第十六話 初夏の訪問者
七月、初夏の日差しがさんさんと降り注ぎ、梅雨明けの空は洗いたてのガラスのように輝いている。
「う~ん……よし、やっと編集が終わりました」
長時間の作業で凝り固まった身体をほぐすように大きく伸びをする真白。
彼女が配信者となったのは四年前。青画が東京へ行くことになり、不在の四年間、愛する兄との繋がりを作るために、巫女系Vチューバー巫みこと、として活動を始めたのだ。もちろんキャラデザは青画、イメージモデルは真白らしい。
最初は青画の描いたイラストを紹介する目的だったのだが、たまたま配信した料理動画が非常に好評で、最近はほぼ料理動画メインとなっている。もちろん作っているのは青画で、手元と声だけの出演である。
巫みことのビジュアルが人気だということもあるが、料理動画なのに突き抜けたブラコンっぷりを遠慮なくぶち込んでくるキャラと、上品で可愛い声、商売っ気の無いトークが受けて、今では数百万の登録者数を誇る人気配信者の一角となっている。
「真白、俺の料理なんか配信して需要あるのか?」
青画としては苦労して動画を作成してくれるのは嬉しいのだが、たまに徹夜 することもあってやはり心配になってしまう。
「本気で仰っているのですか? お兄さまの料理は世界遺産に認定されるべきだと常々思っています。実際、ファンも大勢いるのですよ」
実際のところ多いどころかめちゃめちゃいるし、出版のオファーも来ている。
「なら良いけど、神社の仕事もあるんだし無理はしないように」
「好きでやっているのですし、私自身のためというのが本音です」
自分自身のためというのは嘘ではない。その編集技術で非公開のお兄さま動画を作って毎日鑑賞するのが本命。料理動画はそのついでにアップしているのだから。
真白としては、独り占めしたいけれど、世界一の兄が評価されないのはそれはそれで耐えられないという複雑な乙女心である。
「そういえばまた招待状来てるぞ」
最近、そんな真白のもとへ有名Vチューバーを集めたイベントやパーティーの招待状が届くことが増えた。一度も参加したことはないのだが。
「お断りしたはずなのにしつこいですね」
チラッと見ただけで興味を失う真白。
「場所は……東京か……たしかに遠いな。真白さえ良ければ付き添おうか?」
もし行きたいのに距離や慣れない土地が不安、青画たちに迷惑をかけたくないという理由で参加しないのであれば、我慢させることなど出来ない。
「っ!? それは……非常に魅力的な提案ですが――――」
(お、お兄さまと東京へ……?? 買い物をして、夜景を見て……お洒落なレストランでお食事……そして――――夜は――――んきゃあああ!!!!)
「私、参加そのものに興味が無いだけですのでどうぞお気遣いなく」
全力で妄想を振り払う真白。たしかに青画と二人きり(のはず)の東京旅行は望むところではあるが、そんなことをすれば間違いなく青画に注目が集まってしまう。それは絶対に避けなければならない。
動画収入は安定していて現状でも青画を養えるだけの稼ぎはある。これ以上望むものはないし、配信はあくまでついでというスタンスは変わらない。あえてリスクを冒す必要も動機も真白には存在しないのだ。
というわけで、あわれ招待状はゴミ箱行きとなるのであった。
「黒沼、例の件はどうなってますの?」
「も、申し訳ございません……それが専属契約については頑なに固辞されまして……」
「……はあ、子どもの使いじゃないのよ? 契約金の上限は言い値で構わないと言ったはずです」
苛立ちを隠さず声を荒らげるのは、国内最大のVチューバー事務所「フェニックス・ライブ」の代表で、フェニックスグループ社長令嬢でもある鳳凰院 朱璃。フェニックス・ライブは、都内一等地に豪華なスタジオを所有し、国内ランキング上位者が多数所属している。
そんな彼女が最近注目しているのは、無所属のVチューバー巫みことなのだが、専属契約したいのは彼女だけでなく、むしろイラストレーターの方だったりする。
「しかし……天河 青画は契約金にまるで興味がないようでして……」
「黒沼、条件は契約金だけではないのよ? 最新の機器が揃った環境、最高のスタッフ、やり甲斐のある仕事、名誉、うちの魅力を知れば考えも変わるのではないかしら?」
「はい……私もそのように考えてあらゆるメリットを説明したのですが……」
「ふーん……」
黒沼は朱璃の幼少期からの専属侍女であり、秘書としてフェニックス・ライブの立ち上げから運営まですべてを取り仕切っている有能な女性だ。全幅の信頼をおいているからこそ任せていたのだが――――
「このままでは埒が明かないし、万一他の事務所と専属契約されたら目も当てられない……良いわ、私が直接出向きます」
「えええっ!! お嬢――――いや、代表が直々にですか?」
基本的に彼女が表舞台に出ること自体ほとんどない――――が、出た時は必ず目的を達成してきた。逆に言えば、それだけ天河 青画との専属契約がフェニックス・ライブにとって重要だと考えているということ。
「天河 青画のようにお金に執着がないタイプには誠意が有効なのよ」
(それだけじゃなくて保険も用意しますが)
朱璃は自分の容姿に絶対の自信を持っている。これまでの経験上、どんな男も朱璃に色目を使ってくるのだ。そのことを好ましいと思ったことは無いが、目的のためならばいざという時の保険として使うこともやぶさかではない。
(勘違いされても困るけれど、使えるものはすべて利用するのが私のやり方)
「待ってなさい天河 青画、必ず私のモノにしてみせるから」
「……参ったな」
「どうしたんですかお兄さま?」
「いや、なんか大手V事務所の代表が直接こっちに来るらしい。専属イラストレーターになって欲しいって話、はっきり断ったんだが……」
「ふーん……えっ!? フェニックス・ライブって国内最大手ですよね? まあ……私も断ったんですけど」
「真白も誘われていたのか……まあ、条件はあり得ないぐらい良かったんだけど、専属契約したら真白のキャラデザ作ってあげられなくなるし、東京へ行くのが条件らしいから断った」
実際、青画が美大を卒業する時、各所から好条件で誘われていたのだが、すべて断ってここにいる。日和や家族のそばにいるためのイラストレーターであるのだから、そもそも本末転倒なのだ。
「お兄さま……私のために……」
「真白のためじゃない、俺が真白と一緒にいたいし、真白のために役に立ちたいと思っているからここにいる」
「ああ……無理です……お兄さまへの愛おしさが限界突破してしまいます……」
ぷしゅう 真っ赤になった顔から蒸気が――――
「大丈夫か真白っ!?」
真白は昔から素直で優等生、だからこそ一人で無理をして溜め込んでしまうことがある。そんな妹はたまに限界を迎えると暴走してしまうことがある。
そういう時は――――
ちゅ、
どんなに機嫌が悪くても、拗ねていても、キスをすれば元通り――――のはずだったのだが……
「うにゅう……」
なぜかオーバーヒートして気絶してしまった。
「お坊ちゃま、フェニックス・ライブ代表がいらっしゃいました」
気絶した真白をベッドへ寝かせていると、執事の深町が部屋の入り口で恭しく頭を下げる。
「もう着いたのか……わかりました、すぐ行くと伝えてください」
「かしこまりました」
契約する気は無いけれど、わざわざ東京から来てくれたということは、それだけ評価してくれているということ。向こうが誠意を見せてくれたのならば、こちらもきちんと誠意を持って対応すべきだろう。
「お待たせして申し訳ございません」
「いいえ、こちらこそ突然押し掛けたも同然なのですから」
どんな田舎者なのかと思ってましたが、この歴史と格式のある屋敷、使用人のレベルの高さ……なるほど、名家の長男だったのですね。それならばお金に興味がないのもある程度納得できる。それはそれとして――――
「黒沼……この異常に美味しいお茶とお茶菓子はなんなのかしら」
「…………」
「って、なんで口いっぱいに詰め込んでるのよっ!?」
リスのようにお菓子を頬張る秘書に呆れる朱璃。
「……申し訳ございません、あまりに美味しくて……つい」
あまりがっつくのは行儀が悪いとわかってはいるのだが、一度口にしてしまえば誘惑に抗えない。しかもメイドが次々に違う種類のデザートや飲み物を持ってくるのだ。これでは正直、黒沼を責める気になれない。
(くっ……この私が知らないグルメがこんな田舎に存在したなんて……この料理人も可能であれば専属契約したいですわね……)
いきなりがっつり胃袋を掴まれてしまった朱璃だったが、そこは鍛え上げた精神力とプライドでなんとか尊厳を守る。
「お待たせしてすいません、イラストレーターの天河 青画です」
まるでそこだけライトアップされたような――――爽やかな風が吹き抜けたような存在感。デザートと飲み物に夢中になっており、完全に油断していた朱璃だったが、さすが瞬時に姿勢を立て直す。
(へえ……そのままアイドルや俳優でも通用しそうなイケメン……しかもあまりいないタイプの……悪くないわね)
見た目が良いだけなら東京にはいくらでもいる。だが、オーラを持っている人間は貴重だ。彼ならば複合的に活躍できると評価をさらに一段上げる。
「こちらこそいきなりお邪魔して申し訳ございません。フェニックス・ライブ代表の鳳凰院 朱璃と申します。契約に前向きではないことは承知しておりますが、どうしても諦めきれずこうして直接お願いに参りました」
朱璃ほどの人間になれば相手が何を考えているのか対面しただけである程度わかる。契約の意思がないことは明らかとみて、少しでも心象を悪くしないことに注力する。
(なるほど……これはたしかに黒沼には荷が重いか。しかも……私を見ても特に反応を見せないなんて初めてかも……)
保険のつもりだった女の武器も通用しない――――いや、むしろ悪手になると瞬時に判断する。
あらゆるケースを想定してきたが、こういう自然体というか芯の通ったタイプが一番手強いと彼女は知っている。おそらく譲れない何かが彼の中にあるのだろうと推察する。
「大変失礼だとは思いますが、弊社との専属契約に何かご不満があるのでしょうか? 可能な限り要望に応えたいと考えております。そのために私自ら出向いたのですから」
中途半端な駆け引きはマイナスにしかならない。力で捻じ伏せられないのなら、敵にしないこと、少しでも希望に近づけるために本音でぶつかるしかない。幸い、話が通じないタイプには見えない。
「そこまで評価してもらえるのはとても嬉しいですし光栄なんですが、私はこの場所を離れるつもりはありませんし、専属契約をしてしまうと妹のキャラデザをしてあげられなくなるので……」
「……妹さんですか?」
「はい、巫みことっていうキャラなんですけどね」
(まさかの兄妹だったとは……いや、これはチャンス!!)
「でしたら巫みことさまとも専属契約を結ぶというのはどうでしょう? ご存知かもしれませんが、以前より契約していただけないかお願いしておりまして――――同じ事務所所属であれば問題はなくなります。また、天河さまがご希望なら、上京していただかなくても問題ありません」
「なるほど……自分一人で決められることではないので少し考えさせてください。妹の考えも聞かなければなりませんので」
朱璃の提案は正直断る理由がほぼない。もちろん真白がそれで良ければというのが大前提だが。一方で積極的に契約する動機がないのも事実である。
「考えていただけるだけでありがたく思います。では今日のところはこれで失礼しますね。私は週末まで市内のフェニックスホテルに滞在しておりますので、何かあればいつでもご連絡ください」
「さすがお嬢さまです。あれなら契約間違いなしですね」
「甘いわ黒沼、考えると言ったのは私に対する誠意が大きい……楽観的に考えて良くて五分五分というところかしら」
最後まで青画には興奮や興味というものが感じられなかった。つまり条件以前の問題。朱璃の勘では妹が鍵を握っている可能性が高い。今日会えなかったのはそういう意味で痛かった。
「出来れば天河 青画の妹、巫みことにも会えると良いのだけれど……って何してるのかしら黒沼?」
「実はお土産をいただきまして……うわあ……美味しそう」
「私がいただいたんですわよね? 勝手に開けないでちょうだい」
バスケットの中にはヤマモモのジャムと枇杷ゼリーが入っていた。
「ごくり……本当に美味しそうね……」
「お嬢さま、私にもくださいね?」
「え? 嫌ですけど」
「そ、そんなあああ……!! あ、とっておきの情報知りたくありませんか? 私にもくださるのでしたら特別に……」
「主人に向かって駆け引きするなんて百年早いわ!! でもまあ……たくさんあるし……今回は特別ですわよ?」
「やったああ!! 実はですね、料理人の正体がわかったんです!!」
「なんですってっ!?」
これほどの料理を作るのだ、ぜひとも専属として連れて帰りたい。もちろんこれほどの腕を持つ料理人を天河家が手放すとも思えないが、簡単には諦められない。最悪、この料理を食べるためだけにここへ足を運んでも後悔はないレベルなのだから。
「あの……ですね、実はこれを手渡された時にメイドたちが自慢げに言っていたのです。青画さまの料理は世界一だって……」
「え……? それって……つまり……天河 青画が料理人の正体ってこと!?」
「はい、確認したので間違いありません」
「そんな大事なことを……なぜ早く言わなかったのかしら?」
ギロリと睨む朱璃。わかっていれば料理の契約も盛り込んだのにと後悔する。
「あはは……お土産もらって浮かれてて忘れちゃいました」
はああ……これは困ったわね。朱璃は今日何度目かわからないため息をつく。
「本気で欲しくなってしまいましたわ天河 青画」
ホテルのスイートルームからは天河家の屋敷がよく見える。もう一度直接会いに行く必要がありそうだと表情を引き締める朱璃。
「美味ああああっ!!」
「ちょ、ちょっとなに先に食べてるのですか!? 私にも寄こしなさい黒沼っ!!」
夢のようなデザートに夢中になっている二人は気付いていなかった。
背後に複数の人影が迫っていることを――――




