第二話 黒乃
(先に日和に会っておいて良かったな)
本当なら食事会で再会する予定だったが、予定を早めて正解だった。
青画はずらりと順番を待っている長蛇の列を眺めて小さく息を吐く。
青画と真白の卒業と帰郷を祝って催された天河家主催の食事会は、家族親族はもちろん地元の有力者や友人、同級生など数百人規模の盛大なもので、当然主役の一人である青画には、挨拶やらなんやらで人々が常に群がっており、食事はおろかトイレにすら気軽には抜け出せないほどであった。
もちろん許嫁の日和も来ていたのだが、ほとんど話すことも出来ず、アイコンタクトでごめんね、と謝るしかなかった。にっこりと微笑みながら小さく手を振る許嫁にはずいぶんと癒されたのだけれども。
「ふう……さすがに少し疲れた」
青画はネクタイを緩め、ボタンを外しながらベッドに倒れこんだ。
昨晩は疲れもあってすぐに寝てしまったけれど、こうしてみると、およそ一年振りだというのに自室は埃一つなく綺麗に保たれている。まるでこの場所だけ時間が止まっていたかのように。
『青画、入るぞ』
「どうぞ」
規則正しいノックの後に、凛とした音色とともに妙齢の女性が部屋に入ってくる。腰まである漆黒の黒髪は艶やかでサラサラと揺れてその知的で強い意志を秘めた切れ長の瞳は、慈愛を込めた色で眼下の弟を映している。
「疲れただろう? 一通り詰めてもらったから食べるといい」
漆塗りに金彩の施された豪華な重箱を差し出されると、ぐうう、と青画の腹が鳴る。自分以上に忙しかったはずなのに……と青画は姉の気遣いに感謝する。
「ありがとう姉さん、実はほとんど食べられなかったんだ」
「はは、だろうな。隣座って良いか?」
「もちろん」
青画の姉、天河黒乃は、優雅に微笑むとベッドに腰かける。その色白で細い指先が青画の黒髪を梳くように撫でる。
黒乃は天河家当主にしてこの春、史上最年少で天河市市長となった。当時二十五歳、そして彼女目当てで移住者が大幅に増加する見込みだと噂される程度には美人である。今でこそスーツで身を固め大人の色気が凄まじい黒乃だが、歳が近いこともあり、幼い頃は青画と一緒にいると双子と間違われるくらい雰囲気が似ている。
彼女が居たから当主にならずに済んだし、イラストレーターになるために東京へ行くことを全力で応援し、周囲を説得してくれたのも黒乃だ。そんな姉のことを青画は心から尊敬し感謝していた。
本人は好きでやっていることだから気にするな、と言っているが、そうでないことくらいわかっている。
(姉さんが政治の話をしていることなんて一度もなかった)
言われなくたってわかる。黒乃は家族を守るために政治の世界に飛び込んだのだ。
「……すっかり大人になったな青画」
「姉さんのおかげだよ。本当に感謝してる」
「男子三日会わざれば刮目して見よ、というが一年も会えなかったのだ……当然だな」
「……ごめん、卒業制作が忙しくて」
「美大生がどれほど大変なのかは理解しているつもりだ。それに一年会えなかったのは、真白のように会いに行かなかった私自身のせいなのだからな」
「でもそれは当主としての役目とか市長選があったから……」
「それを選んだのは私自身だ」
気にするなと目線で伝える黒乃に、コクリと頷く青画。
「ところで……だな、その……そろそろ良いだろうか?」
「姉さん、いつも言ってるけど、いちいち俺の了承とらなくてもいいから」
「そ、そうだったな、だがこれは性格だから仕方ないのだ」
黒乃は凛とした空気を脱ぎ捨て、青画の胸に顔を埋めて、スーハ―スーハー
深呼吸しながら弟成分を補給し始める。
「ああ……少し汗をかいているな……くう……たまらん。やはりこれがないと私は生きていけないようだ……」
「汗臭かったらごめん」
「何を言う、むしろありがとうだ。おお……私の全身に青画が染み渡る……」
黒乃は真白に負けないほど青画を愛している。末期レベルのブラコンであった。
「ほら、あーん」
「うん、美味い!!」
「そうか、これも美味いぞ」
最愛の弟にあーんさせながら黒乃は震えるような至高の幸せを味わっていた。本当なら自身の手料理を振舞いたかったところだが、これからチャンスはいくらでもある。まあ……料理は出来ないのだが挑戦したい気持ちはある。
「姉さん……仕事は大変?」
「うん? そうだな、たしかに責任は大きいが、私一人でやっているわけではないからな。むしろ無限に湧いてくるお見合い話の方が厄介極まりない」
天河家当主であり、美人で有能な黒乃にはひっきりなしに見合い話が持ち込まれる。基本断ってはいるが、付き合いもあって会うだけ会わなければならないこともあり、心底ウンザリしているのだ。
「厚意であることは理解しているが、私は青画以外の男になど一ミリも興味はない。お前と結婚出来れば良いのだが……そういうわけにはいかなかったからな」
黒乃が市長になったのは、姉妹との婚姻を条例で可能にするためだ。
「まあ……法律など関係なく私と青画は実質夫婦のようなものだからな。条例はあくまで見合いを断るための口実に過ぎない」
夫婦というのはさすがに語弊があるけれど、青画も姉との関係が一般的なレベルを超えていることは自覚している。しているが気にすることもない。
「久しぶりに一緒に風呂はどうだ?」
「背中でも流すよ」
風呂と言っても、天河家の場合、天然温泉の露天風呂なのだが。
「日和と結婚したら新居が必要になるだろう?」
「そういうことになるのかな?」
「ああ、お前は天河家と高龗家、どちらにも肩入れ出来ない立場になるからな、どちらかの家に住むわけにはいかんだろう」
これは黒乃が当主として子を残す可能性が極めて低いため、高龗家と協議した結果の妥協案だ。将来的に青画と日和の子どもたちが両家の未来となるわけで、そのプレッシャーはかなりのものである。日和が一人っ子であること、真白にも全く期待できないという事実がそれをさらに強固なものにしているのだが……周囲の焦りをよそに当人たちはあまり気にしていなかったりする。
「住める家があるのに勿体ない気もするけど。それに少し気が早いんじゃ?」
「安心しろ、もうすでに場所は選んである」
「……え?」
予想外の言葉に姉の背中を流していた青画の手が止まる。
「お前が東京に行っている間に日和と真白の三人で探しておいたのだ。神社にも近く本家にも行きやすい申し分ない立地、上物はこれからだから希望があれば早めに言ってくれると助かる。あ、市長の権限で家の前にバス停も設置する予定だ。買い物も楽になるだろう」
黒乃と真白が一緒に住む気満々であることにはツッコまない。そのことは日和も承諾しているし、なによりも三人はとても仲が良い。真白はともかく、当主である黒乃が本家に住まないのは問題になりそうだが、当主としての役目はちゃんとするからと長老たちを黙らせたらしい。もっとも、青画自身も天河家の長男として黒乃のサポートをすることになる。本家との往復は日常的に必要になるわけで、引っ越したとしても実際のところあまり変わらない。
「今朝、日和と会ったんだろ? 神がかりになったとも聞いたぞ」
「ああ、待ちきれなくて」
「一年振りの姉には会いに来てくれなかったのに?」
「うっ……だって姉さん昨日出張で居なかったから」
「ふふ、冗談だ」
黒乃の表情が真剣なものへと変わる。
「覚悟しておけ、雨音も朧もお前に会えなくて相当不満が溜まっている」
「そう……だね。日和と会う日は――――決まって晴れの日だったから」
青画が夜空を見上げると、星一つ見えない。吹き抜ける風は、わずかに湿り気を帯び始めていた。
「明日は――――雨かな」
「……そうだな」
ぽつり ぽつり 空から滴る雨粒が静かに頬を濡らす。
「もうっ!! お兄さま、お姉さま、二人だけでズルいですっ!!」
「いや、疲れて寝てるみたいだったから……」
二人が居ないことに気付いた真白が息を切らせながら浴場に入ってきた。
「ま、まあ……そういう優しいお兄さまが好きなんですけど……お、お背中流しますね!!」
「真白、青画の背中を流すのは私の役目だ、お前はさっさと洗ってもらえ」
「え!? そ、そうですね……久しぶりなので心の準備が……」
照れる真白に、青画と黒乃は楽しそうに笑い合うのであった。




