第四十四話 青画と望月
「いいかい望月、我々月読は天河家を守るために存在しているんだ。だから常に己を鍛え続けなくてはならない」
「ですが父上……当主様はとても強いのですよね?」
天河家の直系はほぼ例外なく強力な異能を有している。代々月読を率いる灰原家当主であっても異能を使われたらまず勝負にならないと聞く。
「そうだな、たしかに強い。だが同時に人間だ、命は一つしかないし目は二つしかない。食事や睡眠を取らなければ死んでしまう。それに――――本人は無事だったとしても周りの人間はそうではない。大切な人を失えば心が死ぬこともあるのだからね」
「どんな人間にも弱点はある……ということでしょうか?」
灰原家の人間は、物心ついた頃から月読として育てられる。戦闘術、諜報術はもちろん、薬や毒の知識、あらゆる状況を想定して訓練が施されるのだ。
「そうだ、そして――――それは我々にも同じことが言える。だからこそ日々の積み重ねが大事なのだ。何かあってから後悔するようなことになっては取り返しがつかないからね」
当主とそのご家族が事故にあったことは聞いていたが、はっきり言えば実感が無かった。それでも――――普段感情を見せない父が、後悔と苦渋に満ちた表情を見せたことで、ことの重大さが伝わってきた。
「望月、青画さまのことは知っているな?」
「はい、もちろんです」
天河家当主の長男、天河 青画さま。お会いしたことはないが、情報は叩きこまれているので、知らないことはないくらいよく存じ上げている。おそらくはご本人よりも。
「……今、天河家は危うい状況だ。黒乃さまが当主になられたがまだ幼い。この状況で敵対的な勢力が動く可能性もある。望月、お前には青画さまの護衛を頼みたい、出来るな?」
青画さまと私は年齢も近く、一緒に行動していても不自然ではない。もちろん月読が周囲を固めているが、やはりすぐ近くで護衛する者が必要になる。
いざという時には――――身体を投げ出してでも盾になれる者が。
私はまだ未熟だが、周囲の大人に混じって訓練を受けている。身体的な不利を補うだけの知識と技術もある。
「はい、出来ます」
正直、主のためとか忠誠心とかそういうことはよくわからない。ただ、ようやく自分が役に立てるのだという強い高揚感に突き動かされただけ。
「ふーん……あれが青画さまか……」
もちろん写真や動画で知ってはいるけれど、リアルタイムで自分の眼で確認するのとは情報の質が違う。保存された時点でその情報はすべて過去になるからだ。
特に――――青画さまの場合は昨日の情報ですらあてにならない。とにかく成長速度が尋常ではないのだ。
「この目で見ていても信じられない……」
早朝から始まる訓練は、意識を失って倒れ込むように眠るまで続く。しかもその訓練の合間にもあり得ない量の勉強もこなしている。
それだけではない。姉の食事だけでなく身の回りの世話、幼い妹の面倒までみている。メイドに任せることも出来るはずなのに、なぜかそれをしないのだ。
先代様の方針で、青画さまは一般の小学校へ通っている。これは社会一般常識を養うためのものだが、メリットばかりではなく当然リスクもともなう。そこで学校内での護衛が私に与えられた任務となるわけだが、不特定多数が出入りする学校での警護は困難を極める。天河家から派遣された教諭らと連携して不審な人物がいないかのチェックも随時行わなければならない。
「ねえ望月、一緒に遊ばない?」
「申し訳ありませんが任務中ですので」
青画さまはたまにこうやって声をかけてくるから困ったものです。
「それはわかってるけど、ずっとそれじゃあ望月がつまらないよね」
「そんなことはありません。青画さまのご無事な姿を見ているのは楽しいですよ」
そんな目で見つめないでください……楽しいというのは本当なのですから。
「じゃあ……頑張っている望月にこれあげる」
「……これは……クッキーですか?」
「うん、上手く出来たからご褒美だよ」
「あ、ありがとうございます……帰ってからいただきますね」
たとえ青画さまが作ったものだとしても、出所が確認出来ないものは口にしないのが鉄則。護衛が万一にも行動不能になるわけにはいかないからだ。
「そっか……そうだよね……じゃあ……俺が半分食べるからさ」
自ら半分食べて、何も無かったことを確認した後でクッキーを差し出す。
「ほら大丈夫、毒なんて入ってないから」
い、いえ……毒よりも……か、間接キスなんですが……!?
と、とはいえ、ここまでされて食べないのも失礼になりますね。
「……どう……かな?」
「……美味しい!!」
思わず声が出てしまうほどに美味しかった。
「そっか……良かった」
ほっとしたような、嬉しそうな表情に胸がぎゅっと苦しくなる。
そのクッキーは、私がそう思いたいだけかもしれないけれど、青画さまの優しさと思いやりの味がして、心がぽかぽか、じんわりと奥まで沁みてきたのです。
「望月、とても似合ってる、すごく可愛い!!」
「そ、そうでしょうか?」
屋敷内での警護のために、子供用のメイド服を用意してもらった。もちろん武器や色んなものを隠せる特別仕様。
あくまで仕事用の服装なのに――――青画さまに可愛いと言われたことが嬉しくて鏡の前で何度もポーズをとったりしたのは内緒です。
「見て、望月をモデルに絵を描いたんだ」
そういえば青画さまは元々絵がお好きだった。事件の後、しばらく描かれていなかったようですが、また描き始めたのですね。
「っ!? これが……私!?」
そこには大人になった私の姿が描かれていた。
「うん、メイドに変身すると大人になるんだ。それでね、悪い奴らをやっつけるんだよ。正体がバレたらマズいから――――名前は灰月クラリスって名乗ってるヒーローなんだ」
私には四分の一英国の血が流れている。だからクラリスってつけてくれたのでしょうか?
「とても素敵ですね。ですが……私はそんなにカッコいいヒーローにはなれません」
「ううん、望月はいつも守ってくれている……俺のヒーローだよ」
護衛……失格です……涙で視界を遮られるなんて――――もっと精進せねば。
「望月、雪だよ!!」
「はい、綺麗ですが雪は情報が制限されるのであまり嬉しくはないですね」
「そっか……でも――――望月と雪……とても綺麗だな」
「そういうことは安全なお屋敷でお願いします」
「ごめん」
ふう……空気は冷たいのに顔が熱い。青画さまと一緒に雪を見ることが出来た。そのことに少し浮かれていたのかもしれない。
キキィィィィ――――猛スピードで接近してくる黒塗りの車――――
ほんのわずか反応が遅れた。明らかにぶつけにきている圧倒的な質量、青画さまを抱えて避けるのは不可能。考えるまでもない――――青画さまを突き飛ばして――――
『――――夜叉神』
ゾクッ 凄まじい力の奔流に全身が震え、呼吸すらままならない。
私が動くよりも早く車の前に飛び出した青画さまは――――素手で車の突撃を止め、そのまま上に持ち上げると車のエンジンを握りつぶして粉々に破壊した。
運転していた男たちは、青画さまの力にあてられ、ある者は気絶し、ある者はろくに動けずに駆け付けた月読に連行されていった。
「も、申し訳ございませんでした私がもっと早く――――っ!?」
青画さまが泣きながら震えていた。
「俺が――――守らなきゃ……絶対に……」
そうか……青画さまのご両親は……車の衝突事故……でしたね。
違う……そうじゃない。ここは謝るところじゃないですね。
「青画さま……守ってくださりありがとうございました」
「望月……怪我はない?」
不安そうな瞳が涙に濡れて――――心が圧し潰されそうになる。
「はい、青画さまのおかげで無事です。って、ここ切れてるじゃないですか!?」
素手で車を破壊したのに切り傷だけ……本当に異能は凄い。でも――――本当に凄いのは……事故をフラッシュバックするような恐怖と動揺の中で、それでも私を守ろうと動いたその心の強さだ。
「これくらい大丈夫だよ、唾つけとけば治るって」
ふふ、そういうところ……青画さまも男の子なんですね。
「大丈夫じゃありません。もう……し、仕方ないですね……」
どうせ唾つけるなら――――私が――――
「み、望月!? 自分で舐めるから大丈夫だよっ!?」
「駄目れす……ばい菌がついているかもしれません。私は鍛えているのでご心配なく」
本当は消毒液持っているんですけど……内緒です。
時は過ぎ、私と青画さまは揃って高校を卒業した。高校での私の任務は、護衛だけでなく、変な虫がつかないように牽制し、情報を統制すること。めちゃめちゃカッコよくなられた青画さまの聖域を守るのは――――ある意味で護衛任務よりも大変でした……。
卒業後、青画さまは東京の大学へ。護衛任務は一旦終了となりました。
そして私は――――
「望月、本当に英国に行くのか?」
「はい、お祖母さまにもお会いしたいですし……もしかして寂しいんですか?」
「ああ、とても寂しい」
「あ、あのですね……普通は寂しいわけないだろって強がるものなんですよ」
もう……相変わらずの直球なんですから……。
「必ず世界一のメイドになって戻ってきます」
青画さまの専属メイドなのですから世界一が最低条件です。
そして――――護衛としても諜報員としても、誰よりも強く、優秀でなければなりません。
青画さまと大切な家族を――――この世のあらゆる悪意や危険から守るために。
「そういえば本当に描き直さなくて良いのか?」
「はい、世界一になったらお願いします」
灰月クラリスの原点は青画さまにいただいたあの絵ですから。
灰月クラリスのもう一つ特殊な点は、青画が小学生の時に描いたイラストを使用していること。もちろん今の青画のイラストとは比べようもないけれど――――それでも素朴で味のある、心のこもったそのビジュアルだからこそ、彼女をトップVへのし上げた原動力の一つとなっている。
ちなみに朱璃は、青画のイラストに灰月クラリスと同じ衝撃を受けたからこそ、専属契約をオファーしている。そういう意味では、不思議な縁というのは存在しているのかもしれない。




