第五十九話 天岩戸大作戦
急遽、天河家に造営された大宴会場にはたくさんの虎龍が設置され、優雅な演奏と神楽の舞いが奉納されている。全国から選りすぐられた千人を超える巫女たちは、次々と運ばれてくる料理に目が釘付けになっている。
しかし――――残念ながら彼女たちがその料理を食べることはない。
何故なら――――神楽の奉納によって神がかりとなった巫女だけが着席を許されており、虎龍を囲んでいるのは漏れなく高天原の神々であるからだ。
『ふふふ、ようやく我らも食することが出来るのですね!! はあ……この時をどれほど待ちわびたことか……』
『まったくですわ。一部の神々だけが独占するなんてズルいです』
資質を持った巫女とはいえ、それぞれ相性というものがある。どんな神でも良いというわけではないのだ。そして――――巫女の数には限りがある。
八百万といわれる神々のすべてが降臨出来るはずもなく、今回降りてきているのは、神界でも高位の神々に限られる。席の無い神々は、仕方なく草木や石などに降臨し、せめて雰囲気や美味しそうな匂いを味わおうと先を争い特等席を巡って熾烈な争いを繰り広げている。
この日、天河家の屋敷は紛うことなき地上における高天原となっていた。
「一品目は、贅沢海の幸と冬野菜たっぷり常世の神籬特大鍋です。松葉ガニ、伊勢海老、天然クエ、寒マダラ、冬の霜降り白菜、千寿ネギといった冬の味覚の王様たちをこれでもかと巨大な大鍋にぶち込んで、特製スープでじっくり煮込みました」
凍結の掌で鮮度を最高レベルで維持された食材が一気に鍋の火にかけられると、極限まで濃縮された旨味を含んだ湯気が天河市の夜空へと立ち昇る。その圧倒的な香りは、降臨した神々を通して高天原の天岩戸まで到達する。
『くぅ……な、何ですかこの香ばしくも濃厚な海の旨味は…… 謹慎中ゆえ何も食べていないというのに……!!』
外の様子を窺う天照大神。ゴゴゴゴ……岩戸にわずかな隙間が生じる。
「二品目は、黄金玉子炭火親子丼です。清浄な水と大地が育んだ天河米の新米と鳳凰院家秘伝の紅蓮地鶏と紅蓮宝珠卵を合わせた究極の丼料理、ぜひご賞味ください』
天照大神は、日本の主食である米の神でもある。そんな彼女に捧げる究極のお米メニュー。炭火で香ばしく焼いたジューシーな冬の地鶏を、濃厚な黄身の卵でふわっトロに閉じたそれは、まさに黄金に輝く玉手箱である。これにはちゃっかり宴に参加している鳳凰院家の人々も感涙するしかない。
『あああ……なんてこと!! 米粒が一つ一つちゃんと立っているじゃない!! 食べたい……食べたい……っていうか皆で食べてズルいです……』
ゴゴゴゴ……岩戸がさらに開いて下界の様子をがっつり覗き見し始める天照大神。
そうしている間にも次々と料理が運ばれて――――
「次はデザートになります。極上冷凍みかんと黄金和栗の天岩戸ブリュレ・フォンダンショコラをご用意しました。こちらは天照大神様が籠っている天岩戸をイメージして作っています。スプーンで岩戸を開き、中のソースを解放してお召し上がりください」
外側は天岩戸をイメージしたサクサクのクッキーやキャラメリゼで包まれており、スプーンでその岩戸を割り開けると、中からアツアツの濃厚な栗のショコラと、爽やかな極上冷凍みかんの冷製ソースがトロ〜リと溢れ出す、ギミック満載の極上冬スイーツ。
『はわわわ……駄目……このままじゃ泥棒猫ちゃんたちに全部食べられちゃいますううううう……』
みかん大好きな天照大神には酷なデザートである。特に冷凍みかんには目がない。そして――――
『っ!? これは……岩戸が消えてゆく……? なるほどっ!! 皆が岩戸をイメージしながら食べることでこの岩戸という概念そのものが弱く脆くなっているという――――って、あああ、そんなこと言っている間にデザートがああああ!!!』
もう天照大神を遮る岩戸は無い。だが、だからといってここから出る名分がない。女神がギリリと歯を食いしばると同時にギュルルとお腹が鳴る。
『姉上、もう十分謹慎しただろう? 一緒に下界へ行こう』
『……須佐之男命…………』
手を差し伸べたのは天照大神の弟神で同じく天河家の祖神須佐之男命。絶妙なタイミングでの誘いに天照大神の心は大きく揺らぐが――――
『ですが……私はここを出るためにはそれなりの名分が必要……』
ぐぅぅぅ……ぎゅるる……っ!! 須佐之男命の腹が盛大に鳴る。
『た、頼むよ姉貴いいいいい!! もう限界なんだよっ!! 我、腹ペコ!!』
『……で、ですが……』
ぐぅぅぅ……ぎゅるる……っ!! 天照大神の腹も限界が近いがやはり名分がなければ動けない。
『ほらっ、いいからあれを見ろよ!!』
『なんのことです? はっ……あれは……まさか!?』
宴の中心にある一番豪華な虎龍の料理には一切手が付けられていない。
「天照大神さま!! 聞こえていますか? 今宵、私は全身全霊、魂を込めて天照大神さまのために料理を用意しました。この虎龍に並んでいる料理はすべて天照大神さまと須佐之男命さまの分です。しかし――――申し訳ございません……私の力及ばず……もう加護を維持することが出来そうもありません……非常に心苦しいのですが……出来立て、最高の状態はまもなく失われてしまうでしょう。もちろん冷めても美味しいですが……熱々はその十倍は美味しいのです!!」
青画の言葉に嘘はない。この大規模な宴において、青画は分身はもちろんあらゆる加護を総動員している。文字通り身を削り――――命を削る覚悟で臨んでいるのだ。
だからこそ――――その言葉と想いは真っすぐに天照大神へ届き、深く突き刺さった。
『……須佐之男命、行きましょう。可愛い子孫があれほど一生懸命に作ってくれた最高の奉納を無駄することは許されません、十分過ぎる名分です』
『ああ……その言葉を待っていた……我、もう限界』
その瞬間――――天河市全域が光に包まれた。太陽と月光が降り注ぎ、雨が降り風が雲を吹き飛ばす。雷鳴が轟き、雪と雹が入り混じって、海と山と大地が震える。
現在――――この場所に神々が降臨できる依り代はない。
そう――――黄河と紫乃、この二人を除いて。
『……ん、んんん……ふわあああ……よし、我、降臨!!』
寝ていたはずの紫乃がむくりと起き上がって大きく伸びをする。
『さて、急がなくちゃ!!』
『待て待てっ!! その格好で行くつもりか!?』
パジャマ姿で走り出そうとする天照大神の手を掴んで止める黄河こと須佐之男命。
『あら、たしかにこのままじゃみっともないですね』
ぱちん、指を弾くと一瞬で着替えが終わる。
『よし、先行くぜ、こういうのは早い者勝ちって昔から相場が決まってるんだ』
『へえ……私を出し抜けるとでも思っているのかしら? 貴方の分まで食べてしまっても文句はなしですよ?』
謹慎中、断食をしていた天照大神の凄まじい気迫、さすがの須佐之男命もこれには敵わない。
『んぐうっ、がつがつがつ、んううっ、もぐもぐ――――』
『うおおおおお、美味えええええ!! がつがつがつ、んぐっ、もりもり――――』
凄まじい勢いで食べ続ける天照大神と須佐之男命、もはや最高神の威厳などかなぐり捨てて食べることに集中している。
「ふふ、なんだか思っていた感じではなかったが――――それでも父上と母上がこうして動いているだけで私は――――」
両親と再会したわけではないけれど、黒乃は涙が止まらない。
「あれが……お父さまとお母さま……」
両親の記憶がない真白にとっては実感も懐かしさもないのだが、姉や兄によく似たその姿をみているうちに、心の中に何か温かいものがこみ上げてくる。
『上手くいったようだな青画』
「……はい、白山比咩神さまの……おかげです……」
すべてを出し尽くして青画はもう立っていられないほど疲弊している。
『いや、お前が頑張ったのだ。後は我々に任せて安心して休むがいい――――よくやったな青画』
(……父さん……母さん……)
慈愛に満ちた白山比咩神の胸の中で、青画は意識を手放すのであった。
「……ん……ここは……?」
「青画、目が醒めたのね!!」
意識が戻ると同時に懐かしい声が青画を優しく包み込む。夢にまでみた愛おしい声に心が震える。
「か、母さん……?」
ぎゅうっ、華奢な身体からは想像も出来ないほどの凄い力で抱きしめられる。
「ごめんね……心配かけて……こんなに大きくなって……苦労したよね……ごめんね青画……」
親として子どもの成長を見守ることが出来なかったということよりも、まだ小さかった子どもたちにどれほど苦労させてしまったのか、そのことが申し訳なくて悔しくて情けない。特に真白には親として何もしてあげられなかった。
「うん……そんなことない、声がね……聴きたかったんだ。夢でも良いって思ってた……でも……本当に良かった……母さん……母さん……」
話したいことがあり過ぎて、伝えたい想いがあり過ぎて――――とうてい言葉にはならなくて。それでも両手に感じる母の温もりはたしかにあって。
青画と紫乃はそのまま涙が乾くまでずっと抱きしめ合うのだった。
「父さん、そういえば姉さんの姿が見えないけど?」
「ああ……黒乃ならショックで寝込んでる」
嬉しくて、ならわかるが、ショックで寝込む? 首を傾げる青画。
「あのね青画、実は天照大神さまから伺ったんだけど……私たちの結界、黒乃の異能で解除出来たらしいのよ……」
「えええっ!? それってどういう……!?」
衝撃の事実にさすがの青画も驚きを隠せない。
「黒乃の時間を停める異能は天照大神さま直々に与えたもので、それがあるから天照大神さまは安心して謹慎していたらしいんだけど……ほら、黒乃って巫女の才能がまったくないでしょ? 天照大神さまの言葉が全然届いていなかったらしいのよ……」
もちろん天照大神の思い込みや確認不足が根本にあるわけで、黒乃の責任ではないのだが――――本人がショックを受けるのは痛いほど理解できてしまう。
「でもね、お詫びに天照大神さまから、私たちが眠っていた間の家族の記録を記憶としていただけたの。だから黒乃がこれ以上責任を感じることはないんだって伝えて欲しいの、あの子も青画の言葉なら素直に聞くと思うのよ」
あの事故で誰よりも苦しんできたのは黒乃だ。お詫びにこの記憶を消してくれてもいいんじゃないかと、天を仰ぐ青画。
「じゃあ俺は姉さんのところへ行ってきます」
「起きて早々申し訳ないけれど……お願いね」
とにかく落ち込んだ姉を目一杯甘やかそうと決意する青画であった。




