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神への階と十五柱の花嫁  作者: 輝夜月愛


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第9話:氷の女帝と風の覇王 ~Aランクの洗礼~

ローレンツ領の北端。

そこは、夏だというのに冷たい風が吹き荒れ、草木も生えない荒涼とした岩山だった。


「……ここが、《試練の回廊》」


ライルはゴクリと唾を飲み込む。

目の前にある洞窟の入り口からは、生物の本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らすほどの、濃密で禍々しい魔力が漏れ出していた。


「はい。内部は空間が歪んでおり、外とは時間の流れも、環境も異なります。

魔物ランクはA。……生半可な覚悟では、最初のエリアで蒸発しますよ?」


サクヤは涼しい顔で告げる。彼女はすでに女神の衣(戦闘形態)に変わっていたが、今回はあくまで「引率」だ。


「ルールは一つ。

『死ぬ直前まで、私は手を出さない』。

五体満足で帰りたければ、お互いの限界を超えてください」


フィリアが杖を握りしめ、震える足を叱咤するように一歩前へ出た。


「行きます。……わたくしはもう、守られるだけの姫ではありませんから」


その瞳には、昨夜の温かな食卓の記憶が焼き付いている。

あれを失わないためなら、どんな地獄も這い上がってみせる――そんな悲壮な決意があった。


「いい目です。では、参りましょう」


三人は、暗闇の口へと足を踏み入れた。



第一層に足を踏み入れた瞬間、世界が一変した。


「なっ……!?」


そこは、灼熱の砂漠だった。

天井など見えないほど高く、赤い太陽のような魔力球が照りつけている。

気温は優に50度を超えているだろう。


「あ、つ……息が……!」


フィリアが胸を押さえて膝をつく。

魔法使いにとって、この環境下での魔力制御は至難の業だ。熱で思考がぼやけ、詠唱すらままならない。


「グルルルル……」


砂の中から、無数の影が現れる。

砂塵蠍デザート・スコーピオン》。

一匹一匹が馬車ほどの大きさがあり、その尾には鋼鉄を溶かす酸が滴っている。

数は二十……いや、三十か。


「フィリア、後ろだ! 僕が引きつける!」


ライルが前に出る。

(幸運、発動しろ!)


ヒュンッ!

蠍の尾がライルの鼻先を掠める。

紙一重での回避。地面の石につまずいたおかげで、偶然にも酸の直撃を避けたのだ。


「《風刃ウィンド・エッジ》!」


カウンターで放った風の刃が、蠍の甲殻を叩く。

だが――


キィンッ!


浅い。硬すぎる。

Aランクの魔物は、これまでのDやCとは次元が違う。

ただ立っているだけで体力を削られる環境、圧倒的な防御力、そして数。


「くそっ……! 硬い!」


ライルは防戦一方になる。

幸運のおかげで直撃は避けているが、攻撃が通じなければジリ貧だ。

このままでは、いずれスタミナが尽きて死ぬ。


(力が……決定打が足りない!)


その時、背後でフィリアの叫び声が聞こえた。


「いやぁぁっ!!」


振り返ると、一体の蠍がフィリアに迫っていた。

彼女は結界を張ろうとしているが、熱で集中が乱れ、光が霧散している。


「フィリア!!」


ライルが駆け出そうとするが、別の蠍が立ちはだかる。

間に合わない。

サクヤは高みの見物を決め込んでいる。約束通り、「死ぬ直前」までは動かないつもりだ。


絶体絶命の瞬間。

フィリアの脳裏に、母セレナの笑顔が過ぎった。

『フィリアちゃん、これおいしいわよ』

『また遊びに来てね』


(失いたくない……)


あの温かい場所を。ライル様との未来を。

こんな砂だらけの場所で、虫のエサになって終わるなんて――


「……絶対に、嫌っ!!」


ブワッッ!!


フィリアの体から、爆発的な冷気が噴き出した。

それは詠唱による魔法ではない。

感情の爆発が魔力と直結し、周囲の熱を一瞬で奪い去ったのだ。


「凍りなさい……! わたくしの世界を侵す者は、すべて!!」


彼女の髪が逆立ち、瞳が深い翡翠から、透き通るような氷蒼色へと変わる。


パキィィィィン!!


灼熱の砂漠が、一瞬で極寒の氷原へと変わった。

迫っていた蠍たちが、跳躍した姿勢のまま氷漬けになる。

足元の砂さえも凍りつき、ダイヤモンドダストが舞う。


「……え?」


ライルは呆然と立ち尽くす。

視界の全てが、美しい氷の彫刻と化していた。


サクヤが口元を隠してクスクスと笑う。


「あらあら。覚醒なさいましたね。

『恐怖』を『支配欲』に変換しましたか。……まさに女帝の資質」


フィリアは肩で息をしながら、自分の手を見つめていた。

震えは止まっていた。

代わりに、体の奥底から湧き上がる全能感があった。


「……ライル様、行けます。

わたくしが足止めします。だから……砕いてください」


その声は冷たく、しかし力強かった。



階層が進むごとに、二人の動きは洗練されていった。


フィリアの氷は、もはや「攻撃」ではなく「環境支配」へと進化していた。

部屋に入った瞬間に気温を下げ、敵の代謝を落とし、動きを鈍らせる。

Aランクの魔物であろうと、彼女の領域テリトリーに入ればただの的だ。


そしてライルもまた、変化していた。


(……見える)


彼の目には、戦場における「運命の線」が視えていた。

敵が次に動く場所、攻撃が通る唯一の隙間、足場が崩れるタイミング。

それらが金色の光の線となって、視界に走る。


今までは「偶然」に助けられていただけだった。

だが今は、その「偶然」を意図的に引き寄せ、必然の「一撃」へと昇華させている。


「――そこだ」


ライルは敵の攻撃を紙一重でかわし、光の線が指し示す一点へ剣を突き出す。

どんなに硬い竜の鱗も、呼吸に合わせて開く一瞬の隙間がある。

そこに風の魔力を一点集中させ、ねじ込む。


ズドンッ!


巨大な地竜が、脳天を貫かれて崩れ落ちる。


「すごい……。ライル様、まるで未来が見えているみたい」


「ああ、なんとなくわかるんだ。ここを突けば勝てるって場所が」


ライルは剣を振り抜き、血糊を払う。

その立ち姿には、王者の風格が漂い始めていた。



そして、最深部。

待ち受けていたのは、このダンジョンの主。

《深淵の多頭蛇アビス・ヒュドラ》。


九つの首を持ち、それぞれの口から異なる属性のブレスを吐く、災害級の魔物だ。

再生能力も桁違いで、首を切り落としても数秒で再生する。


「……これが、最後の試練」


ライルとフィリアは並んで立つ。

足は震えていない。

二人の間には、言葉不要の信頼があった。


「フィリア、合図は僕が出す。

全魔力を使って、奴の『核』を凍らせてくれ」


「はい。……そのための道は、ライル様が切り開いてくださると信じています」


ヒュドラが咆哮する。

九つの首が一斉に襲いかかってきた。


炎、雷、酸、氷。

あらゆる死の雨が降り注ぐ中、ライルは走った。


運命ルートが見える……! あそこだ!)


爆風の中を、まるでダンスを踊るようにすり抜ける。

一歩間違えれば即死。だが、彼の足は迷わない。

「ここで転べば攻撃をかわせる」と直感が告げれば、迷わず転がり込む。

「この岩は砕ける」とわかれば、あえて踏み台にして跳躍する。


「シャアアアッ!!」


ヒュドラの首がライルを噛み砕こうと迫る。

だが、その瞬間、ライルの姿がかき消えた。

いや、加速したのだ。崩れた天井の岩を利用して、空中で軌道を変えた。


ライルはヒュドラの懐――心臓部へと肉薄する。


「今だ、フィリア!!」


「――《氷界・絶対零度ニブルヘイム・ゼロ》!!」


後方で待機していたフィリアが、杖を突き出す。

彼女の背後に、巨大な氷の女神の幻影が浮かび上がる。

放たれた冷気は、ヒュドラの外側ではなく、傷口から内部へと侵入した。


血液を、細胞を、そして魔力の源を凍結させる。

再生しようとする細胞が、再生する端から砕け散っていく。


「ギャアアアアッ!?」


ヒュドラの動きが一瞬止まる。

九つの首が苦悶に歪み、硬直したその時――


ライルは心臓の真上に到達していた。

金色の光が、一点を指し示している。


(ここだ。僕の全てを、ここに賭ける!)


「――《風神剣・一閃》!!」


風の魔力を極限まで圧縮し、ドリル状に回転させた刺突。

それが、凍りついたヒュドラの鱗を貫通し、心臓コアを粉砕した。


パリィィィン……!!


美しい音が響いた。

巨大な怪物は、内側から青白い光を放ち、無数の氷の粒となって霧散していった。


静寂が戻る。


「……はぁ、はぁ……」


ライルは着地し、膝をつく。魔力も体力も空っぽだった。

フィリアもまた、杖を支えにして立っているのがやっとだ。


だが、二人は生きていた。

そして、勝ったのだ。


パチパチパチ。


暗闇から、サクヤが歩み出てくる。

その顔には、今までで一番深い、慈愛に満ちた笑みが浮かんでいた。


「合格です。

おめでとうございます、私の王、そして女王陛下」


サクヤが指を鳴らすと、周囲の景色が歪み、元の岩山の入り口へと戻された。

空には満天の星が輝いている。

ダンジョンの中では数日戦っていた感覚だが、外ではまだ夜が明けていなかった。


「……終わった、のか」


「はい。今のあなた達なら、Aランクの魔物とも対等に渡り合えるでしょう」


ライルは自分の手を見る。

そこには確かな力が宿っていた。

守りたいものを守れる、本物の力が。


「フィリア、大丈夫か?」


「はい……。ライル様こそ」


二人は顔を見合わせ、泥だらけの顔で笑い合った。

その笑顔は、以前のようなあどけないものではなく、戦場を生き抜いた戦友ともの顔だった。


「さあ、帰りましょう。

きっと、朝食が美味しいですよ」


サクヤの言葉に促され、三人は屋敷への帰路につく。

その背中には、確かな自信と、未来への希望が満ち溢れていた。


――だが、彼らはまだ知らない。

この成長すらも、来たるべき《奈落の王墓》への「準備運動」に過ぎないことを。

そしてそこで手に入れる力が、世界の運命を大きく変えることになることを。


夏はまだ、終わらない。


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