第13話 『命の亀裂と、雪山の死闘(前編)』(2/3)
ズドォォォォォォォンッ!!!
雪山の鼓膜を破るような轟音と共に、中型魔導重砲機から赤黒い極太の熱線が放たれた。
それは、かつて堅牢な城壁をも一撃で融解させた、文字通りの『必殺の光』。周囲の猛吹雪が一瞬にして蒸発し、分厚い雪の壁が水蒸気となって爆発的に膨張する。
「ノエルッ!!」
テオの絶叫が響く中、ノエルはその圧倒的な熱量の奔流の真正面に立ち、両手から無数の『銀色の糸』を空間に展開した。
極細の魔力糸が幾重にも編み込まれ、空中に絶対的な防御結界を形成する。
ギギギギギィィィッ!!
赤黒い熱線が銀の結界に激突し、凄まじい火花と衝撃波が吹き荒れた。
ノエルの足元にあった強固な岩盤が、衝撃に耐えきれずメキメキとひび割れ、彼女の身体が数メートル後方へと押し込まれる。
「……出力、維持。防衛プロトコル、最大展開」
ノエルは歯を食いしばり、ギアポートの職人たちが作ってくれた右腕の装甲に魔力を集中させた。
高熱で真鍮の表面が赤く焼け焦げようとも、その腕は決して折れることなく、テオを守るための結界を強固に支え続けている。
『――ピキッ』
だが、外装がどれほど強靭であろうと、限界を迎えていた彼女の『心臓』は違った。
ノエルの胸の奥で、致命的な亀裂音が鳴る。
重砲の威力を相殺するために魔力炉心をフル回転させた代償として、すでにヒビだらけだった炉心の外殻が、さらに大きく剥がれ落ちたのだ。
ノエルの口から、血液の代わりである青白い冷却水がツーッと流れ落ち、雪を染める。
「馬鹿な……。重砲の直撃を、たった一個体の結界で防ぎ切るだと……!?」
熱線が収束し、もうもうと立ち込める水蒸気の向こうから無傷のテオと、片膝をつきながらも結界を維持し続けるノエルの姿が現れた。
ヴァルガス大尉の顔が、驚愕と恐怖に引きつる。
「だが、無事では済んでいないようだな! 見ろ、あの青白い血を! あいつの炉心はもう自壊寸前だ!」
ヴァルガスは狂ったように笑い、背後の残党兵たちに向かって剣を振り下ろした。
「重砲の再充填を急げ! ……他の者たちは、後ろにいる男を狙え! あの悪魔は男を庇うために、自分の魔力を削り続けるしかないはずだ!!」
「卑怯だぞ、ヴァルガス!!」
テオが雪の中から立ち上がり、怒号を飛ばす。
軍の兵士たちが一斉に魔導銃を構え、その銃口をノエルではなく、その後ろにいるテオへと向けた。
「卑怯? これは戦争だ、小僧! 情に流された時点で、兵器としては欠陥品なのだよ!!」
無数の魔力弾が、テオを目掛けて乱れ撃ちされる。
「テオ!!」
ノエルは片膝をついた体勢のまま、自身の防御を完全に捨て、残された魔力糸のすべてをテオの周囲へと走らせた。
テオを包み込むように形成された銀色の繭が、魔力弾を次々と弾き飛ばす。
しかし、防御をテオに集中させた結果、ノエル自身の身体は完全に無防備となっていた。
ザシュッ! ガァンッ!
「……っ!」
数発の魔力弾が、ノエルの左肩と、純白の太ももの装甲を無惨に貫いた。
衝撃でノエルの身体が雪の上に投げ出され、銀色の髪が乱れる。
「ノエル!! もういい、結界を解け!!」
テオは銀色の繭の中から、血を吐くような悲鳴を上げた。
「俺に構うな! お前の糸なら、俺を置いてあいつらを一瞬で切り刻めるはずだ! 俺を盾にしてでも、お前は生き残れ!!」
テオは、ノエルがこれ以上自分のために魔力を消費し、命(寿命)を削り続けることに耐えられなかった。自分が足手まといになっていることが、死ぬことよりも辛かったのだ。
しかし、雪の上に倒れ伏したノエルは、弾かれたように顔を上げ、青い瞳でテオを真っ直ぐに見つめた。
「……拒否、します」
その声は、重傷を負っているとは思えないほど、凛として力強かった。
「私を、ペテン師の相棒と呼んだのは、テオです。……相棒を切り捨てて生き残るようなタスクは、私のプログラムには存在しません」
「ノエル……お前……っ」
「それに……」
ノエルは、雪を赤く染める自分の傷跡を見下ろし、そして、前方のヴァルガスたちを静かに見据えた。
「壊れてしまったものを、さらに壊すこと。それは、アーティファクターの仕事ではありませんから」
彼女は、ボロボロになった身体で、ゆっくりと立ち上がった。
右腕の真鍮の装甲が、彼女の意志に呼応するように、内部の熱を受けて黄金色に輝き始める。
「馬鹿め、強がりを言うな! 重砲の充填が完了したぞ! 次で終わりだ、銀髪の悪魔!!」
ヴァルガスの号令と共に、中型魔導重砲機が再び不気味な稼働音を上げ、砲口に赤黒いエネルギーを収束させ始めた。
次の一撃を防げば、ノエルの魔力炉心は確実に砕け散る。
『警告。これ以上の魔力放出は、主魔力炉心の完全崩壊を招きます』
視界を埋め尽くすシステムのエラー表示。
ノエルは、それを静かにミュート(消去)した。
「……マスター権限移行。安全装置、完全解除」
ノエルが静かに呟いた瞬間。
彼女の胸の奥から、心臓の鼓動のような、深く重い『トクン……』という音が響いた。
直後。
ノエルの全身から、周囲の猛吹雪すらも完全に吹き飛ばすほどの、圧倒的で、純白に近い『銀色の光』が天に向かって立ち昇った。
彼女の月光のような銀髪が、重力を無視して空中にふわりと舞い上がり、青かった瞳が、星の光を宿したような眩い銀色へと染め上げられる。
「な、なんだ、あの光は……!?」
ヴァルガスが、そのあまりの神々しさに息を呑んで後ずさった。
「大戦中のシグマ・モデルのデータに、あんな状態は存在しないぞ!!」
かつて軍が記録していた『銀髪の悪魔』は、赤黒い殺意の魔力を纏う兵器だった。
しかし、今目の前にいるのは、誰かを守るためだけに、自らの命を燃やし尽くして光り輝く『守護者』の姿だった。おじいさんが与えた心と、テオとの旅で育まれた優しさが、彼女の魔力炉心を未知の領域へと引き上げていたのだ。
「ヴァルガス大尉。あなたたちの時間は、大戦からずっと止まったままです」
ノエルの透き通る声が、吹雪を切り裂いて雪山に響き渡る。
「悲しい過去の幻影に囚われるのは、もう終わりにしましょう。……私が、あなたたちの狂った時間を『直します』」
「……撃てぇぇぇッ!! その化け物を、跡形もなく消し飛ばせ!!」
ヴァルガスが恐怖に顔を引きつらせながら絶叫する。
重砲の砲口から、先ほどよりもさらに巨大な赤黒い熱線が放たれ、同時に兵士たちの魔力弾が一斉にノエルへと降り注いだ。
しかし、ノエルは避けることも、防御することもしなかった。
「……『強制修復』」
ノエルの十指から、これまでとは比較にならない、滝のような何万本もの『銀色の糸』が解き放たれた。
それはもはや糸というよりも、雪山全体を包み込む巨大な光の網だった。
放たれた重砲の熱線と無数の魔力弾は、ノエルの放った銀の網に触れた瞬間、パリンッとガラスが砕けるような音を立てて、無害な光の粒子へと強制的に還元されてしまったのだ。
「なにィッ!?」
ヴァルガスが驚愕する間もなく、光の網は吹雪の向こう側――軍の残党部隊全体へと襲いかかった。
シュガァァァァァァン!!
それは、暴力的な破壊ではない。
究極の精度を誇る、一瞬の『分解と浄化』の嵐だった。
銀の糸は、兵士たちが構えていた魔導銃の内部に滑り込み、火薬と魔力を抜いて、部品ごとに綺麗にバラバラに解体した。
そして、巨大な中型魔導重砲機の装甲の継ぎ目、動力パイプ、魔力炉心の結合部に無数の糸が絡みつく。
『……エラー。システム干渉。メイン・コア、強制分離……』
巨大な兵器が、悲鳴のような機械音を上げた直後。
ガキンッ、バラバラバラッ……!
重さ数十トンを誇る巨大な重砲機が、ノエルの銀糸の力によって、まるで精巧な立体パズルを解きほぐすように、空中で完全に解体されてしまったのだ。
巨大な砲身も、装甲板も、歯車も、すべてが美しいパーツの形を保ったまま、雪の上にドサドサと無害な鉄屑として降り注ぐ。
誰も、血を流していない。
誰も、殺されていない。
ただ、彼らが人を殺すために持っていた『武器』だけが、完全にこの世界から消し去られた。
「あ……あぁ……」
手の中に残された、魔導銃のただの『引き金』の部品を見つめながら、兵士たちが次々と膝をつき、戦意を喪失していく。
圧倒的な、神と虫ほどの力の差。
これほどの力を持っていながら、彼女は自分たちを殺さなかった。ただ優しく、武器だけを解体してみせたのだ。
その底知れない「優しさ」と「力」の前に、彼らが何十年も抱き続けてきた戦争の狂気は、完全にへし折られてしまった。
「嘘だ……。こんな、こんな馬鹿なことがあってたまるか……」
ヴァルガス大尉は、バラバラになった巨大な重砲機の残骸の前に立ち尽くし、手から剣を取り落とした。
彼の目には、もう狂気の光はなかった。ただ、一人の無力な人間に戻り、吹雪の中で立ち尽くしているだけだった。
「……対象の武装解除、完全に終了しました」
雪山の静寂の中。
銀色の光が、スゥッとノエルの身体に収束し、消えていく。
「やった……やったぞ、ノエル! あいつら、完全に戦意喪失だ!」
銀色の繭から解放されたテオが、雪を蹴立ててノエルの元へと走り寄る。
しかし、彼の目に入ったのは、振り返ったノエルの、あまりにも残酷な現実の姿だった。
パキンッ。
ノエルの胸の奥で、決定的な何かが割れる音がした。
「……テオ」
ノエルが、ふらりとバランスを崩す。
「ノエル!!」
テオは間一髪で滑り込み、雪の上に崩れ落ちそうになったノエルの身体を、その腕の中にしっかりと抱きとめた。
軽い。そして、信じられないほどに冷たい。
つい先ほどまで、あんなにも神々しく温かい光を放っていたはずの彼女の身体から、急速に『熱』が失われていくのが分かった。
『……警告。主魔力炉心、完全崩壊まで……カウントダウンを開始します』
ノエルの視界で、最後のアラートが表示される。
彼女は、テオの腕の中で、ゆっくりと、青い瞳をテオに向けた。
「ごめんなさい、テオ。……限界のようです」
「馬鹿野郎! 謝るな、なんで謝るんだよ!!」
テオは、ノエルの冷え切っていく手を両手で包み込み、ボロボロと涙をこぼした。
「四十八時間って言ったじゃないか! まだ……まだ山頂にも着いてないんだぞ! ここで止まるな、頼むから……!」
「……残存稼働時間、約……三時間。……ごめんなさい。計算が、狂ってしまいました」
ノエルの声は、もうシステムのノイズにまみれ、掠れて聞き取るのもやっとの状態だった。
三時間。
それが、彼女の命の残りのすべて。
周囲では、吹雪が再び激しさを増し、二人の姿を白く覆い隠そうとしている。
絶望的な雪山の中腹で、テオは動けなくなった相棒を抱きしめたまま、ただ叫ぶことしかできなかった。




