夢章二 7 『慈悲の守り手』
意識が潮のように引いていく。
全身が目に見えない手に支えられ、ある方向へとゆっくりと沈んでいく。耳元を空気の流れがかすめ、列車のレールの摩擦音と混ざり合う。やがて、水の中に引きずり込まれるように、全身が急速に落下し始める。一瞬の息苦しさが伴う。
最後に、すべてが安定した。
ヒールが地面を打つ、澄んだ音。
「ん……」
地面に足が着いたことを感じて、夢映はゆっくりと目を開けた。
最初に視界に飛び込んできたのは、ぼやけた光の暈だった。色がゆっくりと再構成され、やがて輪郭が明確になり始める。
最初に目に入ったのは、三面の巨大なステンドグラスだった。そこには何らかの図柄が描かれているが、その線は光の中でぼんやりと揺らぎ、まるで流れる光が絶えずその輪郭を描き直しているかのようだ。ステンドグラスの外から差し込む光が、空気中にチンダル現象を生み出し、微塵の中に光の道筋がはっきりと見える。色とりどりのガラス面から始まり、斜めに下方へと伸びて、教会の床と、中央に掲げられた銀製の十字架に落ちている。
十字架は中央のステンドグラスの前に吊るされ、表面は光を受けて柔らかな銀色の光沢を放っている。その輝きは、時間に浸されて磨かれたような温かみのある質感で、縁にはいくつかの微かな摩耗痕が見えた。
周囲には一列列の椅子が並び、それぞれが等間隔に整然と配置されている。座面は丁寧に拭き掃除が行き届いており、埃やゴミの跡は一切見当たらない。中央やや高い位置には演台が置かれ、その上には分厚い一冊の本が置かれている。端は少し捲れている。隣には燭台があり、ろうそくが半分ほど燃えているが、芯に炎はない。その隣には、銀製の十字架のネックレスが、開かれた小冊子の上にきちんと置かれていた。
「ここは……」
夢映が低く呟いた。
視線が各所をゆっくりと移動する。ステンドグラスから十字架へ、椅子から演台へ、壁の装飾線から床のタイルへ。教会内部では光がゆっくりと角度を変え、彼女の視界に絶え間なく変化する明暗をもたらす。
一通りの見渡しを終えて、視線が再び演台の奥へと向かう。そして、目をわずかに見開いた。
「……?」
演台の後ろ、何もなかったはずの場所に、突然、煙が現れた。やがてその煙が徐々に晴れ、輪郭が浮かび上がる。その縁は煙の揺らぎから徐々に固まっていく。
最終的に現れたのは、黒いフード付きマントをまとった男だった。
マントの裾は演台の表面より下まで垂れ、フードのつばが顔の大半を覆い、あごと唇の線だけがかろうじて見える。体型は普通の人よりもやや伸びやかで、古典的な大理石の彫刻のような印象だ。背後からのステンドグラスの光が彼を照らし、地面に通常よりも長い影を落とす。距離があっても、まるで意図的に作り上げられたような荘厳さが伝わってくる。
「……レゼロ?」
夢映が試しに呼びかける。
呼ばれて、彼の身体が一瞬震えた。
「…………」
「レゼロ? 君だよね?」
夢映が前に進み出て、演台の縁に両手をかけて、テーブル越しに彼を見上げる。演台の高さが彼女よりもわずかに高く、そのため彼女のあごが机の縁にほぼ付くほどだった。
「……なんでお前はいつも突然現れるんだよ?」
レゼロの声がマントの下から聞こえてくる。喉の奥から絞り出すような声で、音量と語気には何かを抑えている様子がうかがえる。両脇に垂らした手も固く握りしめられていた。
「知らないよ、君が引っ張ってきたんじゃないの?」
「誰が暇でお前を引っ張ってくるもんか! 俺はまだ教義の整理中なんだ! 用がないなら邪魔しないでくれ!」
「うぐぅ……わかったよ、そんなに大声出さなくても……」
レゼロの怒声に、夢映は耳を塞いでやり過ごすことにした。
十数秒ほど経ち、彼が少し落ち着いたのを確認して、耳を離す。
「……それで、お前はどうしてここに来たんだ?」
「わからない。さっきまで電車で栞さんと一緒に座ってたんだけど、いつの間にかここにいた……」
夢映は指先を弄りながら、口を尖らせて小さくつぶやいた。
「栞って誰かは知らんが、お前がまた寝たってことは間違いないな。」
「うん、だからこそ君に引っ張られたんだと思ったんだけど。」
「よく考えろよ……忙しい時にわざわざお前を引っ張るわけないだろ? 何万字もある教義をまだ終わらせてないんだ。まさかお前を呼んで、写経を手伝ってもらおうってのか? それとも邪魔をさせようってのか?」
レゼロは両腕を組み、夢映を見下ろしながら言った。
「じゃあ、どういうことなの? まさか自分でここに来たってわけじゃないよね?」
「分からん。もしかしたら本当に、お前自身がここに来たのかもしれない。」
「うぐぅ————その答え、全く根拠がないよ!」
夢映は不満そうに口を尖らせて、レゼロの答えに突っ込んだ。
「だから、用があるのか? なければもう送り返すぞ——」
「ちょっと待ってよ。もし本当に自分でここに来たんだとしたら、何かが私を選んでるってことかもしれないでしょ。だって……小説とかそういう風に書かれてるじゃん?」
「この世界の何かが、お前みたいな間抜けを選ぶとは思えんがな……」
レゼロは額に手を当てて、長いため息をついた。
「なっ——君は教会に関係してる人でしょ? そんな汚い言葉を使っていいの? 信者たちの信仰が揺らぎそうだよ!」
「……」
レゼロはその場に立ち尽くし、肩を震わせていた。
「この間抜け……まさか……俺の前で叫ぶことしか能がないのか?! うるさいんだよ! もう三度目だぞ?! 三度も俺の教義整理を邪魔しやがって!」
「……二回だけだよ。」
「知らん! 用はあるのか? なければ追い出すからな!」
「うん……あるよ。」
「あるなら早く言え! ぐずぐずするな!」
レゼロが両手を演台に付き、身を乗り出して夢映を見る。
夢映はうつむいてしばらく考え込み、顔を上げてレゼロを見て、ゆっくりと口を開いた。
「君は……クローリアさんを知ってる?」
「……」
その言葉に、レゼロは突然固まり、眉をひそめた。
「……なぜそれを聞く?」
「だって……私と同じ症状の人がいるんだ。真夢っていうんだけど、彼も夢の内容を覚えていられるし、夢の中でも意識を保てる。それに、彼にも守夢人がいるんだ——クローリアって名前で。」
レゼロの視線が夢映の顔に留まり、しばらく沈黙した。
教会の中の光が二人の間をゆっくりと移動し、演台の上の影を左から右へと押しやる。
「……お前と真夢は、どんな関係なんだ?」
「彼が私を住まわせてくれて、病院に連れて行ってくれて、助手として働かせてくれてる。今の……ルームメイトだよ。それに、この話ができる唯一の相手でもある。」
「…………」
レゼロは背筋を伸ばし、振り返って十字架を見上げた。
「お前の言うクローリアって奴は、俺と……関係ない。だが、彼女が誰かは知っている。彼女も俺が誰か知っている。俺たちは会わない。それぞれに守るものがあるからだ。」
「守るもの……?」
「つまり、その質問には答えられない、ってことだ。答えられないんじゃない。答えたら、何かが変わってしまうからだ。分かるか?」
レゼロの背中を見つめ、夢映は口を開きかけ、さらに問い詰めようとしたが、やめて口を閉じた。その話題を諦めることにした。
「じゃあ……質問を変えるよ。」
「……言え。」
「真夢さんと君も……何か関係があるの?」
レゼロは振り返らず、視線は前方の銀色の十字架に留まったままだった。
「……分からん。」
「分からない?」
「分からないんだ。だって俺は彼を知らない。俺がこの世界にいて、彼があの世界にいる。もともと違う世界の人間だ。だが、言えることは一つだけある——」
そこで、彼は一瞬言葉を止めた。教会の中が一瞬静まり、窓の外からかすかに風の音だけが聞こえてくる。
「——お前たちは、まだ準備ができていない道に足を踏み入れようとしている。」
「…………」
「いいか、お前はもう戻るべきだ。」
「ちょっと待ってよ、君はきっとまだ何か知ってるんでしょ? 他にも情報があるなら、少しでいいから教えてよ。」
そう言って、夢映は手を前方に伸ばし、レゼロのマントの端を掴もうとした。
【夢映……】
その時、突然、柔らかな声が夢映の耳に届いた。
それはレゼロの声ではない。彼の声はこんなに優しくない。しかし、ここにいるのは自分とレゼロだけのはずだ。
【夢映……】
再び声が聞こえる。
今度はより鮮明に、教会の天井から降りてくるかのようだ。しかし彼女が見上げた先には、どこまでも続く暗闇しかなかった。
再び前方を見ると、目の前の光景が急に引き伸ばされたように、細長く遠くへと延びていく。レゼロの姿も徐々に遠ざかり、黒い点のように縮んでいく。
「戻ったら、もう問いかけるな。少なくとも、今はな。」
「な——」
言い終わらないうちに、夢映はその場から消え去った。




