第五十話 灰燼宮
「ところで婿殿、水天主殿の姿が見えないようなのだが……?」
「え? 姉さんなら最初から居ますが――――」
「フハハハハハ、ようやく話を振ってくれたな、このまま挨拶が終わってしまうのかとヒヤヒヤしたぞ」
「うおっ!?」
「ひえっ!?」
気配を消していた黒乃が突然姿を現したので ビクッ!? 一斉に驚く鳳凰院家の人々。
「姉さん……なんで気配を消していたんだ?」
「いや、せっかくの絵里香の里帰りだから家族水入らずにしてやろうと思っただけだ。結果、出るタイミングを失ってしまったのだがな!!」
「あ、あはは……姉さんらしいな」
一見豪胆で大雑把に見える黒乃だが、実は誰よりも繊細で気遣いの人なのだ。そんな姉のことを青画は心から敬愛し、とても誇りに思っている。
「おお!! お会い出来て光栄だ水天主殿!!」
「これからは家族なのだから黒乃で良い。私も焔真殿と呼ばせてもらおう」
「うむ、では黒乃殿、娘二人が嫁ぐのだ、これからは両家の関係がより強く末永く続くよう手を取り合おうではないか」
「うむ、よろしく頼む」
天河家と鳳凰院家、国内で最も歴史のある名家のトップ同士がガッチリと握手をする。そして――――表と裏を司る両家が手を結んだことの意味はとてつもなく大きいゆえに、この婚約は決して公表されることは無い。そもそも天河家は事実婚の伝統があるので書類上の夫婦になることがないということもあるが。
「ハハハ、それにしても婿殿は本当に男前だな!!」
焔真が上機嫌で青画を褒めると――――
「ええ、朱璃が惚れてしまうのも無理ないですわね」
「そうですね、絵里香が羨ましい限りです」
待ってましたとばかりに朱璃の母、麗火と絵里香の母、亜理紗も青画を熱っぽい眼差しで見つめる。
「ふふん、青画は見た目だけの男じゃないんですのよ? 優しいし、絵も上手くて、とっても強くて料理も天才的ですの!!」
「はい、控えめに言って地球で一番素敵な男性だと思います」
「ふふふ、私の弟は宇宙一だな、異論は認めない」
ここぞとばかりに惚気全開の三人にさすがの青画も居心地が悪い。
「そうだ、もし厨房をお借り出来るなら何か作りましょうか?」
いたたまれなくなった青画は、この場を抜け出すために提案する。
「おお!! それは願ってもない!! 実は婿殿の料理を一度食べてみたかったのだ」
調査のため天河市に送り込んでいた諜報員たちから送られてくる青画の料理の食レポがあまりに切実かつ破壊的だったので、気になって仕方なかった焔真。だが、客人として招いておいて料理を作らせることなど誇り高い鳳凰院家の人間として出来るはずもなく。青画からの申し出はまさに渡りに船であった。
「それは素敵ですわね!! 私も青画さんのお料理食べてみたいですわ。亜理紗、案内と手配お願いできるかしら?」
「はい、もちろんです」
麗火に至っては、食べた過ぎて、巫みことの料理動画をすべて視聴済みである。先ほどから楽しみ過ぎてソワソワしていたくらいである。
「では青画さま、厨房へご案内しますね」
「お願いします」
「あ、鳳凰院家の厨房は女人禁制なので――――」
青画の背後に影のように付き従う望月に声をかける亜理紗。
(この女……私の隠形に気付いた? 伊達にメイド長やっているわけではなさそう……)
本気で隠れていたわけではないけれど、それでも望月の隠形は本職の人間ですら察知出来ない最高レベルなのだ。
「望月、大丈夫だ。姉さんのこと頼む」
もちろん青画の強さは知っている。望月よりもはるかに強い。そして――――その青画でも手も足も出ないのが黒乃。正直、護衛する必要性など存在しないが、それでも――――青画は頼むと言った。
黒乃はたしかに無敵と言っていいほど強いけれど、その能力と責任感が強すぎるゆえに頼ることが得意ではない。幼馴染の親友綾、弟の青画はそんな黒乃が頼ることが出来る数少ない人間。青画が居ない間、黒乃が少しでも楽しめるように助けてやって欲しい、そして――――望月にはそれが出来るという信頼。
青画が言葉にしなかったその意味を望月は正確に理解していた。
「かしこまりました。全力でご期待に応えてみせます」
そういって振り返った瞬間――――そこには護衛の望月ではなく、灰月クラリスが立っているのであった。
「いやあ……本当に広いですね、迷子になってしまいそうです」
「ふふ、鳳凰院家の厨房にはなんでも揃えておりますので、好きなだけ使ってくださいね。私は厨房には入れませんが、すべて青画さまの指示と要望に従うように言いつけておきます」
そう言って微笑む亜理紗の理知的な瞳は、絵里香とよく似ている、いや、実際は絵里香が亜理紗に似ているのだが――――青画は思わず未来の絵里香を想像してしまう。
「ん? もしかして絵里香のメイド姿想像しちゃいましたか?」
「えっ!? あ、いや違いますって。それよりさっきよく望月に気付きましたね? 彼女の隠形相当レベル高いんですが」
慌てて話題を変えつつも、でも似合いそう……とか思ってしまう青画。
「ああ、私、昔から人並外れて嗅覚が鋭いんです。人の顔は忘れても一度嗅いだ臭いは絶対に忘れないくらい。これ、内緒ですからね」
まるで犬みたいだな。忠犬メイド……という言葉が浮かんで思わず笑ってしまう青画。
「あら……私何か面白いこと言いましたか?」
「ごめんなさい、亜理紗さんのことを笑ったわけでは」
「……本当ですか? 私、嘘ついている臭いもわかるんですよ?」
青画の胸に顔を埋めて、思い切りスーハ―スーハ―する亜理紗。
「なるほど……あの護衛メイド、望月さんのことでしたか」
「そ、そんなことまで臭いでわかるんですかっ!?」
「ふふ、さあ……どうでしょう?」
悪戯っぽいウインクで誤魔化す亜理紗。さすが実力だけでメイド長までのし上がっただけのことはあり、底が見えない。
「そんなことよりも……青画さまの匂い……癖になってしまいそうです。もう全部上書きされてしまいました……責任……とってくださいね?」
頬を赤く染めて熱っぽく潤んだ瞳で見つめてくる亜理紗。そうでなくとも母性に飢えている青画は年上女性を女神のように大切にする。ましてや義理の母となる女性ならば言うまでもない。
「わかりました、厨房に着くまで好きなだけ嗅いでください」
「ありがとうございます、青画さま。出来れば抱っこしていただけると嗅ぎやすいのですが」
「そのくらいお安い御用です」
並みの男なら動揺したり躊躇するところだが、青画にとってはこの程度日常そのものである。流れるような無駄のない動きで亜理紗を抱き上げてお姫様抱っこする。
「まあ……なんだかお姫さまになったみたいな気分です……それになんだか触れられているだけで癒されるような気がします」
実際にお姫様抱っこされたことのある女性がどれだけいるだろうか? まして青画の迷いのない力強く洗練されたソレは、亜理紗を高揚させるのに十分過ぎる殺傷力がある。
「そうですか? まあ……慣れているので」
いつもの癖で、うっかり加護を発動してしまった青画だったが、今更止めるわけにもいかないので、微笑んで誤魔化してみる。
「青画さま、娘ともども末永くよろしくお願いします」
言葉だけ聞けばじつに母親らしいものであったが、青画の匂いをくんかくんか嗅ぎながら言われても普通は背筋が伸びる感じはしない。
「はい、よろしくお願いします!!」
もちろん青画の場合は別だ。臭いを嗅がれながらも、堂々と胸を張って力強く宣言するのであった。
「はあ……はあ……もう……限界だ……」
一方で青画の居なくなった部屋では危機的な状況に陥っていた。
(灰月クラリスさまを前にしてこれ以上自分を抑えるなど不可能……)
本物の灰月クラリスが目の前にいる、炎帝焔真の自制心はすでに限界を超えてしまっていた。燃え盛る内なる炎が焔真を突き動かし、ほとばしる情熱そのままに言葉があふれ出てしまう。
「灰影月宵こと灰月の影を統べる月下の無双侍従クラリス殿、灰影月宵の刻を裂きて紡がれし映像記録、我が紅蓮の眼は常に見届けている。その静謐なる影の舞、余の焔すら鎮める至高の技よ」
「……ちょっと何言ってるのかわかりませんのでやり直せ」
炎帝焔真、渾身の褒め言葉だったのだが、望月は安定の塩対応。
「クラリスたん~!! いつも動画観て癒されてます!!」
「焼き鳥風情が近寄るな、この可燃物」
「あひいい、ご褒美ありがとうございます!!」
先ほどまでの感動的な空気はどこへやら――――
「朱璃お姉さま……前言撤回してもよろしいでしょうか?」
「奇遇ですわね絵里香、私も父娘の縁を切ろうかと思っていたところですわ」
「ねえ朱璃、青画くんの席ってまだ残っているのかしら?」
元々父とは距離のあった二人はもちろん、かなり理解のある妻、麗火ですら、さすがにこんな姿を見せられたら百年の恋も醒めるというもの。
ご褒美と引き換えに――――大事なものを失いそうな炎帝である。
「望月、炎帝が灰燼宮で灰月クラリスの動画撮影して欲しいらしいぞ?」
「……構いませんが、なぜ私に直接言わないんです?」
「お前と話すと家族を失うことになるからだろ」
「……なるほど」
黒乃を助けるためにサービスしたのが裏目に出たかと反省する望月。青画のこと以外興味がない彼女であるが、相手が青画の家族になるのであれば話は別だ。それに――――青画と結ばれるということは、間接的に望月の家族と言えなくもないわけで。幸せな未来を想像してほのかに頬を染める望月であった。
「へえ……これは凄いですね」
鳳凰院家の灰燼宮は、その財力と技術力を惜しげもなくつぎ込んで建造されたガチ勢本気の結晶。さすがの望月も、よくもまあここまで再現したものだと高揚感を覚えてしまう。灰月クラリスにとって、灰燼宮は青画が考案してデザインしてくれた大切な彼女の家、それが現実になったのだから嬉しくないわけがない。適当な出来だったら破壊される運命だったが、焔真の本気が灰燼宮を救ったのである。
今回、灰燼宮において撮影するのは、灰月クラリスの人気コンテンツ「戦ってみた」である。
そのリアルで本格的な戦闘シーンと、戦うメイドさんというみんな大好きなパワーワードの相乗効果で視聴回数は毎回大きく跳ねる。実際は、諜報員としての活動をそのまま加工して動画にしているだけなのだが……。
「というわけで、今回は灰燼宮を襲ってきた忍者や侍軍団と戦うシーンを撮ります」
鳳凰院家から選抜された忍者、侍がずらりと並んで指示を待っている。ガチ戦闘が売りなので、当然集まった者は本物の強者たち。
「いかにも海外受けしそうなネタだな、楽しそうだから私も参加して良いだろうか?」
こんな楽しそうなもの、黒乃が黙っていられるはずがない。それに青画の料理が待っているのなら、運動して腹を空かせておきたいという思いもある。
「では黒乃さまは灰月クラリスの仲間枠で参加お願いします」
「心得た」
そして――――当然ながら、炎帝や焔牙と烈火もやる気満々で参加している。灰月クラリスにボコボコにされるご褒美チャンス、逃せるはずがないのだから。
「金剛お兄さまは参加されないのですか?」
「言ったよね? 俺は朱璃推しなんだって」
「はあ……言いましたわよね? その台詞が許されるのは青画だけですわよ」
「はいはい、わかってるさ……」
「ですが――――金剛お兄さまが実はマシなのだということがよくわかりましたので、少しだけ評価を上げておきますわね」
「しゅ、朱璃……!!」
感激する金剛。実際のところ、少し上がったところでまだマイナスなのだが、それを言ったら可哀想なので黙っていてあげる心優しい絵里香であった。




