第五十三話 抗いがたい誘惑
ビュウウウウ 強い北風が吹き抜ける中、朱璃と絵里香は互いに身を寄せ合って身体を震わせる。
「ううう……寒いですわね」
「はい……温暖な鳳凰院市との落差で余計に寒く感じます」
ここ天河市の冬はかなり厳しい。温暖な鳳凰院市はもとよりあまり氷点下まで下がらない東京しか知らない二人にとって、初めて迎える本格的な冬がやってきた。
本社ビルから屋敷までは徒歩十五分程度しかないのだが、遮るものが何も無い吹きさらしなので体感気温は実際よりもかなり低く感じてしまうのだ。
「やはり……地下通路を繋げるべきですわね」
「そうですね……今でこれなら真冬は命が危険です。すぐに金剛お兄さまにおねだりしてください」
現在、高龗家と天河家を地下で繋げる工事が進められているので、そのついでにお願いすれば問題ないだろう。地下通路はいざという時には避難用にも使えるし、決して寒いからだけではないのだから。
「朱璃と絵里香、天河の冬を舐めるな……そんな薄着じゃ凍死する」
凍える二人の前に現れたのは、屋敷からやってきた灰月クラリスこと望月。
「そういう貴女だって秋物のメイド服ではないですの?」
「ふ……私は鍛え方が違いますからまったく寒くないです」
真冬でも水の中を泳げる望月にとっては、木枯らし程度ぬるま湯でしかない。
「おーい、望月!!」
おそらく屋敷から追いかけてきたのだろう、青画がこちらにやってきた。
「っ!? 青画さま、どうなされたのですか?」
「こんな寒い中風邪ひいたら大変だろ? ほらコート持ってきたから」
差し出したのは、天河家の家紋が入った英国式のインバネスコート、天河家のメイドに支給されている特注品だ。これが欲しくてメイドになる者も多く、実際、天河市では一種のステータスシンボルにもなっている。
「ありがとうございます、寒くて凍えそうでした」
……朱璃と絵里香のジト目をものともせずに、しれっと震えてみせる望月。
「ちょっと待ってろ、今、温めてやるから」
望月にコートを羽織らせると、そのままぎゅっと抱きしめる。青画の体温と加護の力でぐんぐん体温が上昇して――――
「ふへえ……」
耳の先まで真っ赤になってしまう望月である。
「青画、私も寒いですわ……」
「指先の感覚が無いです……」
「それは大変だ!!」
とはいえ、コートはもう無いし、青画自身も上着を持ってきていない。
「ほら、二人ともおいで」
「……え!?」
「え、えええっ!?」
困った青画は、二人を抱き寄せ服の中に手を入れさせる。極限まで鍛え上げられた肉体は加護の力でカイロのように暖かい。
「加護を使ってるから暖かいだろ?」
「はえ~暖かいですわあ……」
「身体の芯まで暖まりますねえ……」
冷たい木枯らしが吹きすさぶ中でも、この場所だけはほんわか暖かい。そして――――青画の生肉体はずっと密着していたいほど心地良い。
「いや、暑すぎますって!!」
コートを着た状態で三人に温められている望月が真っ赤になって叫ぶのであった。
「ふふ、今年もこの季節がやってきたな」
「はい、極上のみかんも取り寄せ済みですよ黒乃姉さま!!」
不敵に笑う黒乃と真白の姉妹。天河家の屋敷は歴史的建造物なのだが、それは外見だけで中身は最新テクノロジーを駆使した超近代住宅である。当然、冷暖房などの空調設備も万全なのだが――――あえて皆がくつろぐ居間は昔ながらの空間を維持しているのだ。
その理由は――――こたつである。
寒い冬にしか味わえない最高の楽しみであるとともに、家族のスキンシップを深めるのにこれ以上のものは存在しない。
今年からはメンバーが大幅に増えたので、居間の改築が行われた。こたつも皆で入れるように巨大な円卓状のものがどどんと設置されている。
その名も――――天河家神級魔道具、虎龍である。
黒乃、青画、真白、日和(雨音、朧、響ら含む)、春夏、綾、朱璃、絵里香、望月そして――――カグツチホムラ、このメンバーは優先的に虎龍を利用できるし、家族会議の際にはきちんと席が決められている。この席は公平を期してくじ引きで行われたので、恨みっこなし。毎年くじ引きで席替えが予定されている。
「ほええ……もう二度と出られないかもしれない……」
早速こたつむりになっているのは、日和である。最高の素材が使われた神級虎龍の快適さは伊達ではない。一度入ったら最後、抜け出すことは容易ではないのだ。
「うんうん……ぬくぬくしながらこの程よく冷えた極上のみかんを食べる……んふううう!! きっと常世の国とはこういう場所なのでしょうね……」
常世の国とは、海の遥か彼方にあるとされる、不老不死、永遠の若さ、そして富と幸福に満ちた国。常に若々しく清らかな光に満ちており、時間の経過すら異なるとされる神々となった祖霊たちが住まう楽園のことである。どんな場所であるのか知るものはいないけれど、少なくとも今この場所が最も楽園に近いというのは間違いないだろう。
「ところで日和、春夏さんは来てないのですね? 誰よりも早く来てごろごろしてそうなものですけど」
一応上司である宮司に向かって酷い言いようだが、完全に日頃の行いの賜物なので完全に春夏の自業自得である。
「あはは、寒くなって来たからね、お母さん遠慮しているみたい」
気温が下がったことで、奥ゆかしい大和撫子モードになっている春夏。真白は夏の日々を思い出して――――あれほど困らされたけれど、今となっては夏の春夏が少しだけ恋しく感じる――――ような気が一瞬したけれど、冷静に考えたら、そうでもなかった。
ところで、先程から日和と真白しか話していないが、実際は結構な人数が虎龍に入っている。
しかし――――黒乃、綾、朱璃、絵里香は仕事明け&お風呂にも入って完全に寝落ちしている。虎龍で寝ることは死に直結するほど危険であるが、青画の加護の力によって、快適さは最高に保たれたまま、危険性は排除されているので、朝まで寝ていても健康に影響はない、どころか良い影響しかない。
つまり――――寝るしかない。
その青画はといえば――――両親の回復のために力を使い果たして同じように爆睡中である。当然その周りには黒乃を始めとした面々がくっついていそうなものだが、事前に皆で決めたルール、虎龍で寝ている時は邪魔しないによって平和な眠りが保たれている。
「ところで……カグツチ先生いつから虎龍にいるんですか?」
虎龍の隅で黙々とみかんを食べ続けるマシーンと化しているホムラを見て呆れる真白。今日はお休みの真白と日和も朝からずっとこたつむりだが、ホムラはその前から虎龍の守護神のように鎮座している。
「いつからって……虎龍が設置された時からに決まっているでしょ……」
「えっ!? じゃあ昨日からずっとここにいるんですか!?」
「ええそうよ、私は決めたの、ここに骨を埋めるって!!」
「いや……なんかカッコイイこと言ってるみたいな空気出してますけど……それダメ人間宣言ですからね!?」
真白のツッコミも虎龍の魔力には通じないらしい。ホムラは新たなみかんに手を伸ばすと、器用な手つきで皮を剥いてゆく。さすがは日本一の造型師だけのことはあるということだろう。
「無駄に技術が凄いね……」
「剥いたみかんの皮でなんか凄いの作ってるのがまた……」
呆れる真白と日和だったが、みかんの皮で作られた青画人形は普通に欲しいクオリティである。
「ところで真白ちゃん、なんで虎龍とか無駄にカッコいい名前付いてるの?」
こういう無駄に好奇心が強いところはホムラのクリエイターとしての性なのだろう。
「ああ、それはですね、神代の時代に遡りますが、虎神さまと龍神さまがどちらが強いか争ったことがあるのです。その戦いは七日七晩続き、世界はその余波で滅茶苦茶になってしまったのですが――――それを憂いた天照大神さまが伊斯許理度売命に命じて作らせたのが始まりだと云われています。虎神さまと龍神さまは、あまりの心地良さに戦いをやめたことから転じて、虎龍と呼ぶようになったんだとか。ちなみに、こたつでみかんを食べるのは、神々が非時香菓を虎龍で食べていた名残なのです」
真白の話は通説とは違い過ぎてにわかには信じられないが、日本で一番古い家系である天河家の直系子孫というのは説得力があり過ぎる。
「まあ……そのおかげでこうしていられるんですから……神々に感謝ですね……」
「感謝するのは良いですけど……明日はお風呂に入ってくださいね?」
「……うーん……前向きに検討するわ……」
駄目だこの人、絶対に入る気ないだろ、そう確信する真白と日和であった。
「ただいま戻りました――――」
本社ビルで動画配信をしてきたついでに虎龍で食べるためのお煎餅や和菓子を買って帰ってきた望月だったが――――すでに起きている者は一人もいなかった。
「やれやれ……虎龍の魔力というものは凄まじいですね……」
鍛え上げられた鋼の精神力を持つ望月ですら、その誘惑には抗いがたいものがある。
でも――――
「私には……こちらのほうがずっと魅力的なのですよね」
ルールがあるから邪魔することは出来ないけれど。
「ふふ、可愛い」
青画の無防備で可愛い寝顔を優しく見守る望月であった。




