第八話 甘酸っぱい香りに包まれて
「さて、それじゃあ選別を始めよう」
台所には、摘みたての森の香りが満ちている。山神さまに貰った大量の果実を前に気合を入れ直す青画たち。
「はーい!! 頑張る」
「お任せくださいお兄さま」
日和と真白もやる気は十分、料理はさっぱりだが、お手伝いなら出来ると張り切っている。
「まずは潰れているものとそうでないものを分けよう」
「潰れているものは捨ててしまうんですか?」
「いや、煮詰めてジャムを作ろうと思ってる。冷凍すれば数か月持つし、夏にはアイスにも使える」
ジャムにすれば多様な用途に使える。パンに塗っても良いし、ヨーグルトに加えても美味しい。瓶詰にすればおすそ分けもしやすい。
「ジャム作るなら、パンケーキも焼こうか」
「わああ!! ジャムは正義!!」
「はあはあ……早くジャムをください」
そのまま食べてもめちゃめちゃ美味しいのにジャムにしたらどれほど美味しいのだろう。早くもその甘酸っぱいジャムを想像して蕩けた表情になる二人。
「それじゃあジャムづくりを始めよう」
青画は、少し形が崩れてしまっている果実を、銅鍋へと移す。
「綺麗な色……少し摘まんでも良いですか先輩?」
透明感のある白髪がふわりと流れしっとりとしたレインブルーの瞳が揺れる。ふと外を見れば窓ガラスに水滴が流れている。
「ああ、たくさんあるから好きなだけ食べると良い」
赤紫の宝石を手に取ろうとして――――ぴたり雨音の動きが止まる。
「……訂正。やはり先輩に食べさせて欲しいです」
甘いおねだりに青画は比較的形の良い果実をつまんで、雨音の口に放り込んでやる。
「ん……甘酸っぱいです。先輩とのキスの味がします」
期待に満ちた花色の瞳が熱を帯びて――――
「雨音、ジャムづくりの邪魔したら駄目ですよ」
たまらず真白が間に割り込んで、青画の代わりに木苺を押し込む。
「……ジャム? 作るの先輩?」
「ああ、雨音も一緒に作ろう」
日和の代わりに雨音が加わって、ジャムづくりが再開する。
「……興味深いです。これから何をするのですか?」
青画の背後に陣取った雨音が、その潤んだ瞳で鍋を覗き込む。
「潰れて甘い香りが強くなった実ほど、ジャムにすると深い味になる。まずは少量の甜菜糖を加える。甘さは控えめにしたいから重量の10%くらい……本当に最小限しか入れない」
「てんさいとうってなんですか?」
真白が不思議そうに尋ねる。
「砂糖ダイコンから作ったお砂糖だ。上白糖よりも甘さが柔らかくて果実の香りや酸味を引き立ててくれる。せっかくの森の恵みだから活かしたい」
青画は優しく微笑んで、二人に甜菜糖を舐めさせる。
「ん……優しい甘さ。これ好きです」
「私も好き」
二人の幸せそうな表情を眺めながら、青画は木べらで果実を軽く圧し潰してゆく。この時潰し過ぎないのがコツだ。
「これくらいの方が果肉感のあるジャムになる」
しばらく置くと、桑の実から艶やかなバイオレットの果汁が溢れ出してきた。火にかけると、台所は一気に甘酸っぱい香りに包まれる。
「このまま弱火でゆっくり煮る」
弱火でコトコト、甜菜糖は上白糖よりもゆっくり溶けるので、果実の香りがふわっと立って甘さが果汁にじんわり染みる。
「……青画、これはどういう状況?」
「お、朧か。手作りジャムを作っているんだ」
「ふーん……良い香りじゃない」
いつの間にか雨は止み、人格は朧に切り替わっていた。彼女はぶっきらぼうに呟きながら、鍋から立ち上る灰汁を、青画の真似をして器用に掬い取り始めた。日和は不器用だが、朧は手先が器用だ。やる気さえあれば料理も出来るかもしれないと青画は思っている。
「ありがとう、助かる」
「別に……自分がやりたいからやってるだけだから」
普段気怠げな朧が真剣な表情でジャムとにらめっこしている。青画は灰汁取りを朧に任せてタルトを作るための下準備を始めるのだった。
「朧。レモン汁を入れるから、少し避けて」
「……うん」
仕上げにレモンを絞ると、濁りのあった紫が、一瞬で緋色の雫のような鮮やかな発色へと変わる。
「……綺麗。魔法みたい」
朧の瞳が、一瞬だけ少女のように輝く。
「見た目も綺麗だけど、保存性も上がるし味も締まるんだ」
「そっか、ちょっと楽しみかも」
スプーンから、ぽたっと落ちるくらいとろみがついたら完成。
「味見するか?」
「……うん」
「お兄さま私も!!」
熱いので青画はフーフーと少し冷ましてから二人の口にスプーンを運ぶ。
「っ!? 美味しい……」
「んうううっ!! こんな美味しいジャム初めてですっ!!」
「まあ……素材が良いから」
褒められて当然悪い気はしない。青画は、まだジャムが熱いうちに瓶に詰めて冷ます。
「ジャムが冷めるのを待つ間に、タルトの仕上げに入ろう」
焼く前にフォークで生地にポツポツと穴を開けてゆく青画。
「……なんで穴だらけにしてんの?」
「これが大事なんだ。空気を逃さないと台が浮いちゃうから」
珍しく興味津々な朧をみて、お菓子作り好きなら今度一緒に作るのも良いかもしれないと青画は優しく見つめる。
「わあー! 焼けた焼けました! お兄さま、とっても良い色です!」
「……すごい、綺麗」
オーブンから取り出したタルト台は黄金色に輝いている。真白と朧は身を乗り出してはしゃぐ。青画は、その熱々のタルト台に滑らかに練ったクリームチーズを惜しみなく敷き詰め、その上に先ほど作ったばかりの甘さ控えめジャムをたっぷりと広げ、さらに選別で勝ち残った大粒のフレッシュな桑の実や野イチゴを、円を描くように並べてゆく。
「とりあえず試食してみよう」
「やったああ!!」
「……せっかくだから食べてあげる」
青画が、サクッ、丁寧にタルトにナイフを入れると、白いクリームチーズの間から、とろりと濃紫の果汁が溢れ出す。
「いただきますっ!」
青画が皿を置くが早いか、真白が野獣のような速さでフォークを突き立てる。
「んんんーっ! お兄さまのタルト、世界一ですっ!! このザクザク感、もはや凶器ですね…… 私毎食これでいいかもしれません……」
「落ち着け真白、誰も取ったりしないからゆっくり食べれば良い」
青画が注意している横で、朧は呆れたように冷めた瞳を親友に向ける。
「……はしたないよ真白。そんなに急がなくても、逃げないのに」
朧はそう毒づきながらも、自分の皿に乗ったタルトを、壊れ物を扱うように大切そうにフォークで切り分ける。
「………………ん」
一口含んだ瞬間、桑の実の野性味のある甘みが口いっぱいに広がり、朧の頬がぽっと赤らんだ。
「……まあ、悪くない。ジャムの酸味が、私の……今の気分に、ちょうどいい……かも」
いつになく素直な感想を漏らし、朧がもう一口食べようとフォークを持ち上げた瞬間――――
どんよりしていた窓の外から、雲を突き破って強烈な日差しが差し込んだ。
「――あ……」
朧の瞳からアンニュイな影が消え、一瞬にして天真爛漫な輝きが宿る。
「わあ! 美味しそう! え、何これ、私の分!? いっただっきまーす!」
フォークを構えたまま固まっていた日和は、状況を理解するより先に本能で行動する。朧が食べようとしていた切れ端を口に放り込むと、返す刀でフォークをタルトに突き立てる。ザクッ! タルト台が小気味良い音楽を奏でる。
「うわあ……! 台がサクサクで、クッキーみたいに香ばしい! それに、このクリームチーズがふわふわで……甘さ控えめのジャムと甘酸っぱくてフレッシュな野イチゴと桑の実のハーモニーが最高……口の中が春のパレードだよ!」
両頬をリスのように膨らませ、幸せそうに身悶える日和。その満面の笑みは、まさに五月の太陽そのものだった。
だが、彼女が「おかわり!」と叫ぼうとした瞬間、ふっと表情から幼さが消える。窓から差し込む陽光が雲に遮られ、再び朧へと移り変わる。
「……最悪、私のタルトが……」
朧は、空の皿を見つめてどんよりと落ち込む。
「ほら、一番美味しいところだ」
「……どこだって同じじゃない」
しかし、たしかに青画の差し出したタルトはさっきよりも桑の実が綺麗で大きく見える。朧はほんのり嬉しそうに、外の様子を気にしながら急いで口へ運ぶ。
「…………っ!!」
噛みしめた瞬間、フレッシュな桑の実がじゅわっと弾け、甘酸っぱい果汁が口内に溢れ出した。自然な甘みを活かしたジャムの酸味が、クリームチーズのコクをキリリと引き立てる。
「ふ……ふーん……まあ、青画にしては、頑張ったほうなんじゃないの」
耳まで真っ赤にしながら、彼女はフォークで皿に残ったバイオレットの果汁を丁寧に、名残惜しそうに掬い取った。
「もう一切れ食べるか?」
「……うん」
暗い雲が張りだし雨粒が窓ガラスを軽やかに叩き出す。青画が差し出した三皿目を受け取ったのは、しっとりとした眼差しの雨音だった。
「ありがとうございます先輩。もう食べられないかと諦めかけていたんです」
雨音は目を閉じ、ゆっくりと味わうようにタルトを咀嚼する。
「……このタルト、森の土の匂いと、太陽の匂いがします。それに甘すぎないのが、すごく嬉しい。まるで……雨の中、大好きな先輩を見つけた時みたいな……甘くて優しい味がします」
最後にトッピングされた大粒の実を大切そうに食べ、雨音は赤紫に染まった指先をそっと唇に寄せるのだった。




