第四十三話 孤高のメイド
英国、オックスフォードメイドアカデミーは、最も格式のあるメイド養成機関であり、卒業生は例外なく王室やそれに準ずる名家に内定が決まる。
そのため、入学すること自体が難しく、その三百年以上の歴史の中で英国連邦外からの入学者は一人もいなかった。
しかし――――
「主席卒業おめでとう」
日本出身者が入学したことも、主席卒業したことも史上初の快挙。当然各王室や名家からオファーが殺到したが、一顧だに興味を示さず、帰国を選択した才女。
灰月クラリス、日本国内だけで500万、英国連邦を中心とした英語圏に1000万のフォロワーを持つ文字通り日本一のメイド系Vチューバー。本名を含めたプロフィールはすべて非公開。
彼女が特殊なのは、中の人とVがほぼ一致していること。Vチューバーである意味があるのかわからないのだが、それもまた彼女の魅力。キャラだけでなく、本職のプロメイドであるという点でも唯一無二の存在である。
さらに――――
「局長、本当に帰国させていいのですか? コードネームリリイは我々の情報を知り過ぎています。味方にならないのであれば――――」
ウィンターコート・スクール――――表向きは普通のアカデミーだが、その実態は王立国家情報局のエリート養成機関。灰月クラリスは、そこではリリイというコードネームで呼ばれていた凄腕の諜報員でもある。通常六年のカリキュラムをわずか二年で終えた天才。
「やめておけ。良いか、死にたくなければ絶対に手を出すな。直接、間接問わず敵対しようとすれば待っているのは破滅だ」
苦々しい表情で忠告する局長の言葉には誇張は感じられない。
「そ、それほどですか……!?」
「ああ……さきほどの君の発言もかなりギリギリだ……無事を祈るよ」
「ちょ、冗談ですよね!?」
静かに首を振る局長に青ざめる幹部。
(そもそも彼女は最初から特別推薦で我が国が預かった人材だからな……)
そのことを知っているのは上層部のごく一部。彼女の情報を漏らせば、局長とて無事ではすまない。
「きょ、局長、例のテロリスト集団が壊滅しました」
「そうか」
(彼女の置き土産か……敵でなくて本当に良かったよ)
「お嬢さま、灰月クラリスが新社屋完成披露パーティーに参加するそうです」
いよいよ完成間近のフェニックス・ライブの新社屋。各方面からの問い合わせやパーティー参加名簿の作成など、ただでさえ忙しい絵里香のキャパはすでに限界を超えているが、青画の加護や食事のフォローによって極めて健康的に支えられている。
「それは珍しいですわね、我が社のエースVチューバーと言ってもこういうイベントには参加したことないですのに。というかわざわざ英国から来るんですの?」
「いえ、アカデミーを卒業したので帰国するそうです。っていうかニュース見てないんですか? 歴史的快挙ってめちゃめちゃ話題になってますよ」
半ば呆れ顔の絵里香。
「はあ……最近寝ても覚めても青画のことばかり考えてしまうのですわ……」
「完全に恋する乙女じゃないですか……まあ……私も似たようなものですが」
仕事はやり甲斐もあるし充実もしているが、やはり好きな人と過ごす時間には代えられない。
「まあ……気まぐれでもなんでも、彼女が参加してくれれば盛り上がることは間違いないでしょう」
「でも絵里香、あの子、リアルだとめちゃめちゃ塩対応ですわよ?」
「……そうでしたね。ですが、そこがまたファンにはたまらないらしいですよ」
「……もはや何でもアリですわね」
そういうキャラだと認識されているので塩対応されるとむしろ喜ばれるのが強すぎる。
「英国情報局も大したことないですね……どれも既知の情報ばかり」
灰月クラリスは、機内で局長から受け取ったデータ内容を確認すると、そのまま消去する。
「あ、あの……灰月クラリスさんですよね? 写真撮らせてもらっても?」
「……死にたいのでしたらご自由に」
「あああっ、ありがとうございます!!」
氷点下の一瞥を受けて逃げるどころか大喜びで去ってゆくファン。
「……はあ……すべてが煩わしい……」
窓からは雲しか見えない。クラリスは目を閉じると誰にも聞こえない声でひとり呟く。
「……フェニックス・ライブの本社移転……ですか」
その表情からは何も読み取れない。
「どうぞこちらから」
「……ありがとうございます」
到着ロビーでは大勢のマスコミやファンが集まっているが、クラリスはVIP用の通路から人混みを避けてそのまま手配したタクシーに乗り込む。
「天河市のフェニックスホテルへ」
「かしこまりました」
天河市のフェニックスホテルの鳳凰の間では、新社屋完成披露パーティーが行われる。こちらのパーティーは主に外部向け、後日行われる新社屋でのパーティーは関係者のみが参加する内輪向けのものだ。
「お久しぶりです鳳凰院社長」
「あら、まさかこちらにも顔を出してくれるとは思ってもいませんでしたわ。お久しぶりね灰月クラリス」
パーティー会場だろうが関係ない、いつものメイド服姿で登場したクラリスはとにかく目立つ。ここが外なら人が殺到するところだが、この場所は取材厳禁。視線は集まるものの、さすがに主催者の前で下手なことはしてこない。
「挨拶だけのつもりでしたので、このまますぐ部屋へ戻ります」
「ええ、またパーティーでね」
足早に会場を出ようとしたクラリスの前に男たちが立ちふさがる。
「……そこをどきなさい」
「お坊ちゃまがお前にお話があるそうだ」
「私にはないのですが」
言葉を発するのすら面倒くさそうに男たちの脇を通り抜けようとするクラリス、男たちはそれを制止しようと手を――――
「待ちたまえ灰月クラリス」
少し鼻にかかったキザったらしい口調。
「お坊ちゃま、わざわざいらっしゃらなくとも我々が――――」
「今夜は気分が良いからね特別だよ。さて、灰月クラリス、早速なのだが回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言おう――――喜べ、お前を我が家の専属メイド、いや――――この私の専属メイドにしてやろう」
「……豚が人間の言葉を話さないでください。失礼します」
「なっ、ななな、なんだとっ!? この私を豚呼ばわりしたのか!? 地方創生大臣の息子であるこの私を?」
顔を真っ赤にして激怒する大臣の息子。
(はあ……ただのファンならこのまま見逃してあげようと思いましたが――――)
「黙れ――――殺すぞ」
「ご、ごめんなさい」
凄まじい殺気に、その場にへたり込んでしまうお坊ちゃま。ボディーガードの男たちも一歩も動けない。
「うわあ……生塩対応見ちゃいましたね」
「絵里香……あれは塩対応じゃないと思いますわよ」
熱い声援を受けながら会場を後にするクラリスを見送る朱璃と絵里香。
「このパーティーに参加すると聞いていたんですが……」
どうやらハズレだったようだとクラリスは小さく息を吐くと、帰国最初の配信準備を始めるのであった。
天空にそびえ立つ本社メインビル『フェニックス・タワー天河』は、全面ガラスの最新鋭高層ビル。市内を一望できる最上階には社長室があり、世界最高峰の機材を完備しているモーションキャプチャースタジオを始めとした配信事業に必要なすべてがここに凝縮されている。
そして、ビルの周辺に広がる、一般のファンや観光客が24時間楽しめる巨大な複合商業エリアが、フェニックス・スクエア。フェニックス・ライブの公式ショップや、コラボカフェなどがあり、日本唯一のカグツチホムラ直営の工房とギャラリーも入居が決まっている。
だが――――一番の話題を集めているのはフェニックス・ライブの直営メイドカフェ『プラチナチケット』である。
配信と連動したメニューが楽しめる最新のメイドカフェなのだが、オープン記念の限定目玉企画として、灰月クラリスが一日だけ接客してくれることになったのだ。
日本一のVであり、世界最高峰の本職プロメイドでもある灰月クラリスが淹れた紅茶が飲めるのなら死んでもいい、いや、出来れば死ぬほど塩対応されたいというファンが日本中、いや世界中から殺到しサーバーがダウン、抽選となったチケットは文字通りのプラチナチケットとなった。
「なんだか悪い気がするな」
「気にする必要ないのですわ、オーナー特権なのですから」
青画と朱璃は、話題のメイドカフェ『プラチナチケット』へ向かっていた。
「いや、もちろんそれもそうなんだが絵里香のことだ」
絵里香は朱璃の不在を埋めるために死力を振り絞っているはず。
「大丈夫ですわよ、私が戻ったら交代で絵里香に付き合ってもらいますので」
「なるほど、了解した」
現場はさぞかし人だかりで混雑しているのかと思われたが、チケットが無ければ入場できないエリアにあるので、列に並ぶこともなくスムーズに移動することが出来た。もっとも、美男美女のカップルが歩けばそれだけで人目を引いてしまうが、そこは遠巻きに配置されたスタッフが上手く近寄らせない。
「そういえば青画はメイドカフェは初めてかしら?」
「そうだな、一度行ってみたいとは思っていたから誘ってくれて嬉しいよ」
「……家に本物がたくさんおりますけどね」
「あはは、それはそれ、これはこれ」
青画ほどメイドに詳しい男もなかなかいないが、あくまで日常の一部なので、それを楽しむという感覚が興味深いと思っているのだ。
「青画の接客をすることになるメイドは可哀想――――と言いたいところですが、灰月クラリスは本場英国仕込みの最高峰メイドですわよ」
「ああ、楽しみにしてる」
「お帰りなさいませ」
見る者を魅了する惚れ惚れするような優雅で完璧な所作。灰月クラリスのメイドとしての能力は間違いなく超一流である。
だが――――彼女は決してファンや客に対して、ご主人さま、旦那さま、お嬢さまといった言葉を使わない。たとえ一日だけの仮初の演出であっても例外はない。メイドでありながら誰にも仕えない孤高のメイド――――それが灰月クラリスという存在なのだから。
「来てさしあげましたわクラリスさん」
「呼んでいないのですが鳳凰院社長」
相手が朱璃だろうが塩対応は変わらない。
「おかえりクラリス」
「青画? そこはただいまですわよ?」
ツッコむ朱璃だったが――――
「ただいま戻りました――――マイ・ロード」
「……へ?」
塩対応どころか、頬を染め、見たこともないような笑顔で微笑むクラリスを見て仰天する朱璃。
「青画、もしかしてクラリスと知り合いだったのですか?」
「知り合いというか……また後で説明する」
(本当に立派になったな、それにとても綺麗だよ望月)
青画が耳元で囁くと、クラリスの陶磁器のような白い肌が耳まで真っ赤になる。
(せ、青画さまも……とても……素敵です……)
すれ違いざまにお返しとばかりに囁くクラリスだったが――――それだけでは終わらない。
かぷっ
(うおっ!?)
耳を甘噛みされて、さすがの青画も不意打ちに動揺する。
(ドキドキさせられたお返し――――です)
小さく舌を出すクラリスであった。




