第三十七話 可能性と秋神楽
「神楽耶さん、今日も来ていたんですか?」
「……青画さまこそ毎日のように足を運んでらっしゃるではありませんか」
そう言って静かに微笑むのは、天河家のメイド長である神楽耶。
「はは、たしかにそうですね」
天河家の敷地内にあるこの場所は、一見すると古めかしい宝物殿のようであるが、その中身は最新の医療設備が整った天河家医療部隊少彦名の本拠地、少彦名院である。
少彦名は、医療系・治癒系の異能を持つ者、西洋・東洋医学の専門家で構成されていて、その能力は有名大学病院をはるかに凌駕すると言われている。基本的に一族のために組織だが、例外的に国家にとって重要な人物を受け入れることもある。そうすることで天河家は、常に静かな影響力を保ち続けているのだ。
その少彦名院の最奥部にある集中治療室には――――十五年前から変わらぬ光景が静かに横たわっている。
「母さん……父さん、体の調子はどう? 梨持ってきたんだ。新品種の龍梨っていう梨でね、めちゃめちゃ美味しいんだ、ほら、この間話したホムラ先生、あの人本当に果物が好きでね、笑っちゃうぐらい大袈裟に喜んで――――」
青画が楽しそうにその日あったことを話す。
もちろん返事があるわけではないし、指一本どころか表情に変化すらないけれど――――それでも青画は聞こえているのだと信じている。
植物状態の両親がここに居ることを知っているのは、少彦名を除けば、当主の黒乃と青画、紅葉や銀河の兄妹、執事長とメイド長クラスの重鎮のみ。当時幼かった真白ですらこのことを知らない。
意識が戻る可能性は現代医学ではすでに否定されている。二人の維持費は天河家であっても大きな負担となっているが、そのことに異議を唱えるものはここには存在しない。
「それじゃあ……また明日来るから」
ありとあらゆる治療法を試し、青画が大学へ進学を決めた頃には、もはや出来ることが祈ることくらいしかなくなっていた。
しかし――――青画は加護という新たな可能性を手に入れた。
常春の掌――――人ならざる神の奇跡。
この力なら――――両親を救えるかもしれない。
だが――――両親はいまだに目覚めることなく横たわっている。
それでも、加護によって二人は傷一つなくなって、血色もずいぶん明るくなっている。まるで今にも目を開けて――――その優しい微笑みを向けてくれるんじゃないかと思ってしまうほどに。
小さな希望はより大きな絶望をもたらすこともある。特に黒乃の落胆はとても大きかった。誰よりも責任を感じ、苦しんできた彼女なのだから当然だ。
それでも――――まだ誰も諦めてはいない。
『――――今、やっていることを続けるのが良かろう』
夏神楽の時に石長比売が言っていたことが支えになっているからだ。
青画は二人に限界まで加護を施すと病室を出る。
「っ!? 大丈夫ですか青画さま」
「あ、ありがとうございます……神楽耶さん、大丈夫、ちょっとふらついただけです」
大丈夫なわけがない。神楽耶は知っている、青画がどれほど無茶をしているのか。涼しい顔をして完璧になんでもこなす、その裏側でどれほどの苦痛に耐えているのか。
「申し訳――――ございません……私があの日……同行していれば……」
神楽耶の異能『金剛壁』であれば、トラックの衝撃を防ぐことが出来たかもしれない。その後悔は深く、深く彼女の心を蝕んでいた。
「違いますよ神楽耶さん、あの時、貴女はついて行こうとしたのに、父さんが家族だけで行くと決めたんです。だから――――貴女は悪くない、絶対に悪くなんてないんです。俺も姉さんも、貴女がいなければ耐えられなかった、心から感謝していますし、母のように思っています」
「青画……さま」
数えきれないほど泣いて――――泣いて、涙が枯れ果てるまで泣いて。それでもやっぱり枯れない泉のようにあふれてきてしまう。
そうやって少しずつ心の傷を癒すのだ。涙の温もりがじんわりと心に沁み込んでくる。
でも――――二人は気付いていなかった。
ぴくり―――― ほんの少し、わずかに指先が動いたことに。
「えへへ~、日和ちゃん絶好調なのです!!」
絶好の秋晴れ、日和はいつにもましてやる気に満ち溢れている。
「四季神楽も二回目だから少しは慣れたのか?」
「うん、なんたって終わった後にご褒美が待ってるからね!! やる気マックスなんだよ!!」
終わった後のご褒美――――青画の膝枕なでなでと梨を使ったスペシャルスイーツ試食会のことである。修行で梨もぎに行けなかった日和は、皆から散々梨の話を聞かされて――――今人生で一番、梨に飢えた獣と化している。
「それじゃあ、ちゃちゃっと終わらせてくるね!!」
「気持ちはわかるが……頼むからちゃんとやれよ」
「わかってるって、日和ちゃんの集中力は宇宙一なんだからっ!!」
もちろん本気で心配したわけではない。青画から見ても日和の集中力は凄まじいものがある。普段だらけているように見えるのは、オンオフのスイッチを使い分けているからであって、その気になった時の日和は――――誰にも止められない。
「……それでは早速始めさせていただきます」
天を突くほど高く澄み切った、底のない天色の空。衣擦れの音が心地よい秋仕様の千早が眩しい。
「……聞き届けたまえ」
肌を撫でる風から湿り気が消え、吸い込むたびに肺が清められるような冷涼な空気が場を支配する。
日和が深く一礼すると――――夏の終わりの寂しさを吹き飛ばす、実りの香りを孕んだ秋一番の風が吹き荒れる。
「シャン!」
神楽鈴の音と同時に、木々がザワザワと鳴り響く。
「慎み敬い 八百万の神垣に 御霊を乞い願わん――――」
日和は深く息を吐き出し、祝詞を紡ぎ始める。一瞬雲が張り出し、表出した朧のアンニュイさすら神聖な静寂へと昇華されてゆく。明るさだけでなく、哀愁と感謝を込めた舞は、それだけで彼女たちの成長を感じさせる。
「天つ風 地つ水 今こそ我が身を器となし 四時の巡りを此処に顕したまえ――――」
奉納の詞――――大地が揺れ――――大気が震え――――
日和から表情が消えて――――瞳が黄金そして紅葉色へのグラデーションに染まってゆく。
『金色の 波に 露しげく 結びて 夕影沈む 山のはに 実りの恵み 捧げ奉らん 清けき月よ 照らしませ』
秋、そして実り、静寂、黄昏を司るのは竜田姫。秋の山々を美しく染め上げる染め物の女神が降臨する。
曇り空から一筋の白い光が差し込むと、周囲の緑が一瞬にして燃えるような鮮やかな赤や黄金色に変色する。まるで世界を巨大な絵筆で塗り替えてゆくようで――――幻想的な光景に誰もがその美しさと鮮やかさに目を奪われてしまうのであった。
『会えるのを心待ちにしておりましたよ青画』
疲れ果てて倒れた日和を膝枕で介抱していると、瞳が秋色に変化し竜田姫が再び降臨する。
期待に満ちたその瞳を見れば言わずとも伝わる。
「竜田姫さま、梨を使った秋のスイーツスペシャル奉納させていただきます」
梨の寒天寄せ、梨の羊羹、梨の甘酒スムージー、梨の葛餅、和のテイストに加え、梨のタルト、梨のコンポート、梨のキャラメリゼ、梨のマフィン、そして――――梨のチーズケーキ。すべて最高の素材を最高の状態でキープ、加護と青画の超絶技巧によって生み出された珠玉の宝石である。
『お、おお……おおおおおっ!! こ、これが……神界で話題になっている……奇跡の食べ物……なのですね!!』
ぎりぎり上品に威厳を保っていた竜田姫だったが――――秋まで散々待たされていたこともあり、神威をかなぐり捨てて梨スイーツを夢中で食べ始める。
『ああああっ!!! 美味……しいっ!! 我の隅々まで染められてしまいます……!!』
頬を紅葉色に染めてうっとりとスイーツを召し上がる竜田姫さまは、日和の姿をしていることもあって、大変艶めかしく色っぽい。思わず赤面してしまう青画。
『ふう……大変美味でした』
「お口に合ったようで何よりです」
心を込めて作ったので、これだけ美味しそうに食べてもらえたことが嬉しくてたまらない。竜田姫はその心からの笑顔をジッと見つめる。
『なるほど……これはたしかに』
「えっと……何か?」
『いいえ、こちらの話です。それよりも私からも加護を授けなければなりませんね……青画、こちらへ』
「は、はい」
加護を授けるだけだとわかっているのだが、その熱を帯びた潤んだ瞳、紅葉色に染まった頬、ぷっくりと膨らんだ瑞々しい唇、そのすべてが青画の心を動揺させる。
『ふふ……本当に……可愛い。このまま私色に染め上げたくなるほどに……』
情熱的で熱い大人のキス――――もとい加護の授与、いつもならすぐに終わるのだが、今回は終わる気配すらない。
『ふふふ、そんな顔をしないで。強力な加護だったから時間がかかったのですよ。逆行の掌、青画、きっと貴方の役に立つことでしょう。あら……もう時間が……名残惜しいけれど――――また会いましょうね』
日和の瞳から静寂と共に秋の気配が消えてゆく。
「う、うーん……あれ? また神がかり? っていうか兄さま良いことでもあった?」
「まあね……もしかしたらって思うとどうしても。キス、して良いか?」
「ふえっ!? ま、待って、心の準備が――――」
わけもわからず、ご褒美の追加をもらう日和であった。
「さて、お待たせしました。秋神楽成功を祝して――――梨スイーツ試食会を開催いたします!!」
「「「「わあああっ!!! 待ってました!!!!」」」」
ずらりと並んだ和洋梨スイーツたちに圧倒される一同。
「まいったな……全部食べたいが――――」
「私もよ、でも食べきれない」
食べきれないほどの種類があるのは贅沢の極みなのだが、それはそれで悩ましい。黒乃と綾は仕事でも滅多にしないような、とても難しい顔をしている。
「残っても保存できるから大丈夫だよ」
「それはわかっているが……青画、お前のおすすめはなんだ?」
「そうだな……この梨大福は自信作かな」
それを聞いた綾が神速で梨大福を囲い込みに出る。
「あっ!! 綾、ズルいぞ、私にも寄こせ!!」
「ら、らめれす、全部私が食べるんれす……んきゃあああ!! 美味っしいいい!!」
「ふふ、私はそんなこともあろうかとすでに確保済みですわよ!!」
「いつの間に……案外意地汚いですよねお嬢さまなのに」
「な、なにを言うのですっ、仕事の後に甘いものを食べたくなるのは仕方ないことですわよ?」
「今日は何もしてないじゃないですか」
「う”っ……そんなことないですわ……頑張って応援していましたもの……って、それ私の梨大福っ!? 返しなさい!!」
「早い者勝ちれす……はあああっ、これは神のスイーツ!!」
この状況にもっと梨大福を作ってくるべきだったと後悔する青画。
「どうしたんだ真白、ずいぶん大人しい――――ひぃっ!?」
「お兄さま……私の梨大福はどこですか? もちろんあるんですよね?」
梨大福をゲット出来なかった真白の眼が怖い。
「い、いや……えっと……あ、すみません春夏さん」
後ずさったことで春夏にぶつかってしまい謝る青画だったが――――
『青画……これはどういうことですか? 梨大福……さっきの奉納品に含まれていませんでしたよ……ね?』
ギロリ、春夏に憑依した凄まじい神気を帯びた秋色の瞳。
「竜田姫さまっ!? ち、違うんです、別の場所に保管してあったので忘れてしまった――――」
『言い訳は聞きたくないわっ!! 早く作って来なさいっ!!』
「うわああ――――」
問答無用で神が創り上げた異界へと飛ばされる青画であった。




