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追憶のアーティファクター ~遺されたスケッチブックと、想いを繕う自動人形~  作者: ぽてと


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第15話 『命の亀裂と、雪山の死闘(後編)』(1/3)

「ハァッ……! ハァッ……!」


テオの荒い呼吸だけが、凍てつく雪山の斜面に響いていた。

吸い込む空気は刃のように冷たく、肺の奥を直接切り裂くような激痛を伴う。凍傷で感覚を失った手足は、もはや自分の意志ではなく、ただ前に進むという『執念』という名のぜんまい仕掛けだけで動いていた。


背中に背負ったノエルの身体は、登り始めた時よりも遥かに冷たく、重く感じられた。

彼女から発せられていた微かな駆動音はほとんど聞こえなくなり、代わりに、胸の奥で砕け散ろうとしている魔力炉心の『ピシッ、ピキッ』という残酷なひび割れの音だけが、テオの背中越しに痛いほど伝わってくる。


『……テオ。現在の高度、三千八百メートル。……酸素濃度が、極端に低下しています』


ノエルの掠れた声が、テオの耳元をくすぐった。

システムのエラー表示はミュートされているはずだが、彼女の音声モジュール自体が限界を迎え、言葉の端々にひどいノイズが混じっている。


『あなたの……生命維持機能に、深刻な……ダメージが……』


「うるさい。俺は……まだ、歩ける……」


テオは歯を食いしばり、氷の斜面にピッケル代わりの短剣を突き立て、強引に身体を引き上げた。

視界の端が黒く明滅している。意識が遠のきそうになるたびに、テオは舌を強く噛んで痛みで意識を繋ぎ止めた。口の中に血の味が広がる。


「お前こそ……寝るなよ。カウントダウンは、あとどれくらいだ……?」


テオの問いかけに、ノエルは少しだけ沈黙した。


『……残り、四十五分、です』


「上等だ……。十分、お釣りが来るぜ……」


虚勢を張って笑おうとしたが、頬の筋肉が凍りついてうまく動かなかった。


(あと四十五分。……神様、頼むから、もう少しだけ時間をくれ。この不器用で優しいバケモノに、あの景色を見せてやってくれ……!)


テオは心の中で絶叫しながら、最後の急斜面を這い上がった。


ズザァッ、と。

ブーツが氷の壁を越え、平坦な雪の上へと乗り上げた。

同時に、顔を打ち付けていた猛烈な吹雪が、嘘のようにフッと凪いだ。


「……着いた」


テオはノエルを背負ったまま、雪の上に倒れ込むようにして膝をついた。


そこは、すり鉢状になった巨大なカルデラのような空間だった。

周囲を囲む氷の壁が防風林の役割を果たしており、これまでの猛吹雪がまるで嘘のように、静かで澄み切った空気が満ちている。


そして、その空間の中心。

雪と氷に半分埋もれるようにして、巨大な石造りの遺跡がそびえ立っていた。

無数のアーチが連なり、最奥部には天に向かって伸びる巨大な『塔』の土台が見える。


「ここが……『星読みの頂』。古代の、天文台の遺跡……!」


テオの目から、安堵の涙が溢れ出した。

間に合った。ついに、おじいさんがスケッチブックに描いた、最後の景色の入り口へと辿り着いたのだ。


「ノエル、着いたぞ! ここがお前の目的地だ!」


テオは背中のノエルをそっと雪の上に下ろし、彼女の身体を支えた。


ノエルの半ば閉じかけていた青い瞳が、ゆっくりと見開かれる。

彼女の視覚センサーが、目の前に広がる荘厳な遺跡の姿を捉えた。


『……はい。スケッチブックの、構図と……一致、します。……あそこを登れば、雲海が……』


ノエルは、ボロボロになった左手を伸ばし、遺跡の最奥にある塔を指差した。

彼女の顔に、人間のような、本当に嬉しそうな微かな笑みが浮かぶ。


「よし、行こう。俺が抱えて登ってやるからな」


テオが再びノエルを背負おうと立ち上がった、その時だった。


ゴゴゴゴゴゴッ……!!


遺跡全体を揺るがすような、地鳴りのような重低音が響き渡った。


「な、なんだ!?」


テオが身構える。

地鳴りの震源は、遺跡の入り口――巨大なアーチの門の下だった。


分厚い雪と氷が内側から弾け飛び、その下から、巨大な影がゆっくりと立ち上がった。

それは、高さ十メートルはあろうかという、古代の岩と氷で構成された巨大な『防衛ゴーレム』だった。

大戦中の機械兵器ではない。それよりも遥か昔、この天文台を神聖な場所として守るために、古代の魔術師たちが造り上げた自律型の魔法生物だ。


ゴーレムの頭部にある巨大な単眼が、不気味な黄金色の光を放ち、テオとノエルを真っ直ぐに捉えた。


『――星ノ聖域ニ、何人タリトモ立チ入ルベカラズ』


空間全体を震わせるような、機械的で感情のないテレパシーの声が、二人の脳裏に直接響いた。


『侵入者ヲ、排除シマス』


ゴーレムが巨大な腕を振り上げた。

その腕の周りの空気が渦を巻き、周囲の雪が鋭い氷の刃となって無数に形成されていく。


「嘘だろ……。ここまで来て、こんなバケモノが門番をしてるのかよ!」


テオは絶望的な声を上げた。

ヴァルガスの重砲部隊を退け、命を削って登ってきたというのに。この星読みの頂は、そう簡単に人間の侵入を許すような生易しい場所ではなかったのだ。


ヒュンッ! ヒュンヒュンヒュンッ!!


ゴーレムが腕を振り下ろすと同時に、無数の氷の刃が、雨霰となって二人に向かって射出された。


「くそっ!!」


テオはノエルに覆い被さるようにして、目を瞑った。

自分には、あれを防ぐような魔法も、戦う力もない。ここが、自分たちの旅の終着点なのか。


――キンッ!!


しかし、テオの背中に氷の刃が突き刺さることはなかった。

目を開けると、テオの頭上に、見覚えのある銀色の『光の網』が展開され、氷の刃をすべて粉砕していたのだ。


「ノエル!?」


テオが振り返ると、雪の上に倒れていたはずのノエルが、フラフラと立ち上がっていた。


『……警告。防衛機構、起動中。対象の脅威度、Sクラス』


ノエルの青い瞳が、銀色の光を放って明滅している。

しかし、その光は以前のような力強さはなく、今にもフッと消えてしまいそうなほどに弱々しい瞬きだった。


「やめろ、ノエル! もう魔力を使っちゃダメだ!」


テオがノエルの腕を掴もうとするが、ノエルはその手をそっと躱した。


『……テオ。あれは、古代の魔術師が残した、ただのプログラムです。……人間の言葉は、通じません』


ノエルの掠れた声が、ひどく穏やかに響いた。

彼女の胸の奥で、ピキッ、ピシッという亀裂の音が、さらに大きくなる。


『おじいさんが描いた景色は……あの塔の、上にあります。……私が、あの壊れた門番を直して、テオの道を……開きます』


「馬鹿なこと言うな! 俺の道じゃない、お前が見るための景色だろ! ここで魔力を使ったら、お前のカウントダウンは一気にゼロになっちまうんだぞ!!」


テオの悲痛な叫びに、ノエルはゆっくりと首を横に振った。


『……私は、もう……十分です』


ノエルは、ボロボロになった身体で、テオに向かって微笑んだ。


『おじいさんから……心をもらって。テオと出会って。……私の真っ白だった記憶のデータは、こんなにも……温かくて、美しい景色で、いっぱいになりました』


ノエルの目から、再び透明な冷却水なみだがこぼれ落ちる。


『私は、テオの言葉に……たくさん、直してもらいました。……だから、最後は。……アーティファクターとして、テオの大切な明日を……私が、守ります』


「やめろぉぉぉっ!! 俺はそんなこと望んでない!!」


テオが泣き叫びながら手を伸ばす。

しかし、ノエルはテオから距離を取り、巨大な古代ゴーレムの真正面へと一人で歩み出た。


『――侵入者ヲ、排除シマス』


ゴーレムが再び巨大な腕を振り上げ、今度はカルデラ全体の氷を巻き込んだ、巨大な氷の竜巻を形成し始めた。

巻き込まれれば、一瞬にして全身が微塵切りにされるような、古代の絶死の魔法。


その圧倒的な破壊の渦を前にして、ノエルは両手を静かに広げた。


「……マスター権限、最終移行。……魔力炉心、臨界点オーバーロードへ」


ノエルの胸の奥から、最も大きく、そして決定的な『破断音』が響き渡った。


パァァァァァンッ……!!

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