第七話 新緑の季節
「お兄さま、森林浴デートなんて素敵ですね」
青画の左腕に抱きついて嬉しそうなスマイルを浮かべる真白。
「真白、デートじゃなくて仕事だ。別宮の掃除しに行くんだから」
「いいえ、兄さま、これはデートです!!」
青画の右側で腕を組む日和が気合を入れた表情で力説する。
一般的に、別宮は本宮の境内にあることが多いのだが、高龗神社の別宮はかなり離れた森の奥深くにある。山そのものをご神体とする奥宮とは異なり、別宮は森そのものを神域として祀っているのだ。
参拝客が来る場所ではないし、小さな祠があるだけなので定期的に清掃したり破損などがないか確認している。今日は日和と真白が当番なのだが、青画はボディーガード兼お手伝いとして付き添っている。
天気もいいし、掃除以外はほぼ自由行動、まあ……二人が主張するように、ほぼデートである。青画は、参加したかったのに綾に泣きながら止められ、悔し涙を流しながら仕事へ向かった姉を思い出して苦笑いする。
「少し風が出てきた、覚悟はいいか真白?」
「はい、大丈夫ですお兄さま」
「あはは、大袈裟ですよう二人とも」
真剣な表情で気合を入れる兄妹を見て笑う日和だが、ここから先は一瞬たりとも気を抜けない。なぜなら――――
『ふはははは、薫風の乙女、春風の薫|推参っ!!』
爽やかな五月の風とともに、日和の人格が入れ替わる。
『くくく、この解放感……身体が風のように軽い!! 春風だけにっ!!』
髪色と瞳が萌黄色に染まる。薫は春風が吹くときにだけ現れる日和の春限定人格、このところ毎日のようにそして突然現れるのだ。
「薫ちゃん、こんにちは!!」
「また会えて嬉しいよ薫」
『おお!! 真白に婿殿ではないか。話したいことはあるが、遊ぶのが先ゆえさらばじゃ――――』
薫は風を纏って跳躍し、木の上へ――――
『ぐふうっ!?』
――――飛ぼうとしたが、身体に括りつけられたハーネスによって阻止される。
『なっ、なんだこれは……私は犬ではないぞ!!』
恨みがましい眼で真白と青画をじろりと睨む薫。
「遊ばせてやりたいのはやまやまなんだが……仕事が終わってからだ」
「そうですよ、お掃除終わらせたら解放してあげます」
自由奔放な薫は、あちこち飛び回って帰ってこなくなるので毎回大変な思いをするのだ。もっとも、一番大変なのは気付いたら知らない場所(主に木の上)に置き去りにされてしまう日和自身なのだが。
今回は対策として日和にハーネスを装着済み。さすがに街中では使えないが、ここは森の中なので人目も無いし問題ない。
『くっ、身体は拘束できたとしても心の自由までは奪われないぞ』
自由奔放な薫はお仕事が嫌いというわけではないのだが、正直優先順位はあまり高くない。
「薫……」
『なっ、なんだっ!? ち、近いぞっ』
青画にぐいと抱き寄せられて真っ赤になる薫。
「頼む、もう少しだけお前と一緒にいたいんだ」
ぷしゅー、薫の頬が湯気が出るほど熱くなる。
『ま、まあ……婿殿がそこまで言うなら……い、良いぞ』
「ありがとう薫」
『ひゃうっ、ひ、昼間から……そんな破廉恥な……』
おでこにキスされて膝から崩れ落ちる薫を見て、真白は面白がる。
「……おでこにキスでこんなになるんですから……唇にしたらどうなるのでしょうか? お兄さま、もし逃げようとしたら次は唇にお願いします」
『ま、真白っ!? そんなことをされたら……お嫁に行けなくなってしまう!!』
「何言っているんです? 薫はお兄さまと結婚するんですよ」
『た、たしかにっ!? だ、だがまだ早いというか……心の準備というか――――』
「薫、安心していい。俺は薫が嫌がることは決してしないから」
激しく狼狽する薫に助け舟を出す青画。
『あ……その……嫌というわけではなく……き、キスされるのは嬉しい……のだ』
「そうか……薫は本当に可愛い」
盛大に照れる薫の頭を撫でる青画に、真白が頬を膨らませる。
「お兄さま、薫ばかりズルいです!!」
「悪かった、おいで真白」
「はいっ!!」
薫風が三人の頬をさらさらと撫でる。触れ合う温もりに爽やかな五月の風が心地よくて自然と笑顔になる。
新緑の森がキラキラと輝き、春の花々が手を振るようにゆらゆらと揺れる。小鳥のさえずりが耳を楽しませてくれる。
どうかもう少しだけ頑張って吹いて欲しい――――
――――薫は気まぐれな風にそう願うのだった。
「これは――――思ったより大変そうだ」
森の奥にある別宮は冬の間に積もった落ち葉と絶賛繁茂中の雑草に埋没しかかっていた。三人で協力したとしてもかなり時間がかかりそうである。
『ふふふ、私に任せるのだ、落ち葉など一掃してみせよう!!』
薫がくるくると舞うと――――つむじ風が落ち葉を天空まで巻き上げ――――満遍なく散らばった。
「薫……さっきより散らかったんですけど?」
『くっ、こんなはずでは……』
真白のジト目に顔を背ける薫。
「あはは、せっかくのお掃除デートなんだから楽しまないと」
二人に箒を差し出す青画。とりあえずデートをつけておけば、五割増しに楽しくなる。
「そ、そうですよね!!」
『う、うむ、さすがは婿殿!! よし、私の箒さばきを見せてやろう』
二人がはりきって落ち葉を集めている間、青画はしゃがんで雑草を抜き始める。地味だが確実に綺麗になってゆく作業は嫌いじゃない。持ち前の集中力と手先の器用さで黙々と作業を続ける。
「……おかしいな、雑草が減るどころかむしろ増えてる」
慣れてきて作業効率が上がっているはずなのに、雑草は減るどころか増えている。そう思った矢先、目の前で新しい草が生えてきて――――疑念が確信に変わる。
「真白、薫は?」
気付けば風が止んでいる。ならば日和に戻っているはずだが――――
「えっと……なんか様子が変なんです……」
真白の視線の先には、別宮の鳥居に腰かけて二人を見下ろす日和が居た。その髪色は生命力に溢れる新緑で、瞳は透き通るような翠を映している。
「薫じゃない……あれは……まさか神がかり!?」
何度も経験しているからこそわかる。人格交代と神がかりは似ているけれど明らかに異質、似て非なるものなのだ。
『その通りだ……我は森神なるぞ。苦しゅうない、楽にするがよい』
「ほ、本当に神さま……なんですか!?」
真白はこれまで神がかりした日和を見たことがない。人格交代ではないかと半信半疑で尋ねる。
『ふふふ、小娘、お前に森神の偉大な力を見せてやろう――――』
ぶわあああ!! 新緑の輝きが大地を照らし――――
――――雑草がめっちゃ生えた。
「うわああっ!? す、すごい、すごいです森神さま!!」
『ふふん、そうであろう? よし、次はもっとすごいやつを――――』
「……あの、森神さま……お宮の掃除が出来ないんですが……」
申し訳なさそうに青画が頭を下げると――――
『ふむ、其方の申すことにも一理ある。だが、我は森神ゆえすべての植物の守護神でもあるからのう……』
たしかに森神さまの前で草を引き抜くというのは罰当たりな気がする。とはいえこのまま放置するわけにもいかないのも事実。どうしたものかと悩む青画。
『そうだな……さきほどから気になっている美味そうな匂いの食べ物を奉納するなら力を貸してやらんでもないぞ?』
どうやら森神さまは、お昼用に持ってきた手作り弁当が気になっているらしい。
「えっと……ただのおにぎりですけど?」
『うむ、そのおにぎりとやらを食べてみたい』
おにぎりの具は、日和の大好きなツナマヨ。森神さまのお口に合うかはわからないが、断る理由も選択肢もない。
「どうぞ、ツナマヨおにぎりです」
『ふむ……これは興味深い……どれ――――』
はむ。ツナマヨおにぎりを食べた森神さまの動きが止まった。
「お、お兄さま……これは……一体!?」
「お、お口に合いませんでした……か?」
ごくり 真白と青画は動かなくなった森神さま(日和)の様子を見守る。
『う……美味いいいいいいいいっ!!!!!』
「ひぃっ!?」
突然大声で叫んだ森神さまに、真白は咄嗟に兄の後ろに隠れる。
『な、なんだこれは……美味すぎる……』
「お、お口に合ったようで良かったです」
青画のツナマヨおにぎりが絶品なことに加えて、依り代である日和の好みも多少影響している可能性もあるけれど、どうやら気に入ってもらえたらしい。
『うむ、約束だ、宮の掃除……手伝ってやろう。力が漲っている今ならば山でも動かせそうだ』
森神さまが指で中空をすっとなぞれば――――宮に生えていた草木が地中から抜け出し、根を足のように使って大移動を開始する。落ち葉は一瞬で朽ちて土に還ってゆく。
「はあ……まるでファンタジーの世界ですね……」
「ああ……すごい力だ」
森神さまの力で見違えるようにすっきりとした別宮。
「森神さま、本当にありがとうございました。良かったら一緒に昼食どうですか? ツナマヨ以外も美味しいですし、デザートもあります」
『ほう……それは殊勝なことよ。うむ、同席を許す、ところで……デザートとはなんぞ?』
「とっても甘くて幸せな食べ物です。アップルパイって言うんですけどね」
レジャーシートを広げ、保温ポットから熱いお茶を注ぐ。森神さまは、シャケ、昆布、梅干しおにぎりを美味そうに平らげ、切り分けたアップルパイにかじりつく。
『はああああ……美味すぎる……。青画と言ったな? 果実があればデザートとやらを作れるのか?』
「はい、もちろんです」
森神さまは鷹揚に頷くと、木の枝を手に取って別宮の石畳をトン、と叩く。その瞬間――――森全体が鼓動のように振動した。
『芽吹けや 芽吹け 深緑の奥 紅玉の滴 紫の星 けものらよ ゆけゆけ 爪立てず 甘き雫を ここに集え』
歌が終わると周囲の森全体が何やら騒がしくなる。
『ふむ、容れ物が必要だな』
森神さまが枝を一振りすれば――――するする蔓が絡まって丈夫そうな背負い篭が出来上がる。
やがて近くの草むらがガサガサと激しく揺れ出して――――
まず現れたのはリスの一団。彼らは小さな手いっぱいに真っ赤な野いちごを抱え、篭の中に、ポトポトと落としてゆく。
次に、大きな鹿が角の間に桑の実がたわわに実った枝を引っ掛けてやってきて、誇らしげに鼻を鳴らす。
さらには、子熊が両手で大事そうに大粒の桑の実を捧げ、小鳥たちが空から熟しきった実を次々と落としてくる。
「わああ!! すごい……すごいですお兄さま!! 可愛いです!!」
「そうだな……ちょっと多すぎる気もしないでもないが……」
動物の数ではなく、果実の量がである。青画の目の前には、ずっしりと重そうな篭一杯の森の宝石がキラキラと輝いている。
『デザートが出来たら奉納せよ』
満足そうに森神さまが去ってゆく。入れ替わるように爽やかな風が吹いて――――再び薫が目を覚ます。
『なっ!? わ、私の分のお弁当は……? の、残っているのだろうな……?』
「大丈夫だ薫、それにほら、見事に熟した桑の実だ」
デザートに使うにしても多すぎる。薫は紫の宝石を手に取って――――ぽいぽい口の中に放り込む。
『はううう……美味しい』
はむはむとリスのように食べ続ける薫。気付けば指先が桑の実の果汁でワインレッドに染まっている。
『むむ、指が赤くなってしまった』
「大丈夫、俺が綺麗にするから」
ちゅう――――指先を青画に吸われて薫はフリーズする。
『あ……あの……ぷしゅう……』
風が止んで日和が出てくる。
「うにゃあっ!? な、何してるんですかああっ!?」
流れ弾で盛大に赤面する日和であった。
「……兄さま、ツナマヨまだ残ってますよね!?」
日和が真剣な表情で詰め寄ってくる。彼女にとっては切実かつ重要な問題なのだから無理もない。
「……あるけど食べられるのか?」
もちろん日和の分は残してあるが、森神さまと薫がすでに何個も食べている。物理的に入るのか心配だ。
「ツナマヨは別腹ですからっ!!」
ふんすと鼻息を荒くする日和。
「そうか、だがその前に――――」
ちゅう――――
「――――唇も桑の実の色に染まってるぞ」
「にゃあああっ!? ふ、不意打ち禁止っ!?」
真っ赤になって日和が倒れる。
「お、お兄さま……助けて……ください」
青画が振り向くと――――全身木の実に染まった妹が期待に瞳を輝かせているのだった。




