第一話 帰郷日和
都内某美術大学 卒業式当日――――
「なあ天河、卒業式終わったら皆で焼肉行こうって言ってるけど、お前も行くよな?」
「悪い、これから新幹線で地元帰るから」
「はあっ!? 卒業と同時に帰るって……そんなに東京が嫌いだったのか?」
天河青画はその整った顔を困ったように寄せて苦笑する。
「いや、別に東京が嫌いなわけじゃない」
「じゃあ、俺たちが嫌いなんだな? くっ、この薄情者め」
「そんなことはない、お前たちのことは大好きだ。たとえ離れたとしても同じ空の下、いつまでも仲間だ。困ったことがあれば駆け付ける」
「お、おい、真顔でそんな恥ずかしいこと良く言えるな……」
自分で言い出したのに、面と向かって大好きと言われて顔を赤くする学友たち。
「はあ……むさ苦しい男の照れ顔とか誰得? それにしても……天河は本当に許嫁ラブだよね」
「ああ、世界一愛してる」
「……ちょ、不意打ちでそういうの無し!!」
自分に言われたわけでもないのに顔を真っ赤にする女学生たち。女子に絶大な人気のある青画だが、許嫁の存在を理由に四年間アプローチを全て断ったという伝説を持っているが、その誠実さが逆に彼の人気を強固にしているというのだから皮肉な話である。
「なっ!? 天河てめえ……許嫁って聞いてないぞ!! 羨ましい!! 今度紹介してくれ」
あらゆるタイプの美女が揃っている美大において、見向きもしない青画の許嫁だ、どれだけ可愛いんだよと男たちが盛り上がる。
「絶対に駄目だ、減るし穢れるからな」
「俺たちの扱い酷すぎるだろっ!?」
天河青画にとって、美大へ進学したのはあくまでイラストレーターとして成長し、地元で働くためだった。すべては愛する許嫁の側にいるために、そう割り切ってはいたつもりでも、四年間切磋琢磨した仲間たちと離れるのは心が揺れる。今日くらいは、と思う気持ちもなかったわけではないけれど――――
一刻も早く――――一秒でも早く帰りたいという気持ちの方がはるかに強かっただけ。東京の喧騒が遠ざかるほど、胸の奥の色が澄んでゆく気がした。
青画『今、新幹線に乗った。到着20時になる』
真白『駅でお帰りお待ちしております。お兄さま』
青画の地元はそこそこの地方都市だ。在来線もあるにはあるが、結局はバスかタクシー、自家用車が不可欠となる程度には田舎である。電車もバスも最終が早いので、新幹線の駅まで実家から迎えの車が来てくれることになっている。
「お兄さま!!」
青画の姿を見つけるやいなや――――卒業式からそのまま来たのだろう、袴姿の妹が駆け寄ってくる。その白い袴は、彼女の少女のような純粋無垢さや、清廉潔白で清らかなイメージそのもの。控えめに散らされた桜が可憐でとてもよく似合っていた。
「とても似合っているな、綺麗だ真白」
「ありがとうございます……お兄さまに見てもらいたくてそのまま来てしまいました」
久しぶりの再会の興奮と感動で瞳を潤ませる真白。多少身内びいきはあるかもしれないが、真白ほどの美少女は美人が多い東京の美大生にも居なかった、というか都会には居ないタイプなのだ。青画は可愛い妹の要求に応えて頭を撫でる。
「今日、高校の卒業式だったんだろ? 友達と打ち上げとか良かったのか?」
「お兄さまがそれを言いますか? ふふ、お気になさらず、お兄さまのお迎えは他の全てに勝ります」
そして――――真白の兄ラブはもはや救いようがないほど重かった。
「……そうか、ありがとう真白」
真白は大好きな兄に頭を撫でられると嬉しそうに目を細める。
「やれやれ真白お嬢さまはいつまでたっても青画お坊ちゃまを卒業されませんね」
二人の様子を微笑ましい様子で見守っていた壮年男性が口を開く。天河家の運転手兼秘書を務める深町暁夫だ。
「深町さん、私は一生お兄さまを卒業することはありませんのでご安心くださいませ」
「ははは、これは失礼しました」
清々しい真白の発言に、深町は楽しそうに笑う。青画が東京へ行っていた四年間、真白がどれだけ寂しい想いをしていたのか知っているから本当に嬉しいのだ。
「深町さん、迎えの車ありがとうございます」
「いえ、ご卒業おめでとうございます。皆さまお待ちしていますよ、ご夕食は?」
「車内で駅弁を食べたから大丈夫だ」
「そうですか、では参りましょう」
天河家は地元では知らぬものがいないほどの名士なので送迎の車も当然黒塗りの高級車である。清潔に保たれた車内、ふかふかのシートに腰かけると、実家に帰ってきたのだという感慨が湧いてくる。
「ではご兄妹水入らずでごゆっくり。ご存知とは思いますが防音ですので」
車内で密談を行うこともあるため、後部座席は完全防音仕様である。
「やっと二人きりになれましたねお兄さま」
「ああ、元気そうでなによりだ真白」
真白はうっとりともたれかかり、兄の胸に顔を埋めながらゆっくりと深呼吸する。
「はああ……お兄さまの匂いが染み渡ります……これからは毎日思う存分補給できるのですね」
「そんなに良いものでもないだろう?」
「何をおっしゃいますか、私を幸せにしてくれる匂いなのです」
一心不乱に兄成分を補給する妹の姿に、青画はなにやら思い付く。
「ふむ、なら真白の匂いを嗅げば俺も幸せになれるかもしれないな」
「なっ!? だ、駄目ですっ!? お、お兄さまは嗅ぐの禁止ですっ!!」
「それは残念だ」
「……お兄さまは意地悪です」
真っ赤な顔で顔を埋める妹をみて、やり過ぎたかと頭を掻く青画。
「そうだ、真白に頼まれていたものちゃんと買ってきたから」
「え? まさか……幻の限定シマエナガフィギュア手に入ったのですか!?」
「いや、そっちは手に入らなかったんだが、お前が食べたがっていたシマエナガ大福を――――」
「きゃああああ!! ありがとうございますお兄さま!!」
子どものようにはしゃいでいる妹の姿は、とても高校を卒業したばかりとは思えない。青画にとっては、いつまでも大切な可愛い妹なのだ。
「ところで真白は本当に大学に行かなくて良いのか?」
地元には大学が無いので、進学するなら青画のように町を出る必要がある。加えてこの地方では地元志向が強く、あまり進学率は高くないのはたしかなのだが、成績優秀な真白であれば、本人がその気になればどこにでも行ける。
「はい、お兄さまと離れるなんて私にメリットが存在しませんから」
青画は東京へ行くことになった時、真白を納得させるのにどれほど苦労したか思い出して苦笑いする。
「進学しないでどうするんだ?」
「神社に就職してお兄さまと日和のお手伝いをします」
思いがけず許嫁の名前が出たので、青画はこれ幸いと真白に聞きたかったことを切り出す。もし最初に日和のことを尋ねたら――――きっと妹は盛大に拗ねたに違いないだろうから。
「そういえば、日和は変わりないか?」
「はい、大切なお兄さまの許嫁で私の親友ですから。日和も指折りお兄さまのお帰りを楽しみにしていたのですよ」
「そうか……ありがとう真白」
東京へついてゆくと譲らなかった真白がそれでも地元へ残ったのは、親友で兄の許嫁である日和の存在があったから。もちろん毎日連絡すること、定期的に東京へ会いに行くことが条件ではあったけれど。そしてその条件も、実際には日和も一緒に上京してくるわけで……青画にとってはむしろご褒美でしかなかったのだが。
いずれにしても、真白が居なければ青画は東京へ行くことは出来なかったわけで、心から感謝しているのだ。
「明日は……晴れか……」
明るすぎる東京とは違う満天の星空を見つめながら、青画は久し振りの再会に胸を高鳴らせるのであった。
高龗神社は、国内最古級の古社で天候や水を司る龍神、高龗神を祀ることで知られている。市内を流れる四季川を臨む高台に鎮座しており、農業関係者はもちろん、学校行事の中止や開催を祈願しに来る子どもたちにも隠れた人気があったりする。
山体そのものがご神体である姫鏡山の麓にある本宮では、桜の蕾が今か今かと開花の時を待ち望んでいるが、日中は暖かくなってきても、早朝はまだまだ寒い。境内の空気は澄んでいて、吐く息が白くほどけていく。
風が吹くたび桜の蕾は寒そうに震えているが――――境内の掃除を始めた巫女たちは熱く盛り上がっていた。
「日和ちゃん、愛しの彼がいよいよ帰って来るんだって?」
「はい、今夜天河家で食事会があるのでたぶんその時に」
「そっかあ……いよいよ日和ちゃんの巫女姿も見納めね……」
巫女は未婚でなければならないので、結婚すれば辞めるのが一般的。ただ、日和はこの神社の娘なので、そのまま巫女を続けることも出来るし巫女ではなくなったとしても禰宜として働くことになるだけなのだが。
「け、結婚はまだ……ですよお!?」
同僚の巫女たちに冷やかされて真っ赤になってしまう日和。実際、結婚を前提とした関係ではあるが、卒業していきなり結婚ということではない。日和の母は、中学卒業と同時に結婚しているので早すぎるということはないのだが、まずは正式に婚約となり、籍を入れるタイミングは二人に委ねるということになっている。
「お、奥宮に行ってきます」
日和が同僚の視線から逃げるように姫鏡山の石段を駆け上がると、石段の隙間から差し込む光が、白い袖を淡く照らす。
「兄さま……」
陽の光を吸い込んだような、うららかな色合いの髪がふわりと舞い上がり、遠くでかすかに鈴が鳴る。
山頂にある奥宮は清冽な気に満ちた聖域で、木の葉が落ちる音すら聞こえてきそうなほどの静けさが支配している。日和は一人静かに目を閉じて――――少し年上の許嫁を想う。
小さい頃は優しいお兄ちゃんだった。特異体質のためいじめられることが多かった日和を守ってくれるヒーロー。
いつだって傍にいてくれた。一緒にいるのが当たり前だと思っていた。
でも――――中学三年の時、青画が東京へ行くことになると聞いて目の前が真っ暗になった。
『日和、泣くな……ずっと一緒にいるために少しの間離れるだけだから』
居なくなって初めてその存在の大きさに気付いた。どうしようもなく不安で、胸が張り裂けるほど切ない。
『結婚したらあなたが彼を支えるのよ? だから、強くならないとね』
そう言って笑う母の横顔は、春の陽だまりのように優しく、夏の空のように強かった。たった一人で宮司として神社を切り盛りする母春夏の言葉が、そして――――同じように苦しんでいた親友真白の存在が日和を変えた。
その日から――――日和は不安を打ち消すように勉強だけでなく、神社の仕事にも積極的に取り組んで、料理や花嫁修業にも懸命にチャレンジしてきた。
もう――――毎日泣いていたあの頃の自分ではないのだ。
「大丈夫、私はもう守られるだけの子どもじゃない。真白にだって大人っぽくなったって言われたんだから」
(ふふふ、兄さまを虜にしちゃったらどうしよう)
巫女服が嫌いな男はいない。先輩巫女の言葉を思い出して、日和はすっかり様になってきた巫女装束でくるくると舞う。
「日和……本当に綺麗になったな」
「ふふん、そうでしょうとも――――って、ぎゃあああ!? あ、兄さまっ!?」
突然現れた許嫁に日和は思わず後ずさる。
「そんなに驚かなくても……」
「だ、だって……到着は夕方だって――――」
「ああ、その予定だったんだが……少しでも早く日和に会いたくて昨日帰ってきた。驚かせて悪かったな」
そっと日和を抱きしめる青画。
「……もしかして明日が――――雨だから?」
明日は……雨の予報。日和は胸の奥が少しざわつくのを感じる。
「まあ、それもあるけれど――――」
「けれど?」
「日和の巫女姿が見たかった」
「……っ!? そ、それで……に、似合ってますか?」
「ああ……どこの姫神さまかと思った」
「もう……褒めすぎです。兄さまもカッコいいです……よ?」
冷たい春の風が吹き抜ける。けれど――――二人の火照った顔を鎮めることも、絡み合う視線を揺らすことも出来なかった。
「卒業おめでとう、それから――――ただいま日和」
「卒業おめでとうございます。お帰りなさい――――兄さま」
二人の影が重なり合って――――
バチーンッ
強烈なデコピンが青画の額に炸裂した。
「あいたっ!? ひ、日和!?」
『……我の前で乳繰り合うとは良い度胸よな? いちゃつくなら家でやれ馬鹿者!!』
瞳孔が開いた瞳は赤く染まり、彼女口から発せられる言葉は明らかに異質。青画はこれまでに何度か同じような体験をしていたので、慌てて頭を下げる。
「龍神さま、神聖な場所で申し訳ございませんでした!!」
『まあよい……久方ぶりの再会であったのだろう?』
「は、はい……」
『許す。ほれ、早くぎゅっとせんか』
「え? あ、はい」
『うむ、人肌の温もりというのも悪くない。許す。頭を撫でろ』
「はあ……では失礼します」
青画が頭を撫でると、龍の尻尾が左右にぶんぶんと揺れる。
(なんか……わんこみたいで可愛い……)
『犬ではないわっ!! 我は偉大なる龍ぞ!!』
「……申し訳ございません」
『申し訳ないと思うのならもっと撫でろ愚か者め!!』
「は、はいっ!!」
「あ、兄さま……大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……少し疲れただけだから大丈夫」
「神がかりになるなんてずっと無かったのに……」
神がかりになった時の記憶は無いらしい。
日和によれば神がかりになるのは決まって青画が一緒にいる時だというが、それが偶然なのかどうなのかはまさに神のみぞ知るである。
(考えるのはやめよう)
変なことを考えるとまた怒られそうだから。
「兄さま? やっぱり具合が悪いんじゃ……」
「いや、むしろ癒された」
「???」
神がかりになった日和も可愛かった。
青画は心配そうにしている許嫁を眩しげに見つめるのだった。




