第三十九話 お月見と虫の声
「そういえばもうすぐ中秋の名月だな」
黒乃の発言に真白が反応する。
「ということは――――観月の宴ですね!!」
観月の宴は、毎年中秋の名月の晩に開催される千年以上続く天河家の伝統行事である。
「あら、ずいぶんと風流なイベントですのね」
「思い出しますねお嬢さま……鳳凰院家の月見会――――十六夜の残饗を」
「やめなさい絵里香っ!? それ以上鳳凰院家の黒歴史をさらけ出すのは!!」
もはや風物詩のようになっている朱璃と絵里香のやり取りに皆が笑う。
「あはは、名前はそれっぽいけど、虫の声を聴きながらお月見してお団子食べるだけの会だから身構える必要ないよ」
「うむ、基本的に家族だけで楽しむ静かな催しだ。青画の料理を肴に眺める月こそが本当の名月といえる」
まるで酒飲みのようなことを真顔で語る黒乃。だが――――誰一人異論はない。むしろ、想像して涎が垂れそうになるのを慌てて拭いている始末だ。
「ということは天河先生の月見団子が食べられるということですね?」
ホムラの言葉を待っていたかのように、青画がニヤリと笑う。
「ええ、たくさん作るから楽しみにしていてください」
「わーい!! 綾姉、私もう今から待ちきれないよ」
「そうね、私も楽しみ!!」
日和と綾が抱き合うが――――
「あら、日和、その日は神社の行事があるの忘れちゃったかな~?」
「っ!? お、お母さん……嘘……でしょ、お願い噓だと言ってっ!!」
日和は膝から崩れ落ちながら母に縋るが、春夏はふるふると首を振ってにこりと微笑む。
「ひ、日和、ほら、あれだ……作りたての月見団子、俺の加護で温かいまま保存できるし、俺はお前が来るまでずっと待ってるから」
「あ、兄さまあああ……!!」
「ほら、鼻水出てるって……仕事応援してるからな」
「頑張るのですよ日和、私が貴女のぶんまで楽しんでおきますから」
「ナニ言ってるのかな? 真白も神社でお仕事に決まってるでしょ?」
「…………」
逃げ出そうとした真白の襟首を素早く掴んで捕まえる日和。
「は、放してっ!! 私は――――お兄さまのお団子が食べたいんですっ!?」
「頑張れよ真白、大丈夫、団子はたっぷりあるから」
「い、嫌ああああああ!!」
今夜は中秋の名月。
観月の宴は、天河家の裏庭で行われる。裏庭といっても広大で、月見をするためのテラスがあり、黄金色のススキが秋の風に揺れている。背後には山の稜線がコントラストを描き、まるで平安絵巻物の和歌の世界にタイムスリップしたかのような雅な世界が広がっている。
「これが……裏庭?」
「考えたら負けですよホムラ先生」
わりと変人なカグツチホムラ先生だが、この家では一般常識人に分類されてしまう。絵里香などはすでに諦めの境地に達しているので、さっさと楽しむことに意識を切り替えることが出来るのだ。
「……家族だけの静かな催し? 園遊会じゃなくて?」
メイドや執事など、使用人だけでも百人以上が参加している。ホームパーティーをイメージしていたホムラは苦笑いするしかない。
「まあまあ、食べることに集中しましょう!!」
「それもそうですね、って朱璃さんはどちらに?」
「お嬢さまなら青画さまに新しい浴衣を見せに行ってますよ」
「ど、どうかしら? この日のために新調したのですけれど――――」
上質な濃紺の生地にススキの穂が散らされた落ち着いた大人の雰囲気の浴衣。風呂上がりということもあって、上気したうなじがとても色っぽい。
「朱璃、とても似合ってる。良かったらもっと近くで見せてくれないか?」
「え? も、もちろんですわ――――うきゃあ!?」
ぽふん 青画の膝の上に抱っこされてしまう朱璃。
「な、ななな……」
「ほのかに石鹸の香りがする……まだ暑いけど、夜は風も涼しくなる。油断してると風邪ひくぞ」
ぎゅっ 抱きしめる青画の掌は加護の力でとても暖かい。
「はい……青画の掌、とても……暖かいですわ」
うっとりと目を細め全身で温もりを感じる。
「青画、実は私も風呂上がりでな、少々冷えてきた」
「せ、青画くん……私まだ髪が少し濡れているの……乾かしてくれる?」
隙あらば青画とイチャイチャしようとする黒乃と綾がこんな絶好のシチュエーションを逃すはずがない。
「……えっと観月の宴ですよね?」
「気にしたら負けですよホムラ先生、というわけで、私も行ってきますね!」
「え? 待って――――ひとりにしないでえええ!!!」
諦めて料理を物色し始めるホムラ。
「んっ……!! めちゃめちゃ美味しい♡」
ある意味勝ち組であった。
「さて、メインイベント、月見団子の登場です!!」
割れんばかりの拍手の中、巨大なテーブルが二台運ばれてくる。
「こちらのテーブルには中に何も入っていないシンプルな団子、厳選した素材を最高の状態で融合させた究極の団子と言っても良い」
水、粉、砂糖、最高の素材を最高の配合で錬成し、最高の状態で仕上げたシンプルイズベストの逸品、粉好き、生地好きにも配慮した青画のこだわりの一品。
「それからこちらの山は、梨のペーストを白餡に練り込んだ月見団子、こっちは限界まで生地を薄くして中に黄金色のみたらしを詰め込んだ月見団子、どちらも自信作だからぜひ食べてみて欲しい」
食べなくとも絶対に美味しいのが確定している。食べた過ぎて説明が頭に入って来ない。
「で、こっちのテーブルは遊び心満載のロシアンルーレット月見団子だ。とは言っても極端に辛いものとか変なものは入ってないから安心してくれ。ちなみに――――ここにある団子、全部中身が違う、とだけ言っておく」
会場がざわめく。
「え……無理、全部食べたい」
「くっ、こんなの全種類食べたいに決まってる」
「あああ……全部美味しいってわかってるけど、だからこそ食べられない味があることが辛い……」
全員が獲物を狙う飢えた野獣の眼になるのであった。
「ちょっとした遊び心のつもりだったんだけど、大変なことになっちゃったな……」
「ははは、青画はもう少し自分の料理の魅力を自覚した方が良い。とはいえ……とても楽しかった、ありがとう」
食後の腹ごなしに散歩する青画と黒乃。
月明りの下、心地良い秋の風に乗って――――フルルルルル 鈴を転がすような澄んだ美しい音色が響いてくる。
「……邯鄲か……良い声だな。鈴虫とも違う、どこか切なくて、だけど吸い込まれそうな音色……私が一番好きな虫の声だ」
目を閉じて邯鄲の声に耳を澄ます黒乃。
「姉さん……邯鄲の夢って知ってる?」
「ああ、たしか盧生という若者が、邯鄲という宿場で不思議な枕を借りて一眠りしたところ、五十年にわたる栄華を極めた大富豪の人生を歩む夢を見た。だが、目が覚めると、眠る前に宿の主人が火にかけた粟のお粥すらまだ炊けていない、ほんの短い一瞬の出来事だった……という話だったか」
邯鄲の名は、その音色が夢のように儚く感じられたから付けられたと言われている。
「うん……俺、実はまだ迷っているんだ……もし眠っている父さんと母さんに、もしちゃんと意識があって、記憶もあったら――――果たして逆行することが正しいのか……盧生のように寝ているだけで、もしかしたら明日目を覚ますかもしれないだろ?」
今の両親は本当に寝ているようにしか見えない。だからこそ迷う。逆行は取り返しがつかない最後の手段であることは間違いないけれど。
「青画、ぎりぎりまで迷おう。私だって迷っている、何が正解かなんて誰にも分らないんだ、だから――――一緒に悩んで考えればいい。逆行の掌の検証だってまだ出来ていないんだ。焦る必要はない、最終的に決断しなければならない時が来たら――――その時は私もともに背負う。お前は一人じゃない、そのことは忘れるな」
月光に照らされた黒乃の優しい眼差しと――――邯鄲の音色が青画の心をすっと沁みこんでゆく。
「姉さん……ありがとう」
「感謝など不要だ、私たちは家族なのだからな」
ずっと心のどこかで重くのしかかっていた。答えが出たわけではないけれど――――少しだけ軽くなった心が青画の背中をポンと押す。
「そうか……こんなに綺麗なものすら見えなくなっていたんだ」
見上げた夜空には――――身震いするほど美しい中秋の名月が浮かんでいた。
「姉さん……月が綺麗ですね」
「ああ、お前が隣にいるからな」
青画と黒乃は――――月影の中、儚く消え入りそうに簡単で邯鄲なキスをした。




