第二十八話 神前報告
十五年前――――
「ごめんな、父さん雨男で……」
久しぶりの家族のお出かけだったが、ピクニックの途中で雨が降り出した。
「ふふ、本当に貴方は肝心な時にいつも雨降りますものね」
優しいツッコミを入れるのは助手席に座る妻。
「皆でお出かけできただけで楽しかったよお父さん」
「うう……黒乃は優しいな。今度必ず埋め合わせするから」
後部座席からフォローするのは長女の黒乃。その隣には、はしゃぎ過ぎて疲れた青画と真白が仲良く手を繋いだまま眠っている。
「約束だよお父さん、黒乃、水族館が良いなあ……それなら雨が降っても大丈夫でしょ?」
「うう……黒乃は本当に優しいな。決めた、お前は絶対に嫁にはやらない」
「貴方ったら……。気にしないで良いのよ、パパの言うことなんて」
「酷いっ!?」
「あはは、大丈夫だよお父さん、黒乃はお嫁になんて行かないから。私は青画と結婚するんだから」
「それなら安心だな」
「はあ……黒乃は本当に青画のことが好きなのねえ」
「うん、大好き」
にわかに雨足が強くなり、ワイパーを全開にしても追いつかない。
「貴方、運転気を付けてくださいね」
「ああ、大切な家族を乗せてるんだ。安全第一――――」
その瞬間、峠に差し掛かった狭い山道で――――対向車線からトラックがスリップして飛び出してきた。
逃げ場はなかった、タイミングも最悪、普通なら全員即死だっただろう。
だが――――
『――――走馬灯』
天河家当主黄河の異能、すべてがコマ送りに見える力によって――――彼は――――死の渕で万に一つの可能性を見出した。
一瞬の躊躇いもなく、彼は家族が助かる可能性に賭けた。それが意味するところが――――自身の確実な死であっても。
数千分の一秒にも満たない刹那のハンドル操作――――
トラックに運転席を当てることで方向を変えて直撃を避けた――――
同時に黄河の身体は衝突の衝撃で――――
『――――三千界』
激突の瞬間――――黄河の身体が車外へ吹き飛ばされた。黄河の妻紫乃の異能『三千界』は生物を念動力で操ることが出来る。助かるとは思っていないが、ぐちゃぐちゃに潰されるよりははるかにマシだ。
「きゃあああっ!?」
直撃は免れたものの、車は激しく回転しながらガードレールを突き破り崖下へ――――
『――――さ、三千界』
車が空中へ飛び出した瞬間――――紫乃は出血し薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞って子どもたちを車外に飛ばす。
「黒乃――――」
お願い――――どうか――――生きて
「嫌あああああああ――――那由多!!!」
黒乃の異能『那由多』は時間を停める――――だけの力。凄まじい力だが、停まった時間の中で動けるのは自分だけ。
青画と真白が危ない、黒乃は二人を抱き寄せて安全なところへ運び、空中で停まったままの母へ手を伸ばす――――
何も出来ない、力が――――足りない。すべてが停まった世界で――――最後まで母は微笑んでいた。
「お、お母さああああああんっ!!!」
時間停止の限界を超えて――――非情にも時間は再び動き出す。
その時――――青画の全身が青白く輝き出した。
「せ、青画――――駄目っ!!!」
『――――夜叉神』
弾丸のように飛び出した青画が崖下に落ちてゆく車を追って飛び降りる。
つむじ風のように崖を駆け下り――――
『うがああああああああっ!!!』
救助隊が発見した時――――青画の爪は割れ――――皮がずるむけ――――全身の骨が砕けていたが――――その指は車に深く食い込んだまま意識を失っていた。
「うわあああああああっ!!!」
はっ―――― 大量の冷や汗とともに目を覚ます。
「……そうか、結局家に帰れず執務室で仮眠したのだったな……」
何度見たかわからない夢――――何度後悔したかわからない過去。
あの時――――もし咄嗟に那由多を使えていれば――――
わかっている、過去には戻れないことも、あの時はどうしようもなかったということも。
でも――――あの日、泣き叫び抜け殻のようになった青画の姿を思い出すたびに思ってしまうのだ。もっと出来ることがあったのではないかと。
青画はあの時、まだ夜叉神を発現していなかった。極限の状況で母を助けるために必要な異能を発現したのだ。
だからこそ――――辛かったのだろう。もっと早く力に目覚めていたら――――と。
「黒乃……大丈夫? またあの時の夢……見たの?」
「綾……大丈夫だ。私は誓ったんだ、何があっても青画と真白を守る。そのためなら――――んぐっ!?」
綾が怖い顔で口を塞ぐ。
「な、何をする――――」
「また悪い癖が出てるなあ……それは駄目。青画くんに言われたんでしょ? 俺が姉さんを守るからって」
「う……それはそうだが……」
「黒乃が犠牲になって青画くんが幸せになれると本気で思ってるのかな?」
「だ、だが、どうしようもない時は私が――――」
「どうしようもなくても、それでも駄目だよ。皆で幸せになるんでしょ? だから……どうしようもなくなる前に――――頼ることも大事なんだからね」
綾は眠気覚ましの紅茶を入れて黒乃に差し出す。
「だ、だが、綾にはもう頼り過ぎるくらい頼っている」
「私じゃないよ、青画くんにもっと頼りなさい。他の皆にもね」
事故の後、黒乃は十一歳で当主を継いだ。学校も辞め、言葉遣いも変え、ひたすら異能の訓練にも打ち込んだ。あれほど良く笑っていた可憐な少女はあの時死んだのだ。
綾は知っている。黒乃があの事件以降、一人で寝ると酷い悪夢にうなされて眠れないということを。それでも彼女は決して弱さを見せない。
誰よりも責任感が強く、真面目で優しい彼女は、だからこそすべてを一人で抱え込もうとする。すべてを背負おうとするのだ。
「はあ……まだわかっていないみたいだからこれだけは言っておく。自分自身が幸せになれなければ、人を幸せになんて出来ないだからね? 黒乃は十分過ぎるぐらい頑張ってる、それは私が一番よく知ってる。だから――――」
綾は黒乃をぎゅっと抱きしめる。
「――――幸せになりなさい。それが今、一番やらなくちゃならないことだよ」
天神さまを祀る天河神社は、一般公開されておらず、天河家の敷地内に鎮座している。天河家に子が生まれた時、当主が代わった時など、当主とその補佐をする限られた血族のみが参ることが出来る由緒正しい聖域である。
「準備は出来たか青画?」
「ああ、行こうか姉さん」
まず最初に天神への挨拶を済ませ、それを祝って行われるのが天神祭。
一応、天神祭でもパレードのような行事はあるけれど、本当の神事は祭りの前に天河家の中、完全非公開でひっそりと行われる。
「ところでその……姉さん」
「ん? どうした具合でも悪いのか?」
どうも様子がおかしい。心配そうに顔を覗き込む黒乃。
「あ、いや……違うんだ、姉さんがあまりにも綺麗で……」
天河家の正装は、室町時代以降の白無垢よりもさらに古く、平安時代以前の神事の斎王や最上級の巫女装束をベースにした、十二単の原型となる神聖な装束。上衣は白妙の御衣、汚れなき純白の麻やシルクを贅沢に重ねた、気品溢れる伝統の白。胸元には天河家の家紋が金糸で密かに刺繍されている。下衣は紺碧の裳。天河家の象徴である天の川」をイメージした、深い紺碧と薄紫の美しいグラデーションが施されている。
「なっ――――!?」
青画のストレートな賞賛に、黒乃は かあああっ 耳まで真っ赤になって顔を逸らす。
「そ、そういう青画だってカッコ良すぎて……ズルいぞ」
青画の正装は、紫がかった上品な藤鼠色の生地に格子状の凹凸が入っており、光の当たり方で表情が変わるシックで上質な着物。紺碧の帯は、花嫁の白妙・紺碧と完璧に調和するだけでなく、腰回りを男らしく引き締めていた。
普段はわりとだらしない姿ばかりを見せていることもあるが、今日の黒乃は――――本当に綺麗だった。
「あ、ありがとう……俺、前も言ったけど、必ず姉さんを幸せにするから」
「う、うん……私も、青画を幸せにする」
お互い想いは同じ。二人は見つめ合って――――くすりと笑い合う。
「「一緒に幸せになろう」」
しっかり手を繋ぎ、指を絡ませ合いながら、二人は天神がおわす本殿へと進み出るのであった。
「お待ちしておりました」
本殿で二人を待っていたのは、目を閉じて神職の装束に身を包んだ真白。
二人が深く一礼すると――――拝殿を渡る夜風が、サァッと風鈴の音を響かせ、提灯の灯りが優しく揺れた。
『待ちわびたぞ』
ゆっくりと開いた真白の瞳は、黄金色に輝いていた。天神が降りたのだ。
「天神さま、お見届けくだされ。これなる天河青画は、我が最愛の夫。二人で天河の家を、この街の平穏を、終生守り抜くことをここに報告いたします」
当主として凛とした声を響かせる黒乃。
『ほう……姉弟婚は久しぶりだな。そもそも天河家の始まりはアマテラスとスサノオの姉弟婚から始まっておるゆえ……じつに目出たいことだ』
天河家の長い歴史を辿れば、姉弟婚は珍しくない。そもそも異能を持つ血筋は互いに惹かれ合いやすい。そして天神の加護によって祝福された天河の血筋は近親婚によるリスクを持たないということもあり、異能を強化する意味でも奨励されているという事情もその傾向を後押ししている。実際、異母兄弟まで含めれば、天河家の半分以上は近親婚という家系なのだ。
(くっ……凄まじいプレッシャーだ……)
天神の口調は穏やかだが、青画は気を抜けば吹き飛ばされそうな神気をぶつけられていた。横を見れば黒乃は平然としている。これは――――
「あ、あの……天神さま……」
『……なんじゃ?』
「もしかして……怒ってます?」
しばしの静寂と沈黙。
『当たり前じゃああああああっ!!!! この罰当たりめっ!!!! なぜ真っ先に我の所へ奉納しに来なかった!?』
ああ……やっぱり。予想が的中してひたすら頭を下げる青画だったが――――当然抜かりはない。
「天神さま、私特製のフルコース、天神さまに捧げるスペシャルディナーにデザートを添えて、ぜひとも奉納させていただきたく」
青画が手を叩くと、次々に料理が運ばれてくる。
『ふん……まあ……せっかく用意したのだ、奉納を許す』
真白の――――いや、天神さまの髪がぴょんぴょん跳ねる。
(青画……あれは喜んでいるのだろうか?)
(う、うーん……そうだと良いんだけど)
『ふむ……おおっ!! これは……はああっ!! こっちは……うにゃああっ!!!! な、なんじゃこの食感はっ!? くはああっ!!』
どうやら――――好感触のようである。
『ふ、ふんっ……これくらいでこれまでのことが許されたと思うなよっ!!』
「はい、今後も奉納することをお許しいただけるのでしたら、一層の精進を続け、生涯美味しいものを作りたいと思います」
平伏して許しを請う青画と黒乃。結婚のことはもはや関係なくなっている。
『うむ、それは良い心がけじゃな、よいな、真っ先に我に奉納するのじゃぞ?』
「肝に命じます」
満足したのか、ゆっくりと頷き、じっと青画を見つめる天神。
『青画、面を上げい』
「は、はい」
真白の姿の天神が、青画の唇を奪う。
『分身の掌――――我からの結婚祝いだ。お前には必要になるだろうからな』
ニヤリと笑うと瞳から黄金色の輝きが失われ――――真白は気を失った。
「姉さん、無事認めてもらえて良かったね」
静寂の中、青画は隣に立つ現当主――――生糸のベールを被った姉を見つめるが、どうも様子がおかしい。
「……姉さん?」
「ズルい……私との結婚報告なのに……真白とキスした……」
「え?」
良く見れば、ベールの下で涙目を潤ませ、限界まで顔を真っ赤にして、きゅっと自分の衣の袖を握りしめて震えている姉がいた。
「い、いや、あれは天神さまの――――」
と言いかけてやめる。
少しむくれている可愛らしい姉の姿に、青画は愛おしさが限界突破し、そっとベールの下へ手を滑り込ませて、彼女の頬をがっちりと支える。
「俺のお嫁さんは……姉さんだから」
「……っ!? 青画ぁ……」
少なくとも――――今はまだ青画の妻は黒乃だけであり、黒乃の夫は青画なのだ。
二人はベールの向こうで――――夫婦としての甘く熱い口づけをかわすのであった。




