第87話:十五人の懺悔と、双方向の魂の絆
【安らかな寝顔と、別室の静寂】
ローレンツ邸の奥にある、静かで陽当たりの良い客室。
そこでは、血を吐くまで己の魂を削り続けた神王ライルが、泥のように深い眠りについていた。
青白くこけていた頬には、わずかだが血の気が戻りつつある。
苦悶に満ちていた眉間のシワは消え、スゥ、スゥと、久しぶりに穏やかな寝息を立てていた。
「……よかった。本当に、安らかな顔をして眠っていますわ」
そっと扉の隙間からその寝顔を見届けた長女のベイラが、音を立てないように静かに扉を閉めた。
扉の向こうの広いサロン(談話室)には、第一夫人のフィリアを筆頭に、サクヤ、セレナたち五人の先輩妻と、十柱の女神たち、合わせて十五人の妻たちが円を描くように重い面持ちで座っていた。
皆の首元や手首には、ライルが命を懸けて編み上げた『愛の証』が、彼女たちの完全な回復を証明するように、美しく力強い光を放っている。
だが、サロンを包む空気は、決して「夫の無茶を止めて一件落着」というような、晴れやかなものではなかった。
◇
【真実の重み ~私たちは救われていた~】
「……主さまを叩いて、止めたのは私だけど」
沈黙を破ったのは、サクヤだった。
彼女は自身の両手を膝の上で固く握りしめ、ポツリ、ポツリと絞り出すように語り始めた。
「主さまが倒れるまで気づけなかった。……いえ、気づかないふりをしていたのかもしれない。あの『繋がり』から流れ込んでくる主さまの命が、あまりにも温かくて、安心できたから」
サクヤは、悔恨に震える瞳で、ギュッと唇を噛み締めた。
「私は主様がいた元の世界の女神でした。その世界の最高神様から、ライルをよろしくと言われて、守ってるつもりでいました。……ですが、実際に守られていたのは私のほうだったのです。こんなに傷つけてしまって、決して許されることではありません」
サクヤのその痛切な言葉に、フィリアやセレナたち五人の先輩妻が、痛ましそうに目を伏せた。
「サクヤさんの言う通りですわ。……現実の世界に戻ってきた時、私たちの体は完全に透けかけて、もう限界でした。あのままでは、間違いなく数日以内に『消滅』していたはずです」
フィリアが、今はしっかりと血色の通った自身の手のひらを見つめる。
虚無の世界で受けた魂の欠損は、自然治癒するような生易しいものではなかった。
「ライル様は、それを本能で悟っていたんです。だから、ご自分の命を削ってでも、毎日毎日、私たちが完全に現世に定着するまで『存在』を流し込み続けてくれた……。あの強引なネットワーク構築がなければ、私たちは、今ここに存在していません」
「……パパは、命懸けで私たちを現実に縫い止めてくれていたのね」
銀髪のリーフェが、自身のチョーカーに触れながら涙声で呟いた。
十柱の女神たちも同じだ。枯渇していたマナの永久機関が再び動き出したのも、ライルが最初の「種火」として、己の莫大な神気を限界まで注ぎ込んでくれたからだった。
夫の無茶を怒って止めた。
だが現実は、自分たちはその「夫の命を削った無茶」によって、完全に命を救われていたのだ。
◇
【妻たちの猛省 ~彼を一人で背負わせた罪~】
「……私たち、パパに甘えすぎていたんですわ」
長女のベイラが、悔しそうに唇を噛み締め、ポロポロと大粒の涙をこぼした。
「パパは『自分の驕りのせいでみんなを危険に晒した』って、一人で全部の責任を背負い込んでいた。……どうしてあの時、『違う、パパだけのせいじゃない』って、もっと強く言ってあげられなかったの……ッ!」
ベイラの悲痛な叫びに、他の十四人もハッとして顔を上げた。
「……そうですわね。危機を予測できなかったのは、私たちも同じです。平和に胡座をかいて、ただパパに守られるだけの『お姫様』になっていた……」
漆黒の髪のヘカッテが、自嘲気味に笑いながら涙を拭う。
「私たち、十五人もいるのに……パパ一人の心すら、救ってあげられていなかった」
琥珀色の瞳を濡らしながら、ヘスティアーがすすり泣く。
ライルは、十五人の妻たちと、十五人の子供たちという巨大な家族を、ただ一人で愛し、たった一人で「絶対に守り抜かなければならない」という強迫観念と戦っていた。
その孤独な重圧に気づかず、彼が「私が至らなかった」と懺悔した時も、一緒に背負うのではなく、彼が一人で贖罪の十字架を背負うのを許してしまった。
「……私たちも同罪。いいえ、私たちのほうが罪が重いのですわ」
フィリアが、凛とした声で、しかし目には確かな涙を湛えて宣言した。
「ライル様にすべての重圧と責任を押し付け、彼がボロボロになるまで命を吸い上げ続けてしまった。……このまま『守られるだけの弱い妻』でいることは、ライル様への愛でもなんでもありません」
◇
【双方向のネットワーク ~真の伴侶としての覚悟~】
「……ええ。もう二度と、パパを一人で戦わせたりしない」
ベイラが立ち上がり、自身の胸元で輝くチョーカーの『黄金の宝石』と、そこに刻まれた『LYLE』の文字を両手で強く包み込んだ。
「パパが命を削って創り上げてくれた、この魂のネットワーク。……これからは、パパだけが私たちに命を送る『一方通行』には絶対にさせないわ」
「そうですわね!」
星空の髪のアフロディテも、真っ赤な目で力強く立ち上がる。
「私たちからも、パパの魂に向かって『愛』と『命』を絶え間なく送り続けるんです! パパが倒れそうになったら、今度は私たちが、この繋がりを通してパパを支える番ですわ!」
「ええ。主さまが悲しい時は、十五人でその悲しみを引き受けましょう。主さまが苦しい時は、十五人でその痛みを分け合いましょう」
サクヤも、セレナたちも、次々と立ち上がり、互いの顔を見渡して深く頷き合った。
パパに愛され、守られるだけの存在からの卒業。
それは、魔法の繋がりだけではなく、これからの『日常』を大きく変えるという決意でもあった。
「これからは、パパが神王として一人で背負っていた領地の管理や、外部からの結界維持といった『裏方の仕事』も、私たちが率先して分担しますわ」
ベイラが力強く宣言すると、サクヤも小さく笑って同意した。
「ええ。主さまが『大丈夫だよ』と笑って無理をしようとしても、もう誤魔化されません。主さまがため息をつく前に、私たちが強引にでも甘やかして、たっぷり癒やしてあげましょう」
「パパへの感謝と愛情の『言葉』も、絶対に毎日、出し惜しみせずに伝えますわ!」
ヘスティアーやリーフェたちも、大きく手を挙げて賛同する。
共に傷つき、共に背負い、互いの命を補い合いながら永遠を歩んでいく。
それこそが、神王の隣に立つ『真の伴侶(妻)』としての絶対の覚悟だった。
「……早く、パパが目を覚まさないかしら」
真紅の髪のフレイヤが、嬉し泣きのような笑顔を見せる。
「目覚めたら、今度は私たちが、パパが『もう愛が重すぎて潰れそうだよ!』って悲鳴を上げるくらい、このネットワークから愛を流し込んでやるんですわ!」
「ふふっ、それは主さまも大変ですね。……でも、絶対にそうしましょう」
フィリアが、この数週間で初めて、心からの明るい微笑みを浮かべた。
眠るライルの部屋の扉の向こう側。
十五人の妻たちは、深い反省と後悔の涙を拭い去り、これからの果てしない未来を「夫婦」として共に戦い、支え合うための、世界で最も強固で温かい絆の誓いを立てていたのだった。




