第十話 梅雨の季節
梅雨と言えば一般的には憂鬱な季節かもしれない。
日和にとっても、梅雨は青画と会える時間が減ってしまうので、普段より甘えん坊になる。つまり青画にとってはボーナスステージのようなものである。
そして――――
「先輩……今日は図書館デートしましょうね」
雨人格である雨音はとてもご機嫌である。本来公平に接するべきなのだろうが、年間200日以上会える日和に比べ、雨音とは40日ほどしか会えないのだ。だから青画は雨音との時間を最優先しているし、わがままはなんでも聞く。たとえ仕事が入っていようが関係ない。
「青画は本当に物好きだよね、無理に一緒にいなくてもいいよ」
実は梅雨の時期、圧倒的に多いのは雨ではなく曇りだったりする。この時期は溜め込んでいた未視聴アニメを一気に観たり、イベントに出掛けたり、フィギュアを買い漁ったりと朧はとても充実している。もちろん青画も一緒だ。言葉ではついてこなくていい、と言うけれど、鵜吞みにすれば盛大に拗ねる。そんな朧が青画は可愛くてたまらない。
「先輩、また会えたね」
強風が雨戸を叩きつけ、雷雨が激しいリズムを刻む。響はその紫水晶の瞳を潤ませ、青画の胸に飛び込んでくる。
「今夜は嵐になりそうだったから、もしかして会えるかもって思ったんだ」
「へえ……だからわざわざお泊りしたんだ? 先輩、私のこと好きすぎるでしょ」
響は嬉しそうに頬を染める。
「ああ、会いたかった」
時間が限られている響相手に駆け引きする時間すら惜しい。ストレートな言葉に響は震えるほどの幸せを感じる。
「私も会いたかったよ……先輩。私のこと……もっと知って欲しい」
響は他の人格を通じてある程度の記憶と認識を共有しているけれど、青画は響のことをほとんど知らない。でもそれを伝えるにはあまりにも時間が足りない。
「大丈夫、お前の発する言葉一つ一つ、表情や仕草、その綺麗な髪や瞳、愛おしい温もり、一秒だって無駄にはしない。少しずつ積み重ねればいい」
「ありがとう先輩……あのさ、私もタルトとかおにぎり食べたいんだけど……無理だよね?」
今は真夜中、さすがに無理なお願いだと思ったが――――
「もちろん用意してある」
青画が準備していないわけがない。可能な限りのバリエーションで得意料理を作っておいたのだ。
「わああ!! これ……全部私のために?」
「好きなものを好きな分だけ食べて良い。残った分は後でみんなで食べるから」
雨音と朧は明日朝ごはんを食べられなくなるかもしれない。すまないと心の中で頭を下げる青画。とはいえ、不思議なことに他人格が食べた分はあまり影響していないようにも思える。はっきりと検証したわけではないのだが。
「ふう……幸せだなあ……こんなに美味しい手料理が食べられて」
「それは良かった。他にしてみたいことはあるか?」
「うん、一緒にお風呂入ろ!!」
お風呂で洗いっこして、イチャイチャして。それでも雷雨は一向に治まる気配がない。
「えへへ、なんか今夜は最高。じゃあ……後はたくさん……愛して」
その夜――――雷雨は朝まで続いた。
「おはよう雨音、それから青画くん」
日和のことを一番知っているのはもちろん母である春夏だ。どんなに人格が切り替わっても呼吸をするように自然に対応する。さすがの青画もまだその領域には達していない。
「おはようございます、春夏さん」
「お、おはよう……お母さん」
明らかに寝不足気味の青画と雨音。春夏はこれ以上ないほどニマニマしながら――――
「昨日は激しかったものねえ」
「お、お母さんっ!?」
「――――嵐が。あら、雨音ったらなんで真っ赤になってるの?」
「くぅ……なんでもないですっ!!」
青画は矛先が向かってこないように静かに存在を消していたが、春夏が見逃すはずもない。
「梅雨って嫌よねえ……蒸し暑くてたまらない。青画くんもそう思わない?」
ぎゅむ、タンクトップ越しのやわらかい感触がダイレクトに刺激してくる。
「あっ!? お母さんまさか……ノーブラ!?」
「別に良いじゃない、家の中ぐらい。青画くんもこの方が良いわよね?」
さすがの青画も答えづらい。
「ま、まあ……家の中なら良いんじゃないか?」
「先輩っ!? 甘やかしたら駄目です!! まだ六月なんですよ?」
真夏の春夏に比べればまだ可愛いくらいだが、男からすればこのくらいの方が色気を感じてしまうから困りものだ。
「とにかく朝ごはんにしましょう。たくさんあるんで」
「わあ、楽しみね」
「お腹が空きました」
響のために用意した料理が残っている。とりあえず話題を逸らすことに成功してホッとする青画。そして、雨音の様子を見る限り、やはり人格で別腹らしい。どういう理屈なのかはわからないが、たくさん食べてもらえるのは嬉しいものだ。
「あ、あのね先輩」
「どうした雨音」
「昨夜は雨も凄かったですよね……」
「ああ」
「だから……実は私も結構……その……覚えている……んです」
消え入りそうな声で真っ赤になる雨音。
「なるほど、響と雨音が混ざっていた感じなのか?」
「いえ……視覚と聴覚だけ共有している感じです」
「同時には表に出てこれないということか……」
長年一緒にいても、天気人格のことはわからないことが多い。そもそも本人たちがよくわかっていないのだ。興味がないわけではないけれど、青画のやるべきことは変わらない。
愛すべき彼女たちとまっすぐに向き合うこと、それだけだ。
「はあ……昨日の嵐ですごいことになってるわね……」
強風で折れた枝や葉が散乱している庭を見て、春夏は溜息をつく。
「この分だと梅の実が落ちてしまったかもしれませんね」
「え? うちに梅の木なんてあったかしら?」
「……え? 裏庭に立派な梅の木が何本もあるじゃないですか!?」
「ん~? 雨音は知ってる?」
「……お母さん、それ本気で言ってます?」
どうやら素で認識していないらしい。愕然とする青画と雨音であった。
「ああ、これって梅の木だったのね、赤くないからわからなかったわ」
「春夏さん……赤い梅は梅干しですよ」
「先輩ごめんなさい……お母さんびっくりするぐらい常識ないから……」
地面には青いゴルフボール大の実が大量に落ちている。おそらくは昨日の嵐で落ちたものが大半だろう。
「毎年たくさん落ちて邪魔なのよ。そろそろ伐採しようかと思っていたんだけど――――」
「駄目です!!」
七、八十年は経っていそうな立派な梅の古木だ、切るなんてとんでもないと、青画は春夏の両肩をがっしり押さえてジッと見つめる。
「そ、そうなの? ま、まあ……青画くんが好きならそのままでも……」
青画に触れられて頬を染める春夏。そのまま抱きつこうとしたので、雨音が間に割り込んで止める。
「そうだ……春夏さん、この落ちている梅、使っても構いませんか?」
「え? どうせゴミになるだけだしもちろん構わないけど」
「良かった、この梅で色々作れるんですよ、梅酒とか梅シロップとか梅ジャムなんかも」
「えええっ!! 梅酒作れるの? すぐ作りましょう、私も手伝うわ!!」
梅酒と聞いて目の色を変える春夏。
「もちろん私も手伝いますよ、何をすればいいですか?」
雨音は本と同じくらい甘いものに目がない。二人がやる気なのを見て、にこりと微笑む青画であった。
雨の中梅の実を拾うのは結構な重労働だ。神社で暇そうにしている巫女たちも狩りだされて、梅救出大作戦が始まった。
拾う係と洗う係、そして――――それを選別する係。流れ作業で収穫が進む。いつの間にか雨は止んでいた。
「綺麗な青梅は梅シロップと梅酒用にするんだ」
「ふーん、こっちの傷があるじゃん、なんで捨てないの?」
興味深そうに選別された梅を見つめる朧。
「朧、傷がついたからって、見た目が不格好だからってこの実が持ってる味や香りが消えるわけじゃないんだ。削って磨けば、ほら……」
青画が手際よく傷を削ると、瑞々しい薄緑色の肌が現れる。
「……人間も同じだろ。ちょっと不機嫌だったり、態度が尖ってたりしても、中身が美味しいことは俺が知ってる」
「……ば、バカじゃないの」
さらりと言われた言葉に、朧は顔を赤らめる。
「ナイフ、貸しなさいよ」
朧はナイフを奪い取ると、黙々と傷を削り取り始めるのだった。
「青画くーん!! 私たちに手伝えることあるかな?」
落果を集め終えた巫女たちが、青画のもとへ集まってくる。皆、期待に瞳を輝かせているのは、また美味しいものが食べられるかもしれないから。それに――――作業にかこつけて堂々と青画と触れ合えるチャンスでもあるからだ。
「はい、ちょっと大変ですけど梅の実のヘタを取ってくれませんか?」
竹串で一個ずつ処理してゆくのだが、ヘタ取りは地味で結構大変だから率先してやりたがる人はあまりいない。
「終わったらマッサージと優先試食の特典つけますよ?」
――――全員が即座に挙手した。
「青画、これから何を作んの?」
「梅ジャムとコンポートだ、良かったら朧も一緒に作るか?」
「……まあ、暇だし……良いけど」
興味津々、瞳をキラキラ輝かせる朧。やはりお菓子作りが好きなんだろうなと青画は思う。
「まずは梅ジャムから作ろう」
「種は取らないの?」
「種も一緒に煮ると、種からペクチンが出て、よりツヤツヤのジャムになるんだ」
「へえ……」
「種に残った身をしゃぶるのが一番美味いんだ、後で一緒にやろう」
「あは、なにそれ楽しそう」
ジャムを朧に任せて、青画はコンポート作りに取り掛かる。傷を削った青梅を、たっぷりの砂糖水で弱火でコトコト数十分、煮崩れる寸前のプルプルした状態になったら完成。
「皆さん、休憩にしましょう」
春夏、朧、巫女たちの前に用意されたのは、出来立ての梅ジャムと梅を煮詰めたコンポートシロップをソーダで割った即席梅スカッシュ。凍らせた桑の実が氷の代わりに彩りを添えている。
そして――――熱々の梅コンポートに冷たい自家製バニラアイスを乗せた贅沢な温冷デザートに一同瞳を輝かせる。
「はわわ……美味しすぎる……」
「綺麗で美味しいなんて最高……」
「もう駄目……青画くんへの愛が止まらない」
「私……後でもう一回梅拾ってくるっ!!」
女性陣は至福の時間を堪能するのであった。
「ただいま帰りました……え? あの……お兄さま……これは一体?」
間が悪くお使いへ行っていた真白が帰ってくる。泣きそうな顔で、ギギギ……壊れたロボットのように動く姿は、捨てられた仔犬のようだ。
「お疲れ様、ほら、真白の分もちゃんとあるから。俺がお前の分を忘れるなんてあり得ない。もしそんなことがあるなら、それは俺がもうこの世にいないってことだ」
「お兄さま……愛してます!!」
「青画くんも大変ねえ……」
「は? それお母さんが言う?」
春夏の言葉に痛烈なツッコミを入れる朧であった。




