第三十八話 逆行の掌
「ここは……どこだ?」
気付けば知らない場所に立っていた。周囲に人や物はなく、眩しいくらいに明るい。
青画は慎重に一歩踏み出して――――
『ここは私が創り上げた異界ですよ』
「竜田姫さま!?」
姿は見えないが、声だけは聞こえる。正確には声というよりは脳内に直接意味が伝わってくるような感覚、加護を授かる時になんとなく使い方がわかるあの感じに近い。
『青画、私が授けた加護についてですが――――使用についてはくれぐれも慎重に、人に使う場合は特に』
逆行の掌――――文字通り触れたものの時間を逆行させる加護。常春の掌のように傷を癒すのではなく、過去に起きた結果、つまり因果そのものすら巻き戻してしまう禁断の力。この力であれば肉体を修復しても意識が戻らなかった両親を助けることが出来るかもしれない。
「それは……どういうことでしょうか?」
『巻き戻すということは当然記憶も過去に巻き戻りますが、例えば巻き戻し過ぎてしまった場合……どうなると思いますか?』
「そうか……因果そのものを無かったことにしてしまうということは――――」
傷が元通りになる、若返る、ということなら問題ないのだが――――因果そのものを無かったことにするということは、その影響は両親だけのものではなくなる。
「まず最初に真白が――――次に俺という存在が消えてしまう……ということですね?」
『その通りです。十五年間ぴったり巻き戻すというのは、神である私ならば可能ですが、人間である青画にはとても難しいことです』
映像を見ながら巻き戻しが出来るわけではないのだ。
『そして――――一度巻き戻ったものは二度と元に戻すことは出来ません。なぜなら、その瞬間にこの世から消えた因果に関する記憶が失われるからです』
誰も覚えていないなら再現することは不可能だ。もし真白が消えてしまったら、その存在は世界の記憶から永遠に失われてしまう。ということは、真白を失ってしまったという記憶すら失ってしまうわけで、そのことにすら気付くことが出来ないということになる。
「……肝に命じます」
あまりにも強力でそれだけに危険すぎる力。青画はその意味を正しく理解し、それゆえに震える。
『わかってもらえたのであれば良いのです。まずは十分に加護の力を使いこなせるようになってから、決して焦ってはなりませんよ。そもそも逆行は人の身体や魂の負担が大きく、一気に進めれば使用者自身が壊れてしまう危険がありますから』
これまでの加護も必ず副作用とセットだった。今考えれば、あれは青画を守るためのストッパーだったのだと理解出来る。神ではない人の身で奇跡を行うのだから代償をともなうのは当然の話。これだけ強力な加護の副作用がどれほどのものなのか想像もつかないが――――
『それほど心配する必要はありませんよ、ただ眠ってしまうだけですから。ただし――――いつ目覚めるかはわかりませんけれど』
竜田姫の声色は穏やかなのに背筋が寒くなる。丸一日眠ってしまっただけでも大変なことになるわけで、どの程度使ったらどのぐらい寝てしまうのか? これは、加護の検証がとても重要になってくる。
「わざわざ俺のためにありがとうございます」
異界まで用意して加護について教えてくれた竜田姫には感謝しかない。今までの神々は授けっぱなしなところがあったから。
『ええ、梨大福が食べられなくなったら困りますからね』
「……あ、そういう流れでしたね」
青画はここに飛ばされた原因を思い出す。
「えっと……作りたくてもなにも無いんですが?」
『必要なものを思い浮かべるだけで良いのです』
言われた通り思い浮かべると、いつも使っているキッチンと材料が現れる。
「おお……本当に出てきた」
『では……くれぐれも頼みましたよ』
「わかりました。心を込めて作りますね!!」
青画は、せっかくなので足りなかった皆の分まで多めに作ることに。
「ふう……これだけあれば喧嘩にはならないだろ」
満足げに出来上がった梨大福をタッパーに詰めてゆく青画だったが――――
『おお、たくさん出来ましたね!!』
ぽんっ 竜田姫が現れて梨大福を全部抱きしめる。
「あ、あの……皆の分も作ったので少し残してもらっても――――」
『嫌ですっ!! 全部私が食べるのですっ!!』
シャーッ!! 餌を横取りされそうになって猫のように青画を威嚇する竜田姫。
「はあ……仕方ない、もう少し作るか……」
『それも私のですからね!! 予約しました』
どうやら……ここで作った分は全部没収されてしまうらしい。
「あの、ちなみに竜田姫さまが逆行をしてくださるということは?」
『神が直接関わることは出来ません』
「そう……ですよね。梨大福を千個でも駄目ですよね……」
『…………出来ません』
かなり間があった。竜田姫にも苦悩と葛藤があったのだろう。
「――――というわけなんだ。今まで黙っていて悪かった」
ようやく両親を救う目途がたった。時間はかかるかもしれないが、今までとは状況が違う。だから――――青画は真白に、そして――――これから家族となる皆に話すことにした。もちろん黒乃とも話し合って決めたことだ。
「うん……何となくわかってました。お兄さまとお姉さまは私を気遣ってくれたのですよね……。正直記憶がほとんど無いのであまり実感はないのですが――――私も会いに行っても良いですか?」
「ああ、もちろんだ。きっと父さんも母さんも喜ぶと思う」
「兄さま……私たちも会わせてもらいたいです!!」
「そうですわ、ご挨拶せねばなりません」
皆、とても前向きに受け止めてくれる。話して良かったと心からそう思う。
「まったく……私にくらい話しなさいよね」
「すまない綾……」
「わかってるって、そうでなければ耐えられなかったんだよね? 私もごめん……ちょっと寂しかっただけだから」
誰よりも黒乃の苦しみを知る親友だからこそ痛いほどその気持ちがわかってしまう。ぎゅっと綾に抱きしめられて、静かに頬を濡らす黒乃であった。
「問題は逆行の掌の検証なんだ」
両親に使うのならば、同じ人間で実証しなければならない。
だが――――たった一日でさえ、その日あったことが無かったことになってしまう可能性がある。一日くらいならまだ良いが、加減がわからない段階で戻し過ぎたら取り返しがつかなくなってしまう。
「たしかに洒落にならないですわね……終わったはずの仕事が無かったことになるとか……嫌すぎますわ」
「しかも……関わった周囲の人間まで巻き込まれる可能性があるってことですよね?」
朱璃以上に絵里香の方が嫌そうな顔をする。たしかに働き者の絵里香や綾の時間を戻したら――――阿鼻叫喚の事態になりそうである。
「あれ? でもお兄さま、巻き戻ったということをどうやって確認するんですか? 因果が無くなってしまったら記憶から消えてしまうんですよね?」
真白の言う通り、巻き戻って過去の因果が無くなってしまえばその事実すら認識できないので、検証のしようがないのだが――――
「実は、加護の使用者である俺だけは影響されないって女神さまが言ってた。もちろん俺の存在に根本的に関わるもの以外についてだけど」
「でもそれって――――青画くんがひとりで全部抱え込むってことだよね?」
綾は鋭く指摘する。たとえば事故の直前まで戻すことが出来たとして――――その場合、事故そのものは無かったことにはならないとしても、黒乃や大勢の人々の記憶に影響が出る可能性がある。
「それは……覚悟しています。辛い記憶なら無かったことにした方が良いですから」
「青画、私が実験台になろう。お前にだけ辛い思いをさせるわけにはいかない」
黒乃が真剣な表情で名乗り出る。
「姉さん……」
「って、駄目に決まってんでしょっ!? 立場と影響力考えなさい!!」
「……だって」
「だってじゃないっ!! 気持はわかるけど一番駄目だからね!!」
たしかに黒乃を逆行させるのは無理がある。
「ねえ兄さま、悪いことした人とかどうかな?」
「なるほど……犯罪者ってことか、日和もなかなかえぐいこと考えるな」
「えへへ~もっと褒めて!!」
「褒めてはいないんだが……」
とはいえ、実際に試してみる価値はある。もちろん違法行為ではあるが、その因果すら変えてしまうのだから、違法もなにもない。
(灰原に頼んでみるか……)
月読ならば常に違法に暗躍する勢力と戦っている。表に出せず捕えている悪人くらいいるだろう。
「青画、何を考えているかはわかるが、使う時は必ず皆がいる時にするんだぞ? どんなタイミングでどのくらい寝てしまうのかわからないのだからな」
副作用によるものだけに、眠気を我慢することは不可能だろう。そうなれば意識を失うのと同じ、状況とタイミングによっては非常に危険だ。
「わかってる、だから――――みんな協力頼む」
頭を下げる青画に、皆の表情が ぱああっ 明るくなる。いつも助けてもらって、お世話になりっぱなしなのに、役に立ちたいと思っても出来ることなど何も無いのだ。
そんな青画に頼られて――――皆とても嬉しそう。普段は完璧な彼に頼られることなんて滅多にないのだから。
まだ何も始まってもいないけれど、上手くいく保証もないけれど、皆で力を合わせればきっとなんとかなる――――
青画はそう決意を固めるのであった。




