第五十六話 冬之神楽
「――――というわけで、私たちは白神山で山籠もりに入ります」
凛とした佇まい、大和撫子とはかくあるべしを体現した美しい所作、夏の春夏を知るものからすれば、誰この人!? となるほど冬の春夏は清楚で慎み深い。少し俯き加減のその表情は落ち着いていて、長い睫毛の隙間から垣間見える瞳はほのかに熱を孕んだまま青画を見つめていた。
「わかりました。なにか必要なものがあれば――――」
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが――――これは修行ですので助けていただくのは筋違いというもの。どうか我々が戻るまで信じてお待ちください」
謝意を示しつつも、甘やかさないで欲しいという断固とした強い意志。身の周りのことすらろくに出来ない春夏のことは心配だが、その点は世話係の巫女たちも同行すると聞いているのでまあ大丈夫だろうけれど。
「わかりました。美味しいものをたくさん作ってお帰りをお待ちしています。日和も気を付けて」
「白神山はずっと雪が降っているらしいから私の出番はたぶんないけどね」
苦笑いする日和。わざわざ山で修行をするのは、冬之神楽のためだ。他の四季神楽と違って、冬之神楽は降雪の中でしか出来ない。つまり――――日和ではなく、白雪が神楽を舞わなければならないということになる。
だからこそ、降雪量が日本有数の白神山で修行を行うことになったのだ。白雪からすれば寝耳に水、たまったものではないが、その仕打ちに本人はむしろ喜んでいるようなので問題はないとのこと。
「これは俺の我がままなんですが……最後にハグしても?」
修行に入ってしまえば三週間は会うことが出来なくなる。
「もちろんだよ兄さまあ!! いくらでも抱きしめて良いんだよ」
弾けるように青画の胸に飛び込んでくる日和。この小さな太陽無しで過ごす冬はきっと寂しいことだろう。青画は日和が満足するまで抱きしめる。
「わ、私は……恥ずかしいので……」
一方の春夏は耳まで赤くして顔を背けてしまう。
「ごめんなさい春夏さん……たった三週間も耐えられないなんて情けないですよね……」
「そ、そんなことはありません!! ああ……そんな顔されたら……もうっ、仕方ありませんね」
後ろからぎゅっと青画を抱きしめる春夏。
「後ろ……見ちゃ駄目……ですからね、私……酷い顔しているので」
「……はい、どうかご無事で」
――――三週間後、
天河市全域に雪が舞い散る中、白雪による冬之神楽が執り行われることとなった。神楽殿は、しんしんと降り積もる雪によってうっすらと白銀のヴェールがかかっている。凍てつく冬の寒気が肌を刺し、息を吐けば白く染まる氷点下の領域。その舞台の真ん中で、静かに立ち上がったのは日和――――ではなく、瞳に青き氷の万華鏡を宿した、雪の人格白雪である。
その冷徹なまでに美しく引き結ばれた唇と表情からは、普段の様子は微塵も窺うことは出来ない。まあ……喋らなければ白雪はいつもこんな感じではあるのだが。
「お待たせいたしました。皆さま……四季の最後を締めくくる冬の調べ、どうかその眼に焼き付けてくださいませ」
シャン、と澄んだ鈴の音が冬空に響き渡る。白雪が手にした神楽鈴は、白銀で作られた特別製。振るたびに、凍りついた冬の空気を震わせる硬質で澄んだ美しい音色が魂まで揺らす。
「……それでは早速始めさせていただきます」
夜半から降り続いた雪によって、見渡す限りの銀世界が広がっている。身を斬るほど冷たく澄んだ北風の中、白雪は氷華雪綿の織衣、純白の上衣と氷藍の小袖袴を着用している。羽織っている千早は、透け感のある薄手のオーガンジー素材で、裾に向かって美しい雪の結晶のグラデーション刺繍が雪の結晶のように煌めく。透き通った白髪が揺れるたびに、雪の結晶を模したガラス細工のかんざしが輝くさまは、どこか非現実な美しさがあった。
「……聞き届けたまえ」
白雪の纏う白装束の裾がふわりと舞うたび、彼女の足元から純白の結晶――――雪華が万華鏡のように広がり、舞台の床を凍らせていく。
シャン!
「慎み敬い 八百万の神垣に 御霊を乞い願わん――――」
彼女の指先が弧を描くたびに、降り注ぐ雪が生き物のようにふわりと舞い踊る。
「天つ風 地つ水 今こそ我が身を器となし 四時の巡りを此処に顕したまえ――――」
その舞は、春夏のような洗練には程遠く、日和のような華やかさもないけれど――――ただひたすらに静謐で、孤独で、どこまでも透き通った美しさがあった。
キィィィン――――鼓膜を震わせる美しい氷鳴りの音が響く。
「――顕れ給え、白き冬の主よ」
白雪の口から漏れ出たのは、世界の熱を奪い去るような、絶対的な神威を帯びた声。彼女が優雅に一歩を踏み出した瞬間、神楽殿の周囲一帯に、息をのむほど美しいダイヤモンドダストが光の柱となって爆発的に立ち昇る。無数の宝石が舞い散る中、大地が揺れ――――大気が震える。
すとん――――白雪から表情が消えて――――瞳が生気を失って凍てついた氷のような氷藍と黄金のグラデーションに染まってゆく。
冬の最高峰に君臨する山々の化身、不滅の白き霊峰の女神――白山比咩神が降臨したのだ。
『白妙の衣大地に敷き詰めて 万象こぞりて 眠りにつく 穢れを雪ぎ 清らけく 常しえの凪を 敷き布かん』
呼吸や鼓動すら凍り付いてしまうのではないかと錯覚してしまうほど凄まじい女神の威光、見守る黒乃や真白、朱璃、絵里香たちもその神気に圧倒されて動くどころか呼吸や瞬きすら出来ない。
(綺麗だ……白雪)
死の世界と紙一重の美しい暴力が渦巻く最中、まっすぐに白雪を見つめる青画の視線は、ダイヤモンドダストの暴風を貫き白山比咩神へ届く。世界を凍らせる冬女神の死の抱擁、凍てつく視線が青画の熱と共鳴し、チリチリと雪が溶けてゆく。
にこり――――女神の依り代である彼女の凍り付いた仮面が、ほんの少しだけ綻んだように感じるのだった。
『青画、何か温かいものを所望する』
誰も踏み込めないほどに熱く、甘美な視線で青画を見つめる白山比咩神。冬の女神だからといって、冷たいものが好きというわけではなさそうである。
「かしこまりました。とりあえず自家製ふかふかもっちりあんまんをどうぞ」
『おお!! これは可愛いのう、食べるのが惜しい』
ふわふわもっちり生地に描かれたシマエナガの絵がとても可愛らしいあんまんにかぶりつくと――――丁寧に裏ごしされた黒ごま餡の繊細な甘さと香ばしさが広がる。
『んふう……これは……神菓に匹敵する――――いや、凌駕するやもしれん』
凍てついた女神の表情が溶けてほんのり上気する。
「お口に合ったようでしたら光栄です。他にも用意しておりますのでよろしかったらお試しください」
『うむ、噂以上だ。青画には褒美をやらねばなるまい、よし、これを使え』
どこから取り出したのか、麻縄を差し出す女神。
「えっと……これでどうしろと?」
『決まっておろう、その縄で我の自由を奪った後、押し倒して無理やり口づけをするのだ』
どうやら冬の女神は白雪の――――いや、白雪は冬の女神の眷属だったらしい。遠い目をする青画だったが、否もなし。
「あの……せめて二人きりになれる場所へ行ってもよろしいでしょうか?」
『ほう……可愛い顔をしてなかなかに外道なのだな、よし許す』
さすがの青画も皆の前で女神相手に縛りプレイをする勇気は持ち合わせていない。一方の白山比咩神は何やら期待に瞳を輝かせているが、見ないふりをする。
『くっ、この卑しい人間風情が我を辱めるつもりか!! 加護は奪われても心までは奪えぬと知れ!!』
必死の抵抗を見せる白山比咩神。このやりとり必要? と思いつつも、優しい青画は何も言わず寸劇に協力を惜しまない。
「くく、女神といっても、この神縄、天縛荒縄から逃れる術はない。覚悟するんだな」
『や、やめろ、い、嫌あああああッ!!!』
『さて、この加護は、凍結の掌という。お前が解かぬ限り永遠に凍らせることも可能だ。ちなみに生き物を凍らせても死ぬことはないから安心しろ』
「ありがとうございます、白山比咩神さま!!」
少し考えただけでもめちゃめちゃ料理が捗りそうで青画はあふれる喜びを隠さない。
『ふふ、料理もそうだが……お前は本当に可愛いな。もっとこうしていたいのだが――――あまり長居するとこの者が危険だ。本当はとっくに限界だったのだが……喜んでいるようだったので甘えさせてもらったがな。また来る』
きちんと修行して神がかりに慣れている日和と違って、白雪にとっては初めての神がかりは負担が大きい。ただでさえ冬之神楽で消耗しきっているのだからなおさらだ。
白雪の身体から神気が霧散して、瞳に生気の輝きが戻ってくる。
「大丈夫か白雪……?」
春夏や日和ですら神楽奉納の後は動けなくなるほど疲弊するのだ。もともと白雪は雪のように肌が白いのだが、今の青画にはそれが心配でならない。
「え、えへへ……死ぬかと思いました……最高の気分です」
いつもの白雪のようで安堵する青画だが、やはり負担は大きかったようだ。呼吸は荒く、目の焦点が合っていない。
「指一本すら動かせないですね……これは……チャンスですよ青画さんっ!!」
「……チャンスとは?」
「ハアハア……身動き出来ない私をめちゃめちゃにするチャンスです!! さあ、さあ!!」
期待に瞳を輝かせるくらいなら可愛いものだが、その言動も表情も完全に一線を超えているし、動けないのに襲い掛かって来そうな圧が凄くて余計に怖い。青画は盛大にため息をついて――――
「却下だ、お前の望むことはしないと言っただろ。嫌がるお前を徹底的に甘やかして温かくて美味しいものをたっぷり食べさせてやるから覚悟しておけ」
「そ、そんな殺生な……お、お願いします、それだけは勘弁して――――い、嫌あああああッ!!!」
青画に全力で介抱されて幸せな絶叫が響き渡る。言葉とは裏腹に身体は正直な白雪なのであった。




