第017話 デスゲームは偶然ではない
記録室の中央に、黒い文字列の残滓だけが残っていた。
ヴェルナが閉じた記録片。
美羽が写した照合表。
ユリアの氷紋に反応した契約線。
それらを並べても、勝った気分にはならなかった。
分かったことが増えた。
それだけ、背負うものも増えた。
美羽は記録紙を机に置き、三つの欄へ分けた。
「確定、推定、未確認。まず分けます」
聖夜は頷く。
ここな、ラヴィニア、イリヤーナも記録室へ戻っていた。
クローナはユリアの後ろに立ち、アンテリアは少し離れた場所で記録板を構えている。
美羽は淡々と読み上げた。
「確定事項。三年前の全記録系統は、同じ箇所で同時に欠落している。紙、魔力結晶、近衛の共有記憶、契約反応、どれも同じ」
記録官が小さく頷く。
「欠落先には、デスゲーム管理書式と同系統の記録が存在する。ユリアは自分の意思で参加したのではなく、強制接続された」
ユリアは目を伏せなかった。
その言葉を、正面から受けた。
「選定条件として、王家血統、継承権限、魂契約適性、LVRとの相性が使われている」
そこで美羽は一度、息を整えた。
「ここまでが、今の記録から言えること」
聖夜は拳を握る。
ユリアが選ばれた理由。
奪われた理由。
その形が見えてしまった。
けれど、美羽は続けた。
「未確認事項。誰が最終命令を出したか。アウグスト陛下が何を知っていたか。デスゲーム全体の目的。LIVE回線の向こうに誰がいるか」
「そこは、まだ分からないんだな」
「分からない」
美羽ははっきり言った。
「分からないものを、分かったことにしない」
その言葉は、この部屋全体へ向けられていた。
聖夜にも。
アンテリアにも。
ユリアにも。
ヴェルナが、閉じた記録片へ手を置く。
「三年前の件は、外部介入です」
部屋の空気が動いた。
クローナの肩がわずかに震える。
ヴェルナはそのまま続けた。
「クローナ殿には防げませんでした」
クローナが顔を上げる。
ヴェルナの声は慰めではない。
断定だった。
「旧宮の内部警備、近衛の誓い、王家契約、記録装置。その全ての参照先が切られている。通常の警備行動で防げる範囲ではありません」
少し間を置いて、ヴェルナは言った。
「記録にそう残っています」
クローナはすぐに救われた顔をしなかった。
そんな簡単なものではない。
三年分の罪悪感は、記録一つで消えたりしない。
けれど、彼女は深く息を吸った。
「それでも、殿下が消えた時、私はここにいませんでした」
ユリアが振り返る。
クローナは膝をつかずに立っていた。
「それは消えません。ですが」
声が少し震える。
「次は守ります。罰としてではなく、私がそう選びます」
ユリアは頷いた。
「ここにいて」
「はい」
短いやり取りだった。
その短さが、かえってユリアの決意をはっきりさせた。
ユリアが一歩前へ出る。
「奪われたことは、私の罪ではない」
誰も言葉を挟まない。
「ゲームに落とされたことも、役割を貼られたことも、私が選んだことではない」
ユリアは聖夜たちを見た。
「でも、あの場所で聖夜たちを選んだことは、私の意思」
聖夜の胸が熱くなる。
それを代わりに言う権利は、自分にはない。
ユリア自身が言うから意味がある。
「王家血統も、魂契約も、私のもの。誰かの所有物ではない。観測する者のものでもない」
アンテリアがゆっくり口を開いた。
「殿下のお言葉は記録します」
その声は丁寧だった。
「ですが、私は別の結論を出します」
クローナの視線が鋭くなる。
アンテリアは動じない。
「外部者が王家契約へ侵入したからこそ、血統と儀礼は厳格でなければなりません。殿下が奪われた事実は、制度を緩める理由ではなく、制度を強める理由です」
「聖夜様の誠実さは、否定しないと?」
ラヴィニアが静かに問う。
アンテリアは頷いた。
「否定しません。人間殿が殿下を支えたこと、三年間の外部証言者であることも記録します」
そこで、彼女の視線が聖夜へ向いた。
「しかし、人間を王家契約へ入れることは認められません」
聖夜は息を吐いた。
腹は立つ。
だが、ここで怒鳴れば、アンテリアの言う外部者の危険を証明するだけだ。
「俺を信用しろとは言わない」
聖夜は言った。
アンテリアは黙って聞く。
「この国の制度を今日壊すとも言わない。俺は、まだ何も知らない」
美羽が少しだけこちらを見る。
聖夜は続けた。
「でも、ユリアの選択まで制度のせいにするな」
ユリアが聖夜を見る。
「ユリアが奪われたことと、ユリアが選んだことを一緒にするな。外部者に奪われたから、ユリアの意思も危ないって決めるな」
アンテリアの表情は変わらない。
論破できたわけではない。
ただ、こちらの線を引いただけだ。
そこへ、扉の外から足音が聞こえた。
旧宮の記録官が確認し、使者を通す。
黒い外套をまとった男が入ってきた。
王印付きの筒を持っている。
「アウグスト陛下より、命令を預かっております」
ユリアの顔が動かない。
聖夜は、その動かなさにまた少し苛立った。
父からの言葉が来る。
それでもユリアは、最初から私的な言葉を期待しない顔をしている。
使者は筒を開き、命令書を読み上げた。
「陛下は太陰外縁の境界維持により、旧宮へ戻ることができません」
まずそれだけ。
そこに娘への言葉はない。
「命令は二つ。第一、帰還者一行を害してはならない」
アンテリアの眉がわずかに動いた。
「第二、黒月礼拝堂にて帰還儀礼を行うこと」
使者はそこで読み終えた。
私的な伝言はなかった。
謝罪も、再会の約束も、無事を喜ぶ言葉もない。
ユリアは命令書を受け取る。
「承知した」
声は王女のものだった。
けれど、聖夜には分かる。
父の意図は読めない。
守ろうとしているのか。
隠しているのか。
それとも、境界維持という言葉の向こうにまだ別の事情があるのか。
何も分からない。
ユリアは命令書を閉じた。
「黒月礼拝堂へ行く」
クローナが頷く。
アンテリアも、異議を唱えなかった。
むしろ、そのために待っていたように見えた。
ヴェルナがLIVE回線の記録片へ手を伸ばす。
聖夜は反射的に彼女を見た。
ヴェルナは触れたまま、静かに言う。
「観測は続いている」
部屋が静まる。
「でも、見せるものはこっちで選ぶ」
ヴェルナは自分の判断でLIVE回線を閉じた。
命令されてではない。
誰かに止められてでもない。
彼女が、記録の差し出し方を選んだ。
聖夜は小さく頷いた。
「行く理由は、一つじゃない」
美羽が確認するように言う。
「帰還儀礼。王家契約。LVRに似た構造。私たちの契約がどう利用されたか。全部、礼拝堂につながる可能性がある」
「王配候補を受け入れるためじゃない」
聖夜は先に言った。
アンテリアがこちらを見る。
「まだ、俺はそれを受け入れたわけじゃない」
「記録します」
アンテリアは淡々と答えた。
「ですが、黒月の前では言葉に重みが生じます。人間殿」
彼女は記録室の扉へ向かう。
そして、ゆっくり扉を開けた。
廊下の奥から、礼拝堂へ続く黒い石の道が見える。
外からは、まだ低い儀礼歌が聞こえていた。
アンテリアが振り返る。
「では、人間殿。黒月の前で、あなたの言葉が契約かどうかを確かめましょう」
聖夜は扉の向こうを見た。
デスゲームは偶然ではなかった。
なら、そこで結ばれた言葉まで、誰かに決められたものなのか。
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