが外側の輪へ移動する。


「契約環。ユリア殿下と魂契約を持つ者が証言する輪です」


 ここで、アンテリアは一度言葉を切った。


「ただし、称号認定前の者が入るには儀礼上の許可が必要です」


「じゃあ、俺たちは」


「外環です」


 アンテリアは迷わず答えた。


「現時点で、人間殿たちに公的称号はありません。契約を主張するなら、まず外環から確認を受けるべきです」


 ユリアの表情が硬くなった。


「聖夜たちは、契約環へ」


「認められません」


 アンテリアの返答は早かった。


「黒月核は王家血統と対の契約を読む中心。本来、そこへ近づけるのは殿下と正式な伴侶のみ。契約環も、無制限に立ち入らせる場所ではありません」


 ユリアが一歩前へ出る。


「私の帰還を語るなら、三年間を共にした者を外に置けない」


「殿下のご意志は記録します。しかし正式な伴侶認定前に契約環へ入れることは、儀礼上の承認に見えます」


 聖夜は黙って聞いていた。


 ユリアのために怒りたい。


 でも、自分がここで「入れろ」と言えば、それこそ王配候補を受け入れたように読まれる。


 その隙を、美羽が拾った。


「確認ですが」


 美羽は床の輪を見ながら言った。


「契約環は、称号を与える場所ですか。それとも、実在する魂契約の有無に反応する場所ですか」


 アンテリアが美羽を見る。


「後者です」


「なら、まず反応を確認するべきです。称号があるから契約が存在するのではなく、契約が存在するかを読むための環なら」


 美羽の声は穏やかだった。


 だが、論点は外さない。


「外環に置いたまま反応を見ればいい。反応がないなら外部者として扱える。反応があるなら、称号以前の問題として記録できます」


 アンテリアはすぐには答えなかった。


 神官補佐が不安そうに視線を交わす。


 やがてアンテリアは記録板へ指を走らせた。


「儀礼上の承認ではありません」


「分かっています」


「危険性確認のための例外です」


「それも記録してください」


 美羽が即答する。


 ここなが小声で「美羽つよ」と呟き、ラヴィニアがわずかに微笑んだ。


 イリヤーナは聖夜の背後に立ったまま、礼拝堂の影を見ている。


 ヴェルナは床の三重環を見つめていた。


「正確」


 それだけ言った。


 聖夜は聞き返す。


「何が」


「ここは、嘘を作る場所ではない。あるものを読む」


 その言葉で、聖夜は少しだけ背筋が冷えた。


 邪悪な場所ではない。


 だから怖い。


 勝手に名前をつける制度と、正確に読み取る装置が同じ場所にある。


 アンテリアがユリアへ向き直る。


「殿下。黒月核へ」


 ユリアは中央の黒い円へ歩いた。


 聖夜たちは外環に立つ。


 契約環の外。


 まだ、内側ではない。


 ユリアが黒月核に立つと、天井の円形開口から落ちる銀色の光が濃くなった。


 黒い床に、銀黒の光が広がる。


 王家血統認証。


 ユリアの足元に、氷紋と月蛇の紋が重なる。


 神官補佐が息を呑む。


 アンテリアが告げた。


「王家血統、認証開始」


 光はユリアの周囲で円を描く。


 帰還者の名を月へ返す歌が、低く強くなった。


 聖夜は外環に立ったまま、それを見届けるつもりだった。


 自分はまだ外側だ。


 王配候補を受け入れたわけではない。


 ここで余計な言葉を出せば、また制度に拾われる。


 そう思っていた。


 だが、足元に青黒い線が浮かんだ。


「え」


 ここなが声を漏らす。


 聖夜の足元から、細い契約線が黒月核へ伸びている。


 物理的に引っ張られているわけではない。


 体は動いていない。


 それなのに、魂だけが内側へ落ちていくような感覚があった。


 ユリアが聖夜を見た。


 驚きより先に、どこかで分かっていたような顔をしている。


 アンテリアの声が鋭くなった。


「儀礼停止」


 歌が切れる。


 神官補佐たちが一斉に動きを止めた。


 銀黒の光も、半分だけ床へ沈む。


 アンテリアは聖夜の足元の線を見ていた。


「人間殿は正式な伴侶ではありません」


「分かってる」


 聖夜はすぐに言った。


「俺も、そう言ってる」


「それでも」


 アンテリアの声が低くなる。


「黒月核が、あなたを対の者に近い位置として読んでいます」


 対の者。


 正式な名ではない。


 けれど、ただの外部者でもない。


 聖夜の背筋に冷たいものが走った。


 自分が受け入れたわけではない。


 称号を名乗ったわけでもない。


 それなのに、礼拝堂は何かを覚えている。


 その時、礼拝堂の中に声が響いた。


 聖夜自身の声ではない。


 けれど、聖夜の言葉だった。


 ずっといろ。


 一度だけ言った言葉。


 必死で、余裕がなくて、制度も儀礼も知らずに言った言葉。


 礼拝堂は、それを契約として覚えていた。



少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ