夢章一 2『異夢』
意識が次第に朦朧としていくにつれて、真夢は自身の夢の中へと入り込んでいった。
一瞬、身体が柔らかな絹に包まれたかのような感覚に襲われた。同時に、ふわりとした軽やかさが身体中に注ぎ込まれる。
そして眼前の暗闇は徐々に退き、映像が浮かび始める。最初はぼんやりとしていたものが、やがて歪み、そして鮮明になっていく。
「……?」
真夢は目の前に広がる光景を見て、思わず目を見開いた。
見覚えのある光景だからではない。むしろ逆で、目の前の光景は見たことがないものだった。
目の前には本棚があった。木製の本棚には、様々な本がぎっしりと並べられている。
それらの本は種類も外見も異なっていた。牛革で作られたものもあれば、木パルプ紙で作られたものもあり、さらには竹板に刻まれた巻物まであった。
「ここは……いや、これは夢だ。」
真夢は自分がいる場所が夢なのか現実なのか疑ったが、顔を上げた瞬間、ここが夢であることを確信した。なぜなら、この本棚の高さは人間の理解の範疇を超えており、見上げても果てが見えないほどだったからだ。
真夢は周囲を見渡した。自分の周りには黒い霧が立ち込めていた。
そしてその黒霧によって、真夢は周囲の環境を確認することができなかった。彼に見えるのは、目の前にある、様々な種類の書物が収められた木製の本棚だけで、その高さは天まで届くかのようだった。
「これらの本は……いったい……」
真夢が手を伸ばしてそれらの本に触れようとした瞬間、突如として女性の声が彼の耳に飛び込んできた。
【狭間真夢————】
「————!?」
真夢は誰かに自分の名前を呼ばれたことを聞き、その場で完全に固まってしまった。
これまでの数多くの夢の中で、誰かに自分の名前を呼ばれたことはほとんどなかったのだ。
聞き間違いだと思った真夢は、もう一度耳を澄ませ、声の出所を注意深く聞き、自分が聞き間違えたのではないかと確かめようとした。
【狭間真夢————】
奇妙な声が再び周囲に響き渡った。
その声が真夢の耳に入ってくるのと同時に、それは彼の脳、彼の骨、そして彼の意識を絶え間なく擦り続けた。
まるで見えない手が、少しずつ彼の理性を剥ぎ取り、その下にあるものを露わにしているかのようだった。
その時、真夢は声の出所を捉えた。その声はあの黒霧の中から聞こえてきていた。
「誰だ!?」
真夢は周囲の黒霧に向かって問いかけた。
しかし、彼に返ってきたのは、黒霧が動くたびに絶え間なく聞こえてくる風の音と、ここに反響する自分の声だけだった。
先ほどの声は、まるで跡形もなく消え去ったかのようだった。
「幻聴か……?いや、ありえない。」
自分は確かにあの声が黒霧の中から聞こえてきたのを聞いた。絶対に聞き間違いではなかった。
その時、再びあの声が響いてきた。
【狭間真夢————————】
今度の声はより一層の貫通力を持ち、まるで真夢の全身をまっすぐに突き抜けていくかのようだった。
「誰だ!お前は一体誰なんだ————!」
真夢は堪忍袋の緒が切れ、周囲に向かって叫んだ。
しかし彼に返ってきたのは、これまでと同じく、何の応答もなかった。
「くそっ————」
真夢は眉をひそめ、拳を握りしめた。それでも彼は自分の感情を抑え込んだ。
今回の状況は初めての経験だったが、もし感情に振り回されてしまえば、何か重要な情報を見逃してしまうかもしれない。
ましてや、ここはまだ謎に包まれた環境だ。もし自分が無謀にも黒霧の中へ飛び込んで声の主を探しに行けば、おそらくろくな結果にならないだろう。
真夢がまだ考え込んでいるうちに、複数の声が次々と彼に襲いかかってきた。
【狭間真夢————————】
「ちっ……」
【真夢————————】
「うるさい……」
【真夢————————!】
「うるさいっ————!」
突然、真夢は誰かに無理やり引きずり出されたような感覚に襲われ、意識が水のように散り散りになり、そして再び集まり始めた。
夢は崩れ始め、やがて破片となり、跡形もなく消え去った。
「がっ——————」
真夢は勢いよく目を開けると、自分の同僚が目の前に立っており、その顔には心配そうな表情が浮かんでいた。
「大丈夫、真夢?すごく汗かいていたよ……」
同僚の気遣いには構わず、真夢はまず周囲を見渡した。白い天井、机、冷めたコーヒー。いつも通りだ。
そして自分の両手を握りしめ、自分の舌先を噛んでみると、ようやく自分が現実に戻ってきたことを確信した。
その時、同僚が真夢の肩を掴んでいることに気づいた。おそらく彼女が夢の中から真夢を呼び覚ましたのだろう。
「栞……?俺は……どのくらい寝てた?」
真夢は荒い息を吐きながら、同僚――白川栞に尋ねた。
真夢は自分の耳がまだザーザーと鳴っているのを感じていた。
あの強烈な貫通力を持つ声は骨の髄まで刻み込まれたかのようで、たとえ目覚めたとしても、その声は完全には消え去ってはいなかった。
「結構な時間よ!それにあなた、さっきずっとうわごとを言ってたの。何度も呼びかけたのに反応しなかったんだから!何かあったんじゃないかと思って……だから起こしに来たのよ。」
栞の言葉を聞いて、真夢はほっと一息ついた。
栞は彼の大学時代の医学科の同級生で、茶色の長い髪に、伊達眼鏡が知的な雰囲気を醸し出している。そして彼女は真夢にとっても数少ない友人の一人だった。
「さっきのあなた、ずっと『誰だ』って聞いてたけど、一体どんな夢を見たの?」
「別に、いつものことだ。」
「またいつものことなの……正直なところ、あなたは本当に休むことを考えるべきよ。このまま続けてたら、身体が絶対に持たないから。」
栞はため息をつきながら、心配そうに言った。
それに対して真夢は反論しなかった。
確かに彼は心身ともに疲れ切っていたからだ。しかし彼は分かっていた、もし自分が休んでしまえば、夢の内容に引きずられてしまうだろうと。
毎日の仕事、診察、カルテの記入、患者との会話――これらは彼が現実にアンカーを下ろすための数少ない手段であり、そのため彼は滅多に休暇を取らなかった。
喉の渇きを感じた真夢は、机の上のカップを手に取り、冷めたコーヒーを一口飲み、自分の鼓動を落ち着けようとした。そしてついでに時間も確認した。
時刻はすでに午後六時を回っていた。定時を一時間も過ぎている。
「もう遅いわね、真夢。送っていこうか?」
「気持ちだけありがたく受け取っておくよ。でも大丈夫、自分で帰れる。」
そう言って、真夢は素早く荷物をまとめ、席から立ち上がった。
「うっ……」
立ち上がった瞬間、真夢は突然の目まいに襲われ、まるで後ろから棍棒で殴られたかのような感覚に陥った。
倒れ込むのを防ぐため、彼は机の上に両手をつき、震える身体を支えた。
目まいとともに、低周波の耳鳴りと、言葉にできない吐き気が一緒に襲ってきた。
「無理するなって言ったでしょ!自分の身体が弱ってるのに、いつも一人で強がって。」
それを見て、栞はよろめく真夢を支え、席に押し戻した。
真夢の目つきは少しぼんやりとしていたが、彼自身はそれに気づいていなかった。
ただ目の前が暗くなり、胸が締め付けられるような感覚があった。
「ここで待ってて、絶対に動かないで!」
栞は真夢にそう言い残し、部屋を出ていった。
真夢は席に座ったまま眉をひそめ、荒い息を繰り返し、顔色も青ざめていた。
まもなく栞はお湯の入ったカップと、二つのカプセルを持って戻ってきた。
「さあ、これを飲んで。」
栞から差し出されたお湯とカプセルを受け取ると、真夢はそれを一気に口の中に流し込んだ。
「……だからあなたに休むことを勧めてるのよ。このまま続けてたら、絶対に自分の身体を壊すんだから。」
少し落ち着きを取り戻した真夢を見て、栞は心配そうに説得した。
「大したことないよ。ちょっとした不整脈だ。」
「ちょっとした不整脈だって————!?これ以上休まなかったら、次は不整脈どころじゃ済まないんだからね!」
「自分の身体のことは自分が一番分かってる……そこまで心配する必要はない。」
「でもあなたが今飲んでる薬が抗うつ薬だってことは分かってる?それに毎晩寝られずに夜更かしして、コーヒーでなんとか持たせてるんだから、命がコーヒーと一緒に流れ出してしまうわよ!」
その通りだった。
カイネイソ配合製剤は一種の抗うつ薬だ。しかし真夢がそれを服用しているのは、うつ病だからではなく、この薬が彼の精神状態を安定させ、精神が衰弱したときに意識を正常に戻すためのものだった。
コーヒーについては、真夢が長期間にわたって薬を服用し、不規則な生活を続けた結果、交感神経を刺激する不整脈を引き起こしていた。
それが先ほど彼が突然の不快感を覚えた理由だった。
「お願いだから、自分の命を軽く見ないで。休むべきときは休むのよ。」
「……」
真夢は自分の手を見つめた。
さっきまで夢の中で、この手は本棚に伸ばそうとしていた。
そして今、この手はその湯飲みを握りしめており、手全体が微かに震えていた。
それを見て、真夢の心の中で何かを考え始めた。




